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Case1. On n'a qu'une vie(人生は一度きり)





「パスポート、ちゃんと持った? お財布は?」

「だからー大丈夫だって!」


 国際空港の手荷物検査所の前で、理沙の母がしきりに尋ねてきた。一方理沙はのんきなもので、真っ赤なリュックサックを背負ったままにっこりと笑っている。

 ボリュームのある豊かな金髪は、毛先だけ鮮烈なピンク色で染めている。よく手入れされた白い肌に、長い手足を惜しげもなく見せるチェックのミニスカート。淡いブラウンの大きな目は、ばさばさと音を立てそうな睫毛に縁どられていた。

 どこぞの芸能人かモデルか? とスーツを着たビジネスマンたちが、理沙に気づかれないようちらちらと視線を送っている。


「そんなに心配しなくても、大きな荷物は先に送ってるし、基本は下宿だし」

「でも……」

「冬には一度帰るから!」


 じゃね、とコンビニに行くような気楽さで、理沙は軽やかな足取りのまま検査所のカウンターに向かった。最後にもう一度だけ振り返ると、見送りに来ていた両親に向けて大きく手を振る。

 搭乗は成田空港10:35発――パリ、シャルル・ド・ゴール空港行。






 薬剤師を目指して勉強を重ねていた理沙は、中二の冬、進学する高校を突如変更した。

 両親は急な路線変更に動揺し、毎晩のように家族会議が開かれた。だが理沙は頑として自らの進路を譲らなかった。

 高校は、今までのクラスメイトたちがひとりもいない、学区の離れたところを選んだ。理沙はそこで新しく友達を作り、勉強だけではない青春を謳歌した。

 そして今年――フランスにある、美容学校へと進学する。


(念願のフランス……わくわくする!)


 飛行機の座席から下界を眺めていた理沙は、手にしていた口紅に視線を戻した。銀色の胴体部分には『Toi et Moi』の文字が刻まれたリボンが結ばれている。

 理沙がお洒落に目覚めたのは、この口紅がきっかけだ。



 どこの誰とも知れぬ青年がくれた一本の口紅。

 以来、理沙はすっかり化粧の虜になってしまった。


 雑誌を買いあさり、お小遣いを貯めて化粧品を買い揃える。高校に入ってすぐに髪を染めると、同じような派手目の女の子たちに声をかけられた。

 最初は委縮していた理沙だったが、話してみるとメイクや髪型、ファッションの話題で盛り上がり、すぐに意気投合した。

 そうして――中学の同級生が見たら目を疑うほど、理沙は華麗な変貌を遂げたのだ。


 地味で真面目だった理沙の変身に、最初の頃は両親も戸惑っているようだった。だが以前よりもはるかに楽しそうに学校に通う理沙を見て、次第に口を出すことは少なくなった。

 それでもこのフランス行きは、随分最後まで許しを得られなかったものだ。




 およそ十二時間のフライトを終え、理沙はようやく空から陸地へと降り立った。空港は半円型のトンネルのような構造が続いており、天井は格子状になっている。

 漏れ入る陽光が柔らかく、改めて時計を確認すると夕方の四時半を過ぎたところだった。出発は十時半だったのに、六時間そこらしか経っていない……時差ってなんだかお得だ。


 メトロと言われる地下鉄に乗るべく、券売機でチケットを買う。Ticket t+と呼ばれる乗車券だが、どうやら日本のSuicaのようにチャージする仕組みもあるらしい。


 とりあえず下宿に向かうまで、と換金したばかりの紙幣を突っ込む。すると大量のおつりが出てきて、訝しい顔を浮かべる男性の視線を背中に受けながら、理沙は慌ただしくそれらを回収した。


