大役を終える
翌日早くに目覚めると、衛鞅は身仕度を済ませ、朝食をたらふく食べると、外で風に当たりながら涼んでいた。
木々の間を渡り歩く様に、小鳥が跳び跳ねて、枝から枝へ移りながら、木の実を啄んでいる。
野良猫は石垣の上で日向ぼっこしながら、気持ち良さそうに寝ていた。
やがて坂道を供を連れた男がテクテクと登って来る…景監だ。
彼は衛鞅に気がつくと、手を振りながら近づいて来た。
お供の者は重そうな袋を両手で持ちながら、慌ててそれを追い掛けて来る。
「(*^ー゜)ノやぁ♪昨日はどうも…よくお休みになれましたかな?」
景監はそう言うと、微笑んでいる。
見たところ、昨日よりは顔の血色が良さそうだ。
『一日待って正解だったな…』
そう彼は想った。
衛鞅もその事は薄々感じていて、
「お心配り、痛み入ります…お陰様で、もうすっかり良い様です!」
そう応えたのだった。
景監は「おい!」とお供に声を掛けると、供の者はそれに呼応するように「行って参ります、では!」と言い残して宿舎に入って行った。
衛鞅は不思議そうな顔を景監に向けると彼は、
「我が君より亭主への慰労の品です。我が君は贅沢は好みませぬが、謝意は忘れぬ方です!」
"これで疑問が解けましたかな?"といった呈で、言葉を副えた。
衛鞅は『成る程…』と相槌を打ちながら、
『景監殿は人の気持ちが判る人なのだな…』
と微笑ましく見つめるのであった。
彼は嘘は言っていないかも知れないが、恐らくは口頭で指示された訳では無くて、君主様の気持ちを彼なりに汲み取っての事なのだろう。
景監は衛鞅の笑顔の意図がいまいち掴めずに『?』と目をまん丸くしている。
やがて供の者が亭主を伴って出て来て、彼は景監を見つけると丁寧に頭を下げてお礼を述べた。
景監は「いやいや…」と手を振りながら、快活に笑った。
相手に負担を懸けさせまいとの気配りであろう。
『本当に細部に渡って気のつく方だな…』と衛鞅は景監を感心しながら眺めていた。
やがて景監は衛鞅の方を振り向くと、
「では衛鞅殿!そろそろ宜しいかな?」
そう言って心の準備を促してきた。
「無論です!いつでも結構…宜しく頼みます。」
そう応えると、亭主に「では!」と声を掛けて歩き出した。
「衛鞅さん頑張って下さいよ♪」
亭主はそう激励すると、手を振りながら、一行が見えなくなるまで見送っていた。
衛鞅は『いよいよだ…』そう想い、改めて身体に気力を漲らせた。
良く眠り、良く食べて、さらに1日の猶予を頂戴したお陰で、頭の回転もとても良い。
『これなら相手が喩え神仙の輩でも、対応には事欠くまい!』
彼はそう確信したのだった。
衛鞅自身は恐らくそんな事は望むまいが、ここでひとつ彼のために抗弁するならば、彼は傲慢な気持ちでそんな事を言っているのでは無い。
景監とは三度しか会っていないが、その中で実際に聞いた孝公の人柄、そして彼の話の中から察する孝公像と、民から旅の途中で噂に聞いた君主像とを掛け合わせて、衛鞅なりに構築した『秦公』の人柄を考えた上で、万全な体制で慎重に臨む為には、心身共に充実してなければ立ち向かう事は出来ない…そう想ったのだった。
あくまでも喩え…なのである。
櫟陽は前君主・献公の時代に造られた都であるが、けして華美で無く、夜ともなれば街全体が真っ暗になる。
城を守る為に城壁と公の居室の周りくらいには申し訳程度に、篝火が灯されるが、それでも暗さは否めない。
秦は西羌の流れを引く民族であるため、周王朝と同様に物造りには長けた人々が多い。
石の細工はお手の物であり、城街も石造りの為、頑丈だがそれに反して趣は無い。
そして街全体を日中でも薄暗く感じさせていた。
景監と衛鞅の二人は公の屋敷の前に到着した。
見た目は確かに頑丈な造りで立派な門構えだが、そこはやはり華美とは程遠い代物であった。
景監は「少し待ってて下さい!」と言って戸を叩くと、中に入っていった。
「我が君…衛鞅殿をお連れ致しました。」
そう言って指示を待っている。
孝公は喜びの余り、反射的に立ち上がると、
「おお…来たか!御苦労だった…早速お会いしよう、頼む(^∧^)♪」
と言ってわざわざ上客を迎えるが如く、立ったまま出迎える姿勢を見せた。
景監は外に一旦出ると、衛鞅に声を掛けて中へ誘う。
「衛鞅殿!お待たせ致した。お入り下され…」
衛鞅はとても落ち着いており、大丈夫そうに見えた。
景監はそのまま一礼して、引き上げる途中、家裁に命じて、お酒とツマミを用意するよう伝えて、自室に戻って行った。
『此れで終わった…』
景監はひとまず大役を終えた感慨に浸るのであった。




