Case3-5
びしょぬれになった花嫁衣裳に困惑していると、レイヴンが村長の家から回収して来たと言って、理沙の元の服を準備してくれた。
慌ただしくそれに着替えた後、理沙は先ほどの青年と改めて対峙する。
「わたくし、この辺り一帯を治める『龍神』と申します」
「りゅう、じん……」
初めて聞く自己紹介に、理沙はとりあえず頭を下げた。
青年は非常に背が高く、二メートルはありそうな体格をしていた。濡れたような艶やかな黒髪の合間からは、これもまた黒い二本の角が覗いており、名状しがたい迫力がある。
その一方で顔は普通の人と同じ――村人たちに比べるといささか異国風な、彫りの深い造りをしていた。
長い睫毛に隠されがちで気づかなかったが、瞳は理沙のそれよりずっと明るい金色だ。
「この度は、人の子らが勝手な真似をいたしまして……本当に申し訳ございません」
「あ、いえ、それは龍神様のせいじゃないのであれですが……」
なんだかほのぼのとした世間話の様を呈してきたやり取りに、理沙は違う違うと首を振る。
「そうじゃなくて! そ、そもそも龍神様って、本当にいたんですか⁉」
「当たり前でしょう」
隣にいたレイヴンから突っ込まれ、理沙はむぐと口を閉じた。いつの間にかレイヴンも服を着替えていたが、髪だけは乾き切れなかったらしく、普段よりしっとりとした艶になっている。
「ここはあなたのいる世界と同じとは限りません。魔法が存在する世界もあれば、魑魅魍魎が溢れる世界もある。龍神がいても、なんらおかしなことではないでしょう?」
「で、でもてっきり、おとぎ話とか、伝承的なあれだとばかり……」
「そう思われる方も多いんですけどね。……でもわたくしたちはこうして確かに存在しています。人の子らが生まれた時から、ずっと見守り続けているのです」
まさかの龍神自身にフォローさせてしまい、理沙は慌ててすみません! と謝った。すぐに顔を上げると、レイヴンに問いかける。
「それは分かったんですけど……結局今、何がどうなってるんですか?」
「あなたにはまだ、ここまでの経緯を説明していませんでしたね。結果から言うと、今回のターゲットである『ちさと』さんとは、接触できませんでした」
「へ?」
「山に入った直後、いきなり姿を消しました。足跡も気配もそこで途切れてしまい、私は追跡しようと痕跡を探した。ですがそこで、他の何者かに襲われたのです」
「だ、大丈夫だったんですか⁉」
「ええ。ですが私に与えられた権能だけでは力が及ばなかった。そこを龍神様に助けていただいたのです」
頼りなく頭を下げる龍神の姿に、理沙はいまいち確証が持てないまま、どうもと礼を返す。
「ようやく逃げ出せた時には、すでに夜が明けていて――村に戻ったら、花嫁姿のあなたが何故か代わりに滝壺に、というわけです。一瞬本気で理解が追い付きませんでした」
「う、す、すみません。隠れ損ねてしまって……」
「いえ。私の方こそすぐに戻ると言っておきながら……申し訳ありません」
そこでようやく龍神が、おずおずと口を開いた。
「それでしたら、わたくしにも非はございます。元はと言えば、人の子らがわたくしのためにと願って始めたこと。恐ろしい思いをさせてしまい、本当になんとお詫びしたらいいか……」
「あれ? 花嫁って、龍神様が望んでいるからじゃないんですか?」
「め、めっそうもございません! わたくしは生まれてからこの方、よ、嫁などと……そうしたものを欲したことはございません‼」
何故か顔を真っ赤にして反論する龍神の姿に、理沙は毒気が抜かれたようにぽかんと口を開けた。だが龍神が嘘を言っているようには思えず、恐る恐るレイヴンを仰ぐ。
彼もまた、理沙が何を言わんか理解しているかのように言葉を続けた。
「彼の言う通り、この儀式はあくまでも村人たちが一方的に始めたものに過ぎません。ですが龍神様はこのことをいたく気に病み、花嫁とされた娘たちを、都度都度お助けになっておられたそうです」
