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興味の先に在るもの

こうして紆余曲折はあったものの、孝公と衛鞅の対面は、三回目に及ぶ事となった。


孝公は、二度に渡る空振りに腹を立てていたものの、景監から、


「もう少しお付き合いなさいませ…彼はまだ本領を発揮していない様です。今はまだ諦めるのは時期尚早に御座いますぞ!どうせ長く待ったのですから、最期までやらせてみましょう。代えが在れば別ですが無いのですし、腹が立ったら、彼があんなに泥々になって全国行脚した事を思い出して(こら)えて下さい。私は少なくとも彼を信じまする。」


そう言われて思い直したのだった。


『確かに言われてみれば、その通りだな…良し!私ももう少し付き合う事にするか…』


元々、孝公も聡明な人なので、言葉を尽くせばそれを無下にはしない。


それに自分のもっとも信を置く、景監がそう言うのだから、信じてみようと想い至ったのだった。


「良し!衛鞅をまた呼んでくれ!」


こうして三度目の対面は実現する運びとなったのである。


衛鞅にとっても今回ばかりは言葉を尽くした景監に感謝すべきであろう。


衛鞅は富国強兵を遂げて、他国の争いを調停し、周王にその功績を認められて『会盟』を開催した後に『覇者』となった『斉の桓公』の話を冒頭で語った。


因みに『会盟』とは、覇者としての資格を備えた者が、場所を決めてそこに、呼び掛けに応じた他国の君主たちを参集し、周王を招いて号令をかける事である。


その上で初めて、周王に『覇者』として認定して貰える事になるのだ。


無論その資格を得る方法は様々だが、基本的には、国が安定し、軍備が精強である事。ー【富国強兵】


そして自国のみならず、中華全土に影響力を与える事が出来る存在であり、他国のために何が出来るのかが、重要となる。


それは『救済』という言葉に集約されるのではなかろうか?


他国の争いを調停したり、弱小国を救ってやったりと多岐に渡るが、やる事は則ち、『周王が本来遣らねば成らぬ事』の肩代わりである。


先に述べた様に、この頃の周王には、もはや力は無い。


軍を動員しようにも、自国すら守れない程の(てい)たらくなので、それに代わる『覇者』という者が必要だったのだと思われる。


そして覇者という者は、やがて自然と消滅して行く。


此れはそもそも一代限りの栄誉であって、相続出来る手合いのものでは無い。


さらには一度認定されても、力の衰えと共に、その資格は有名無実となる。


他国に(あなど)られた時点で、その意味は無くなると言って良い。


そして覇者という者は、春秋時代の終わりと共に消滅する事になる。


戦国時代に入ると、弱小国は次第に淘汰されて、戦国六強と呼ばれる国の陣取り合戦という状況に変化して行くのだ。


そしてその中で、富国強兵を成し遂げ、力を持った国々はもはや覇者に成ろうなどとは考えない。


いかに他国を(おとし)め、自国を有利な立場に押し上げるか以外に興味は無いのだ。


自国が生き延び、他国を駆逐して行く。


時代の流れと共にそういった呈を為して行くのである。


その狭間に投げ出されたのが、西の端に位置する弱小国家・秦なのである。


戦国六強と呼ばれた魏・趙・韓・斉・燕・楚を向こうに廻して、国を建て直し、復興を遂げなければ、秦という国の明日は無いと言えた。


特に秦に隣接する魏・趙・韓の『三晋』と南の大国・楚は、折り在らば秦領を掠め取ろうと、虎視眈々と狙っており、予断を許さない。


恐らくその様な現状を憂慮しているのが、今の孝公の立場なのであろう。


衛鞅の語る『覇者』の話の中で、孝公が特に目を輝かせて、興味を持ったのは、『富国強兵』であり、『復興』という言葉には強い反応を示した。


衛鞅は熱弁を(ふる)いながらも、君主・孝公の反応を逐一横目で見ながら、その表情の変化や仕草さえも見逃す事無く進めている。


その人の『本音』と『建前』を見分ける為というべきなのだろうか?


