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Case3. On ne badine pas avec l'amour.(恋は戯れにしてはならない)



 理沙がフランスに来てから二か月が経過した。

 秋が深まったせいかすっかり気温が下がり、コートの手放せない日々が続いている。天気もどんよりとした曇りの日が多く、理沙はカサカサと転がっていく枯葉を目でぼんやりと追っていた。


(これからどうしようかな……)


 今日の授業は終わり。

『トワ・エ・モア』のバイトもない。


 そこで理沙は、レイヴンから預かっているマキネッタのことを思い出した。


 借り受けた翌日、理沙は近所のスーパーでコーヒーを買った。下宿先の小さいキッチンを借りて、ネットでやり方を検索しながらとりあえず淹れてみる。だがあまりコーヒーに詳しくない理沙の舌では『とにかく苦い』という感想しか出てこなかった。

 香りに惹かれて顔を出してきた下宿先の大家さんにも、一口味見をしてもらった。だが顔中を皺だらけにした後無言で去って行ったので、多分美味しくなかったのだろう。


 理沙はその後も懸命に練習を重ねた。

 本屋に行き、日本語で書かれた『コーヒーの淹れ方』なるものを探したり、お湯の温度を測ったりもしてみた。そうやって何度か繰り返していると、今度は大家さんだけでなく他の下宿人たちが相伴に預かるようになった。

 様々な国籍の人たちにコーヒーを振る舞っていると、それぞれ『こうした方が』『ああした方が』というアドバイスをくれる。

 次第に飲めるものになってくると、今度は『いつ淹れるの?』と催促する声が多くなってきた。この間はついに大家さんからの『おかわり』をいただき、理沙は部屋に戻ってガッツポーズしたのを覚えている。


(そろそろコーヒーの在庫がなくなってきたけど……どうせなら豆にもこだわってみようかなあ……)


 そろそろレイヴンに腕前を披露してもいいのではないか、とも思っているのだが、自信満々で出してみて、あっさり落第したら目も当てられない。もう少しだけ修行しよう、と理沙はうむむと眉を寄せる。