 シルバーに赤と青のラインが入った車両に揺られること数十分、黄色いベンチの並ぶポワッソニエール駅に到着する。

 学校も近くにあるのだが、まずは下宿先に向かうことにした。


「すっ……ごーーい……!」


 ラファイエット通りから、シャブロル、ベルフォン通り。

 通りに面して三、四階建ての建物がずらりと並んでおり、一階部分はカフェや青果を扱う店もある。

 道路には謎の市松模様が書かれており、はたして何を意味するのか……と理沙は首を傾げながらメモにある下宿を捜した。


 やがて古びたアパルトマンに到着する。

 日本人はCROUSの運営する学生寮に入る人が多いそうだが、留学という多額の負担をかけている負い目もあり、理沙は個人が管理している下宿を探した。


 中に入ってすぐ、六十歳くらいの女性と遭遇する。

 どうやら彼女がこの下宿の大家さんらしい。理沙が不慣れな英語で名乗ると、とても素っ気なく鍵を渡してくれた。

 二階に上がり、廊下の一番奥にある角部屋に向かう。

 中に入ると日本から送っておいた着替えの入ったトランクが置かれており、理沙はほっと胸を撫で下ろした。


(わたし……本当にフランスに来たんだ……)


 部屋はけして広くはなかったが、白を基調とした壁紙に備え付けの棚、可愛らしいフォルムの椅子と机が据え付けられており、一人で暮らすには十分すぎるほどだ。

 理沙はリュックを下ろし、とりあえずベッドに倒れ込む。


(……本当に明日から、ここで暮らしていけるのかな……)


 一応英語とフランス語は叩き込んでいる。だがまだ実地で試したことはなく、理沙は一人になったと実感した途端、途方もない不安に襲われた。

 言葉の通じる日本とはわけが違う。

 学校で上手くやれなかったら。

 生活に馴染めなかったら。


 真っ白い天井を見上げていた理沙の頭の中で、ぐるぐると嫌な想像ばかりが駆け巡った。理沙はすぐにがばりと起き上がると、机に置いていたリュックを拾い上げる。

 下ろしたままだった髪を、二つに分けてぎゅっと結んだ。


(悩んでいても仕方ない! ちょっとだけ、散策してみよう!)

 

 あらかじめ調べていた情報によると、少し足を伸ばした区画には、日本の食材やお弁当が買える「日本通り」と呼ばれる場所があるらしい。ジュンク堂やブックオフもあるというのだから驚きだ。

 理沙ははやる気持ちを抑えつつ、アパルトマンを飛び出した。


 十区から二区の方角へ、モーボウジュ通りを下る。

 左右に立ち並ぶ建造物は、日本の家屋やビルとは規模も迫力も違い、理沙は開いた口もそのままにぱああと目を輝かせた。歴史を感じさせる教会や博物館。

 道行く人々の服装もお洒落で、理沙は胸を弾ませる。


(やっぱり素敵ー!)


 パンフレットや観光案内だけでは感じることの出来ない本場の空気に、理沙はわくわくと期待を膨らませた。

 一本脇に入った路地裏にも多くの店があり、理沙は人通りの少ない裏道へと足を向ける。


 店の中いっぱいに棚が置かれたCD屋に、色艶やかな服ばかりを取り扱うオートクチュール。見るものすべてが映画のセットのようで、歩いているだけで女優になったような気分だ。

 やがて通りの奥に、黒い外壁の店を発見した。


 白い外壁の多いパリにしては珍しい見た目に、理沙は興味を引かれ、何の店かを確認する。だがその入り口に掲げられていた看板を見て、えっと目を剥いた。


「――『Toi et Moi』⁉」


 理沙は背負っていたリュックを慌てて下ろすと、中のポーチから件の口紅を取り出した。漆黒の看板に銀文字のロゴ――リボンに刻まれている文字と同じ書体だ。


「もしかして、ここが……?」


 中を覗こうとするが、薄暗くはっきりとは分からない。理沙はしばし悩んだが、胸の前で口紅を握りしめると、えいっと勢いよく店の扉を押し開いた。



 

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