此れが短期的なお付き合いで在れば、そこまでする必要性は無いのだろうが、衛鞅は既に孝公の元で秦の改革に着手する気が在るので、然り気無く"様子を窺っている"のだといえた。


「今回は"覇者の道"、いわゆる"覇道"についてご説明致しました。どうか忌憚(きたん)の無いご意見をお聞かせ頂きたいものです…」


そう言うと、孝公の顔をじっと見つめた。


孝公は軽く相槌を打つと、『フフッ』とほくそ笑んだ。そして、


「今日の話はなかなか面白く拝聴した。」


そう言って衛鞅の顔を見つめながら語り出した。


「実はな…私のご先祖に当たる第9代君主・穆公(ぼくこう)は"覇者"となった事がある。西戎(せいじゅう)という西方に住む蛮族を討ち、中原諸国の安寧に貢献した事が周王に認められたのだ。正に私の目標として止まないのが先人・穆公の事蹟(じせき)である。公はそれだけにとどまらず、秦人(しんひと)(こだわ)らない人材の登用を行った。有能な人材で在れば、それが喩え、蛮族だろうが、庶民だろうが、他国の者で在ろうが構わないと、国の内外から"人"を集めたのだ。私が今回人材募集に踏み切った所以もそこにある。だが、残念な事にな…そんな偉大な君主が原因で、秦がその後、みるみる下降の一途を辿(たど)ったのもまた、事実なのだ。だから私は自分の生ある限り、秦を豊かな国にして、他国に(あなど)りを受けぬ強い国にしたいと想っておる。そなたが申した『富国強兵』の策がどれ程のものか…次回ご教授を賜りたいと思っておる。今日は御苦労だった…」


そう言うと、満足そうに居室の奥に消えた。


衛鞅も予定通りの感触を得て、次回の約束も取りつけられた事に満足して、そのまま孝公の背中を見送ると、拝礼して引き上げた。


『……』


さて…孝公は最後まで語らなかったが、穆公という偉大な君主をして仕出(しで)かした過ちとは、いったい何なので在ろうか?


読者の皆様が不完全燃焼に陥ると困るので、敢えてここに補足しておく事にしたい。


それは穆公の時代にまだ残っていた(あらが)えぬ因習のせいである。


彼の時代にはまだ、『殉死』なるものが残っていた。


『君主に殉じて死を賜る』それが永き慣例として残っていた為に、穆公の死と共に、彼の集めた有能な人材は、ひとり残らず"死を賜り"彼に殉じた。


その全てが自分の意志で死んだのならば、まだ納得出来なくも無いが、残念ながら人が人である以上、どの時代に生まれたとしても、そんな事は有り得ないのだ。


中には進んで死ぬ者も居たかも知れない…それは否定しない。


しかしながら、自分のため、或いは家族のために、そんな事からは逃れて、最期まで"死にたくない"と抵抗した者も居ただろう。


『殉死』とはけして『崇高(すうこう)なもの』ではなく、そんな死にたくない者まで無惨に殺してしまう『人でなし』の制度だったのである。


崇高(すうこう)』とは『(たた)る』という字を当てているが、この一件を知ってからは、とても納得がいく気がしたものである。


因みに、穆公の『殉死者』は177人に及ぶと言われているので、それだけ政治の中枢や軍部の指揮官から人材が歯抜けになれば、国は空中分解するに決まっている。


彼の死後…かなりの期間、秦国は内乱と言って良い程の未曾有の危機が繰り返された。


貴族の力が強くなり、君主が気に入らなければ殺してしまったり、跡を継ぐ者が小さな子供や果ては赤子だったりした時代も在ったので、国は安定からは程遠い状況に陥ってしまった。


政治は貴族の都合の良い様に壟断(ろうだん)されたので、国力は観る影も無く、低下の一途を辿る事になる。


こうなって来ると、素晴らしい事蹟(じせき)を残した筈の穆公の治世は、大きな功罪を残したと言わざるを得ない。


此れだけ聡明な君主がなぜそれに気がつかなかったのか、或いはまだ死ぬ予定がなく、急死しただけなのか、未だ謎は多い。


そんな状況に光明が射して来たのが、孝公の父・献公の時代である。


献公が現在の都・櫟陽(やくよう)に遷都した事は先に述べた。


そして悪制の『殉死』制度を正式に廃止したのも、この献公の時である。


遷都は新しい出発、そして貴族たちの既得権益を排除するにはとても都合が良かったのだと言えるだろう。


献公は貴族たちの権益をある程度認めて、君主と貴族の融和路線を計る事には成功した。


そのお陰で、低下し続けていた秦国の国力は一時的に持ち直す事は出来たのである。


けれども君主主導で物事を決められない以上は、なかなか思うように『改革』は行えない。


そのため、孝公が引き継いだ秦の国は、未だ立ち直れないまま、事ここに至っている訳であった。


そして景監が繋いだ孝公と衛鞅の出会いが、此れからの秦国をどの様に『変革』して行くのかは、この先の物語として紡がれて行く事になるのである。

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