Case4-3
「フェリクスさん! どうしてここに⁉」
「しーっ、静かに……普通に仕事だよ。リサちゃんこそ、どうしてこんなところに」
「ええと『トワ・エ・モア』で働いていたら、いつの間にかここに」
「レイヴンは?」
「そ、それが……」
理沙はわずかに逡巡した後、ちらりと隣の建物に視線を送った。何かを察したフェリクスはすばやく窓の向こうを覗き込み、すぐに目を見張る。
「……なるほど、こういうことか」
するとフェリクスは、いきなり理沙の体を抱き上げた。ひゃあ、と声を上げる理沙に構わず、建物の裏手の森に向かって走り出す。
乱暴に上下する体を押さえながら、理沙は必死にフェリクスに問いかけた。
「フェ、フェリクスさん⁉ 一体何を」
「このままここにいるのは危険だ。移動するよ!」
「移動⁉」
野生動物のような速度で駆けるフェリクスに、理沙は振り落とされないよう懸命にしがみつく。フェリクスは腕時計を一瞬だけ確認すると、すぐに前方を睨みつけた。
深い森と思われた先が段々と白んでくる。良かった、と理沙が安堵するのもつかの間、森を抜けた先はまさかの崖になっていた。
嘘でしょ、と理沙はフェリクスを見上げるが、彼は余裕たっぷりの笑顔を浮かべたまま、一向に速度を落とそうとしない。
やがてフェリクスは理沙を抱き上げたまま、崖上から勢いよく飛び出した。
「い、いやーーーーっ!」
「あはは、On va se débrouiller!(大丈夫、大丈夫!)」
眼下にはみっしりと繁る木々の頭が見え、理沙は恐怖のあまりうっかり気を失いそうになる。だがフェリクスは楽しそうに口笛を吹いたかと思うと、その長い足を崖下に向けて伸ばした。
すると彼の靴裏に、たゆんと何かが触れる。
それは虹色の波を生み出し、まるでシャボン玉の膜のように、中空でフェリクスを受け止めた。フェリクスはにいと片方の口角を上げると、その膜を靴先で突き破る。
途端に周囲の景色が変わり、どこかの街中へと二人は着地した。
「――は⁉ え⁉」
「いやーいいリアクションだねえ。俺、癖になりそう♡」
「は、早く下ろしてください!」
えー、と不満げなフェリクスをよそに、理沙はじたばたともがいた末に、何とか地面に足を下ろした。
フェリクスに連れてこられた街は、先ほどの村よりもはるかに発展した景観だった。だが建物のほとんどに焦げたような跡や破損の影が見られ、何か大きな戦いがあった後だと分かる。
そこで理沙は、シャルロッテの言葉を思い出した。
(……もしかして、ここが王都?)
彼女は戦いに行くと言っていた。もしもそれがここなら……と考えていたところで、広場の方からなにやら賑やかな声が聞こえてくる。様子を窺うべく、理沙が建物の陰に身を隠していると、フェリクスもまたこっそりと隣にしゃがみこんだ。
「どうやら、彼女が暴徒の犯人のようだね」
「……⁉」
フェリクスのさらりとした言葉が差す人物を見て、理沙は息を吞んだ。そこにいたのは美しい金の髪――は無残に短く切られ、白い肌は火傷と切り傷、打撲痕でひどく痛めつけられたシャルロッテだった。
その両手は木枠のついた手錠で繋がれ、足には重しのついた枷がはめられている。やがて彼女の髪をぐいと掴み、聖職者の格好をした男が叫んだ。
「この女は神の名を騙り、我らの聖地を犯そうとした大罪人である! 我々は神の名の元にしかるべき処断を敢行する!」
おおーっと広場のあちこちから、獰猛な掛け声が上がった。異常な熱気に吞まれている現場を前に、理沙はおろおろとフェリクスを振り返る。
「フェ、フェリクスさん、これって一体……」
「俗にいう宗教裁判というやつかな。もっとも、裁判という形式は生かされていないようだけど」
やがて男たちに引き立てられるように、シャルロッテは一歩ずつ足を進め始めた。大通りを歩く道すがら市民の誰かが石を投げ、それが彼女の顔に当たる。咲き初めの薔薇のようだった美貌は見る影もなかったが、凛々しい金の瞳だけはしっかりと前を向いていた。
何とかして彼女を助け出せないか、と理沙はタイミングを見計らうが、取り囲む聖職者たちの多さに、どうしても踏み出すことが出来ない。そのうち隊列は王都を抜け、小高い丘の上へと進んでいく。
やがてシャルロッテは十字架の上に磔にされた。
その様を仰いでいた司祭らしき男が高らかに宣言する。
「この女は『神の代行者』を騙り、王都のすべての民に恐怖を与えた。その悪行は魂の破滅をもって断罪すべきである!」
おお、と取り囲む男たちから獣のような同意が沸き起こる。その声援を背に、司祭はにやりと口元を歪めたまま、シャルロッテを睨め上げた。
「聖女などと担ぎ上げられ調子に乗ったか……これより『聖なる炎』によってその魂ごと浄化してやろう。貴様の魂はこの世界から永遠に消滅し、二度と新しく生まれ変わることを赦されない」
「……覚悟の上だ。早くしろ」
「本当に恐ろしい女だ。すべて灰燼に帰した後で己の愚行を悔いるがいい――火を」
司祭の合図とともに、シャルロッテの足元に火がつけられた。炎は瞬く間に燃えあがり、彼女の体に到達する。
苦痛に顔を歪めるシャルロッテを見て、理沙は思わず立ち上がった。
「た、助けなきゃ!」
「リサちゃん⁉ な、何を」
「だってあのままじゃ、シャルロッテさんが!」
一歩踏み出しかけた理沙の体を、フェリクスが慌てて引き戻した。放してください、と叫ぶ理沙を宥めるように、フェリクスが必死になって首を振る。
「無理だ! ここまで進んでしまった事象はもう変えられない!」
「でも!」
「今君が出て行っても、奴らに捕まるだけだ。それに『調停者』のレイヴンなしには……」
「じゃあフェリクスさんは⁉ フェリクスさんは『調停者』なんでしょう⁉ それなら――」
「俺とレイヴンでは、仕事の内容がそもそも違う。俺がこの世界にいたのは、たまたま別の歪みを直していたからであって、彼女を救うことは越権行為になってしまう……」
フェリクスが真実を告げていると、理沙はその表情からはっきりと感じ取った。それ以上何も言うことが出来なくなり、ただ茫然と燃えていく十字架を直視する。心臓を締め付けられるようなシャルロッテの断末魔が響き渡り、理沙は何度も耳を塞ぎたくなった。
そんな理沙の様子を心配してか、フェリクスがしきりに覗き込んでくる。だが理沙はそのたびに首を振り、マスカラとアイシャドウが落ちてボロボロになっても、ただひたすらに泣き続けた。
絶対に目を逸らしてはならないと、心の奥底が理沙に訴えかけてくる。
(どうして……どうして、こんな、ことが……)
まるで自分の身が引き裂かれているかのような愁嘆に耐えながら、理沙はシャルロッテの最期を見守った。
理沙の琥珀色の目からぼろぼろと雫が零れる間に、シャルロッテを罰した聖職者たちはやれやれとその場を立ち去っていく。
理沙が悲しみに浸ったまま、長い時間が経った頃――一人の男を乗せた馬が駆けて来た。男は慌ただしく馬から降りると、燃え尽きた十字架の前にどさりとくずおれる。
その正体を見た理沙は、はっと目を見開いた。




