Case4-4
「――シャル? ……どうして」
そこに現れたのはレイヴンだった。
おそらくシャルロッテのことを聞きつけて、ここまでやってきたのだろう。
「どうして、君が……君だけが! こんな報いを受けなければならない……? 王族たちに不満を持つ者はたくさんいた! 君に守られ、君の背に隠れ、逃げ出した男たちはどこに行った⁉ 何故君だけが、こんなむごい仕打ちを受けなければならなかった⁉」
あまりに悲痛な慟哭に、理沙は心臓を鷲掴まれたかのような痛みを覚えた。普段の飄々としたレイヴンからは想像も出来ない、見栄も羞恥も捨てた有様に、ようやく押しとどめたはずの涙が再びあふれ出る。
「神よ! 彼女はあなたを愛していた‼ その見返りが! ……こんな惨めで、残酷な、終わり方だというのか⁉ あなたはそれを望んでいたというのか⁉ それではあまりにも……あまりにも、彼女が、報われない……‼」
レイヴンは黒く焼け焦げた土を掴むと、何度も地面に向けて叩きつけた。その姿があまりにも痛哭で、理沙はたまらずレイヴンの元に駆け寄ろうとする。だがその腕をフェリクスが掴み、その場に押しとどめた。
やがてレイヴンは焦げ付いた大地に伏したまま、もはや声にならない嗚咽を漏らす。
「お願いです……どうか彼女の魂に救済を……。俺の命でも、体でも、あげられるものなら、すべて、すべて差し上げます……だからどうか、シャルロッテを……彼女を、彼女の魂を、どうか……」
「レイ、ヴン……」
すると突然、理沙たちの上空から鐘の音が鳴り響いた。聞き慣れた――と理沙が意識したところで、『裏稼業』の終了を告げる合図と同じものだと気づく。
その直後、男性とも女性とも形容しがたい不可思議な声色が降り注いだ。
『――レイヴン・リヴァハート。その心に、偽りはないか』
「……あなた、は?」
『彼女の魂を新しくよみがえらせよう。その代わり、お前は彼女の業を負い《咎人》となる。我の手足となり、その罪を贖いきるまで、永遠にも等しい時間を生きることとなるだろう。それでもいいというのなら、我に忠誠を示すがいい』
それが何者かということに、疑う余地はなかった。
理沙はかねてからの疑問であった『上』という存在の正体を、今ここではっきりと認識する。
(神、さま……)
以前異世界で会った、龍神様とは何もかも違う。この世界だけではなく、あらゆる異世界を統治する時空の支配者。
はたしてそれがどれほどの力を持っているのか、理沙には想像も出来なかった。だが声を聴いているだけでも分かるその全能感に、口を開くことすらためらわれる。
すると押し黙っていたレイヴンが、静かに言葉を発した。
「それで構わない……彼女が、彼女の魂が、よみがえるのなら……」
レイヴンはどこか恍惚とした笑みを浮かべると、天を仰いだままゆっくりと目を瞑った。どこに隠し持っていたのか、手には小型のナイフが握られており、理沙は思わず目を見張る。
次の瞬間、レイヴンはその刃先を己の喉元に突き立てた。
深紅の何かが、リボンのように空高く舞い踊る――それが何かを認識する前に、理沙の視界はフェリクスによって隠された。
フェリクスの大きな腕の中に、そのままきつく抱きしめられる。
「フェリクスさん……? 今の、なに……?」
「……見ちゃだめだ」
「ねえ……レイヴンは……?」
ガタガタと震え始めた理沙の手を、フェリクスが強く握り返した。しっかりしろ、とばかりに背中を撫でられるが、理沙は小さく首を振ることしか出来ない。
やがてフェリクスが、苦しそうに呟いた。
「ここはおそらく……あいつが『調停者』になった世界だ」
「調停者に、なった……?」
「俺たち『調停者』は……何らかの形で『神と契約をした者』なんだ。一つだけ願いをかなえてもらう代わりに、彼らの手駒となって長い間働く責務を負う。レイヴンはきっと、さっきの女性の魂を救う代償として、調停者になることを選んだ」
「長い間って、いったい……」
「……その罪が、贖われるまで。ずうっとだよ」
ずうっと、という言葉を繰り返しながら、理沙はそっとフェリクスに目を向けた。普段の軽薄な態度はまったくなく、フェリクスは真摯に理沙の瞳を見つめている。
その表情に何かを察した理沙は、恐る恐るという口ぶりで尋ねた。
「フェリクスさん、も?」
「……うん。事情はちょっと違うけどね。俺にも、どうしてもかなえたい願いがあったから」
すると先ほどよりも激しい鐘の音が天上から鳴り響いた。今度は何、と肩を震わせる理沙の前で、フェリクスが珍しく取り乱している。
「あああ、まずい、時間がないぞ」
「フェリクスさん、一体何が――えっ⁉」
「ごめん、急ぐから!」
そう叫ぶとフェリクスは理沙を一息に抱き上げた。そのまま周囲を見回したかと思うと、丘の上の一際目立つ岩に向かって走っていく。
残されたレイヴンの様子が気になり、理沙は何度も振り返ったが、みるみるうちに見えなくなった。
「フェリクスさん、レイヴンがまだ!」
「あれは昔のレイヴンだ! 君が知っている奴とは違う!」
「でも!」
「俺に与えられた時間に限界が来てるんだ! 行くぞ!」
するとフェリクスは理沙を抱きかかえたまま、岩の上に駆け上った。ガッ、と靴裏が削れる音がし、そのまま高く跳躍する。気持ち悪くなるような浮遊感の中、理沙は驚きに目を見開いた。
相当の高さに飛び上がった体。とても無事に着地できる距離ではない――と理沙が恐怖した瞬間、以前も味わったぶよんとした膜にフェリクスは降り立った。
そのまま虹色の境界線を、パン、と足で踏み抜く。
直後――ドタン、と二人は木の床に着地した。
理沙は無事だったが、フェリクスの方がどこかにぶつけたのか、苦痛を堪えるようにしゃがみ込んでいる。
改めて見回すとそこは『トワ・エ・モア』の二階にある書斎で、理沙を下ろしながらフェリクスが小さく呻いた。
「あいたたたた……」
「だ、大丈夫ですか⁉」
「あーうん、大丈夫。俺の移動は『落下するもの』だからさ。高低差が掴めないとよくこうなるんだよ」
落下するもの、と言われ理沙はきょとんとしていたが、ようやくああと合点がいった。だからわざわざ高いところから落ちていたのか……と納得するのもそこそこに、理沙は慌ただしくポケットに入れていた手紙を取り出す。
(これはきっと……正すべき『悲恋』なんだ……)
出立の直前、抱き合っていた二人の姿を思い出し――理沙は痛む胸元をぎゅっと握りしめた。すぐに首を振ると、慌ただしく階下へと駆け下りる。
玄関には、ちょうど今しがた戻って来たレイヴンがおり、理沙の姿を見つけるとにっこりと微笑んだ。
「ただいま帰りました。すみません、遅く――」
だがレイヴンが言い終えるよりも先に、理沙は彼の襟元を掴み勢いよく左右に開いた。突然のことにレイヴンは目を大きく見開き、遅れて現れたフェリクスがひゅーぅと冷やかすような口笛を鳴らす。
男らしい首筋、まっすぐに横に伸びた鎖骨。その少し下に――歪に隆起した傷跡を見つけた理沙は、突然ぽろりと涙を零した。
次々とあふれ出したそれを前に、レイヴンがぎょっとしたように目を剥く。
「リ、リサ?」
「――ごめんなさい、……ごめんなさい……!」




