骨付き鶏のトマト煮込み
「待たせたな、フロレンティア。おお、いい匂いじゃな。久々にクローサー家の飯にありつけるわい」
居間に入ってきた大叔父とニクラスは、俺と母の対面にあるソファに腰掛ける。
「大げさですね、叔父様。二年前にも宿で口にしたでしょうに」
「え? あれって、あの高級な宿の食事だったのでは?」
「あら? 叔父様、ニクラスには伝えていなかったのですか? そうよニクラス、今、うちの使用人が食事の準備をしているわ。今回はレオが希望しなかったから料理人を連れてきてはいないのだけれど、彼女たちの腕も中々のものよ? それより、あの女の子は無事に送り届けられたのですか?」
「ああ、あの子の家にはニクラスも世話になっておるからな。儂が責任をもって送り届けてきたわい。レオンハルトもよく無事だったのう」
「そんなに動きの速い魔獣じゃなかったから、上手く逃げられただけですよ」
ニクラスが大叔父の家に戻る途中、通りがかった警邏隊に俺と魔獣化の事を伝えた。おかげで、俺の思っていた以上に早く彼らが到着してしまったようだ。
それを聞いた大叔父は、俺のところへ向かおうとした。しかし、母はそれを止めさせ、先にソフィアを送り届けた方がいいと提案したのだ。
建前はソフィアの家と諍いを起こしたくないというものだが、本音は俺の秘密を守るためである。
そんな話をしているところに、お手伝いさんがノックして居間に入ってきた。
「エッカルト様、こちらに食事を運んでもよろしいでしょうか?」
「そうじゃな、折角じゃし、冷めぬ内にいただこうか」
お手伝いさん達が運んできた料理は、トマト煮込みの鍋だった。それぞれの皿に取り分けてもらう。
「うへぇ、煮込み料理か……しかもトマト……オレ、苦手なんだよなぁ」
「なんだ、ニクラスは野菜嫌いなのか?」
「嫌いっていうか、苦かったり酸っぱかったりしてどうもなぁ」
まぁ、分からなくもない。ただ、王都での料理はまだ口にしていないが、ここに来るまでの他領での食事を思うと……
「食わず嫌いは良くないぜ? それに、今までの常識が変わるかもよ?」
「ニクラス、うだうだ言っとらんで、さっさと喰え」
「はぁい……肉は好きなんだけど、トマトで煮込んだ肉かぁ」
鍋はトマトだけを煮込んでいる訳ではなく、トマトをペースト状にして野菜や大きな肉を煮込んであった。
肉は骨付きの鶏肉で、柔らかくなるまで煮こまれていて、骨から身が簡単にほぐれる。ズッキーニやマッシュルームもいい味を出していた。
「う、うめぇ! なんだこれ! ホントに家で作ったのか? 信じられねぇ!」
「うむ、懐かしい味じゃのう」
ニクラスは次々と料理を口に運び、頬をいっぱいに膨らませていた。
やはりなぁ……王都に来るまでの旅路で、色々な人がグローサー領の食事が美味いと言っている理由が分かった。
グローサー領だけに特別な食材がある訳でもなく、流通している食材は他領でもそれほど変わらない。
その違いは調理法にあった。
肉や野菜を煮込むと、余計な油や灰汁なんかが浮いてくる。それを子爵領では丁寧に掬い取っていて、他領では煮込んだらそのままにしているか、処理の仕方が甘いようなのだ。
少しくらいなら残っていても、それは旨みや風味に思えるのだろうが、そのままだと臭みやクドさ、苦味、エグみなんかになり子爵邸での料理に慣れた俺達にはきつかった。
なので、単純な塩、胡椒で焼いただけの料理がマシとなってくるのだ。流石に毎日、同じような料理ばかりだと飽きてくる。だからバリエーションの豊富なグローサー領の料理が美味いとされているのだろう。
その他にも何か調理法に違いがあると思うのだが、俺はそこまで調理に詳しくないので他の理由は分からない。
ただ、鍋や味噌汁、麺料理等、丁寧に出汁を取るのが、調理の重要な要素の一つなのだという知識くらいはある。
現代日本では調理のプロから素人まで、様々な人達が考えたり伝え聞いたレシピを、ネットで簡単に公開している。
料理の素人でも、そのレシピ通りにやればそれなりの料理が出来上がるし、更にアレンジを加えたりして、どんどん洗練されていっているのだ。
だが、文化の違いとでもいうのか、この世界での料理人はその調理法を秘匿していた。子爵邸で料理人の手伝いをしているユッテ達ですら、メモを取るなとか口外するなと言われていて、更に一から十まで教えてくれる訳でもないのだそうだ。
通りで俺が厨房に入って、調理しているところを覗き見ようとすると、追い出される訳である。
「まだ残っているから、おかわりを貰ってもいい?」
側にいるお手伝いさんに、ニクラスが空になった皿を出そうとしたのを、俺は止めた。
