寝る子は育つ
若い男が、ディッテンベルガー商会の本店を覆っている鉄の柵をほんの少し開き、鍵を使って裏口から中へ入る。階段で四階まで上がり、一つの部屋へ通された。
「こちらは、うちの者が、休憩のために使う部屋となっております。貴族様をお迎えするのには相応しくないとは思いますが、こちらでよろしいでしょうか?」
「充分よ、もっと埃っぽい、倉庫にでもなってるのかと思っていたから」
その部屋は、板の床に石の壁、通りに向かって窓があり、中央に大きなテーブルと背もたれも無い丸椅子が数脚並べてあった。
この四階は元々、ディッテンベルガー商会の一族が住んでいたらしい。新店舗に殆どの機能が移ってしまってからは、休憩室として使っているそうだ。
この部屋は調理人と下働きの者が食事を賄う為の部屋だったそうで、窓際の一部には古ぼけた炊事場もある。
姉は一通りその部屋を見て回った後、男に告げる。
「私たちに伸された男がいたでしょう?」
「ハンスですか?」
「名前なんか知らないわよ。あの男を明日、ここの営業が終わってから待たせておきなさい。店の鍵を持たせてね」
「な、何故、ハンスを?」
「あの男がディッテンベルガー商会で、どういった役回りなのか知らないけど、私たちの様な子供に伸されるのよ? 少しは、マトモな仕事をさせなさいな」
「わ、分かりました……他に何か、ご用向きはございますでしょうか?」
「別にないわ。じゃあ、今日のところはこれで引き揚げましょう」
そうして、俺達は男と別れ、ディッテンベルガーの本店を後にする。
「ふぁああああ……」
「なぁに? レオ、アンタ眠いの?」
「うん、ちょっと……」
「アンタ、真夜中に抜け出して、秘密の特訓をやってるんじゃなかったの?」
「……あれは、たまに夢の中で変身していると、興奮しちゃって夜中に目が覚めるんだよね……それで、居ても立ってもいられなくなって、こっそり邸を抜け出しているんだよ」
「夢にまで見てんの? レオみたいなのを、度し難いバカっていうのかしらね?」
「もう、バカでも何でもいいや……ふぁああ……早く、横になりたい」
眠たくて、姉に言い返す気力が沸いてこない。
「だから、お爺様との修行は程々にって言ったじゃないの」
「いや、昼寝してた姉さんと違って、もうかなりの時間、寝てないからね?」
「ったく、しょうがないわねぇ。ホントはもう少し見て回るつもりだったけど、明日でいいわ」
意外とタフな発言をする姉と並んで、人気のない領都を歩いていく。ああ、そうだ、忘れない内に尋ねておこう。
「姉さん、リーヌスが焦ってたけど、ディッテンベルガー商会の秘密って何なの?」
「ああ、あれね……何年前だったかしら? とにかく、庁舎の書類仕事を手伝っている時にね、ディッテンベルガーだけ、魔紋の衣装に関する収支が、他の商会よりも少ないのに気付いたのよ。まぁ微々たるもの、といってしまえばそれまでだけど、学園に行ってその理由が分かったの。私やお母様がデザインした衣装を、王都の商会に卸していたのよ」
「へぇ? それって何かの犯罪になるの?」
「黒に限りなく近い灰色って感じかしらね? 考えてもみなさい? グローサー家が購入した物をこの領に還元せず、王都へ持ち出しているのよ? 王都で商売を行ったから、その売り上げの一部は、税として王都に収められてるってわけ」
「ってことは、グローサー領の資金が王都へ無駄に吸われてる?」
「そう、まさか、前世であった『タックスヘイブン』もどきをやる商会がいるとは、思いもしなかったわ」
「何、その『タックスヘイブン』って?」
「う~ん、こっちの言葉じゃ説明が難しいわね。『企業が税金の安い国に会社を作って、本国に収めるべき税金をちょろまかす方法』……って言えば分かるかしら?」
「ふぅん?」
「よく解ってなさそうね……ま、グローサー家からすれば、気のいい話ではないわよね」
「そうだね。父さんや母さんは知ってるの?」
「お母様にだけは報告しておいたわ。どういう対策を取るのかは、私の与り知らぬところよ」
長年、祖父が贔屓したせいで図に乗っちゃったのかな? 俺としては、衣装なんて何処の商会に代ろうともどうでもいいのだが、祖父はショックを受けるだろうなぁ。目を掛けていたのに裏切られたようなものだから……
そうして、庁舎前で待機していた数人の警備隊と合流する。その中に、懐かしい男が待っていた。
