Case1-8
言うなり理沙は、太ももについた痣をレイヴンに見せた。
どうやら慣れない乗馬をした際、どこかにぶつけてしまったのだろう。いまだじんじんと痛むそれを証拠に、理沙はレイヴンを問い詰める。
「あの世界は何だったんですか? 悲恋って? 前回ってどういうことですか? あの二人はちゃんと助かるんです?」
「……」
まくしたてる理沙を前に、レイヴンは腕を組んだまましばし考えこんでいた。だがはあーっと長い嘆息を漏らすと、手にしていたメジャーを首にかける。
「とりあえず、その足をしまいなさい」
「へ?」
「女性がそのように、異性に肌を見せるものではありません」
やや険しい表情で言われ、理沙はようやく意味を理解した。
痣は太もものまあまあ際どい位置にあり、理沙はたくし上げていたスカートをそろそろと元に戻す。
すっかりおとなしくなった理沙に向けて、レイヴンは静かに語り始めた。
「あの世界は……俗にいう『異世界』です」
「異世界?」
「私たちとは違う世界線。私たちの歴史上では現れた英雄が、現れなかった世界であり、逆に私たちが持ちえなかった不思議な力を、文化として確立した世界――ということもあります」
「……?」
分かるような、分からないような。
だが口を挟むのは躊躇われて、理沙はそのままレイヴンの言葉を傾聴した。
「異世界は……いえ、異世界に限ったことではないのかもしれませんが、世界の終わりは意外と簡単なところからほころび始めるのです。例えば――『愛し合った二人が、結ばれなかった』といった些細なことから」
「世界の……終わり?」
「先ほどの国は、あの二人が結ばれなかったことにより、一度滅びた。ですがそれを良しとしなかった者によって、やり直しを命じられたのです」
滅びた、と言われても理沙にはピンとこない。そもそも異世界という時点で、どこのファンタジーの話かと思っているくらいだ。
だが実際にあの扉をくぐった先には、この世界ではない別の世界があった。それは間違いない。
「ええと、つまり、さっきの二人がくっつかなかったからあの国は一度、滅んで……? それをレイヴンさんがやり直してあげたってことですか?」
「私がしたくてしているわけではありませんが、まあそう言うことです」
するとレイヴンの頭上に、ぱっと一通の手紙が現れた。
突然のことに目を剥く理沙をよそに、レイヴンはそれが落下する前にぱしとキャッチする。慣れた手つきで封蝋を剥がすと、中に入っていた便箋を広げた。
「――どうやら、正式に巫女として認められたそうです」
「え⁉ それってさっきの……」
「巫女としての職務を全うし、大地に安寧をもたらした。そして――あの青年とも、無事結ばれたそうです」
それを聞いた理沙は、まるで我がことのように驚喜した。
「よ、良かったー!」
「ええ、本当に」
一方レイヴンは有り体の笑みを浮かべると、さっさと便箋を封筒に戻し、作業台の奥に置かれていたレターケースにコトンと投げた。見ればケースの中にはかなりの手紙が溜まっており、もしかしてすべて同じような内容? と理沙は推察する。
(……というか、今の手紙どこから出てきたの? そもそもあの扉をくぐって異世界に行けるっていうのも、普通におかしな話だし……夢? それにしては馬といい矢といいリアルすぎる気が……)
と考えたところで、理沙は「あああっ」と頭を抱えて絶叫した。
「レ、レイヴンさん、け、化粧道具……」
その言葉を聞いて、レイヴンは再度作業台に伸ばしかけていた手をぴたりと留めた。しばらく硬直していたかと思うと、額に手を当てはああと溜息をつく。
「あれは……仕方がないことです」
「で、でもあの、……あたしがあの世界に行ったから、わざわざ助けに来てくれたんですよね?」
「命の方が大切です。道具はまた揃えればいい」
「で、でもあの道具、ちらっと見ただけでも分かるくらい、すごく良いものばかりでした! そ、相当高いものですよね⁉ べ、弁償します! させてください!」
「学生にたかるほど、私は困窮しているつもりはありません」