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二度或る事は三度或る

景監は主上の気持ちを察する時、直ぐには提案する事も出来ず、衛鞅との約束を果たす機会を伺いながら、日々過ごしていた。


時間の経つのは早いもので、あれから既に三日程経過している。


その間、彼は孝公に全く会っていない訳では無い。


彼の立場上、それは不可能であり、翌日から日々顔は合わせているのだが、どちら共無くその話題には至らない。


無論、孝公も先の事を全く考えていない訳では無いだろうが、日々の執務はそれだけでも無く、現在進行形(リアルタイム)でやる事は山積みにあるので、今はただ、それに集中して日々を過ごしている様に見えた。


景監は主上の気持ちを(おもんばか)り、そっとしておいて、時折、チラチラと様子を伺うに(とど)めていたのである。


孝公は職務に集中している時には、(ひたい)(しわ)を寄せて、目を(いか)らせる様にする癖があり、一見すると怒っているが如く見えるのだが、それは単に集中しているに過ぎない。


恐らく本人は、自分では意識していないのだろうが、知らない人が見ると、まるで怒っている様に見えるかも知れなかった。


これは目の焦点が合わない時に人が誰でも無意識にやってしまう癖なのだろうが、自分でそれに気づいて、気にしている人の方が少ないだろう。


秦という国は貧しく、簡単には灯もろくに入れる事が出来ない。


菜種油もけして安くなく、君主の身で在りながら、質素倹約を旨とするのだから、辺りは常に薄暗く、目を凝らして見ないと仕方がなかったのだと言えよう。


それを除けば、ここ数日の主上の顔色は良く、表情も穏やかに見えた。


『そろそろ声を掛けてみようか…』


景監はそう想い立つと、居室の外からヒョコリと顔を出して、ジーッと主上の顔を伺った。


孝公は、机の上に書簡を広げて、行間を舐める様に目を走らせている。


すると、ふとしたはずみに、彼は顔を上げて正面を見た。


そもそも無意識にチラッと見ただけなのだが、たまたま外から(のぞ)き込む景監と目が合ってしまった。


景監としては罰が悪いが、孝公からすれば可愛い配下がここ数日、自分を(おもんばか)って心配しているのを肌身に感じていたので、怒らない。


むしろ気持ちを察する余り、そっとしておこうと気遣っているのが、ひしひしと伝わって来るので有り難かった。


孝公は書簡を放り出すと、「おい!そんな所でモジモジしてないで、中に入れ♪」と言って、手招きしている。


景監はホッとして姿を現すと、おずおずと孝公の前まで歩み寄った。


「ところであの男だが…その後どうしているか?」


孝公は唐突と言えるほど、単刀直入に切り出した。


衛鞅との約束が頭から離れない景監にとっては、いきなり核心に触れて来たので、まるで自分の気持ちを見透かされたのでは在るまいかと、少々ドキリとさせられた。


「はあ…毎日を心穏やかに過ごしている様に御座います。」


此れは嘘では無い。


景監としては立場上、いつ尋ねられても良いように、衛鞅の様子も逐一(ちくいち)見に行かせている。


何がきっかけで、再び両者を繋ぐ事が出来るか判らないと想っての事だった。


「そうか…ところで、そろそろ今一度、面会の機会を与えようと想っているのだが、そなたはどう想うか?」


孝公はそう…努めて明るい表情で切り出してきた。


多少気持ちのままに腹を立てた事を思い出して、表情を穏やかにしようと考えたのかも知れない。


景監にとっては、渡りに船である。


どう切り出したものか悩んでいた所を、主上が助け船を出してくれた様なものなので、直ぐに、「ご英断です!」と応えた。


そして「如何でしょう…本日に致しますか?」と尋ねた。


すると孝公は、やおらニヤリと笑うと、


「お主、端からそのつもりであったろう?さては衛鞅に頼まれたな…お主の性格なら無理もなかろうがな…良い!此れからでも構わぬし、奴の都合で来て貰うが良いぞ!」


そう言うと、


「いつも相すまぬな…お主は他に代え難い私の理解者だ…いつも感謝しておる。」


と景監に対しての労いを忘れないのだった。


『他に代え難い私の理解者』景監にとって、此れ以上の褒め言葉は或るまい。


気が緩むと感激の余り熱いものが(まぶた)から(したた)()ちそうになるのを、精一杯気を張って我慢しながら、


「承知しました。では本人に確認を取りまして連れて参ります。」


そう言って退出するのだった。


こうして衛鞅は晴れて二度目の対面の場に臨む事になった。


ところがである…。


衛鞅は相も変わらず平静を装ったまま、『国の根幹たる王の道…』つまり『王道』に関して、再び熱弁を(ふる)い始めた。


この時代、王と言えば『周王』の事を一般的に指すが、既に周王朝に実質的な力は無く、各列強国に支えられる事で辛うじてその命脈を保っている存在だった。


一番判りやすく喩えるならば、日本でいう所の『象徴(天皇の事)』の様なものである。


軍事力ではもはや列強国に遠く及ばず、その権威だけを残す、正に『張り子の虎』の様なものであり、各国の周王に対する敬意のみで存続している国に過ぎない。


各国ともではなぜ、周を滅ぼさないかと問われるならば、名目上とは言え、盟主国である周王朝を滅ぼせば、『逆臣』という名の元に他の列強国全てを敵に廻す事になるからであった。


