王城の不備
二人の魔人は、竜モドキの開けた断罪の間の天井から逃げたらしい。
まだ危険があるかもしれないから、と王に促され、俺達は断罪の間から出た。そこで待機していた王族の護衛や付き人達に、禿げた騎士は指示を出し始める。
母は話があるからとツェーザルと共に、王に連れていかれ、俺とユッテは控室に戻る事になった。
戻る途中、大叔父の部下らしい二人の騎士に案内をしてもらいながら、何があったのか尋ねてみる。二人から、詳細は不明だが、どうやら城内に大量の魔人が現れたようで、城内は混乱しているのだ、と教えてもらう。
「結局、何だったのでしょう? 王家の内輪もめに、何故グローサー家が巻き込まれなければならないのでしょうか……」
控室に戻ってくると、ユッテは不満を漏らした。成る程、王家に迷惑を掛けられた、と捉えることもできるのか……
「さぁね、それよりも、俺はお腹が減ってきたよ。お昼はどうするんだろう?」
「そうですね、今はあちこちで大騒ぎのようですから、アタシたちのことは忘れられているかもしれませんね……」
ユッテは控室に備えられていた茶器を確認しながら、お茶を淹れる準備を始める。その様子をぼんやり見ていると、不意に扉がノックされ、待機していた騎士が顔を覗かせた。
「失礼します、王女殿下がお見えになられていますが、お通ししてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい、どうぞ通してください」
一度、扉が閉められると、背の高い女性騎士を連れたお姫様が入ってくる。
「お邪魔しますね、レオンハルト。お爺様……陛下たちのお話し合いは長引きそうなので、軽食ですが昼食を用意させました。よろしければ、わたくしとご一緒しませんか?」
そういうと、続いてお姫様の後から入ってきた使用人が、ワゴンを押して控室に入ってくる。
「まぁ、わざわざ、ありがとうございます。お手伝いしますね」
「いえいえ、お客様にその様な真似はさせられません、私が……」
なにか互いの使用人が変な遠慮をしあって、自分がやると言い出し、遅々として食事の準備が進まない。どうしたものかな、と考えているとお姫様が肩を竦めて、両者に告げる。
「メラニー、貴方はわたくしの食事を準備なさい。グローサー家の貴方はレオンハルトの分をお願いね。それから、給仕は結構です。軽食なので自分たちで賄えますから」
低いテーブルの上に用意されたのは、焼きたてのパンに、一口大に切りそろえられた、肉や野菜など。それと何種類かのソースが小鉢に分けられて、卵スープが用意されていた。
「こうして、ナイフでパンに切り込みを入れ、この間に色々な食材やソースを挟むのです。グローサー領へ行った時、何気なく入ったお店の物を参考にしています。本場のレオンハルトの、率直な感想を教えてもらえるとありがたいですわ」
「ええっと、自分はこの様な食べ方をしたことが無いのですが?」
「あら? そうなのですか?」
「ユッテは知ってる?」
「はい、恐らく、領都の職人通りにある店のどれかでしょう。ただ、見習いや未婚の若手職人が手早く昼食を済ませるため、日替わりでメニューが決められていたと思います。ですから、この様な食べ方はしないはずですが……まさか、あのような店に王女殿下が赴いたのでしょうか?」
「ええ、皆さまとても親切にして下さいました。ただ、あの時のわたくしたちは不作法でしたね。わたくしたちは無理を言って、店内で食べさせていただいたのですが、皆、商品を受け取るとすぐに店を出て行くのです。リーナが毒見をするので、食器を用意するように言ったのですが、少しおかしな雰囲気になりました。それで、後日、レオンハルトにクレープを奢ってもらった日、床に就く前に気付いたのです。あの店の食べ物も、クレープ屋の様に食器を使わず、気軽に食事を済ますものだったのではないかと」
お姫様とユッテの話からすると、前世のファストフード店のような、手軽に食事を済ます店だったようだ。
俺が一目見ただけで、高位の貴族か王族だと分かったのだ。お姫様は親切にしてくれた、と言っているが、平民である店員や客達は腫れ物に触れるような心地だったのではないだろうか。
「そして、王城に戻ってきたわたくしは、調べたいことが出来たので時間が欲しくなりました。そこで、グローサー領のお店のあの食べ物を参考にするよう、料理担当に命じて作らせるようにしたのです。あのクレープを売っていたお店の様に、好きな食材を選べるようになると面白いかも、と思い、この様な形にしてみました。ばあやがうるさいので、お昼だけですけどもね」