「あ~ニクラス、一旦そこで止めておいた方がいい」
「え? なんでだよ? まだまだ、いけるけど?」
「フッ、少し楽しみに待っておれ」
不満そうなニクラスに、大叔父はニヤリと笑みを浮かべる。お手伝いさんが鍋の残りを持ち去ると、大叔父は立ち上がって、戸棚からワインとグラスを取り出した。
「フロレンティアも呑むか?」
「いいえ、私は結構です。酒精にはあまり強くないので」
「そうか、そこそこ良いワインなんじゃがのう。して、レオンハルト、お主は何故、魔獣化のことを知っておる?」
「ええと、姉さんを攫いに来た奴らがいて、その中の何人かが魔獣化したんですよ」
「姉? エリザベートか……攫いにとは……ああ、ばあさんの連れて来た、神殿の責任をなすりつけられて極刑になった連中か……」
元司祭だった男とその手下達は、グローサー領での取り調べの後、領都に残っていた王都の神殿の者達と共に、父とマグダレーネによって王都に連行された。
子爵領でも彼等の処分は出来たのだが、父の提案で王都に連行する事になったのだ。
既に王都では魔獣化による事件が起きていて、王宮から随分と感謝されたそうだ。神殿の弱みを握ったというのもあるが、魔獣化に関する情報を得られると思ったらしい。
だが、元司祭が雇ったのは、数年前に壊滅した犯罪組織の生き残りだった。彼等は魔獣化した奴等とは、安い酒場での知り合いだっただけで、魔獣化については何も知らなかった。
その店に通っていた、魔獣化した奴等とよく一緒に居た男を調査して追い詰めた結果、男は魔獣化してしまい、捜査は振出しに戻ってしまった、と帰ってきたマグダレーネから聞いた。
「ええ、この子はそのマグダレーネ様のお気に入りなのですよ」
「何!? 本当か? あの鬼婆に儂と兄貴は毎日、ボロ雑巾のようにされたモンじゃが、よう耐えとるの」
「マグちゃんはとても優しいですよ? 俺に色々と教えてくれるし」
「ま、マグちゃん? 優しい? 本当にばあさんか?」
「フフ、マグダレーネ様は優しいですよ? 私の洗礼式について来て頂いた時も色々と親切でしたし」
「聞けば聞く程、ばあさんとは思えんのう。つまり、ばあさんの教えを受けておるから魔獣化する者に対して平静であったのか……しかしな、レオンハルト。お主はまだ、洗礼式すら終えていないのじゃ。騎士団でも死者が出る場合もあるのじゃからな、逃げるのは恥ではないぞ? ニクラスもなるたけ関わらんようにな」
「そうは言うけどさ、大叔父さん、知らなけりゃ、足が竦んで逃げられないのでは? 魔獣もよく知らないニクラスたちに、伝えていなかったのは何故ですか?」
「むぅ、痛いところをついてくるのう……王宮からの下達でな、我らは魔獣化について吹聴してはならんと指示されておる。王都にはとてつもなく多くの人が住んで居るじゃろ? 大昔から人の住む場所に魔獣は発生しないとされておるが、それを知った人々はどういった反応をすると思う? 多少の不安や恐怖を抱えるだけで済むのならいいが、下手をすれば混乱や錯乱を起こし、平穏を乱す要因になるやもしれぬじゃろう? ニクラス、お主を信頼しておらん訳ではないのじゃが、子供同士ではどの様な伝わり方をするか分からんでな……この辺りは警邏隊も多いおかげか、魔獣化事件は起きておらなんだが、儂の認識が甘かったのかもしれんのう……」
現代日本だと、大事件として世界中に広がるような事柄でも、この世界だと情報規制は容易に行えるのだろうか? それとも多くの人は、対岸の火事だと、自分には関係ないと見て見ぬ振りをしているのかな? それでも……
「マグちゃんは、平民の人たちが見ている場所で、魔獣化事件が起きたと言っていましたよ? そういう人たちから広がったりするのでは?」
「うむ、既に多くの者が目撃しておるが、それでも王都に住む民からすれば爪の先ほどの者たちじゃ。噂話とか信憑性に欠けるとか、まぁそんな風に真に受ける者はまだ少ない。じゃが、早期に解決せんと、いずれ大混乱が起きるじゃろうな……」
「それでは叔父様、騎士団ではどの程度の情報を掴んでいるのです? 原因の目星くらいは付いているのですか?」
「いや、調査は大して進展しておらんよ……騎士団では多くの者が、神殿を怪しいと言っておるが、これと言って証拠もなく、奴らが王都を混乱に貶める動機も見当たらんでな……」
「そうですか……」
そこで、お手伝いさんが再び鍋を持って戻ってきた。テーブルの上に置かれた鍋の蓋を取ると、ブワッと湯気が上がり良い匂いが漂う。それは余ったトマトスープで作った、チーズたっぷりのリゾットだった。
