Case2-7
癖のない、真っ直ぐなストレートの銀髪。
睫毛も同じ銀色で、伏せがちな瞳は美しい紫色だ。歳は理沙とあまり変わらないはずなのだが、アデライトの方がずっと大人びて見える。
何となく恥ずかしくなった理沙は、ドレスの裾をこっそり手で整えた。
「あの」
「は、はい!」
「初めまして、かしら。私はアデライト・シルヴィアと申します。貴方の名前を聞いてもよろしいかしら」
「あ、あたしは天音理沙といいます!」
「アマネ?」
「あっ、呼びにくければリサで大丈夫です!」
緊張した様子で応じる理沙を見て、アデライトは穏やかに目を細めた。
「ごめんなさい、恥ずかしいところを見せてしまって」
「いえ! あれは男の方が悪いです! 女性に手をあげるなんて」
「……そう、よね……」
さっと表情を陰らせたアデライトに気づき、理沙は息を呑み込んだ。懸命に言葉を選びながら、ゆっくりと切り出す。
「あの……先ほど『いつものこと』と言ってましたけど、そうなんですか?」
「……ええ」
するとアデライトは、先ほどの男性は婚約者になる予定の相手だということ。だが公表の日が近づくにつれて態度が傲慢になっていき、一か月ほど前から手をあげられるようになったことなどを、ぽつりぽつりと口にし始めた。
「ですが私も彼も貴族である以上、そう簡単に婚約の話を無かったことには出来ないと――必死に耐えてきました。でも……私、やっぱり……」
「アデライトさん……」
あの女好き令息、と理沙は怒りに任せて拳を握りしめる。
だがこれはチャンスだ。当のアデライトが婚約を辞めたいと願っているのなら、この先の未来はきっと変えることが出来るはず。
やがてアデライトが頬からボトルを離した。
赤くなっていた部分はすっかり元に戻っており、理沙はほっと息をつく。
「お化粧が崩れてしまっているので、少しだけ直させてもらってもいいですか?」
「え?」
すると理沙は開いた化粧鞄から、化粧水とコットンを取り出した。そっと押さえるようにしながら化粧水を馴染ませ、しばらく肌を落ち着かせる。
それから明るい色のパウダーファンデーションを取り出すと、ふわふわの筆で粉を取り優しく肌に重ねた。目立っていた赤味はまったく分からなくなり、理沙は満足げに唇を引き結ぶ。
そうだ、と手のひらサイズのコンパクトを取り出すと、そっと中身をアデライトに見せた。中にはパステルカラーのピンクや水色、ベージュなどの色が複雑に敷き詰められており、アデライトはわずかに目を見開く。
「可愛い……」
「フェイスパウダーです。こうやって軽く重ねると……」
理沙はアデライトに鏡を手渡すと、その頬にふんわりと筆を触れさせた。はい、と鏡をアデライトに手渡す。
するとその部分にだけ、真珠の粉をあしらったようなキラキラとした輝きが残っていた。初めて見る可憐さに、アデライトは口元をほころばせる。
「素敵……!」
「ね! 素敵ですよね⁉ あたしも初めての時はすっごい感動して。化粧品自体もめっちゃ可愛いんですけど!」
思わず早口になってしまい、理沙は慌てて口を閉じた。だがアデライトは怒るそぶりも見せず、鏡を傾けては嬉しそうに繊細な輝きを見つめている。
その姿は理沙と何ら変わらない普通の少女に見えて――リサは嬉しそうに微笑んだ。
「あたしには、貴族や身分といったしがらみが、どれほど大変なものなのかは、まだよく分かりません。でも……結婚って、ずっと一緒にいて生活することだから……出来るなら、本当に好きな人とがいいな、って思います」
「リサ……」
アデライトの頬に筆を下ろしながら、理沙は言葉を続ける。
「そ、それに! もしかしたら、ただの人だと思った人が、実は、その、王子様だったりするかも、しれませんし……!」
はっきりと断言したわけではないのでセーフだろうか、と理沙はドキドキしながら提案した。もしこれに頷いてくれれば、ヴィクトルにもチャンスはあるはず――とアデライトの返事を待つ。
アデライトは少しだけ考えこんだ後、静かに呟いた。
「……そういう絵本を、小さい時に読んだことがあるわ。仲の良かった男の子が実は王子様で、お姫様を悪い奴の手から取り戻しに来てくれるの」
「素敵なお話ですね!」
「ええ。私も大好きだった。……もし王子様だったら、本当に、どれだけ良かったことか……」
すべてのメイクが終わり、理沙は化粧鞄を閉じた。アデライトは持ち前の美貌はいっそう磨きがかかっていたが、その表情はどこか陰りを残している。
やがて庭の奥の方から、アデライトを呼ぶ声が聞こえて来た。
「時間が来たみたい。行かないと」
アデライトはゆっくりと立ち上がると、理沙に向かって丁寧に頭を下げた。
「ありがとうリサ。とても綺麗にしてくれて」
「い、いえ……その、が、頑張ってください!」
理沙は自身の体の前で、強く拳を握りしめる。するとそれを見たアデライトが少しだけ笑った。その表情のまま、そういえばと思い出したように口を開く。
「あなた、好きな人はいるの?」
「へ⁉」
「もしかして婚約者とか」
「え、えっと、あの」
すぐにレイヴンの顔が浮かんできて、理沙は違う違うと首を振った。あれはこの世界にいる間だけの偽りの関係で、妹でも姉でも良かった程度だと否定する。
「い、いません!」
「そう? ……なんだか、恋をしているみたいだったから」
じゃあね、と銀の髪をひらめかせ、アデライトはパーティー会場に戻って行った。その背中をしばらくぼうっと見つめていた理沙だったが、すぐにはっと意識を取り戻すと、こうしてはいられないと回廊に向かう。
(い、一応、『説得』してみたけど……)
あとはレイヴンと合流して婚約発表の場に向かわなければ、と理沙はスカートの裾を持ち一心に走り続けた。
すると回廊の先に何人かの男性がたむろしており――彼らは理沙の姿を見つけると、おっと眉を上げる。
「君一人? パートナーは?」
「ええと、今はちょっと違うところに……」
「こんな可愛い子を置いて? なんてもったいない奴だ!」
男たちはにやにやとした笑いを浮かべながら、理沙の周囲をぐるりと取り囲んだ。皆理沙よりも背が高く、威圧感と不快感に思わず眉を寄せる。
「すみません、あたし、急いでるので」
「そんなつれないこと言わないでさ。俺たちと遊ぼうよ」
(何これナンパ⁉ 異世界にもこういう奴っているの⁉)
煩わしい、と理沙は足早に立ち去ろうとした。だがすり抜ける間際に男の一人から腕を掴まれ、ぐいと引き戻される。理沙もまた必死に抵抗したが、細いヒールのせいか足に力が入らない。
「離してください!」
「すっごいセクシーなドレス着てんじゃん。いい趣味して――」
「それはそれは、お褒めいただきありがとうございます」
男の下卑た言葉はそこで途切れた。掴まれていたはずの腕は突然自由になり、理沙はおっととバランスを崩す。
振り返ると男の手首を、どこからか現れたレイヴンが握りしめていた。
「レ、レイヴン!」
「遅くなって申し訳ありません」
レイヴンのにこやかな表情とは裏腹に、隣の男はしきりに「いたた、いたい!」と悶絶していた。やがてレイヴンは身を屈めると、ぼそりと囁く。
「失礼、これは売り物ではございませんので」