「そ、そうです! 人の子の気持ちは嬉しいですが、わたくしと夫婦の契りなど結ぼうものなら、それはもう……人として生きられぬ輪廻に入ってしまいますから……。ですからわたくしは、この滝壺に女人が投げ込まれるたび人知れず救っていたのです」
龍神の話によると、彼は生贄とされた女性を助けては、遠く離れた人里で新たな暮らしを与えてきたそうだ。
だが数か月前から、奇妙なことが起きているのだという。
「わたくしの力が……どうやら弱められているようで……。おかげで雨に対する権能が薄れ、村は日照り続き……わたくし自身も、こうした仮の姿でしか顕現出来なくなってしまいました」
「仮の……ってことは、元々は違う姿なんですか?」
「はい。原因を探ろうともこの姿には限界があり……。わたくしがそのような体たらくに甘んじているうちに、二人の女人がこの滝に投げ込まれました。わたくしはなんとか必死に助けようとしたのですが……どうしたことかそのどちらともが、何者かの手によって連れ攫われていたのでございます」
「レイヴン、もしかしてそれが……」
「おそらく、私を襲った者と同じでしょう」
その言葉に、龍神はしっかりと頷いた。
「さようでございます。このままではいけないと思ったわたくしは、三人目の花嫁が選ばれたと聞いて、人の姿を模して村へと参りました。ちさとの身を案じ、彼女を連れ出そうとしたのですが、途中で何者かにかどわかされてしまい……」
そう言えばちさとが逃げ出そうとしていた時、もう一人男の声がした。てっきりちさとの身を案じた恋人かと思っていたのだが、どうやらこの龍神様だったようだ。
となると、と理沙は先ほどの話を思い出す。
「そこにレイヴンが来て、さらに騒動したってことですね」
「言い方が若干不愉快です」
「はい。例文殿はなんとか助け出すことが出来ましたが……ちさとを、見失ってしまい……」
(……何となく、発音が違う気がする……)
だが余計なことは言いまい、と理沙は思考を集中させた。
(龍神様以外の何かがいる……のは分かったけど、レイヴンにも神様にも負けないって一体どんな相手なの?)
するとレイヴンが、理沙の考えを呼んだかのように口を開いた。
「敵は神格があるものとみて間違いはないでしょう」
「神格?」
「はい。『調停者』である私の力は、万能とはいえしょせん借り物です。この世界の神が本気を出せば叶うものではありません」
「つまり、龍神様とは違う『神様』がこの辺りにいる……?」
そこで理沙はふと、昨夜竹やぶで会った男のことを思い出した。暗がりの中だったのではっきりとは断定できないが、あの気味の悪い目がどうにも印象に残っている。そのことをレイヴンに伝えると、彼は口元に手を添えて何ごとかを考え始めた。
「私たちが現れた時点では、あの場所に他に人の気配はなかった。突然現れたというのであれば、それは『人ではない』可能性がありますね」
「……!」
「あなたの存在を、わざわざ村人たちに教えたことも気になります。これはただの推論ですが、その男はあなたが人質に代えられると予測していた。新たな龍神の花嫁として滝壺に落とされたところを……他の女性たち同様、狙うつもりだったのかもしれません」
その考察を聞いた理沙は、ぞくりと背筋を凍らせた。つまりレイヴンが助けてくれなければ、あの滝壺に沈んだまま――その男のものになっていたかもしれない。
「な、なんとかしないと! このままじゃ、また別の女の人が生贄に!」
「もちろんです。そのために龍神様とここに来たのですから」
「え?」
理沙が振り返ると、龍神はひどく委縮したように頭を下げた。だがゆっくりと顔を上げると、美しい金の瞳で理沙を見つめる。
「そうなのです。こたびの件、わたくしだけでは至らないと分かり……例文殿に助けを乞うた次第でございます」
「ということです。リサ、あなたも協力してくださいますか?」
「は、はい!」
やっぱり発音が違う気がする、と思いつつ、理沙は強く拳を握りしめた。




