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三つの骨子

衛鞅は冒頭にこう切り出し始めた。


「私の頭の中には今、様々な考えが渦巻いています。どうも先を先を急ぎ過ぎる私の悪い癖の様です。」


そう言って照れ隠しに微笑んだ。


()()らん…』


孝公は僅かに相槌を打った。


『この男は頭が良すぎるのだろうな…だがそれだけ、先を見据えて計画が構築されているのだろう、躊躇(ためら)いはその事の裏返し…そういった所なのだろうな…』


孝公はそう感じて耳を澄ましている。


そして(うなが)す様に、「先を続けて下され…」そう言って衛鞅の顔を見つめた。


それは然も『私は覚悟を決めている』そう言っている様に衛鞅には感じられた。


「では申し上げましょう…私はこの三日間、その渦巻く頭の中を整理しながら、まずその端緒として相応しい取り組みをまとめておりました。そしてようやく頭の整理を終えて、三つの骨子を取りまとめました。まず最初に申し上げておきますが、これはこの秦国が最終的に富国強兵を成し遂げて、他国に侮られない、豊かで強い国になる為のはじめの第一歩…そうお考え下さい。中原の諸国からは、秦はまだまだ西の果ての夷狄(いてき)と見下されております。それを(くつがえ)す事はそう簡単な事では在りませぬ。しかしながら、ここは焦らず、足並みを揃えて理路整然と相務めなければ、事は為せませぬ。いわゆる国家総動員といった所でしょうか?その為にはまず、それを強い気持ちで断行する君主様のお覚悟が肝要かと想いまする。如何ですかな…」


衛鞅は少し厳しい目つきをして、孝公に訴えた。


彼も君主・孝公の覚悟は重々承知しているのだが、ここは大事な所だ…慎重に成らざるを得ない。


「無論…その覚悟は出来ておる。遠慮なく申してくれて良い…」孝公はそう言うと改めて衛鞅見つめた。


衛鞅はその真剣な眼差しを見つめながら、しばらく間を置くと、先を続けた。


「宜しいでしょう。では先を続けます。此れはある意味、公の後ろ楯が無ければ、恐らくは一歩も前に進まぬ程の厳しい改革案です。公が私を常に信じて、支えて下さらねば事はけして成りませぬ。今この秦に優しいだけの君主は不要なのだという事を肝に命じて下さい。秦はしばらく内乱が続いたせいもあり、民は国の運営の在り様に疑問を持っておりますし、公を支える筈の貴族階級も、保守的で私腹を肥やす事にしか興味を示しておりませぬ。そんな中で断行する改革ですから、抵抗も無論在りましょうし、停滞仕切ったこの国の在り様を揺さぶるためには、かなりの荒療治が必要なのです。それを良くお考えに為って、是非とも強い気持ちで事に当たるとお約束下さいませ。此れは如何でしょうか?」


