オストミアの街
ユッテが去って“秋の終わり”になると、姉は学園へ向かうため、王都へと旅立つ。冬の間だけ王都の学園に通うのだ。母もブルーメンタール家との取り決めがあるから、と姉と共に王都へ向かってしまった。
それまでの間、マグダレーネは王都から戻ってこず連絡も一切ない。俺は、姉と母にマグダレーネの様子を探ってきて欲しいと頼み、彼女達を見送った。
その数日後、俺は祖父に誘われ、朝から馬車に乗って邸を離れる。
「爺ちゃん、どこへ行くの?」
「領の東にあるオストミアの街じゃ。海産物の豊富な街でな、近くには海もある」
「へぇー海かぁ……もう、海で泳ぐって季節でもないけど?」
「ガハハ! 度胸試しには持って来いじゃが、今回の目的はそれではない」
この世界でも海水浴みたいな事はするが、それは池や湖の畔でするものだ。海は沖合に行けば行くほど強大な魔獣が潜んでいて、そいつ等が暴れ回るので波が大きくなったり小さくなったりする、なんて考えられている。
前世では月の引力や、風が吹くから波が起こる、なんて言われていたような気がするが、この世界だと魔獣のせいだ、と言われれば、そんな気もしてくる。
なので、祖父が言うように海で泳ぐのは度胸試し、なんて言われたりするのだ。
「ばあさんの戻ってくる様子がないからな。せっかくのレオンの優位性が台無しじゃ。そこで、修行の段取りを変えるわけじゃな」
「俺の優位性?」
「うむ、レオンと同じ年の者は、そろそろ本格的な魔術訓練に入る頃合いじゃ。レオンの場合、他の者が身体強化の習得に苦慮する段階を、すっ飛ばしたじゃろう? そこで、他の者よりも一年早く魔術訓練に入れる筈じゃったのが、ばあさんの指示で取りやめになってしまった。二人とも特殊な事情が絡んでおるから、儂がとやかくいってレオンの特質を失わせる訳にもいかん」
「ふうん……でも、爺ちゃんが教えてくれた魔術の話は覚えてるよ? 火は氷を溶かす、みたいな属性間の強弱とか、球よりも矢、矢よりも槍の形にした方が魔力は込められるとか」
俺の答えを聞いた祖父は、片方の眉を上げ意外そうな顔をした。
「ほう? たった一度だけの魔術訓練を覚えておるのか? それにしては、ディートの座学はイマイチのようじゃが? この前、ディートが自分の教え方が悪いのか、とブツクサ言っておったぞ?」
「ハ、ハハハ……そ、それで、オストミアの街で何をするの?」
俺はそっと祖父から目と話を逸らす。祖父の話を細かく覚えているのは、俺が寝る前にスマホで確認しているからだ。父との勉強の話は、まぁ、多分、その内、メイビー……
「勿論、レオンの修行じゃ。儂との訓練だけでは得られないものがあるのでな。それと、レオンの具現化魔術を活かすための儂なりの考えもある」
「へぇ?」
「ま、着いてからのお楽しみじゃ」
道中、小型の耳の長い兎のような魔獣数匹と出くわすが、一緒についてきていた警備隊の数人が倒してしまった。
風属性の適正しかないと嘆いていたヴィムが、新入りの警備隊員にあれこれと倒した魔獣の取り扱いについて説明している。
その様子を馬車から降りて眺めていると、何処からともなく、ズゥン、ズゥンとかメリメリ、バキバキと不穏な音が聞こえてくる。
「げっ!?」
振り返ると、背後にある森から背の高い木を薙ぎ倒して、長い首をした超巨大な魔獣がこちらを覗いていた。恐らく、その長い首を伸ばせば、周囲の大きな木よりも更に高くなるだろう。
「じ、爺ちゃん、魔獣が!」
俺は慌てて祖父に振り向くと、祖父も巨大な魔獣を見ていた。
「レオンよ、あれは魔獣ではない。図体はでかいが、ダイノロスというただの草食動物じゃ」
「あ、あれがただの動物? あんなのが襲ってきたら一溜りもないんだけど……」
「フッ、心配いらん。儂らの匂いを感じとると、直に森の奥へ引き返していくじゃろう」
「え~?」
人が嫌いな動物なんだろうか? 祖父の言葉を疑わしく思いながら、暫くその巨大草食動物の様子を眺める。
白いボサボサの体毛に覆われたソイツは、木々のおかげで全体像が分からない。鼻、と思われる辺りをひくひくさせると、祖父の言う通り引き返していった。バキバキと木々を薙ぎ倒しながら戻っていく様子は、草食動物というよりかは森の破壊者だ。
王城のやけに大きな城門にも納得がいく。あれだけ大きな生物がいるのならあの大きさは必要だろう。
「ホントに帰っていった……」
