Case3-4
(レイヴン……結局帰って来なかった……)
翌日。理沙は村長の家の一室で――何故か真っ白な花嫁衣裳を着せられていた。
きらきらとした絹糸の白打掛には銀糸で龍の刺繍が施されており、その下にはこれもまた白一色の掛下。
ボリュームのある金髪は綺麗に結い上げられ、うなじの辺りには白妙の花が飾られている。その上に綿帽子と呼ばれる白い覆いが被せられていた。
もちろん理沙は最初『大人しく従うフリをして逃げ出そう』と虎視眈々と隙を狙っていた。だが着付けをする女衆の周りには常に複数の監視役がおり、結局最後まで着せられてしまったのだ。
(ど、どうしよう……レイヴン、無事なのかな……)
すると外廊下の軋む音が聞こえ、傍にいた女たちがすっと理沙の傍から下がった。廊下側に並んでいた障子の一つがすらりと開き、村長が姿を見せる。
「りさ、と言ったか。なるほど、中々に見目は良いな。これなら龍神様も喜んで下さるだろうて」
「あたしやるなんて言ってませんけど⁉」
「そうせんと、この村ん全部が犠牲になるんじゃ。分かってくれ」
「分かりません!」
捕らわれた翌朝、理沙に一つの提案がなされた。
今日儀式をするはずだった娘が逃げ出した。代わりにお前が現れたのは何かの縁。ちさとに代わり儀式の役を引き受けてくれ、とのことだ。
村人たちは儀式の詳細については口をつぐんでいたが、レイヴンからあらかじめ子細を聞いていた理沙は全力で拒否した。『急に花嫁が他の人に変わったら、龍神様も怒るのでは⁉』という苦しい言い訳も並べてみる。
だが村人たちは『花嫁の条件が同じだから大丈夫』とあっさり流した。聞けば今回の儀式には『金の瞳を持つ若い女』というお触れがあったらしく、理沙は見事に当てはまってしまったようだ。
やがて他の男が理沙の背後に回り込んだかと思うと、正面にいた村長がぐいと理沙の腕を掴んだ。諦めてたまるかと散歩から帰りたくない犬のように、理沙は畳の上にぐぬうとしがみつく。
しかし抵抗むなしく、男の手刀が首元に落ち――理沙はあっけなく意識を失った。
(――、ここは……)
ゆら、ゆら、という均一な揺れに理沙はようやく目を覚ました。どうやら時代劇でお殿様が乗っているような駕籠に乗せられているらしく、真っ暗な中パサパサと藁で出来た御簾が音を立てている。
理沙はすぐさま逃げ出そうとしたが、両手足を縄で縛られており、横たわった状態から這いずることしか出来ない。
やがて駕籠がどさりと地面へ下ろされた。
御簾が持ち上げられ、理沙は男たちの手によって担ぎ出される。足の拘束だけを解いて歩かされた先は、祭壇がしつらえられた滝壺の淵だった。
見上げると想像以上の瀑布が飛沫を上げており、落下した水が溜まる滝壺も深すぎて底の色が見えない。
(ふ、深い……こんなところに落ちたら、絶対助からない……)
村長は祭壇に向かってなにやら唱えており、お酒や供物を恭しく並べ始めた。やがて両脇にいた男たちから肩を掴まれ、理沙は祭壇のすぐ脇まで歩かされる。
きょろきょろと周りを見回すが、理沙たち以外の人影はない。
(どうしよう……)
レイヴン、と心の中だけで名前を叫ぶ。
だが理沙の祈りもむなしく、村長が合図したところで強く背中を押された。バランスを崩した理沙はそのままどぼん、と水底に沈んでいく。
ごぽぽという音が耳を覆い、理沙は必死になって手首の拘束を解こうとした。
(――ッ)
だが固く結ばれた縄はほどける気配がなく、理沙は何度も何度も体をばたつかせる。水を吸った花嫁衣装は非常に重く、もがけばもがくだけ体力が奪われていくかのようだ。
やがて一際大きな気泡が理沙の口から溢れ、一気に肺が押しつぶされる。
(……レイ、ヴ……ン……)
意識が遠のく。ここで死ぬのかな――と理沙は全身を弛緩させた。
すると、ばしゃん、と遥か上の水面で何かが飛び込む音が上がる。まっすぐに降りてくる姿を見て、理沙は大きく目を見開いた。
現れたのは幻ではない、本物のレイヴンだった。
彼は黒髪をたなびかせながら、静かに理沙の元に舞い降りると、持っていたナイフで手首を拘束していた縄を断ち切る。
ばらりと崩れた縄の切れ端を引きはがすと、すぐに理沙の体を引き寄せた。
だが理沙は再び、ごぽと空気を吐き出す。
それを見たレイヴンは、ゆっくりと理沙を抱きかかえると――自身の唇を理沙に押し当てた。彼の口にあった空気が理沙の咥内に流れ込む。
すると不思議なことに先ほどまであった閉塞感が薄れ、理沙は少しだけ意識を取り戻した。レイヴンは理沙の無事を確認すると、そのままゆっくりと水面へと浮上する――。
陸に戻って来た理沙は、げほ、ごほ、と激しく水を吐き出した。
少し落ち着いたところで、隣で同じくずぶ濡れになっているレイヴンを振り返る。言いたいことで頭の中がいっぱいになり、座り込んでいた彼の胸倉をつかんだ。
「レ、レイヴン!」
「すみません、少々手間取ってしまいまして」
「ほんとですよ!」
すごく心配したのに、と理沙はレイヴンの胸を叩こうとした。だが安心して力が抜けたのか、そのままがっくりと顔を伏せる。
理沙を見上げるような体勢のまま、レイヴンが首を傾げていると、彼の襟にぽたりと雫が落ちた。
「……良かった、レイヴンが、無事で」
それは水滴ではなく、理沙の涙だった。
レイヴンは泣きじゃくる理沙の顔を見上げたまま、しばし大きく目を見開いていた。だがすぐにいつもの微笑を浮かべると、よしよしと抱きしめるように理沙の頭を撫でる。
「あなたも……無事で本当に良かった」
「ううー……」
その穏やかな声が心地よくて、理沙は心を落ち着かせるように、そのままレイヴンに体を預けかけた。しかし先ほどの口づけが頭の中をよぎってしまい、両腕を突っ張らせるようにしてがばっと勢いよく体を離す。
突然のことに、レイヴンはきょとんと瞬いた。
「リサ?」
「……あ、アノ、アリガトウ、ゴザイマシタ……」
するとそんな二人の脇から、実に申し訳なさそうな声が割り入って来る。
「あの……すみません、よろしいでしょうか……」
「は、はい! 大丈夫です!」
まさか他にも人がいた⁉ と理沙は真っ赤な顔のまま慌てて振り返る。そこにいたのは背の高い黒髪の男性――だがその頭には、とても立派な二本の角が生えていた。