この時代はまだ、一国で他国全てを敵に廻して排除出来る程の強国は存在しないので、単なる弱小国家を滅ぼすのとは訳が違ったのである。


そしてその周王朝の君主を武力で脅す事で王としての地位を認めさせた国が三国ある。


()(ちょう)(かん)である。


この三国は一般的に『三晋(さんしん)』と呼ばれていて、中華でも所謂(いわゆる)中原(ちゅうげん)と呼ばれた中央に位置して居り、かつては『(しん)』という巨大国家を形成して、東の大国『(せい)』や南の大国『()』と雌雄を競っていた。


その大国『晋』がある時、貴族間の内部分裂から三つに割れた。


それが前述の三国、()(ちょう)(かん)であり、ゆえに国が割れた後もこの三国を総称して『三晋』と呼んだのである。


そして始めに『王に成りたい』と野望を抱いたのが魏であった。


当時の魏は中華列強の中でもその力が頭ひとつ抜きん出ており、他国が警戒する程の軍事力も備えていた。


ところがひとつここに問題があり、周王朝を滅ぼす程の印象は与えないとしても、魏一国で事に臨むと、後々他国から敵視されかねない。


そこで賢い大臣に入れ知恵された魏公は、かつての同胞である、趙公と韓公に誘いをかけた。


『我ら三国で王に成ろう』その悪しき企みで再び『三晋』として手を握ったのである。


そして三国連名で周王に脅しを掛けて、その力に屈した周王から、『王』を名乗る事を許されたのであった。


(^_^;)もはや許すというより脅迫だけどね…。


だからこの時代、中華の中に王は四人居た事になる。


(;^_^A…これも実は名乗って居るのは五人であり、楚は荘王の時代から勝手に王を名乗っている…。


荘王曰く『周王など恐るるに足りず、文句があるなら、束になってかかってらっしゃい!』…などと言ったとか、単なる戯れ言だとか(笑)


当時の楚国にはそれだけの力があった…という事になるのだろうけど、結局、周王が認めようが、認めまいが、外交では『○○王』と言わなきゃならんのだから、各国とも既に認めている様なものだった。


ただひとつ、楚の位置関係的に中原(ちゅうげん)から外れた南の蛮族の国って事で、『いくら大国でも田舎者だから、仕方ないんじゃね?』て事で、勝手に名乗らせておく事にしたらしい。


それに今後、時間が進むにつれて、どうせ各国が王を名乗るという、いずれは王のバーゲンセール状態になるのだから、大した違いは無いのだが、まだそれは少し先の話である。


因みに晋が分裂して魏・趙・韓に割れる前を春秋時代と呼び、後を戦国時代と呼んでいる。


『春秋』も『戦国』も当時の歴史書の名前から取って、そう呼ばれているだけで、後付けであり、その当時の人々がそう呼んでいた訳ではない。


『戦国』は因みに『戦国策』という書物から付けられている。


三国連合で堂々と王の地位を勝ち取った事で、これに異を唱えると『三晋』による攻撃対象に陥るかも知れない。


そう考えた他の列強国はグウの根も出ないのであった。


このようにこの時代、王となるためには、他国に脅威を与える程の軍事力を持つ事、そして周王朝から正式に認められる事、少なくともこの二つが最低条件だったと言える。


けして褒められたやり方じゃないけどね(^-^;


それに脅迫は外道…侮辱も無知蒙昧(むちもうまい)な気がしますな(^_^;)…。


秦にこれをそのまま当てはめてみると、結局の所、軍事力の背景にはそれを支える国家財政が必須であるため、食うに困っている今の現状では、到底そんな事に力を注いでいる余裕はない。


衛鞅は彼なりに王道の神髄(しんずい)を訴えてみたが、やはり孝公の心には響くものが無かった。


やがて再び孝公は、眠たそうに目を(こす)り、退屈そうに気が散漫になって、遂にうとうとしながら寝てしまったのである。


『やれやれ、少々遣り過ぎてしまったか…三度目が或ると良いが…』


衛鞅はそう想いながら、スーッと音を立てずに退出したのだった。


こうして二度目の対面も、両者はまるで相容れる事無く、物別れに終わった。


誠に残念な事である。


そしてもはや言うに及ばず…。


この後、景監は再び主上から呼び出しを受けて、怒鳴り散らされる事になる。


お約束の惨事でありますな(;^_^A…。


こうなるとさすがのお人好し"景監"も黙っていない。


今度こそ本当に衛鞅の所に怒鳴り込んだ。


「衛鞅殿!いったいどういう事なのですか?あれ程念を押して送り出したのに、ものの見事に約束を(たが)えるとは…いったいどういう了見なのですか?説明して頂きたい!」


すると、衛鞅は澄ました顔で、必要以上に冷静に立ち居振る舞うや、


「私は約束を破ってなどいません…私が良かれと思ってお勧めしたものを、君主様がお気に召さなかっただけです!私のお役目は、君主様の指針をお示しするお手伝いなのですから、嫌と言われたら、どうしようも在りませんよね?違いますか??」