「ヴィム、急いで領都へ戻り、魔獣討伐隊にこの辺りを調べるよう指示を出してこい。ベルノルトに儂からの緊急命令じゃと伝えれば、円滑に進むじゃろう」
「ハッ、了解です!」
祖父の指示を受け取ったヴィムは、馬に跨り去って行った。
「爺ちゃん、やっぱりアイツを退治するの?」
「うん? いや、森の守護者でもあるダイノロスを退治したりはせんよ」
「守護者?」
「うむ……この辺りには村も集落もないじゃろう? 人が住まぬ地域はあっという間に森に侵食されてしまう。農作地がないから余計にな。そうなると、街から街への行き来に支障をきたすじゃろ? そこでダイノロスのような動物を利用するわけじゃ。放っておけば森の浸食を止めるし、人と出会えば直ぐに逃げてしまうからな。人からすれば益獣じゃが、森に棲む動植物にとっては害獣なんじゃろうな」
「へぇ……魔獣討伐隊を呼ぶのはどうして?」
「ダイノロスが、こんな街道付近まで出てくるのは珍しいのでな。先ほど始末した小物の魔獣程度ならダイノロスも物ともせんが、もしかすると、大物が沸いたやもしれん。一応、確認させておこうと思ってな」
「じゃあ、指示を出しに一旦、領都へ戻る?」
「いや、このままオストミアへ向かう。場合によっては、調査には何日もかかるからな。儂はオストミアで報告を受けながら、指示を出すつもりじゃ」
そうして、俺達は改めてオストミアの街へ向かう。
昼下がりの丘に沿って建つ街並みは、青と白という印象だ。建物や屋根には様々な色があるが、空と海と雲がそういう印象を持たせるのだろう。
街門に着くと、数名の警備隊員と、街の代表者の代理だという壮年の男性が出迎えてくれた。壮年の男性の話では、代表者は足を悪くしていて、出歩けないのだそうだ。
「そうか……では、そろそろ其方と交代か?」
「いえいえ、小童には任せられん、と父はまだまだ仕事をする気ですよ。全くあの元気はどこからやってくるのか……」
「フッ、くれぐれも無理せんよう伝えてくれ」
そこで代表者代理達と別れ、そのまま宿へ向かう。三階建ての宿に着くと、入り口で祖父に命じられる。
「レオン、荷解きが終わる前に出かけるぞ。運動着に着替えてこい」
「ほい」
「グレータ」
「はいはい、解っておりますよ、フュルヒデゴット様」
祖父の世話についている年配の使用人に祖父が声を掛けると、彼女は祖父に最後まで言わせず行動に移った。ヴィムは帰ってしまったが、一緒にやって来た他の警備隊員達を使って荷運びさせる様だ。
この白髪で皺だらけの祖父の使用人とは、殆ど会話した事が無い。影が薄いというか、余り表に出てこない影のボス的な感じだ。マーサですら、彼女に対して何か命じている様子はない。
俺からすれば何とも掴みどころのない人物だが、彼女は祖父が子供の頃からずうっと祖父についている使用人なのだ。マーサの様に子供の手が掛からなくなったから、と復帰したのではなく、子宝に恵まれなかったらしい。
祖父と彼女の様子からすると、長い年月をかけて築き上げた関係なのだろう。
俺とハンネは、宿の従業員に案内してもらって三階の部屋に入った。ベランダのあるテラス戸からは、建物の隙間を縫って海がかろうじて見える。
ハンネに持って来てもらった運動着に着替え、祖父の待つ宿の玄関先に向かう。
「来たか、では行くぞ。お主らは一人か二人を宿に残し、後は自由にするといい。ちょっとした休暇じゃな」
「ハッ」
領都とはまた違った雰囲気の街中を、祖父と二人で歩いていく。領都に比べて通りの幅が狭くて坂道が多く、何と無く、ごちゃごちゃしているからだろうか?
「レオンよ、これから行く先では、お主は儂の孫ではなく、ただの弟子じゃ。会う者に、お主が貴族だと明かしてはいかん。儂のことは師匠と呼べ」
「へ? どうして?」
「お主が貴族だと知ると、相手が手心を加えるかもしれんからな。それでは、レオンの修行にならぬ」
相手がいるって事は、試合でもさせられるのかな?
「成る程、分かったよ、じい……師匠。なんか変な感じがするなぁ。師匠はその格好だと貴族だってバレちゃうけどいいの?」
「儂は面が割れとるからの。どのような格好をしようとも、今更じゃ」
「ふぅん」
坂を下っていくと、海沿いに出る。これが磯の香り……なんだろうか? 波止場には何艘もの船が止まっていて、人の気配があまりない。竿を持った釣り人が数人いるだけだった。漁はもう終わったのかな?