昔、牧場へ行って迷子になりかけた時、警護についていたネーポムクだ。
「久しぶりだね、ネーポムク。少し老けたんじゃない?」
「ハハハ、お久しぶりです、レオン様、エリー様。そういう、お二人は随分と大きくなられました。子供の成長というものは、あっという間ですなぁ……ヴィムの奴は上手くやっていますか?」
「ええ、この前、新入りの警備隊員に何やら偉そうに説明していたわ。仕事の上での失敗は特にないけれど、あれは大して出世できないわね」
「全く、アイツは……昔っから調子に乗りやすいところがあったのです。今度会ったら、きつく締めねばなりませんね」
「ネーポムクの方はどう? 領都の警備隊に回されて、上手くやれてる?」
「事件と言っても、酔っ払い同士のケンカとか、置き引きがどうとかくらいですからねぇ……大きな事件が起きないのはいいことなんでしょうが、これでは、警備隊の質が下がっていくというものです」
ここにも祖父のやった事に対して、懸念を示す人がいたのか……
「起きたことは覆せないでしょ? 今を嘆いてる暇があるのなら、少しでもよりよくなるよう考えなさいよ」
「ハハ、これは一本取られました。それで、今夜は邸へ帰りますか?」
「ええ、ただ、私は歩いて帰るわ。レオは眠そうだから馬車で先に帰んなさい」
「え? 姉さんどうしたの?」
「ちょっと、歩きながら考えをまとめたいのよ」
「ふぅん? じゃあ、俺も付き合うよ」
「どうして? 眠いんじゃなかったの?」
「父さんと母さんから、姉さんを一人にするなって言われてるんだよ」
「フン」
姉は鼻で笑いながら、スタスタと先へ歩き出す。俺は姉の後を追い、ネーポムク達、数人の警備隊がその後に続く。
噴水広場まで戻ってくると、未だ煌々と明かりの点いている店や露店の多くがあった。出歩いている人はそれ程いないが、どの店からも賑やかな雰囲気、哄笑や嬌声が伝わってくる。
そのまま、噴水広場を通り過ぎようとすると、ガラガラッと何かが崩れ落ちる音がする。そちらに目をやると、若い男が木箱の下敷きになっていた。
「ただの酔っ払いですよ、心配には及びません。おい」
ネーポムクが警備隊員に目配せすると、二人がその男の元へ向かう。二人は慣れた様子で、酔っ払いを介抱しだした。
「この時期になると、よくいるのですよ。浴びるほど酒を呑んで、前後不覚になる若者が……夏とはいえ、こんな所で寝られると体調を崩したり、事件に遭うかもしれませんので、警備隊では一応保護しております」
「へぇ」
「どうせ、理由は惚れた女にフラれた、とかでしょう? 警備隊も大変ね?」
「ハハハ、まぁこれが職務ですから……」
ネーポムクは頬をポリポリ掻きながら苦い顔をしていた。聞くと、意識を取り戻した彼等に事情聴取をすれば、大概がくだらない理由なのだそうだ。
姉が言ったように、フラれたのでヤケ酒をした者から、逆に告白が上手くいって仲間に祝われたり、単純に罰ゲームで呑み過ぎてしまった者まで、色々といるそうだ。
そうして、領都の門衛と軽く挨拶を交わし、石橋を渡る。邸へと続く道を歩いていると、姉が呟いた。
「なんだか、小腹が減ってきたわね」
その一言で、ハンネから夜食を預かっていたのを思い出す。
「姉さん、夜食があるんだけど後で食べる?」
「何を持ち込んでるのかと思っていたけれど、お弁当だったのね。いいわ、そこで食べましょ」
そういうと、姉は手を突き出しクルリと掌を上に向け、指を立てる。すると、街道から逸れた位置に土魔術で土台、ベンチのような物を創り出した。
俺は肩にかけたカバンから、小さな籐籠を取り出しつつ、一緒に具現化でタオル地の布も創り出す。
「姉さんは、これの上に座るといいよ」
「あら、レオの癖に気が利くじゃないの。魔術で出来ているから、別に汚れたりはしないけれど、こういう気遣いのできる男はモテるわよ」
「そう? ブルーメンタール侯爵のフリーデグントは、どんな女でも褒めとけばいいって言ってたけどさ」
「そうね。でも、褒め方にも色々あるわよ? 余りにも的外れだと、何言ってんのこいつは? ってなっちゃうから気をつけなさいな」
俺と姉は土魔術のベンチに腰掛け、ハンネの弁当を開く。中にはサンドイッチとカラアゲが入っていた。ディッテンベルガーの男と争ったせいで、少し片側によれてしまっているが、食べられなくはない。
