板と液
父との苦行を終えると、俺は大急ぎで庁舎を後にする。馬車に乗る、と周りに告げると、誰もが驚きの表情を浮かべた。
天気の悪い日以外は、身体強化で走って帰るからだろう。そんな俺を心配してか、馬車に同乗しているハンネが尋ねてくる。
「レオンハルト様、やはり、今日は体調が良くないのではないですか?」
「体調はすごくいいよ。今日もハンネに夜食を作ってもらいたくて、急いでるんだよ」
「あら? 今日から調理担当が夜食を用意するはずですが、マーサさんから聞かされていませんか?」
ハンネは出発の準備をしていたから、俺とマーサとのやり取りを知らない。
「聞いたような、聞いてないような……ブラウクラウトに苦戦してたから、マーサの話は聞き流してたかも?」
「ブラウクラウトは、誰しもが苦手ですからね。昔の人は、どうして、あんなものを口にしようだなんて考えたのでしょうね?」
「さぁね? 余程、お腹が減ってたんじゃないのかな? それよりも、ハンネに昨夜の夜食を、もう一度作って欲しいんだよ。姉さんも褒めてたしさ」
「まぁ! エリザベート様が!?」
ハンネは両手で口元を隠すようにして驚いていた。やけに大げさな反応をするなぁ……
「エリザベート様は食事に対して、滅多に褒めてくれないのですよ? 今度、姉に自慢します、フフフ……」
「そういえば、昨夜、紅玉の木苺亭で試作品を食べさせてもらったんだけどさ、店員が姉さんの意見を真剣に訊いてたよ」
「それはそうでしょう、エリザベート様に認めていただければ、それだけで領都での流行になりますから」
「そうなんだ?」
「ええ、もちろん、レオンハルト様もすごいのですよ? いつもは予約を取っていますから、お気付きではないでしょうけれど、近頃は琥珀の蜂蜜亭も気軽に入れる店ではなくなってしまいました」
「どうせ、あの店員が貴族御用達って、宣伝してるからじゃないの?」
「それもありますが……それで、夜食は昨日と同じものでいいのですか?」
「うん、あ、でも、違うのも混ざってた方がいいかなぁ……その辺は、ハンネに任せるね」
「かしこまりました」
夏の陽は少し長いので夕方前に邸へ戻ってくる。先に夕食をとっていると、祖父や父、母も帰ってきた。
皆が食事を終わらせる頃、やっと姉も夕食の席に現れる。起き抜けらしい、どこかボーッとしている姉の様子を母が注意するかと思ったが、特に何も言わないでいた。
そうして、姉の準備が終わるのを待ち、昨日よりかは随分遅い時間に邸を出る。姉もトートバッグのようなカバンを用意して貰っていた。
俺と同じように、夜食でも入っているのだろう。
「姉さん、今日も街中を歩き回るの?」
「多少はね? とはいえ、レオの能力次第かしら?」
「俺の? もしかして、具現化魔術を利用する?」
「察しがよくて助かるわ。ただ、まだ、構想がまとまってないのよねぇ」
そういって、姉は開かれた馬車の窓に肘を掛けながら頬杖をつく。邪魔しちゃ悪いなと思い、俺も反対側の窓から外の様子を眺める。
今夜は雲が無いからか、月明かりが煌々と辺りを照らし出していた。
庁舎前に着くと、昨日と違いベルノルトの姿は無かった。今日から本格的に、姉と二人だけでの調査になるようだ。
送ってくれた警備隊と別れ、姉と二人で、高級な商店が集まる区域へと歩いていく。
俺達はディッテンベルガー商会の前をそのまま通り過ぎた。姉は大通りを時々立ち止まっては、辺りを見回している。
幾つかの店では店仕舞いの準備をしていた。そろそろ、人通りの無くなる時間らしい。
「あ、レオ、ここの豚ステーキは結構イケるわよ? 味付けは塩、胡椒、ニンニクっていう、ありふれたものなんだけどね。弾力があってアンタ好みの味だと思うわ。私やお母様には、ちょっと合わないかしらね」
「へぇー……うん?」
教えてもらった店の外観を確認していると、建物の屋上を何かの影が横切った様な気がした。
「姉さん、ちょっと待ってて!」
「えっ? どうしたのよ?」
姉の疑問に答えず、掛けていたカバンを姉に押し付け、建物の脇へと入る。そして、パルクールで上へ駆け上がっていく。
とはいえ、ちょっと狭すぎる上に、引っ掛かりがなさすぎた。仕方なく、途中から身体を大の字にするようにして、両手両足を使って登っていく。
「よっ、ほっと」
屋上に辿り着くが、誰もいなかった。手間取ったせいで、少し遅かったのかもしれない。
歩きにくい屋根を伝って、頂上から辺りを見回してみる。月明かりのおかげで、変身しなくても周囲の様子は分かるのだが……
一応、スマホでも確認してみたが、特におかしな位置に魔力反応は見つけられなかった。気のせいだったのだろうか?