衛鞅は一気に(まく)し立てると、ひと息ついた。


そして事さらに真剣な(まなこ)で孝公を見つめた。


孝公は(ひる)む事無く、淡々とこう告げた。


「約束するで在ろう。」


孝公もここで躊躇(ためら)いは見せられない。


彼ほど現状を憂いていて、何とかしたいと思っている者など他に在るまい。


そう自負して要るので事は簡単だった。


しかしながら、衛鞅はそう観ていない。


『この君主の弱点はその優しさにある。今は憂いから断言しているものの、必ず戸惑いを見せる時が来るに違いない。』


衛鞅からしてみれば、一旦この改革に着手し始めたら、もう後には引けないのだ。


途中心変わりされようものなら、彼自身の命が危うくなる。


この改革に着手するという事は彼にとっても命懸けの行動なのだと、理解して貰わねば成らなかったのだ。


「宜しいでしょう。その御言葉を信じましょう。」


衛鞅はまじまじと孝公を見つめながらそう応えた。


いずれにしても今はその言葉を信じて先に進まなければ仕方がない。


それだけやり甲斐のある改革なのだし、恐らくは衛鞅で無ければ、ここまで非情には徹し切れないだろう。


また孝公も、この改革を推し進めるためには、これ以上は考えられないほど理解力のある君主であり、天がこの時期に彼を遣わしてくれた事に感謝すべきで在ろう。


正に孝公はそれだけの知性と行動力を持ち合わせた君主であると言えた。


但し、彼が同時に併せ持つ、その『優しさ』が仇に成らねば善いが…それだけが衛鞅の心の中に残された唯一の(わだかま)りであったのだ。


衛鞅はそんな自分の心の有り様に葉っぱを掛ける様に、気持ちを切り換えると、ついに口を開いた。


「君主様、私がまず申し上げたいのは、先ほど少し触れました様に、改革の端緒と成るべき三つの骨子で在りまする。まず一つ目…三本の骨子のうちでも、此れが一番重要であり、正に改革の根幹と成りまする。それは、【法の厳格化】です。今も確かに法らしき物は存在しますが、きちんと細部まで明確化されておらず、時に上役の鶴の一声で対応が変えられる程、なあなあで在り、此れでは処罰された側も不満が残りましょう。ゆえに法を明文化し、誰に対しても平等に裁決が為される様に成文法を構築する事が肝要だと考えています。何がダメで何が奨励されるのか…此れがはっきりしてこそ、その方向性が明確になり、皆の気持ちを引き締め、改革の断行が容易になると私は考えております。如何で御座いましょうか?」


孝公は衛鞅の言葉をひとつとして聞き逃すまいと真剣に耳を傾けている。


確かに彼の言う通り、今の秦の法は相手により厳しく対応し過ぎたり、手心を加え過ぎたりする嫌いが在った。


『言っている事に間違いは無い…ただ余りにも厳しい法で在り過ぎた場合、反発が心配な所だが…』


孝公はまだこの時点では多少、(ぬる)い気持ちが残っており、無用な心配をしている。


衛鞅の心配は正にそこにこそ在るのだが、この先すぐに孝公はその事に直面せざるを得なくなる。


「法の厳格化は結構だが、此れはその地位に応じて違いが出る物で在ろうか?どうなのだ。」


衛鞅はその言葉を聞くと呆れた顔を隠さない。


「君主様…私は"誰に対しても平等な法"と申しました。ここは大事なところですから、ゆめゆめ誤解を為されません様に!無論、その地位に応じて処罰の有り様は変わりましょう。それは否定しませぬ。しかしながら、処罰の効力としては同じ事です。例えば、例を挙げよと申されるならば、極刑の場合は民は首を羽ねます。軍人は腰斬(ようざん)の刑、或いは罪の度合いが重ければ、車裂きの刑もあるでしょう。また貴族や例えそれが王族で在っても極刑に当たる罪からは逃れる事は出来ませぬ。最悪死を覚悟して貰わねば成りませぬ。むしろ私は位が高い者でさえも、この改革では法の拘束から逃れる(すべ)が無い様にしてこそ、下々の者も法の厳格さを知る事になると想っています。それだけの覚悟が無ければ、改革など今すぐにでも止めて(おしま)いに成ると宜しい。如何ですか…それが出来ますか?」


『貴族はもとより王族であっても法の元に拘束する…』


孝公はこの言葉に戦慄を覚え、正直ショックを受けた。


しかしながら、確かに此れまでの秦の法はその辺りが特になあなあであり、高貴な身分だから許される様なところはあった。


そして権力を持つ者が法を犯しても、罰せられない事が度々あり、綱紀粛正の機会を失って来たのも事実だった。


忸怩(じくじ)たる思いの中で、逃げられた悪党が数多く居たのも確かなのである。


『衛鞅の言う通りかも知れぬ…高貴な者が民の手本と成らねば、これまで内乱で迷惑を被って来た民たちは信用せぬだろう…。私もここは覚悟を決めなければ成らんだろうな。』


孝公はそう感じていた。


そこで衛鞅の考え方を『是』とした。


「確かにその通りかもしれぬ…分かった。お主の言う通りだ。その方向で進めるとしよう。」


孝公はそう言いながら衛鞅を見つめた。


衛鞅はまだ言葉の重みを、孝公がちゃんと腹の底に落としたかどうか懸念はあったものの、それを今、此処で拘り過ぎる余り、話を中断しては先に進めないので、後程、細部を詰める際に今一度確認する事にした。