 そんな理沙の背中に、どん、と何かがぶつかった。


「リサ! オツカレ!」

「クロエ!」


 振り返ると、クロエが理沙の胴体に腕を回していた。理沙が日本人だと分かったあの日から、クロエはさっそく日本語を調べたらしく、翌日の第一声は『オハヨー!』だった。

 どうやら日本のカルチャー――特にアニメや漫画、コスプレなどに興味があるらしく、日常会話よりも漫画のセリフの方がはっきりと喋れるようだ。

 嬉しくなった理沙は、筆箱と同じキャラクターがついた文房具をいくつかクロエにプレゼントした。

 すると申し訳なくなるほどの賛辞と感謝を贈られてしまい、以来こうしてちょくちょく話しかけてくれるようになったのだ。


『Qu'allez-vous faire maintenant?(これから何するの?)』

「何する……あ、ええと、『Je veux des grains de café……(コーヒー豆がほしくて)』?」

『Grains de café?』


 するとクロエは『Je m'en occupe !(まかせて)』と拳を握りしめると、どこかへ走って行ってしまった。

 理沙がぽかんとしたまま立ち尽くしていると、すぐにものすごい勢いで駆け戻って来る。その隣には何故かジェラルドがおり、理沙は目をしばたたかせた。


「クロエ? 『Qu'est-ce qui ne va pas?(どうしたの?)』」

『Demande lui!(彼に聞くと良いと思うわ!)』


 理沙よりも小柄なクロエが、長身のジェラルドを引っ張っている姿は周囲の目を引き、理沙は少しだけ笑ってしまった。

 するとジェラルドが、分かりやすく不機嫌を滲ませて問いただしてくる。


『Mais qu'est-ce que ça veut dire ?(おい、どういうことだ?)』

『euh……』


 ええと、と苦笑いする理沙をジェラルドが睨みつける。するとその態度を諫めるかのように、クロエがジェラルドの髪をぐいと引っ張った。

 二人は早口のフランス語を銃撃戦のように交わしていたが、どうやらジェラルドが負けたらしく、渋々といった体で理沙の方に向かって来る。


『allons-y.』

「は、はい!」


 どうやら『行くぞ』と言われたらしい。何が何だか分からないまま、理沙はクロエに何度か手を振り返した後、さっさと校外に向かうジェラルドを足早に追いかけた。

 大通りから理沙の下宿がある方とは反対側の道へ。一体どこに連れていかれるのだろうと理沙が不安になっていると、ジェラルドは一軒のカフェへと入っていく。

 彼について中に入ると――そこには、香りのよいコーヒー豆がたくさん並んでいた。


『Grains de café!(コーヒー豆だ!)』

『Qu'est-ce que vous voulez?(何が欲しいんだ?)』

「え、ええと……」


 ありがたいことに小さく英語の表記もあり、理沙は一つずつラベルを確認した。すると隣にジェラルドがしゃがみ込み、あれそれと指差しながら説明してくれる。

 普段教室では寝ているか、寝起きの不機嫌そうな顔しか見たことがないので、目を輝かせて熱く語るジェラルドはなんだか新鮮だ。


(コーヒーが好きなのかな? だからクロエが教えてくれたのか……)


 ただ残念ながらジェラルドの言葉は早すぎて、半分以上聞き取ることが出来なかった。だが分かるところだけでも聞き取ろうと、理沙は必死に耳を傾ける。

 やがて使う器具や方法などについてジェラルドに尋ねられ、理沙は単語と身振り手振りで答えた。するとある一つの豆について強く勧めてくる。


『En grains? Moudre?(豆のまま? それとも挽きますか?)』

(お、オングラン? ムール?)


 ようやく購入する豆を決めたところで、恰幅のいい女性店員がさらっと尋ねてきた。どういう意味だろう、と助けを求めるようにこそっとジェラルドを見る。

 するとジェラルドが親指と人差し指を輪のようにくっつけると、その指先を何度か離してみせた。くっつけた時に『オングラン』、離すと『ムール』と囁いている。


(もしかして豆のままか、挽くかってこと?)

『M..moudre, s'il vous plaît!(挽いたものをお願いします)』


 微粉にまで挽いてもらったコーヒー豆をお買い上げし、理沙はほくほくと顔をほころばせた。するとジェラルドが、さっとテイクアウトのコーヒーカップを手渡してくる。どうやら先ほどの店で理沙の分も買ってくれたようだ。


『Merci beaucoup!(ありがとう!)』

『Vous êtes les bienvenus.(どーいたしまして)』


 ぼそりとそれだけ言い残すと、ジェラルドはひらひらと手を振り、さっさとメトロの駅へと歩いて行ってしまった。その背中に理沙は慌てて頭を下げる。

 下宿に戻る道すがら、ジェラルドからもらったコーヒーに口をつけた。何度か飲んでみて思ったのだが、フランスのコーヒーは日本のそれより随分と苦い。

 ジェラルドがくれたそれもなかなかの苦みがあったが、こちらに来て飲んだ中で一番おいしいコーヒーに思えて――理沙は少しずつ少しずつ、大切に味わった。







 学校生活に少しだけ変化が現れた頃――『トワ・エ・モア』にも新たな客が訪れた。

 その日は土曜日のバイト。

 理沙はボーダーのVネックニットに青味の強いモスグリーンの膝丈スカート、毛足の長い赤のボレロという恰好で、玄関の掃除をしていた。あらかた掃き終わったところで、ショーウィンドウに映る自身を見る。

 日本から持ってきたものは、すべてミニのスカートかショートパンツしかなかったので、わざわざ丈の長いスカートを買いに行ったのだ。


(べ、別にレイヴンに言われたからとかじゃなくて、寒くなったから新しいのが欲しくなっただけだし……)


 だが身を返すたび、ひらひらと遅れて付いて来る裾は存外愛らしく、理沙はどこか満足げに頷く。看板をかけなおすと店内の掃除をしに中に戻った。

 だがその直後、裏返していた看板を弾き飛ばす勢いで、背後で扉が勢いよく開け放たれる。


『Mon cher corbeau!(愛しい俺のカラスちゃん!)』

「ひえっ⁉」


 店を訪れたのは、体格のいい青年だった。

 髪は濃い金色で、長くウェーブしたものを後ろで一つに結んでいる。大きな目はエメラルドのような見事な碧色をしており、鼻や唇の輪郭もしっかりとした迫力があった。まさに『美丈夫』という出で立ちだ。

 美丈夫は両腕を大きく広げたまま、店の中をきょろきょろと見回していた――が運悪く(良く?)レイヴンは奥の倉庫に行っており、店内にいたのは理沙だけだ。

 すると美丈夫はすっと腕を下ろし、理沙の前にずんずんと近づいて来た。



 

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