夏の祭り
頬から伝った汗が滴り床に落ちる。それとほぼ同時に、水時計の上部から水が落ち切って一刻が経った。俺は基本姿勢を解いて、その場で座り込んだ。
「うむ、刻限じゃな。昨夜、基本姿勢を刻限まで維持できるようになった、と聞いた時には少し驚いたが……レオン、お主、暇があれば独りで鍛錬しておったな?」
「うん、早く次の段階に進みたくってさ」
「そうか……少し休憩したら、次の段階に進むか?」
「うん!」
俺の返事を聞いた祖父はニッと口角を上げる。
季節はすっかり夏になり、練武場内は窓を全て開けているとはいえかなり暑い。俺は祖父に一言断って、練武場の入り口に用意して貰った魔導具の冷却箱から水筒を取り出し、果実水をガブガブ飲む。
「プハー……マグちゃん、全然、戻ってこないね? 元気にしてるのかなぁ?」
「どうじゃろうなぁ……今回は必ず手紙を寄越せと言ってあるが、めんどくさがりなばあさんが手紙を出すかどうかは分からんしな」
「王命って何なんだろうね? マグちゃんにしか出来ないことがあるのかな?」
「さぁのう。あれで長く生きているだけでなく、国内の様々な場所を旅してきておる。知見だけなら国内随一じゃろうが……ま、ばあさんの心配などするだけ無駄じゃ。今の内に修行を進め、次に会った時、驚かせてやるとよい」
「そうだね」
マグダレーネはこの前、祖父と対決した長髪の男と共に王都へ向かってしまった。護衛として、魔獣討伐隊を数名付けたが彼等は既にグローサー領に戻っている。
「王家のツケで高級店に入り浸ってやるさ」
グローサー領を去り際、そんな軽口を叩いて彼女は去って行った。
俺は水筒を冷却箱に戻し、練武場の中央へ戻る。
「さて、レオン、武術ではよく、柔よく剛を制す、剛よく柔を絶つ、と技法を論じる場合が多い。勿論、技法なのでどちらが良い悪いではない。この前、レオンはばあさんに転がされたじゃろう? あれが柔の技法。そして、儂がわざと手加減して、王宮からの使者を打ち倒したじゃろう? あの時に用いたのが剛の技法じゃ」
「あ、やっぱりあれは手を抜いていたんだね。もしかして、俺に見せるため?」
「それもあるが、生かして帰らせるつもりじゃったからな。殺める気はなかったが、大怪我させて長期療養させるつもりもなかった。よいかレオン、戦闘の理想とは一撃必殺じゃ。とはいえ、相手もバカではない。様々な方法で防御し反撃してくるじゃろう。その時、相手の予想もつかない攻撃方法だと決まりやすいわけじゃな。じゃから、武術では様々な攻撃方法、技がある。が、先ずは基本技をしっかりその身に沁み込ませねばならん。でないと、どんなに難しい技を使っても相手はピンピンしとるじゃろう」
「成る程……」
「それと……今からする話は、決して誰にもするなよ?」
祖父は少し前屈みになって、小声になる。
「え? ええと、母さんや、姉さんにも?」
「そうじゃ、特にディートやフローラにはな……どうじゃ、約束できるか?」
「うん、分かった、男と男の約束だね」
「よし、王都の学園でも戦闘訓練の授業はあるが、講師の言うことは真に受けぬようにな」
「え? どうして?」
「先程、儂は武術には剛と柔の技法があるといったじゃろう? 学園でもそういう教えがあるにはある。が、理論や理屈ばかりが先走っていてな。剛と柔を分けて考えておる。分けて教えるのは理にかなっとるように思えるが、それでは武術の一面をなぞっておるだけじゃ。戦闘を生業にする気がない者なら、それで構わんのじゃが……それに、学園ではどちらかというと、属性魔術を重視しておるしな」
「ええと……武術は剛と柔の技法を同時に学ぶのがいいってこと?」
「いや、武術では剛柔合切といってな、剛の技法の中に柔があり、柔の技法の中に剛がある。本来は長い修練の中で気付かねばならんから、今は理解できずともよい。それでは、まずは基本の突きからじゃな。いいか……」
そうして、俺は祖父の指導の下、基本的な突きを習い始める。俺自身に変な癖がついているらしく、ゆっくりとした動作を繰り返し、何度も祖父に注意を受けていると時間だけが過ぎていく。
「うむ、大分よくなったな……この突きの動作には武術の全てが詰まっているといっても過言ではない。……うん?」
祖父が振り返ると、ユッテが練武場の入り口に現れた。
「レオ様、そろそろ時間になります」
「ふむ、では、今日はここまでじゃな。レオン、余り夜更かしするなよ?」
「うん、爺ちゃんも余り呑みすぎないようにね?」
「ガハハハ……フローラが煩いじゃろうからな、ま、程々にしておくわい」