「次に二つ目ですが…それは【風習の変革化】で在りまする。秦には元々西の夷狄の時代の風習がまだ数多く残っており、その風俗に於いて、中原の地と、かなりの隔たりが在りまする。まず顕著な所では妻を共有する事です。ひとりの女を複数の男が共有するなど、在っては成りませぬ。此れは野蛮な行為で在り、改めねば成りませぬ。この事ひとつを取っても、中原の人達から秦人が誇れる民族と呼ばれる事は無いのです。そこは今直ぐにも改めねば成りませぬ。そうしていかねば、秦人が独立心を持つ事など有り得ぬでしょうし、人的育成上、成長に懸念があるでしょう。この事に限らず、中原と同じ風習に改めて行かねば、対等な関係を築く事は難しいのです。」


衛鞅はそう言うと、孝公の考えを尋ねた。


孝公としても古い因習が(まか)り通ったままの今の現状を憂いて要るので、この点には異論が無い。


ただ現実的に現状を改めるのは容易では無いと思っている。


「言いたい事は判る。私も改めねば成らぬと思うが、現在その関係性にある者をどうするのだ?」


此れはとても現実的な意見であり、衛鞅も理解出来たので、こう答える事にした。


「それは仰る通りかと!ただこれは骨子の最後…三つ目の改革で、本人達に考えさせる必要性が在ります。それを此れから申し上げます所以、お聞き下され。それは【意識改革】です。読んで字の如しで在りますが、ひとりひとりが此れから取り組んで行かねば成らぬ事です。無論、君主様の御達しという形で、その方向性を是正致します。民はある意味、自らでは方向性が見出だせぬ子供と同じです。君主様の御言葉は必ず響くに違い在りませぬ。始めは御達しという形を取り、それぞれに考える機会を与えますが、最終的には、今後の有り様として、法制化に依り、規制する事が必要に成りましょう。また意識改革はこの事に限らず、此れからの秦国が禁ずる、或いは奨励する事に触れて、民の此れからの歩みを手助けする事が必要と成りましょう。私の考えでは、商業を禁じ、民には農地開発を奨励する方向で考えておりまする。秦国にはまだ土地開発の余地が存分に有り、民がまず食える様にする事が肝要かと!そしてそれは近い将来の軍事物資(兵糧)の増加推進に繋がると存じます。以上が簡単では在りますが、改革の端緒として私が頭に描いている三つの骨子です。」


衛鞅はそう言い切ると、ひと息着いた。


孝公は目を閉じて、言葉のひとつひとつを吟味する様に、考え込んでいたが、不意に顔を上げると、衛鞅の顔を見つめながら、こう告げた。


「三つの端緒となる骨子か…成る程良く此処まで考えたものだ。当面の改革案としては悪くなかろう。後はこの三本柱に肉付けをしっかりとしていく事だな…。特に一つ目の法の整備には時間を掛けねば成るまい。悪いが此れから早速それに取り掛かるとしよう。法の整備が整えば、それに絡めて、風俗の是正も、意識の変革も、良い知恵が自ずと出て来るというものだ。それで宜しいかな?」


孝公は念を押すように衛鞅の意志を確認した。


衛鞅は「それで結構です。望む所ですよ♪」そう応えたのだった。


話の途中、家裁は昼食を持って来ていたが、二人とも話に熱中する余り、口にしていなかった。


時間は刻々と経っていて、既に陽は暮れかかっており、夕日が茜色に帯びていた。


(あか)く染まった雲は、下界の喧騒などお構いなしにそのままゆったりと流れて行く。

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