そのまま、祖父について海沿いの道を歩いていくと、一軒の小さな木造の小屋がポツンと建っているのが見えてくる。囲いも無く周りには何もない。
祖父はその小屋の扉を、ガラガラと横へスライドしながら引き開ける。この世界で引き戸なんて珍しいな、と思いながら、祖父の後について中へ入った。
「なんだ? 今日はやけに早い……むっ!? フュルヒデゴットではないか!」
土間があって、すぐに板の間があり、その奥に一人の老人が寝そべっていた。白髪で蓬髪の老人は俺達に気付くと起き上がり、こちらに向かってくる。
「久しいな、スヴェン。弟子が一人もおらんが、いよいよ廃業か?」
「アホ抜かせ、皆、まだ、仕事中だろう。そろそろ集まってくるとは思うが……それより、そっちの小僧は?」
「初めまして、フュルヒデゴット様に師事しているレオンと申します」
「ほう?……見たところ領都の金持ちのボンボン辺りか? ワシの所へ来れば、フュルヒデゴットより凄い技を教えてやるぞ? 金さえ持ってくればな?」
「あ、いえ……」
どう断れば失礼にならないのかな? と迷っていると、祖父が板の間にドスンと腰掛ける。
「フン、身体強化も使えぬお主よりも、既にレオンの方が遥かに強いぞ?」
「え?」
身体強化が使えないって……?
「チッ、それで、今日はその小僧の武者修行といったところか?」
「そんなところじゃ。それより、お主は客に対して茶も出さんのか?」
「なぁにが客だ? 突然押しかけてきおって。客なら手土産の一つくらい持ってこんか。ちょいと待っておれ」
スヴェンと呼ばれた老人は土間へ降りると、石の台の前でしゃがみ込んで、手にした石をカチカチと打ち鳴らす。暫くそうやっていたのだが、見かねた祖父が立ち上がり傍へ寄って行く。
「ええい、まどろっこしい、退け」
「む?」
祖父が手を翳すと、そこに火が熾る。老人は脇に置いてある薪を何本か取り出し、そこへくべると、石の台へ鉄瓶を乗せた。
これは、竈……かな? 魔導具があるのに、何故こんな物を使っているんだろう?
暫くすると鉄瓶から湯気が噴き出る。老人は湯呑みを用意して、そこへ鉄瓶からお湯を注ぎ、俺達に差し出す。
祖父が一口啜ると文句を付けた。
「なんじゃ、白湯ではないか。もっとマシなモンはないのか?」
「フン、お前が贅沢な生活に慣れ過ぎとるだけだ。一般庶民の暮らしなどこんなもんだぞ?」
「嘘つけ、お主がぐーたらしとるから、こんなにも貧乏なんじゃ。さっきも何もせず寝転んでいたではないか? 一般庶民は皆、もっと真面目に働いとるわい」
「フン!」
この人は祖父とどういう関係なんだろう? 貴族である祖父にタメ口が過ぎるような……
『一般的な平民なんてあんなモンだ。口さがない態度はいただけないが、あれしきのことで一々目くじら立てるんじゃないよ?』
ふと、マグダレーネがそんな事を言っていたのを思い出す。それでも、二人の間柄は、貴族と平民の間柄を超えたものがある気がする。
俺が二人の関係を疑問に思っていると、外から何か賑やかな声が聞こえだす。ガラガラと引き戸を開けて入ってきたのは、俺より少し年上くらいの少年達だった。
「あれ? 誰だ?」「お客さん?」「珍しい……」「も、もしかして貴族様?」
「お前ら、ちゃんと挨拶くらいせんか! 相手は貴族だぞ?」
「なんで貴族様が?」「こんちはー」「ちわーっす」
「お、お前ら……まともに挨拶もできんとは、親は何を教えておる?」
スヴェン老人が嘆くと、少年達は顔を見合わせる。
「父ちゃんも母ちゃんも、貴族様への挨拶の仕方なんか教えてくんねーけど?」
「だよな?」
「それより、スヴェン爺は貴族様と知り合いだったのか?」
少年達がガヤガヤと喋りだすと、祖父が立ち上がる。
「ガハハッ、元気があってよい。今日はお主らに用があって、このボロ小屋まで足を運んだのじゃ」
「え? オレたちに?」
「うむ、儂は今、このレオンを弟子として育てておる。お主らはこのスヴェンに教えを乞うておるのじゃろう? そこで、このレオンとお主らとで力比べをせんか?」
「おーやるやる、な?」「うん、やろうやろう」「いつもコイツらの相手ばかりで飽きてたんだ」
少年達はワイワイ騒ぎながら外へ出て行く。と、思ったら一人が引き返してきた。
「スヴェン爺、これ、母ちゃんが持ってけって」
少年がスヴェン老人へ、背負っていたザルのような物を渡す。魚臭さを感じたので魚籠かもしれない。
「おお、いつもすまんな。ワシが礼を言っていたと伝えておいてくれ」
「いいって、いいって。金を持ってないオレたちが悪いんだからさ」
そういって、彼も外へ飛び出していく。
何と無く、このスヴェン老人の暮らしぶりを察する。恐らく、この辺りの裕福でない子供達に戦い方を教え、代償に物品を受け取っているのだろう。
そうして、彼に続いて俺も外へ出ようとすると、祖父に呼び止められ一つの指示を受けるのだった。




