Case2-5
「腕をまっすぐ横に――そのまま」
(うう、でもこれすっごい恥ずかしい……)
洋服を作るうえで必要な採寸であり、何もいかがわしいことはないはずなのだが――いかんせんレイヴンの美貌を前にすると緊張が止まらない。
こんな至近距離で見たら、目がしばらく使い物にならなくなるのではないか、と理沙は薄目を開けて終わりを待つ。
右に左に、回転、と行儀の良い着せ替え人形になった理沙だったが、ようやくレイヴンの指先が体から離れた。多くの部位を測定していたはずだが、レイヴンは一つとしてメモを取っている様子がない。
やがてレイヴンは部屋の奥にある扉に向かうと、くるりと理沙の方を振り返った。
「準備をしてきます。戻るまでここで待っているように」
「準備、って一体……」
「すぐに分かります。では」
言うが早いか、レイヴンはさっさと隣室に引きこもってしまった。理沙はしばらくその場に立ち尽くしていたが、仕方なく近くにあった一人掛けのアームチェアにぼすんと座り込む。
(わたし……ここまで何の役にも立ってなくない……?)
せっかく得た仕事だというのに、レイヴンの力に頼りきりで、何のフォローも出来ていない。それどころかレイヴンの一挙手一投足に翻弄されるばかりだ。
こんなことではダメだ、と戒めるように理沙は頭を抱える。するとその時、コンコンという乾いた木の音が部屋の入口から響いた。
(ど、どうしよう⁉ 出ない方が良い? でも出なくても疑われる⁉)
レイヴンが消えていったドアを振り返るが、いまだ戻って来る気配はない。再度急かすようなノックの音がし、理沙はあわあわと立ち上がった。
(うう、すぐに出て行けば、今ならまだ許してもらえるかもしれない!)
覚悟を決めた理沙は扉に近寄ると、おずおずとドアノブを回した。だが廊下にいた人物を見た途端、目を真ん丸にする。
「ヴィ、ヴィクトルさん⁉」
「リサ? 君も来ていたのか!」
そこに現れたのは、騎士団の制服を着たヴィクトルだった。そう言えば『大臣邸であるパーティーの護衛を任されている』と言っていた。
どうやらここがそのパーティー会場のようだ。
理沙のことは『旧友レイヴンの婚約者』という記憶のままらしく、実ににこやかに対応してくれる。
「驚かせてごめんよ。そろそろパーティーが始まるから、部屋に残っているゲストに声をかけているところだったんだ」
「そ、そうだったんですね」
「ああ。まだ支度があるようなら、この部屋は自由に使って構わないよ。それでは」
恭しく礼をし、ヴィクトルはすぐに下がろうとする。だが理沙はとっさにはっしと彼の腕を掴んでしまった。
驚いたヴィクトルの顔を見た瞬間、理沙は「ああっ⁉」と我に返る。
(ど、どうしよう、何かわたしからも、勇気づけられるようなこと……)
だが彼が王族であるということは、まだ明らかにしてはならないはずだ。仕方なく理沙は、とにかく頑張ってほしいという気持ちを込めて、ヴィクトルを応援する。
「あ、あの! 好きな人がいるんですよね?」
「……ええ。でも僕は……」
「その、あたしが言っても、大したあれじゃないかもしれないんですけど……でもどうか、手遅れになる前に、ちゃんと気持ちを伝えてほしいって思います!」
理沙の真剣な眼差しに気づいたのか、ヴィクトルはわずかに目を見開いた。一方の理沙もいい言葉が浮かばないと焦りつつ、必死に絞り出した思いを噛みしめる。
(だって……このまま婚約しちゃったら、アデライトさんは……)
このままではアデライトは望まぬ婚約を結び、一年後命を落とす。それを知ったらヴィクトルだって、今のように二の足を踏んだりしないはずだ。
するとヴィクトルは、以前と同じ困ったような笑顔を浮かべた。
「君は……不思議な子だね。あのレイヴンの婚約者なだけあるよ」
「え⁉ あの、それは、ええと」
「でもそうだね……きっと、そうだ」
うん、とどこか嬉しそうに頷くヴィクトルを見て、理沙は少しだけ心が軽くなった気がした。自信を持って、という気持ちを込めて大きくガッツポーズをする。
「ヴィクトルさんは! 大丈夫です!」
「はは、すごい自信だね。……でも、ありがとう」
そう言うとヴィクトルは再び丁寧に頭を下げると、他のゲストにも声をかけてくるといい、理沙の前を後にした。
もう少しちゃんとした言葉を伝えたかった……と理沙はどこかしょんぼりと室内に戻る。するといつの間にか戻って来ていたレイヴンが、感心したような顔で理沙を見つめているではないか。
「あれがあなたなりの『説得』ですか」
「レ、レイヴン! いつから⁉」
「『大したあれじゃないかも……』の辺りからです」
「いやあああー!」
穴があったら入りたい。
J'ai tellement honte.
だが羞恥に顔を染める理沙に向けて、レイヴンは綺麗な微笑を浮かべた。
「しかし、彼には意外と効いたかもしれませんね」
「へ……?」
「気障な男の麗句より、不器用な子どもの方が意外と核心をつくものです」
もしかして褒められてる? と理沙はぱあっと顔を上げた。だが『不器用な子ども』と言われていることに気づき、すぐに半眼に戻る。
そんな理沙を宥めるかのように、レイヴンがちょいちょいと手招きした。
「さあ、――最後の仕上げと参りましょうか」
鏡の前に立った理沙は、まさに我が目を疑った。
「す、すごい……」
「あなたはこれを着て、今日のパーティーに潜入してください」
「もしかしてこれ……さっきの間に作ったんですか⁉」
理沙が驚くのも無理はない。準備をする、と言って戻って来たレイヴンが抱えていたのは、見事なイブニングドレスだった。
大きく背中の開いたシルエットに、色は大人びた深紫色。腰の高い位置にくびれがあり、床に向かって流れるようなドレープを描いている。
よく見るとスカートには深めのスリットが入っており、重なり合うその部分だけまるで星空を流し込んだかのような、きらきらとした素材があしらわれていた。
髪型もいつものツインテールではなく、うなじを出した綺麗な夜会巻に結い直す。
すっかり様変わりした自身の姿に、理沙は嬉しそうに鏡の前で舞い踊った。無邪気な理沙に苦笑しつつ、レイヴンは黒のハイヒールを取り出す。
艶々とした磨き上げられたエナメルが、月明りだけの夜空のように美しい。
「最後にこれを」
「い、良いんですか⁉ こんな高そうな靴……」
「あなたはパーティー会場で『chat perché』でもする気なのですか?」
よく分からないが嫌味を言われた気がして、理沙は少々不満げに履いていたスニーカーを脱いだ。履き慣れないハイヒールと格闘していると、しびれを切らしたレイヴンから『non』と制される。
「まったく、色気がありませんね」
「へ?」
「そこに座りなさい」