身体強化で、屋上から姉の近くへ飛び降りる。
「ったく、どうしたっていうのよ?」
「屋上に誰かいたような気がしたんだけど、気のせいだったみたい」
「ふぅん、案外、犯人かしらね?」
「どうだろう? 犯人じゃなくて、俺みたいに夜中に遊んでる子供かもしれないよ?」
「アンタみたいなのが、そうホイホイいてたまるもんですか」
姉は肩を竦めると、互いのカバン、両方のカバンを渡してきて歩き出す。何故か姉の荷物持ちにされてしまった。
これで文句を言うと煩いだろうから、俺は何も言わず、そのまま後をついていく。
それからも姉はあちこち見て回り、大分夜も更けてから、俺達はディッテンベルガー商会の本店へと向かう。本店の前には、昨日の体格のいい男がいて、一人で暴れていた。
「何やってんの、アンタ? 子供に負けたのが悔しすぎて、とうとう気でも狂ったのかしら?」
「げっ!? 貴族の……アンタらがオレに、ここで待ってろって命じたんだろうが! そのくせ、中々現れないからこうして、鍛錬しながら待っていただけだ!」
男は恥ずかしいのか、腕を組んでそっぽを向きながら答える。
「今のが鍛錬だったの? 恥ずかしい男ね? 絶対、人前でやっちゃいけないわよ?」
「ムグッ!」
「おじさんは、ディッテンベルガーの用心棒?」
「お、おじ……オレはまだ三十二だ!」
「充分、オッサンじゃないの。それで、アンタはディッテンベルガーで何やってんのよ?」
「ったく、ガキってのは……オレは言わばまぁ、ディッテンベルガー商会の門客ってところだ」
「もんきゃくぅう? おじさん、あの程度の腕で、ただメシ喰らいさせてもらってんの?」
「う、うるせぇ! 昨日はガキだと思って油断しただけだ!」
「はいはい、御託はいいから、さっさとカギを開けなさいな」
「チッ、こんなのが貴族ってんだから、世も末だぜ」
男は不満を漏らしながら、裏口を開ける。そして、俺達の後に続こうとしたのだが、それを姉が止めた。
「門客なら門客らしく、外で待ってなさいな」
「し、しかし……」
「何も盗ったりなんかしないわよ。こう見えて貴族なのだから。それに、私たちの会話をアンタに聞かれたくないのよ。ディッテンベルガーが、この件に係わってないっていう証拠はないのだからね」
「なっ!? オレたちを疑ってんのか!?」
「当然でしょ? こっちは貴族だって明かしてるのに、昨日のアンタの行動は、犯罪がバレて自棄を起こした、と捉えることもできるのよ?」
「むぅ……」
姉の言葉に男はやけに素直に引き下がった。恐らく、あの後、リーヌス辺りに叱られたのだろう。
姉は休憩室に入ると、テーブルの上の魔導ランプに明かりをつけ、粗末な椅子に座った。すると、眉をしかめる。
「レオ、具現化でゲーミングチェアを創ってくれない?」
「いいよ」
きっと座り心地が良くなかったのだろう。俺はスマホを具現化して、ゲーミングチェアを創り出すよう命じた。
姉はゲーミングチェアに座ると、自分のトートバッグの中を漁りだす。紙の束やインク壺なんかを取り出していたのだが、途中でその手を止める。
「レオ、アンタ『板タブ』とか『液タブ』って具現化できる?」
「ああ、うん、出来るんじゃないかな? でっかい大人用の落書きスマホ、みたいなモンでしょ?」
「……まぁ、あながち間違ってないけど。こっちの世界に馴染みすぎて、すっかり忘れていたわ。あれがあれば、デザインなんてさっさと済むっていうのにね」
「ただ、どんな機能があるのかよく知らないから、教えてくれれば追加するよ」
「そう? なら液タブをお願い」
「ごめん、姉さん、板と液の違いが分かんない」
姉によると、パソコンのモニターを見ながら描くか、直接タブレットに描き込むかの違いだそうだ。俺が想像した、でかいスマホ、でいいらしい。
