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景監との再会

衛鞅が戻ってから早くも4日が経とうとしていた。


景監が執務に入ると、宿泊所の家裁が待ちわびたという呈で近寄って来る。


「衛鞅殿がお目覚めになったので、ご報告に参りました。如何致しましょうか?」


景監は「そうか…。待ちかねたぞ!」と言うと、少し思案するや「ひとまず一緒に参ろう…。」と家裁を連れて宿泊所に向かった。



景監が亭主に案内されて部屋に入ると、白い衣に身を包み、長髪を後ろで束ねた大柄な人物が立って居て、こちらに気がついたのか振り返った。


そして衣を正すと「衛鞅と申します…。」と挨拶した。


景監も「景監と申します。お身体の方はもう良いのかな?」と気遣いをみせた。


「有難う御座います。お陰様でもうだいぶ良いようです…。」衛鞅も返礼する。


景監は「それは良かった…。」と言って相槌を打つと、うんうんと微笑みながら衛鞅を見つめた。


「私は主君の命により、此度の公募の責任者として、皆様方のお世話を仰せ遣っております。」


そう言うと、長旅の労苦に対して、謝意を表した。


「まる3日間も寝ていたのですね…。お陰様で身体の疲れも取れて、身体中の気が満ち溢れており、すっかりいつもの自分を取り戻す事が出来ました。長らくお待たせして申し訳ない…。」


衛鞅はそう言うと、景監にも謝意を述べた。


「それならば…。」景監は前置きすると、提案する。


「衛鞅殿!宜しければ少々お時間をいただけるかな?」そう尋ねた。


「無論です♪こちらからもお願いしようと思っておりました…。」


衛鞅もどうやら景監と話がしたいらしい。


衛鞅は「どうぞ!」と言って景監を上座に促す。


景監も「貴君(あなた)も!」と答礼する。


此れは中国の歴史ドラマに必ず出て来る光景であるから、歴史ドラマ好きの方なら必ず1回は見ている事だろう。


中華の歴史を学ぶ際に『礼の国』とか『礼に始まり礼に終わる』などの言葉を良く耳にする。


相手に尊意を現す…。


そう言ったところだろうか!?


二人が席に着くと、さっそく景監は、ポンポン♪と両の手を叩きながら、亭主を呼ぶと、上等な酒と山菜漬けを持って来るように頼んだ。


亭主は心得ていて、直ぐに酒とツマミの山菜漬けを持って来ると机に並べる。


そしてスッと引き下がり退出して行った。


「ここの亭主は心得て居てな…我々も随分と助かっておる…。」


そう言うと景監は衛鞅の杯に酒を注いでやる。


「分かります。私も随分とお世話を掛けました。」


そう言うと景監の杯にも返杯する。


二人は顔を見合わせると、互いにニッコリ笑って杯を持った。


景監は「まずはお主の無事の帰還を祝って乾杯だ!」と気勢を上げる…。


衛鞅も「有難う御座います…。」と礼を述べると、互いに杯を空にした。


寝起きに飲み干したお酒よりもさらに強い酒だ。


衛鞅は口から辛みのある吐息を吐いた。


衛鞅も元々呑める口だが、魏の酒はもう少し弱く、そして上品な味がする。


要は口当たりが良いのだが、そのせいでついつい深酒をしてしまう。


ところが秦の酒は濃度が高く、辛口で、正に男の酒といった感じを受けた。


景監は互いの杯をまた埋めるように酒を注ぐと、


「秦には余り贅沢な食べ物は有りませぬが、秦人(しんひと)は皆、冬場の寒い時期を乗り切るために、強い酒を好みます…。そしてこの山菜漬けは、日保ちがするように漬け込んであるため、庶民の食卓にも並ぶ強い味方です。如何です?お試しになっては…。」


そう言って膳を勧めた。


衛鞅はそれに応えるように景監を見つめると、箸を取って山菜漬けを口に運ぶ。


「実はね…景監殿!私は此れを国を巡る経過の中で、何度も食べて来ました。知っておられるかな?この山菜漬けひとつを取ってみても、地域の特性があるのだということを…。ここの山菜漬けはとても口当たりが良いが、貧しい地域では味にこだわって要られない程、生活が苦しいところも存在するのです。私は秦の貧しい人々にこの美味しい味の山菜漬けを日常で食べさせてあげられるような…そんな些細な喜びが当たり前に得られる生き方をさせてあげたいと願っております…。」