清掃を終わらせ、窓を閉め切ると俺達は練武場を出た。
今日から夏祭りの準備が始まるそうで、既に露店なんかが出ていて商売が始まっている。
祖父達は一応その様子を見て廻るのだそうだ。商人達から申請された通りに経営されているかのチェックらしいのだが、形式上の話だけで、ベルノルト達、庁舎の者が既に確認を終わらせているそうだ。
庁舎のシャワールームで汗を流し、着替えを済ませる。ユッテと共に一階へ降りると、一緒に領都の様子を見に行く約束をした姉はまだいなかった。
「ユッテが子供のころは、夏祭りでどんなことをしていたの?」
「そうですねぇ……洗礼式が終わるまでは両親と、終われば子供たちだけで楽しんでいました。近所に住んでいる年上の子が引率してくれたりしましたね」
「へぇ……あ、姉さん」
ユッテと話していると、庁舎に母と姉が入ってきた。
「待たせたわね、レオ」
「いや、今来たところだよ」
「ユッテ、これがレオの予算よ。レオ、足りないとは思わないけれど、もしもの時は貴族証を提示しなさい。店によっては対応してくれるわ」
「はーい」
母がユッテにお金が入っている布袋を渡す。
俺の予算とか言っているが、要はお小遣いである。姉のように庁舎の仕事の手伝いをすれば増やしてくれるそうなのだが、正直、書類仕事なんてさっぱりだ。
姉に聞いたところ、単純な計算をするだけらしい。しかし、今の俺は祖父との修行に精一杯で、お金があっても領都の店へ出向く余裕がない。
それに、祖父によると、魔獣討伐の手伝いをした方が断然、稼げるそうなので、俺としてはそちらを狙っている。
「じゃあ、行きましょうか」
姉と一緒に庁舎を出て歩きで、黄昏の街の中へ向かう。
「姉さん、椅子の進捗具合はどうだった?」
「あれねぇ……さっき、お母様とどんな具合なのか見てきたけれど、ダメ出しを一杯してきたわ。図面を引かせるだけで、あれだけ時間が掛かるんだもの。完成はいつになるのか見当もつかないわね」
「そうなんだ……」
随分前に祖父の仕事が落ち着いた頃、姉も時間ができたというので、庁舎の姉の部屋でゲーミングチェアを具現化する事になった。
お互い訓練があるのと、姉が事細かくいちゃもんを付けてくるのとで、完成するまで十日以上も時間が掛かってしまったのだ。
ただ、姉が納得するだけあって、その座り心地はかなり良く、ついでに俺も注文することにした。
それからが色々と大変だったのだ。
グローサー家と職人との間を取り持つ、御用聞きの商人は何人かいる。その中の家具を扱う商人は専門にしているだけあって、ゲーミングチェアの価値は分かるのだが、設計の仕方は分からない。
そこで直接職人を呼ぶとなったのだが、職人が貴族と面会するのには問題があるのだそうだ。商人の面子とか、職人の礼儀作法とか色々あるらしい。
周囲の反対とか煮え切らない商人の態度に、痺れを切らせた姉が母に話を通そうとする。すると、母も興味を持ってしまい、母の主導で、ゲーミングチェアの製造が決定してしまった。
母と姉が庁舎へ職人を呼ぶ度に、俺は何度も具現化魔術でゲーミングチェアを用意するハメになってしまったのだった。
ま、俺自身、既に具現化できるので、自分で用意すればいいだけなんだけどね。
「やっぱり、『リクライニング』と『フットレスト』に難儀しているようだったわ」
「具現化じゃあ、中の構造は分からないからね。職人に頑張ってもらうしかないよ」
「どうせならもっと使える能力だったら良かったのに……これじゃあ、私の想定している理想の実現には程遠いわ」
「え? まだ、何か造るつもりなの?」
「う~ん、レオの能力が思ったよりも使い勝手が悪かったから、もう少し練ってみるつもりよ。だから、職人では無く、レオに期待してるわ」
姉はパンと軽く俺の肩を叩く。
「いいけど、ちゃんと報酬は用意してもらうからね」
「はいはい、分かってるわよ」
街中へ繰り出すと、既に大勢の人で賑わっていた。賑やかな、活気に満ちた空気の中に、甘いような、しょっぱいような匂いも混ざっている。
様々な露店が出ているようで、人々は店先に陣取って飲んだり食べたり、行儀悪く歩きながら串焼きの様な物を食べてる人までいた。
「わぁ、なんだか皆、楽しそうだね」
「あ、そうか、レオは祭りの雰囲気に触れるのは、これが初めてだったわね。ま、この感じが嫌いな奴はそうはいないわよ」
「あ、あれは……?」
楽しげな雰囲気にのまれたのか、俺のテンションが上がっていく。
「もしかして『タコ焼き』?」