「成る程……」
お姫様の中で、グローサー領での出来事が大きな影響を与えているようだ。お姫様が先に自分の分を作り始め、それを真似をしながら、適当に具材やソースを選んで自分の分を作っていく。
お姫様が先に口にして安全性を示したので、失礼にならないよう自分の分を口にする。トマトソースにチーズが入っているので、ここにバジルの香りが加わればピザっぽくなるかな、という印象を持った。
「こうやって、その日の気分によって自分で食材が選べるのはいいですね。手早く食事を済ませられるのも……後はパンの種類も選べるといいですね」
「パンの種類ですか?」
「はい、硬い、柔らかい、甘い、しょっぱい、色々あると毎日同じ食材でも飽きないかもしれません」
「ああ、それも面白いかもしれませんわね……」
そうして、昼食をとりながら、お姫様と話していると話題が断罪の間での事になる。
「それで、結局、あの断罪の間で処されたのは、ヘンドリック王子では無かったのですか?」
「お爺様が言うのなら、そうなのでしょうね。わたくしたち、未成年の王族は彼に会うことを禁じられていたので面識はありません。ですから、わたくしには本物かどうなのか分からないのです。ただ、どうやって替え玉を用意したのか、いつから入れ替わっていたのか、どうしてお爺様は偽物だと分かったのかも疑問ですね」
「そうなのですか……では、あの鉄仮面の男とどういう関係だったのかも、知らないのですね?」
「ええ、グローサー領でのあの件があってから、わたくしは護衛騎士のカタリーナ以外の側近を全員入れ替えた上で、お父様の側近、魔導局の人や、神殿関係者との接触を断っていましたから、余計にどういった人物なのか知らないのです。顔に酷い傷があるので、出会う人を不快な気持ちにさせない為、鉄仮面をつけているのだと聞きました。執務面で特に秀でた人物だったようで、お父様は特別に鉄仮面をつけたままでも構わないと許可を出して、重用していたそうです」
「顔に傷、ですか……」
この世界の住人は魔力があるおかげで、大きな傷を負った時、癒しの魔術を受けずとも時間さえ掛ければ、その内傷痕が残らない程に回復する。
傷痕を残すのには、特殊な薬品を用いてそこへ毎日の様に塗り込み、ある程度の期間、痛みに耐えなければならない。
昔、母が日焼けをすると、肌がそういうものだと覚えてしまうので避けたい、と言っていたが、傷が塞がる前に肉体に覚えさせるのだそうだ。
祖父は左の頬の下あたりに傷痕があるが、学生だった頃にライバル関係だった人物から負わされた傷なのだと言っていた。鏡で自分の顔を見るたびにアイツには負けられん、という気持ちを維持するためにそんな事をしていたそうだ。
魔獣討伐隊の中にもそんな人はいて、失敗した時の戒め、或いは、何々という凄い魔獣を倒したのだと自慢したりする為、と理由は様々だが、一定数そういう人達はいる。
ただ、鉄仮面の人物が魔獣化組織のボス、イェルンだとすると、祖父達とは違う理由で傷を残しているのではないだろうか。この国一番の権力がある王家に歯向かうのだ。生半可な覚悟ではないだろう。
だとすると、王家に対する、相当深い恨みや復讐心を萎えさせない為に傷を残しているのかもしれない。何と無くそんな気がした……
「それに、いつの間に入れ替わっていたのでしょうか? それによって調べる対象が変わると思うのです。わたくしが攫われる以前でしたら、断罪の間で魔獣化した人物を調査するだけでいいのかもしれません。しかし、わたくしが攫われかけた後、入れ替わったのでしたら、イェルンという顔に傷のある人物も調べねばなりません」
「う~ん……それは王様や宰相様に任せればいいでしょう。それよりも、先に王城の不備を正した方がいいのではないですか?」
「王城の不備、ですか?」
「もしかすると、ブルーメンタール侯爵から既に報告があったかもしれませんが、その気になれば害意を持つ者が王城に侵入するのは、それほど難しくないですよ?」
「なんだと!?」
俺の言葉にお姫様より先に、背の高い女性の護衛騎士が反応する。
「あ、申し訳ない、突然大声を上げて……ともかく、王城への侵入が容易だというのはどういうことだろうか、グローサー子爵?」
慌てた騎士が頭を下げながら謝ってくるが、それでも少し急く様に俺へ問い質してくる。自分が子爵と呼ばれるのに違和感があるなぁ……そのうち慣れるのだろうか?