ほんのり感じるトマトの酸味に、野菜から出た甘み、それとチーズのコクと鼻から抜けるバジルの香り。
「あっつ、うまっ、ハフハフ、アチッ、うまっ」
熱々のリゾットなのにニクラスは匙が止まらないようだ。俺も久々に子爵邸の料理を口にして満足であった。
「う~もう、腹いっぱいだぁ……」
「叔父様もニクラスも満足いったようね、良かったわ」
「うむ、王都の食事に慣れてしまった今では、懐かしい気持ちになったわい、感謝するぞ、フロレンティア」
「レオンハルトは毎日こんなに美味い料理を食べているんだなぁ、羨ましい……」
「あら? だったら、大きくなったらグローサー領に来る?」
「フッ、ニクラス、お主の好きなようにすれば良いぞ」
「ううん、オレは騎士になるから、申し訳ないけどお断りさせていただきます」
「あらあら、フラれてしまったわね。でも、目標があるのはいいことだわ。しっかり励みなさい。……では、叔父様、私たちはこれでお暇しますね」
「そうじゃな、洗礼式が無事終わるよう願っておるよ」
「レオンハルト、今日はいいところがなかったけど、今度会った時はもっと強くなって驚かせてやるからな!」
「うん、楽しみにしているよ、じゃあね、大叔父さん、ニクラス」
母とともに大叔父の家を出る。すると、門の前で待機していたツェーザルが謝ってきた。
「申し訳ありませんでした、オレがしっかりと護衛としてついていればレオンハルト様を危険な目には……」
「いいのよ、ツェーザル。私が護衛につかなくとも、捜索にもいかなくていいと命じたのだから」
「ハッ、しかし……」
「フフ、曲がりなりにも、この子もグローサー家の一員という訳です。さ、宿に戻るわよ」
「は、はぁ……」
馬車に乗って宿へ向かう頃、日は暮れかけていて辺りを紅く染め始めていた。馬車の中では特に会話もなく、母は車窓から街の風景を眺めながら、物思いに耽っているようだった。
宿に着きグローサー家が借りている四階に向かおうとすると、受付の人に呼び止められる。
「グローサー子爵家の方に面会希望の方がいらしています。あちらのロビーにいらっしゃるのですが……」
彼女が見つめた先のロビーに一人の老人がいた。頭頂部が少し禿げた白髪の老人はダークブラウンのロングコートを着ていて、椅子に腰かけて本を読んでいる。
そこに宿の従業員が声をかけ、こちらを指し示すと老人は軽い会釈をして、歩み寄ってきた。
「久しぶりですね、フローラ嬢……いえ、今ではグローサー子爵領の次期領主、フロレンティア様、ですな」
「ご無沙汰しております、オットー先生。何故、先生がこのようなところに?」
「ホッホッ、今ではもう学園での勤めを終え引退した身。今日は息子に頼まれましてな……王宮からの使者、という訳ですよ」
そういって、老人は懐から取り出した一通の封筒を母に手渡した。
「先生をこのような小間使い扱いするとは……先生の息子さんか王宮の上役に、私がひとつ言い聞かせてあげましょうか?」
「ホッホッ、それですよ。経緯は詳しく知りませんが、今回から洗礼式は神殿ではなく王宮で行われるとか。突然の変更に加え、一部、騎士団派遣の取り下げ。貴族の中には不満を募らせる者もいるという話です。王命故に直接文句は言えずとも、下級役人である彼らには堪えるものがあるそうですよ。しかも、グローサー子爵家は何故か明後日の王族と共に行われるそうで……余りにも猶予のない予定をグローサー家に伝える勇気のある者がおらず、一応、君の講師であった私のような老いぼれに、このような大役が廻ってきた訳です」
「私たちを何だと思っているのかしら……しかし、先生のような方こそ、彼らにそれが職務だ、と嗜めるべきでは?」
「ええ、普段ならそうしているところです。ところが何十年振りでしょうかね……こんなに年老いてから息子に頼られるというのはそれほど悪くないものですよ。息子の手前、渋々と引き受けはしましたが、内心は嬉しかったのです」
「そういうものですか?」
「君はまだまだ若いし、子供たちも君に頼りっきりでしょう? いつの日か私の心境が解る、とは言い切れませんが、親とは存外そんなものです。……積もる話もありますが、子爵様を老人の長話に付き合わせる訳にもいきません。私はこれで失礼しますね」
「ええ、オットー先生、また改めてお会いしましょう。確かに王宮からの手紙は受け取りました。受け取りのサインは……?」
「ああ、そうでした。このような仕事は初めてで、うっかりするところでした」
母が受け取りのサインをして、老人は宿を去っていく。
俺達はグローサー家が借りてる四階へ向おうとするのだが、母は講師だったという老人をその後ろ姿が見えなくなるまで見送っていた。




