Case4-7
「戦いは怖いし、逃げ出したいのも本心よ。……でもわたしは『聖女』だから」
「……君はただの女の子だ。聖女なんかじゃない。……ただ普通の、明るくて、優しくて、泣き虫な……」
「本当にそうね。でも、それでもわたしは『聖女』でなければならない。この戦いのすべてが終わるまでは、嘘を真実にし続けなければならないの。でなければきっとこの国は――さらなる悲劇を生んでしまう」
そう言って穏やかに微笑むシャルロッテの姿は、確固たる信念に満ち溢れており――レイヴンはためらいがちに、触れていた手を離した。
そんな二人の会話に、理沙は思わず割って入る。
「ちょっ、ちょっと、待ってください!」
「あ、あなたは?」
「あっ、す、すみません! あたしは理沙と言いまして――じゃなくて! ど、どうして逃げないんですか⁉」
突然の理沙の出現に、さすがのシャルロッテも目を丸くしていた。だがすぐに目を細めると、はっきりと告げる。
「ここにたどり着くまでに、多くの仲間が犠牲になったわ。ようやくここまで来たの。わたしには彼らの遺志を背負い、残された兵を鼓舞し、最後まで先頭に立って戦うべき義務がある。それが『聖女』としての役割」
「で、でも、このまま戦いに行ったら、シャルロッテ、さんは……」
続く言葉を、理沙はなんとか呑み込む。未来に起きうる事柄を教えてしまうのは禁止事項だからだ。
(どうしたらいいの……死ぬと分かって、みすみす、行かせるなんて……)
言うべきか、言わざるべきか。理沙の頭の中では、葛藤に次ぐ葛藤が戦っている。
だがいよいよ耐え切れなくなったのか、ようやく押しとどめたはずの涙が、再びぽろぽろと零れだしてしまった。
恥ずかしい、と理沙はわたわたと手で覆い隠す。
するとそれを見ていたシャルロッテが、静かに理沙の前に歩み寄った。そのまま白い指先で、赤くなった理沙の目元を丁寧に拭ってくれる。
「大丈夫。分かっているわ」
「シャルロッテ、さん……?」
「でもありがとう。わたしのために、泣いてくれて」
すべてを包み込むようなシャルロッテの笑顔を前に、理沙はさらに涙腺を決壊させた。まさか恋敵に慰められるなんて。
もう完敗だと理解しつつも、理沙は泣くことをやめられない。
やがて少しだけ理沙の感情が収まってきたところで、シャルロッテが願い出た。
「レイヴン。ひとつだけ、お願いを聞いてもらえないかしら」
「……なんなりと」
「結婚、してほしいの」
その言葉にレイヴンは弾かれたように顔を上げ、大きく目を見張った。その反応を楽しそうに眺めていたシャルロッテは、あどけない少女のように笑う。
「だってわたし、まだ独身のままなのよ? 『聖女』であるからには清らかな方が良いと分かっているけれど……やっぱり一生に一度くらいは、好きな人のお嫁さんになりたいもの」
「シャルロッテ、しかし……」
「もちろん、フリでいいの。ただ手を取って、誓いの言葉を言うだけ。それだけで――わたしは、きっと最後まで戦えるから」
そう言って顔をほころばせたシャルロッテの手を、理沙はとっさに強く握り返した。驚き目を丸くするシャルロッテに向けて、理沙は真っ赤に泣き腫らした顔で応じる。
「しましょう! 結婚式‼」
理沙はすぐさま、レイヴンに目で合図をした。レイヴンは一瞬だけ呆けていたが、理沙の強い意志を感じ取ったのか、泣きそうな瞳で破顔する。
「はい。……任せてください」
シャルロッテの金の髪を綺麗に結い上げた後、理沙は彼女の前に座り込んだ。脇に置かれたテーブルの上には、レイヴンが持って来てくれた化粧鞄が広げられている。
下地を手の甲に取り、指先で丁寧にシャルロッテの肌に乗せていく。
