会見の日
いよいよ第4回目の対面の朝を迎えた。
衛鞅はその日は朝早くから起き出して、亭主に朝ご飯を頼むとたらふく腹に詰め込んだ。
そして日課である庭の散策に興じていると、やがて約束通りに景監が坂道を登って迎えにやって来た。
「やあ♪衛鞅殿、良く睡眠は取れましたかな?今日は此れから忙しく成りますぞ!我が君も今か今かと心待ちにされております。準備は宜しいかな?」
開口一番そう話し掛けた。
衛鞅はとても落ち着いた顔をしていて、気力が充実しており、身体中からはその気が溢れんばかりに漲っている。
「無論!準備は万端です♪いつでも結構!」
そう応えた。
いつになくその言葉には威厳と重みがある様に、景監には感じられたので、『此れなら間違いあるまい…』そう想ったのだった。
「それでは急かして申し訳ないが、さっそく御足労願いましょうか…」
そう告げると、衛鞅を伴って、もと来た道を引き返して行く。
秦国は年中ほぼ雲に覆われていて、なかなかすっきりとした青空が顕れる機会に恵まれない。
にも拘わらず、今朝は青空が広がり、その中を悠々と白い雲がユッタリと流れて行く。
正に青雲である。
衛鞅の門出の日をまるで祝うかの様に、空はその大きな懐で彼らを包み、見守っている。
『天啓だな…』衛鞅はそう想う事にした。
景監も『我が君を空が後押しして下さる…』そう感じていた。
二人は登城すると、揃って孝公の居室に向かう。
扉の前まで来ると、景監は主上に対して言上した。
「我が君…衛鞅殿をお連れ致しました。」
孝公は執務中で、書簡と睨めっこしていたが、直ぐに顔を上げると、書簡を放り出して立ち上がり、歩み寄りながら、挨拶した。
「此れは此れは衛鞅殿…お待ちしておりましたぞ。どうぞこちらにお座り下され。」
そう言うと、用意してある座に誘った。
衛鞅も拝礼して、招きに応じて座に落ち着く。
「この度は、お時間を頂戴し有難う御座います。この衛鞅…微力を尽くすとお約束致します。」
そう言って前屈みになると、深々と頭を下げた。
「貴方からどんな献策が示されるのか…愉しみです。」
孝公はそう応えると、こちらもぺこりと会釈する。
そして景監の方を振り向くと、
「御苦労だった…お前は下がってよい。このところ休む暇なく良くやってくれた。少し休むと良い。何か在れば直ぐに呼ぶ所以…心配致すな、よいな!…あと悪いが家裁に命じて茶を用意させてくれ。他の者はしばらく近づけぬ様に…」
そう命じた。
「承知致しました。」
景監はそう言うと、衛鞅にも会釈して引き下がった。
その足で家裁のところに顔を出すと、
「我が君がお茶を所望だ。しばらくお話に集中される様だから…お前は直ぐにお茶を二人前煎れて出しなさい。そして大きめの土瓶を用意して、囲炉裏にくべておいてくれ…喉が乾いたら飲める様にな…あと私の予測では、今日は夜まで話が掛かるに違い無いから、昼食と夕食の用意も頼む。夜はお酒もお出しするが良いぞ…何か困った事があったりしたら直ぐに私に声を掛けよ、よいな!頼んだぞ。」
そう言って肩を軽くポンポンと叩いた。
家裁は「承知しました…」と言って早速茶の用意に入った。
景監は『やれやれだ…』そう小声で呟くと自室に引き上げて行った。
『……』
孝公と衛鞅は対面で座り、頭を付き合わせている。
部屋の中には陽が射し込んでいて、二人の顔を照らし出していた。
屋外からは、サ~ッと風の音が聴こえる他は時折、小鳥たちの囀ずる鳴き声が伝わって来るのみである。
孝公はおおらかにゆったりと構えているが、その耳は、衛鞅の第一声を逃すまいと神経を研ぎ清ませていた。
衛鞅も肩の力を抜いて、泰然自若の呈で、こちらもゆったりと構えている。
彼は鳥の羽を集めて紡いだ、所謂羽扇を左手に持って、懐には草案を纏めた書簡を抱き、事に臨んだ。
少し緊張しているのか、はたまた考えを頭の中で練っているのかは、伺い知れぬが、時折、羽扇を口許に持って行きながら、集中している。
彼が真剣な時に見せる癖なのかも知れなかった。
そんな衛鞅の仕草を見つめながら、孝公は急かすでも無く、のんびりとそんな彼を眺めている。
すると丁度そこに、下男を連れた家裁が入って来て、二人に熱いお茶を差し出した。
下男は手際よく囲炉裏に火を入れると、茶の入った土瓶をササッと掛けて行く。
「御苦労だった。しばらくは誰も通さぬ様に頼む…」
そう言うと、二人は頭をきちんと下げて退出した。
「どうだ…ひとまずは冷めぬうちに茶でも飲もうか…時間はたっぷりあるから急がずとも良いぞ。」
孝公は衛鞅を気遣いながら、そう提案した。
「有難う御座います。では遠慮なく…」
二人は見つめ合いながら、熱い茶を美味しそうに、ゴクリゴクリと啜る。
陽が射し込んでいるとはいえ、まだ朝方なので、寒さは感じていた。
身体に染み入る熱い茶は身体を優しく温めてくれた。
お茶を飲み終えるや、衛鞅は改めて羽扇を口許に持って行き、「ではそろそろ宜しいでしょうか?」と言ってパチリと羽扇を綴じた。
「いつでも結構…始めて下され。」
孝公は待ってました…とばかりに少し頬に赤みが射した様に見えた。