お姫様も、よく分からないといった感じで首を傾げていた。
「どういうことなのです、レオンハルト?」
俺は懐から銀の札、貴族証を取り出した。
「王女殿下もそちらの護衛の方もそうだと思うのですが、この王城に勤めている一人一人の顔を覚えている訳ではないでしょう? 自分も子爵邸に出入りする、食材や荷物を運んでくる人、庭の木を剪定する職人のことを良く知りません」
「ええ、普段から顔を合わせる人たちはともかく、下働きの人まではさすがに……でも、そのために貴方が持っているような身分証を各々に持たせているのです」
「はい、自分もここに入る時、これを受付の人に見せました。その時、確認させてもらったのですが、認識用の魔導具に自分の名とグローサー子爵とだけしか表示されていませんでした」
「それはそうだろう、何処の誰かが分かればよいのだから。それ以上の個人情報……例えば自身の得意な属性魔術などを記しても意味がない」
「確かに、それ以上の情報は必要ないかもしれません。また、容姿の印象も太っているか痩せているか、二十台に見える、三十代に見える、なんてのは人によって基準が違いますしね。ただ、そうですね……自分と母では男女の違いがあるので違和感を伴いますが、姉と母で互いの貴族証を持ち換えて受付で提示してみるとどうでしょう?」
「流石にそれでもバレるかと……エリザベート嬢は破格の魔力量の持ち主として有名で、フロレンティア様も武に長けていると知れ渡っている」
「あら? フロレンティア様もお強いのですか? すごく優しそうな方でしたが……リーナはフロレンティア様が有名になった話を知っているの?」
「あ、ええと、その、あるお方の名誉が掛かっておりますので、私の口からは……」
「そう、レオンハルトはどの様な話なのか知っていて?」
母が学園に通っていた頃、王太子を二度も倒したという話だろう。護衛の彼女の立場からすると、お姫様の父親が他領の女性に負けたのだ、と言い辛いのは分からなくもない。
ふと、実の娘に貶される、日本のお父さんの悲哀を語る背中が脳裏をよぎり、その話をお姫様にする気にはなれなかった。いずれお姫様にバレてしまうだろうが、王太子には少しでも長い間、父親の威厳を保って欲しいものだ。
「自分も母が有名なのは初めて知りました。ただ、王領に来るまでの旅路で大勢の盗賊団に襲われたのですが、それを母が独りであっという間に倒したのは見ましたよ」
「まぁ! 独りでですか? 見た目によらず、とても勇敢な方なのですね!」
「……オホン、殿下、フロレンティア様の話よりも、王城の話を伺いましょう」
「あ、そうでしたね、少し話が逸れてしまいました。レオンハルトの言うような身分証の持ち替えなど意味がありませんし、身分詐称は重大犯罪です。最低でもお家の取り潰し、下手をすると一族の皆が極刑になります。つい出来心で……などとふざけていられる話ではありません。わたくし自身もそうでしたが、洗礼前からその辺りのことは、どの貴族家でも厳しく教えられると聞きましたよ?」
お姫様の話の通り、貴族は大きな権力を持つが故に、重い責任が課せられる。更に自分の貴族証を守る為、闘える力を自身が持たねばならないそうだ。
「お二人は前提を勘違いしていませんか?」
「前提ですか?」
「母や姉がそこまで名が知れ渡っているとは知りませんでしたが、良くも悪くも二人は貴族なのです。自分も含めてね。自覚が足りない、とある人から怒られたところですが……貴族であるからその重い罰は意味を持ちます。しかし、魔獣化する彼らは貴族ではありません。王族や貴族に牙を剥く反逆者です。まぁ、王族に背信者がいたのですから、中には協力している貴族もいるのかもしれませんがね……」
お姫様はまだ解っていないようだが、護衛である背の高い女性騎士は何かに気付いたようにハッとした表情をして見せた。
「魔獣化の力で貴族証を奪い取り、その貴族の振りをして王城に侵入する。或いは受付の人やその上司を買収する。下働きの人物に急病や不幸があったとして、代わりにやって来た。この貴族証の仕組みを解析して、偽造の身分証を造る……他にもあるかもしれませんが、パッと思い浮かぶだけでも、これだけの手段が取れるのです。王家に逆らうなど死を意味します。しかし、彼らはそんなことを承知の上で、規律や法律を破ってくるのです。彼らを侮ってはいけません」
「そんな……」
やっと意味を理解したらしいお姫様が、茫然とした表情で呟く。普段から安全圏で生きている、と思っているお姫様には辛辣な話だったかな?
それでも、こんな考えもあるのだと、お姫様には知っておいて欲しいと思うのは俺の我儘だろうか……