そう言うと…景監の顔を再び見つめた。


景監はその言葉にとても感銘を受けた。


そして想った…。


「ああ…。この人はとても誠実に務めを果たして来たのだな…。もしかすると、此れは本当に待っていて正解だったかも知れぬ…。」


景監はうんうんと頷きながら、ひとり御馳(ごち)た。


そして「おっしゃる通りですな…私も秦人のひとりとして同じ想いです…。」そう応えた。


この事柄を契機として、二人の間には自然と旅の話が持ち上がり、景監は衛鞅の話に耳を傾ける事となった。


衛鞅は道中に起きた様々な経験談を語って聞かせてくれた。


かなり苦労した事がその話を聞いているだけでも察しられた。


宿の亭主の話では、かなり酷い恰好(かっこう)で戻って来たそうだが、「然も有らん…。」そう理解出来た。


その中でも想わず涙を誘わずには要られぬ経験があって、景監の心の内にはその話しが深く刺さり、胸が締め付けられる想いがした。


ここに披露しておくとしよう。ー



それはある貧しい一地方の話である。


降り続く長雨で道は泥濘(ぬかるみ)、歩き辛い。


畑の作物も根腐りしてしまい、まともな収穫も期待出来ない様だった。


畑の土壌すらもどんどん流れて行って、岩を集めて来て防ぐ手立てを練るにも、その老人は傷痍軍人であって、片腕が無かった。


それでも、梃子の原理を上手く利用して、器用に岩を運んで来ては、置くものの、力が入らないのかそんなに大きな岩は運んで来れないし、隙間を詰めていく石すらもそんなに沢山は集められていない。


それでも大雨の中、懸命に取り組んでいた。


衛鞅は見るにみかねて、手伝いを申し出て、何とか畑の土壌が守れる手立てを練ってやり、雨の中二人掛かりで何とか死守する事が出来た。


老人はヘタと座り込んで、頭を地につけると、礼を述べた。


衛鞅は老人の心の内に入る事が出来たらしく、老人は、「何のお構いも出来ぬが…。」と予め断った上で一晩衛鞅を自分の家に泊めてくれる事になったのである。


但し、家と言っても岩を利用して、それをくり貫き、空洞を掘ったような体裁で、雨は十分に凌げるが、必ずしも快適な空間とは言えない。


それでも老人は「これは、息子がこさえてくれた大事な家なのだ…。」と話してくれた。


この地は土壌には恵まれるが、長雨が多く、しっかりと根を張る野菜でないと育たぬらしい。


また岩もたくさん産出されるため、石工が多いのだそうだ。


衛鞅は老人の話を聞くうちに、胸が締め付けられる想いがした。


老人にはひとり息子が居て、とても親孝行な子だったそうだ。


腕の良い石工だったため、日頃は仕事を請け負いながら、生計を支えてくれていたが、ある時戦争に駆り出されて、亡くなってしまったという。


そして自分も片腕が無いため、国の役にも立つ事が出来ない…。


そう嘆いているのだ。


親子二代に渡って、秦のために役立ったのに、こんな生活を強いられているのは間違っている…。


衛鞅はそう想うのだ。


しかしながら老人は嘆きながらも、自分を不幸だとは思っておらず、身体が動くうちは…命があるうちは…と懸命だった。


そこが却って涙を誘った。


老人が僅かながらに出してくれた晩の食事は、衛鞅にとっては掛け買いの無いひと時となった。


山菜漬けは苦味と辛味が強いが、これは元々の素の味なのだそうだ。


土壌なのか菜の種類なのか、詳しい事は判らなかった。


そして(あわ)(ひえ)を多めの水で炊いた粥を出してくれた。


老人がいみじくも語った事には、こんな物でも、ちゃんと食べれるだけましなのだそうだ。


石工の息子が生前に残してくれた石細工や僅かながらの蓄えで、何とか暮らしているそうだが、洪水や干魃(かんばつ)が起きると、大勢の死者が出て、その半数は飢餓(きが)で亡くなるという。


衛鞅は老人の心尽しに感謝をした上で、その地を(あと)にした。


亡くなったという息子さんが造ってくれた、家の自慢話をする時だけは、老人の顔がとても輝いていたのを想い出していたー。



衛鞅の話を聞き終えると…景監はいみじくも語った。


秦人(しんひと)はとても辛抱強い…どんなに苦しくとも、どんなに哀しくとも、また立ち上がり、前を向いて生きて往くのだ…。それが秦人が秦人である所以なのだ…。」


衛鞅は長い旅の経験から、景監が言わんとしている事は理解出来た。


だから衛鞅は相槌を打つように頷いて聞いている。


けれども心の中では、今のままではいけないと云う想いが強いし、それを(くつがえ)すための方針を打ち出し、実行する必要を感じていた。


そして言葉に出した景監自身も同じ想いだろう。


更に言えばこの計画を進める孝公本人も同じ想いで行動している…そう願わないでは要られなかった。


「景監殿!頼みがあります。」


衛鞅は意を決した様に口を開いた。


景監は衛鞅を見つめながら「何か?」と応えた。


「私を一度君主様に会わせていただけませんか?」


そう言うと景監を見つめた。


景監としてもそれは元々、望むところだ。


(あるじ)・孝公も一日千秋の想いで待っているのだ…。


だが主命ある事所以に、はっきり口に出すのは(はばか)れたため、そんな事は一切おくびにも出さずに、こう応えたのだった。


「いいでしょう…私の力で、場を設けて差し上げましょう♪」


景監は我が意を得たり!…そう想いながら主・孝公に報告するのが楽しみであった。


衛鞅も改めて決意を新たにするのであった。

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