と堂々とのたまわったのである。


景監からしてみれば、


『(^_^;)それって開き直りなのでは?この期に及んで往生際が悪過ぎますぞ!諦めなさいよ…どの口が言ってます?』


と言い返したい。


けれども、言われてみれば確かにその通りである…けして真っ向から否定は出来ない。


衛鞅にとってみれば人生を賭けた大博奕(おおばくち)最中(さなか)であり、ここは必ず通り抜けなければ成らない通過点であるため、予めそりゃあ分厚(ぶあつ)い理論武装をして臨んでいるし、元々各地を行脚して来た弁士…所謂(いわゆる)縦横家の様な者であるから、そりゃあ口は立つ。


そもそも縦横家と云われる人々は各国を練り歩き、外交交渉を得意としている輩なので、話術ならぬ詐術で言いくるめ、時には言い負かして来た言葉の玄人(プロ)である。


言い方は悪いが、景監ごときがそもそも渡り合える相手では無いのだ。


今回の件でも、詐欺とまでは言わないが、詐術すれすれ手法を用いて、予め『あ~言われれば、こ~言う♪』と予行演習すらしている節さえ在るのだから、太刀打ちなど出来る筈も無い。


その時間はたっぷり有った訳なのよ♪


(とど)のつまりは、衛鞅の言葉をひとつひとつ否定していって、反証しない限りは、その否を認めさせる事など出来ない訳であり、とても景監にそこまでの抗弁は出来る筈も無く、グウの音も出ないと言うのが、正直な所であった。


つまりは端から巧妙に仕掛けられた罠に()まった事になる。


『やられた(>_<;)!まんまと乗せられてしまった…』


と気づいた時には『時既に遅し』という奴である。


しかしながら、衛鞅は景監の様子をじっと観察している傍らで、タイミングを見ており、彼の様子が、怒りから絶望に変わり、さらにそれが心配に変化した頃合いを見計らって、絶妙のタイミングでこう助け船を出したのである。


「景監殿!そう悲観しないで宜しい。別に私は獲って喰おうと言うんじゃ無いし、騙すつもりも無い。ちゃんと計画は持っているのですよ。だから心配には及ばない。前に言ったでしょう?思い出してみて下さい。"私は君主様の目指す所を具体的に知る必要性を感じている"…そう言った筈です。今はその絞り込みをしている"途上"といった所でしょうか?いずれちゃんと結果を出します所以、申し訳ないがもう少しお付き合い下さらんか…如何です?」


「いずれ…?いずれとはいつです!いったい全体こんな茶番を後何回させるおつもりか?」


景監はさっそくといって良い程に食いつきが良い。


勢いに任せて口走っていた。


衛鞅は思い描いた通りの反応に、内心苦笑していたが、ここで相手にこれ以上、恥をかかせると不味い。


ただここで安易に妥協すると、予定の妨げになるので、ここは正直に答える事にした。


「さあ…申し訳ないが、それは君主様次第ですな…ただそれでは景監殿もお困りでしょうから、私の見立てを申し上げておきますと、あと二回は掛かるでしょうか?…まあご安心下さい。これ以降は少なくともお叱りを受ける事は無いでしょうから…。」


衛鞅はそう言うと景監を安心させるべく微笑んだ。


景監はその言葉を聞いた瞬間に自分を恥じた。


『成る程…彼のいう事にも一理あるか…少し感情的になってしまった様だ。彼に計画が在るのならば、今一度信用してみるか…』


景監は決断すると早かった。


けれども再度、言質を取るべく、確認するのは忘れなかった。


但し、それが守られるかは、もはや定かでは無いのだけれど…。


「間違いないですな?」


そう確認すると、衛鞅は苦笑しながら、


「あくまでも私の見立てですから…でも心配はないと思いますよ…後ひと息ですから…」


そう応えたのだった。


景監はそれを聞くと、意外にもあっさりと(ほこ)を収めた。


そしてこう告げた。


「仕方ない…乗り掛かった船ですから、最期まで付き合いましょう。また我が君のお怒りが収まるまでお待ち下さい。何とか繋ぎますから…」


そう言うと、引き上げて行った。


「やれやれ… ┐(-。-;)┌ 全く…」


景監はまた仕事が増えたとばかりに呟く。


衛鞅はそんな景監の背中を見送りながら、想った。


『辛抱の効く方が相手で幸いだったな…これも嬴渠梁という人の持つ運なのだろう…私も最期まで最善(ベスト)を尽くすとしよう♪』


彼は清んだ空気を思い切り吸い込むと、勢いよく吐き出した。


吐く息が白く形作られながら、そのまま流れて行き、やがて消えた。


彼は両頬をパンパンと手で叩くと、宿の扉の中に消えて行った。

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