そうして、姉の事細かい注文が始まる。とはいえ、バイクの時のような複雑なデザインではないので、殆どは機能を付け加えるだけだった。
「これはいいわね。軽いし、熱くならないでしょうし、何より、レオの魔力で絵が描けるから、私は疲れないし」
俺の魔力で出来たペンを使うから、タブレットへ自由に絵が描けるようだ。ただ、まだ、絵を描くための最低限の機能しか備わっていないらしい。
「それは良かった。この暇な時間を使って、俺の装備品をデザインするの? どんなのを創るのさ?」
「んな訳ないでしょ。まだ、犯人を見つけてないじゃないの。報酬はまだ先よ」
「えー? それなら何を描くのさ?」
「その前に、アンタのスマホと、このタブレットを連動できる? 絵の保存とかしたいのだけれど?」
「そのタブレット自身に保存できるけど? どうせ、姉さんしか使わないし」
「バックアップは必要でしょ? それに、レオのスマホのデータが要るのよ」
「ふぅん? ま、いいけどさ」
俺はスマホを具現化して、連動するよう命じる。思ったよりも時間がかかっているようだが、程なくしてスマホから完了、と告げられる。
「ケーブルとか必要ないのは便利ね? 確か、そのスマホには地図作成機能があったわよね? この周辺の地図データを、こっちのタブレットに転送してちょうだい」
「だってさ、できる?」
「了解。――完了」
「あら? 所々、歯抜けになってるわよ?」
「ああ、それは俺が歩いてないか、眼にしてないところだよ。この辺りに来る機会は余りなかったからね。昨日と今日、歩いたところしか、地図が更新されてないんだ」
「何なの、そのデジタル機器だけを持たせた、伊能忠敬状態は? もっとマシな測量方法があるでしょうに」
「イノウタダタカ? 誰?」
「日本人なら――って、レオはまともに、学校へ通ってなかったのだったわね。昔、日本地図を作った偉人よ。ま、いいか。ええっと現在位置がここだから……」
そうして、姉はタブレットに何かを描き込み始めた。
測量方法か……人工衛星でも打ち上げればいいのかもしれないが、そんなの無理だしな。具現化以前に、俺の魔力が届かない。
そもそも、地図作成なんて今のままでも十分なんだよな。行き来する場所なんて、殆ど決まっているのだから。
知らない場所は、初めて目にするから面白いのであって、迷子にならない機能があれば、それだけで十分だろう。
「レオ、これを見なさい」
「この印は?」
「ここが私たちの今いる場所。この✕印が荒らされた店で、この大きな円で囲っているのが、次に荒らされそうな場所として警備隊の巡回が多い所よ」
「成る程、地図にすると、その辺りはまだ犯行に遭ってないのか……」
「ええ、それで、一件目と三件目、二件目と五件目は比較的、近いわ」
姉は地図上の✕印の横に、数字を描き込んでいく。
「それでどこを見張るの? ここからだと、三件目が近いけど?」
「私の予測だと、次は三件目か四件目の近くだと思うのよ。で、その近くの高級飲食店は六軒」
「俺たち二人じゃ手が足りないね?」
「そこで、レオの出番よ。各店舗に隠しカメラを設置できないかしら?」
「う~ん、ちょっと、三件目と四件目が遠いかなぁ? 片方だけに設置する?」
「いいえ、私たちはここで待機するわよ。せっかくタブレットもあるのだし。ここで映像を確認したいのよ。私たちの姿を見られると、犯行に及ばないかもしれないし」
「そうかも知れないけど、う~ん、ちょっと難しいかなぁ……」
「それは、距離だけが問題なの?」
「そうだね、距離の問題だね。片方に設置して、もう片方へ移動すると、設置したのが消えちゃうと思う」
「ふぅん、距離、ねぇ……」
姉はタブレットに目を落とすと、ペンでトントン、と画面をつつきだす。暫くそうしてから、俺へ視線を向けると話し出した。