サンドイッチは蒸した鶏肉を割いたものが入っていた。胡麻ダレの風味にトマトやキュウリがよく合う。
「結構イケるじゃないの。あの子、調理の才能があるんじゃないの?」
「最近は料理にはまってるんだって。暇があれば、邸の調理場に出入りしてるみたいだよ」
「ふぅん……」
ネーポムク達にもカラアゲのお裾分けをして、夏の夜の星空を見上げながらサンドイッチを頬張る。ぼんやり眺めていると、手を伸ばせば星に手が届くんじゃないか、そんな錯覚に陥る。
そうして、気が付くと俺は邸の自室のベッドの上で目が覚めた。どうやら、あのまま眠ってしまったらしい。
「あ、レオンハルト様、お目覚めになられたのですね? 昨夜、エリザベート様と、食事をしている最中にコテンと横になってしまったそうです」
部屋で待機していたハンネが、昨夜の出来事を教えてくれる。突然、眠ってしまった俺を、ネーポムクが背負って邸まで運んでくれたそうだ。
「体調の方は如何ですか? 領主様は余程眠かったのだろう、と笑っておられましたが、マーサさんが心配していましたので……」
「マーサが?」
「ええ、幼い頃のレオンハルト様はよく無理をして、長時間、眠ることがあったそうで……」
「ああ、うん、大丈夫。昨夜は無理をしたんじゃなくて、ホントに長いこと寝てなかったからだよ」
「それを無理しているというのですよ。子供の頃は、眠くなったのなら素直に眠ってしまえばよいのです。睡眠は、身体の成長にも繋がるといいますし……」
ハンネの言葉にドキリとする。
それまでは、気にもしていなかったのだが、この前の、オストミアの街での修行の時から、少し気になっていたのだ。同い年の子供達と比べて、自分の身長は少し低いんじゃないかって……
寝る子は育つ、ってのは前世のことわざであったけど、この世界でも通用する事柄なのだろうか? そういえば、姉はやけに睡眠時間を気にしていたような……
「どうされます? もう一眠りしておきますか?」
「いや、もう十分だよ。爺ちゃんとの修業を疎かにするわけにはいかないし、訊いておきたいことがあるんだよね」
「そうなのですか? とはいえ、まだ昼食前です。よろしければ、先にお風呂を済ませてください。その昨夜から着たままの衣装も、洗濯に回したいですし」
「へーい」
風呂場へ向かう途中、何人かの使用人に体調を気遣われる。彼女達を適当にあしらい、風呂から出ると昼食の時間になっていた。
「げっ!?」
昼食の席に着くと、トマトとエビの冷製パスタと一緒に、赤紫の野菜をメインにしたサラダが添えられる。この赤紫のレタスのような野菜はとにかく苦いのだ。
それを大して調理もせず、目の前に出されるのは、嫌がらせとしか思えない。
「坊ちゃま、今回は罰則ではありませんが、念のためにブラウクラウトもお召し上がりください。フロレンティア様が心配してらっしゃいましたので」
出された料理に手が止まっていると、それを見たマーサが声をかけてくる。マーサのいう罰則とは昔、昼過ぎまで寝て朝食を食べなかったのを理由に、この赤紫のレタスを出されていたのだ。
一応、栄養価が高く、健康にいい食材とされていて、生で食べるのが一番いいそうだ。ただ、子供の頃は誰もが嫌いな食材の一つでもある。大人になってからも苦手だという人は多い。
それを出す事によって、マーサは俺が魔力を扱って、限界まで遊ぶのを防ぎたかったらしい。まぁ、俺は懲りずに遊び続けたのだが……
ただ、まぁ、この俺を甘く見てもらっては困る。俺は先に冷製パスタを口にして食べきった。そして、マーサにこう告げるのだ。
「おかわり!」
「まぁ、珍しいことで。坊ちゃまが、おかわりをするだなんて。坊ちゃまも年頃の男の子ですものね。それでは、サラダを食べきれば御用意いたしましょう」
「うぇっ?」
「それで、お腹一杯になってしまえば、パスタが無駄になってしまうでしょう?」
「ぐぬぬ……」
流石は子育ての手練れである。俺のパスタで腹一杯になって、サラダを残そうという目論見なんて一瞬で見抜かれたらしい……
くそぅ、俺はドレッシングをたっぷりかけて、サラダに手を出す。やっぱり、苦いなぁ……
「そんなに、ドレッシングをかけてはしょっぱいでしょうに……それで、パスタのおかわりはしますか?」
「……いらない」
マーサにやり込められてから、俺はハンネと共に、領都へ向かうのだった。文字通り、苦い思いをしながら……