輝くばかりの美しい肌と思われたそれには、触れると小さな傷や痣がたくさんあった。日焼けで乾燥している部分も多く、それらすべてシャルロッテが戦い抜いてきた勲章のようだ。婚礼用とあって一際慎重に化粧を施していると、目を閉じたままのシャルロッテが話しかけてくる。
「リサ、だったかしら。あなたはレイヴンと、どういう関係なのかしら」
「えっ⁉ ええと、あの……」
次の工程に移りながら、理沙は思わず目を泳がせた。まさか当の恋人の前で『好きな人です』などと言えるはずもなく、当たり障りのない返事を口にする。
「て、店長と、従業員? あ、でもそれらしい仕事は何も……」
「まあ、じゃあレイヴンはついに自分のお店を持ったのね」
ふふ、と嬉しそうに笑うシャルロッテに何も言うことが出来ず、理沙はせっせと作業を続けた。
何種類ものファンデーションを使い分けながら、時折チークを織り交ぜる。水分や油分をふき取りつつ、何度も何度も色合いを重ねた。
陶器のようなすべらかな肌を作り上げた後はアイメイク。普段化粧をしていないせいか元々の睫毛が長く、理沙は透明なマスカラで弓なりに形づけた。
アイホールにパールとブラウン、ゴールドと輝きを重ねていく。
その後唇の輪郭を取り、数種類の紅を差しいれた。仕上げに艶を入れていたところで、別室に行っていたレイヴンが戻って来る。
「リサ、これをお願いします」
「はい!」
レイヴンが離れたのを確認してから、理沙は改めて衣装を広げた。隣で眺めていたシャルロッテも思わず感嘆の声を上げる。
「素敵……! でもこんな短い時間にどうやって?」
「それは秘密みたいですよ」
ふふ、と理沙はまるで自分が褒められたかのごとく嬉しそうに笑った。
化粧を終えたシャルロッテを立たせると、着込んでいた甲冑を受け取る。女性用に軽量化されているとはいえ、理沙の両手にはずっしりとした重さがあり、恐々とテーブルへと並べた。そのどれもに剣戟の傷や打撲の痕跡が残っており、理沙は指先でその傷跡をなぞる。
(本当に、恐ろしい戦いを生き抜いてきたんだ……)
パニエをセットし、胴体にドレスを合わせると、背中の部分をきつく締めていく。白いリボンを交差するように合わせていると、前を向いていたシャルロッテが「あ、」と声を上げた。
苦しかっただろうかと理沙が尋ねると、シャルロッテが正面にあった鏡を指さす。
「ごめんなさい。リサの目とわたしの目が、そっくりだったから驚いちゃって」
「目、ですか?」
指摘されて改めて確認する。すると鏡に映っているシャルロッテの後ろに、似たような金色の目をした理沙の姿があった。
元々虹彩の色はかなり薄い方だったが、淡い茶色くらいだと思っていたので、理沙はあれ? と疑問に思う。
だがのんびりしている時間はなく、理沙はその後もせっせと手を動かし続けた。ようやく完成したところで、奥にいたレイヴンに声をかける。
「レイヴン、もういいよ!」
どこか居心地悪そうに出て来たレイヴンは、シャルロッテの姿を前にした瞬間、言葉を失っていた。
サテンとオーガンジーをふんだんに使用した、純白のウェディングドレス。胸元には小粒のパールをあしらった端麗なレースがあり、腰の高い位置でくびれたAラインがシャルロッテの体を美しくかたどっていた。
足元まで隠すフルレングスのスカートは、後ろが長く、優雅なトレーンを引いている。
精緻な縁取りがなされたマリアベールを被り、ゆっくりと顔を上げるシャルロッテの姿は、まさに本物の『聖女』が現れたかのようだった。
「シャルロッテ……」
「ど、どうかしら」
「……綺麗です。とても」
恥ずかしそうに上目遣いで見上げていたシャルロッテは、レイヴンのその言葉にすぐに相好を崩した。そのあまりの可愛らしさに、理沙は再び胸が締め付けられる。
だがすぐに笑顔に戻ると、理沙はレイヴンに視線を送った。




