Case3-7
ふうーっと息を吐き出すと、理沙は山道に踏み入った。
周りは雑草と竹に覆われており、昼間だというのに薄暗い。奥からはがさがさという謎の音も聞こえ、理沙はううと不安げに眉を寄せた。
大丈夫。ここからは見えないが、きっとレイヴンたちが見張ってくれているはず。
(頑張らないと……ええと、迷子になった風に……)
時折飛んでくる羽虫を払いながら、理沙はうろうろと山中を彷徨い続けた。だが何者かが現れる気配は一向になく、ただいたずらに足の痛みだけが累積していく。
気づけば日は落ち、どこからか虫の鳴き声がし始めた。
「……うーん……ダメだったのかな」
闇雲に歩き続けたせいか、足の裏の感覚がなくなっている。もしかして、囮だということがばれたのだろうか。
だとすれば何か他の方法でちさとの行方を探さなければ……と理沙はため息をつく。すると突然、がさりと葉を揺らす音がした。
「――もしお嬢さん、道に迷われたのですかな」
(来たっ!)
理沙は感情を表に出さないよう、慎重に顔を上げた。
そこにいたのは行燈を持った小柄な男――以前理沙が見た男とは違う顔だが、その特徴的な目だけは変わらない。
確信を得た理沙は、出来るだけ弱々しい声で応じた。
「はい……連れの者とはぐれてしまい、困っておりまして……」
「それは大変だ。近くにわたくしどもの主の邸があります。そこで一晩休まれるがよかろう」
「本当ですか? ありがとうございます」
慣れた足取りで進んでいく男の後ろを、理沙は慎重についていく。すると数分もしないうちに、大きく開けた場所にたどり着いた。
しっかりとした生垣の奥には、黒々とした柱と真っ白の土壁で作られた、豪勢な日本家屋が堂々と建っている。
(さっき歩いていた時にはこんな家なかったはず……やっぱりここが……)
家の中もまた広く、天井を見ると黒く艶々と輝く杉の梁が、びっしりと張り巡らされていた。部屋と廊下を仕切る襖も立派なもので、引手の部分には赤と金の装飾が施されている。やがて男が一つの部屋に理沙を招き入れた。
「どうぞ、この部屋をお使いください。主人には許しを得ております故」
「あ、あの、是非お礼が言いたいのですが、ご主人様とお会いすることは……」
「主人はあまり人と顔を合わせるのを好みませぬ。どうぞお気になさいますな」
そう言うと男は音もなく襖を閉めた。理沙はしばらく息を潜めていたが、廊下を戻る足音がまったくしない。
そろそろと襖を開けると、男の姿は影も形もなくなっていた。
(ぜ、絶対、やばいやつ……)
勢いで乗り込んだものの、実際に敵の手のひらの上にいると思うと震えが走る。だがここで立ち止まっている暇はない、と理沙は隠し持っていた腰紐を取り出すと、すばやく袖をたすき掛けにした。動きやすくなったところでそうっと廊下へと移動する。
(とりあえず、場所はレイヴンに伝わるはず……その間に『神体』か、ちさとさんを探しておきたい!)
仮にレイヴンと龍神様が駆け付けたとして、彼らの力が及ばない可能性もある。理沙は屋敷の奥を目指して静かに足を進めた。
しばらく廊下を歩いていると、襖越しにさまざまな声が聞こえてくる。宴会でも催しているかのようで、がやがやと混ざり合った会話が響いてきた。
だがよくよく耳を澄ますと、その一つ一つの単語は理沙の理解できるものではなく、まるで意味のない言葉をさも会話のように並べ立てている異質さに、理沙はたまらず息を呑む。
やがて廊下の突き当りにある部屋の前で、理沙はううむと首を傾げた。
(この部屋だけ何の音もしない……)
少しだけ逡巡したが、勇気をだして理沙は引手に手をかけた。わずかにガタン、と音を立てたものの襖はあっさりと開き、理沙は恐る恐る中に足を踏み入れる。
「物置……かな」
畳六畳ほどの小さな部屋には、朱塗の盆や桐の箪笥など、高そうな家具が雑多に積み上げられていた。物音を立てないよう、出来るだけ静かに中の様子をあらためる。
すると一か所だけ、何の荷物も置かれていない箇所があった。
妙な胸騒ぎを覚えた理沙は、その場に歩み寄ると何気なく壁に手を伸ばす――すると、すうっと煙を掴むような感触を残して、壁の向こう側に手がすり抜けたではないか。
「ひ、ひゃああ!」
すぐに手をひっこめたものの、改めて人差し指だけを差し入れてみる。先ほど同様に壁に埋まったのを確認した後、理沙はこくりと唾を呑み込み――そのままえいやっと体ごと飛び込んだ。
壁の向こうには石で出来た階段が続いており、先の見えない下方へと続いている。理沙は覚悟を決め、そろそろと下りていった。
高級料亭のような地上の雰囲気は微塵もなく、むき出しの岩肌に小さな行灯の明かりと、ひたひたとした地下水が滲んでいる。
ようやくたどり着いた最後の一段を降りると、理沙はうす暗がりのなか目を凝らした。そこにあったのは太い木の格子で――その奥に多くの女性たちが閉じ込められている。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「あなたは?」
「り、理沙といいます! あっ! もしかしてちさとさん⁉」
「は、はい。ちさとはうちですけど……」
生きてた! と理沙は思わず涙を浮かべそうになった。すると二人の会話を聞きつけたのか、奥にいた女性たちも格子の傍に集まって来る。理沙と同じようにさらわれたか、生贄になった女性たちだろう。
理沙は髪にさしていたかんざしを引き抜くと、牢の鍵穴に突き立てた。だが真鍮で出来たそれが壊れることはなく、今度はそれが繋がっている牢の接合部を叩いてみる。
こちらは効果があったようで、みるみるうちに木材が削れたかと思うと、南京錠の本体が傾いた。
最後の一押しとばかりに理沙は全力で引っ張ると、ガチャン、という派手な音を立てて錠が足元に転がる。
閉じ込められていた牢が開くと、中にいた女たちは一斉に色めきだった。
「すぐにあたしの仲間がここに来ます。落ち着いて、ここから脱出しましょう」
そう言うと理沙は全員の無事を確認した後、先頭に立って元来た階段を上り始めた。女たちは理沙の指示通り、一声も発さないまま静かについて来る。あの不思議な壁を再び潜り抜け、理沙はようやく屋敷の中に戻った。
だがそこで待っていたのは、理沙を招き入れた先ほどの男と――どっぷりとした腹の突き出た老人だった。
二人は壁からすり抜けた状態の理沙を、にやにやと見つめている。
「ほう、ここを嗅ぎつけたか。勘のいいおなごよ」
「だ、誰⁉」
「儂か? 儂はこの屋敷の主よ。道に迷った女を保護したというから見に来てみれば……とんだ泥棒猫だったようで」
「猫とかひよことか! てか何も盗ってないし! あんたこそ、女の人を攫って閉じ込めていたくせに!」
「ほう。己の立場もわきまえず強気なものよ。だが気に入った」
すると老人は、理沙の髪に手を伸ばした。理沙は反射的に逃れようとしたが、どういうわけか全身が痺れたようになって動けない。
もしや女性たちを攫った時も、こうして自由を奪ったのだろうか。