俺の呟きに姉がスパンと頭を叩いてくる。不用意に日本語を使うなって事だろう。
「これは、シェルムゲッグよ。中に色んな肉や魚介が入ってるの。おじさん、小皿一つね」
「あいよ、銀貨一枚だよ」
姉についている使用人が代金を払い、代わりに商品を受け取る。小さな皿の上に六個のタコ焼きの様な物が乗っていた。
「大人二人が二個ずつで、私とレオで一個ずつね」
「えぇ、一個だけ?」
「今お腹いっぱいになっちゃうと、他のを見て回れなくなるわよ? ホラ、レオに一番を譲るから好きなのを選びなさい」
「う~ん、じゃあこれかな? どれどれ、アチッ……ハフ、ハフ……あ、でも結構、美味い!」
俺が選んだのは中にエビが入っていた。ソースもマヨネーズもかかっていないが、熱々の生地に出汁が入っているらしく十分美味しい。プリプリのエビの食感も小気味よい。
「私のはチーズだったわ……まぁまぁね」
「変わった店だね? 自分で好みの物を選べないんだ?」
「レオ様、選べないから楽しみがあるのですよ。側にいた者同士で何が出たといって楽しむのもいいですし、一人でも次に何が出るのか楽しむものなのです」
「へぇー面白いね」
それから、俺達は色々な店を巡り、少し注文しては皆でシェアしていく。
始めに訪れたような、中に何が入っているのか分からない店はそれ程なく、どの店も何種類ものメニューを掲げていた。俺は姉やユッテ達が勧めてくれたものを食べていく。
お酒を一緒に出している店も多く、味付けは濃いものが多い気がする。酒のアテには丁度いいのかもしれない。
俺も姉もユッテ達に呑んでもいいよと許可を出したが、彼女達は仕事中だからと辞退していた。
邸の落ち着いた空間でゆっくり食事を摂るのもいいが、こういう慌ただしい雰囲気で、雑多なものを色々食べるのもいいもんだなぁ……
フリースペースの様な自由席に着いて、肉味噌がたっぷり乗った焼きそばを食べていると、何処からともなく盛り上がっているような歓声が聞こえだす。
「始まったみたいね」
「ああ、大食い大会? 盛り上がってるみたいだね?」
「う~ん、案外、悲鳴かも知れないわね? ちょっと様子を見に行きましょうか」
「え? 悲鳴? 大食い大会で?」
「私がただの大食い大会なんてやる訳ないでしょう?」
不敵な笑みを浮かべる姉についていく。噴水広場の一角に会場が設営されていて、大勢の観客が何やら舞台上の選手に向かって声援を送っている。
「いいぞー! ワハハハ!」
「あー! 水を飲みすぎだって!」
「もう時間がないぞー!」
観客達は思い思いに選手を応援し、一部は酒を片手に盛り上がっているようだ。
舞台上には十数人の選手達がテーブルについていて、各自の前には大皿と大きな水差しがある。殆どの選手は大汗をかき、水をガブガブ飲んでいた。
姉と一緒に観客席に近寄ると、警備隊の一人が俺達に気付く。彼の案内で舞台袖に行くと、子爵邸の使用人達に指示を出しているベルノルトがいた。
「うっ、なにこれ? 匂いだけでもう辛い……!」
「おや? エリザベート様にレオンハルト様、様子を見に来てくれたのですね?」
「まぁね、思ったより参加者が減ってしまったようね?」
「ええ、参加前に一匙だけ味見をさせたのですが、皆、あまりの辛さにもだえ苦しんでいたそうです」
「う~ん、初っ端がきつすぎたわけか……今日は一人か二人を落として、明日以降に備えましょうか」
ベルノルトと話し始めた姉をよそに、俺は舞台袖でグツグツ煮込まれている大鍋を覗き込んだ。それは見ただけで目が痛くなってくるような、真っ赤で麻婆豆腐の豆腐がないような代物だった。挽肉は入っているようだが……
流石に味見する気にはなれず、側を離れる。
どうやら、制限時間内にどれだけ激辛料理を食べられるかの大会だったようだ。
「レオ、アンタ、観客を煽るのが上手いから司会進行やらない?」
「え、やだよ。それに姉さんの企画じゃん」
「そう? そろそろ制限時間だから、シメの挨拶をするだけなんだけど……ま、今回は私がシメるか」
暫くして、姉は拡声の魔導具を持って舞台に出ると、上空へ向けて魔術を放った。小さな花火のような魔術に誰もが上を向く。
「はーい、時間よ! ええと、六番と十番の人は残念だったわね。明日は残った人たちで酸っぱい料理の大食い大会よ? さぁて、この中から、いったい誰が優勝賞金の金貨十枚を手にするのか? 貴方たちの予想した人物はどこまで勝ち残るのか? 明日以降もよろしくね」
そうして、姉は最後に魔術を放ったのは内緒にするように領民に告げ、舞台を去った。




