1. みいちゃんと初対面。
私はどうも感情を表に出すのが苦手なようで、いつも『ボーッとしてるね』なんて言われる。
本当は人並みに怒ったり悲しんだりしているんだけれども、その感情を表すタイミングがわからなくて、どうしようどうしようと思っているうちに結局、心の中に潜めてしまうことが多いのだ。
初めてみいちゃんが家にやってきたときも、たぶんそんな感じだった。
お父さんの隣に立つみいちゃんは、派手目の化粧とゆるくカールさせた茶髪をしていて、さらには真っ赤なスーツを着ていた。
あまりにも想像とかけ離れた出で立ちに、私はかなりマヌケな顔をしていたのではないかと思う。
「はじめまして、沙希ちゃん。如月美以と申します」
そう言って深々と頭を下げたみいちゃんの茶髪は、ふわりと空を舞うようにしてから落ちた。その動きが妙にキレイで、私はうっかりそれに見惚れてしまった。
「の、野村沙希です」
はずみで私も頭を下げた。
でもたぶん、私の真っ黒でバサバサの髪は、この人のようにはいかなかっただろう。
そう思うと頭を上げられなかった。
お父さんがお母さんと離婚して、ちょうど半年。
それで新しい恋人を連れてくるだなんて、早すぎやしないだろうか。
そんな風に、私はもう少し怒っても良かったのかもしれない。
昨日のことだ。
「明日の日曜日、今つきあっている女の人を連れてくるから。たぶん、そのままここに暮らすことになると思う」
と、お父さんがスーパーのお弁当をつつきながら、「回覧板お隣に回しておいて」という口調とまったく同じ感じで淡々と言ったので、私は混乱しつつも、「あ、そう」としか言えなかった。
本当は、いろいろごちゃごちゃと考えて、頭の中では怒っていたのに。
私は来年は大学受験なのだ。どうしてこんな面倒なことを持ち込むんだろう。それにまだ離婚して半年じゃないの。
でもお父さんはお弁当を食べ終えるとすぐに台所に向かってしまったので、文句を言うタイミングを失ったのだ。
で、そのまま今日になってしまって、目の前にその女の人がいる。
私はこっそりと女の人を観察した。
こんな水商売風の女の人。もしかして騙されているんじゃないの? この人とずっと浮気していたんだろうか。なんで私は頭を下げちゃったんだろう。もっと言うべき言葉はあるような気がするのに。でも、なんて言えばいいんだろう、私がこの場で怒ったら空気が悪くなるんだろうか。
なんてことを考えているうちに、やっぱりタイミングを失ってしまっていた。
お父さんとその女の人は、私の心の内はお構いナシに、和やかな雰囲気をまといながら話している。
「あれ、如月美以って、本名だったんだ」
「そうだよー、亮さん、知らなかった?」
「うん」
本名。ということは、いつも偽名を名乗っているということだろう。見ての通り、ホステスだということか。
お父さんとホステス。ピンとこない組み合わせだ。……気味が悪い。
私は俯いたまま、二人の会話を聞いていた。
「まあ、上がって」
お父さんは私の気持ちに気付いているのかいないのか、飄々として言った。
私の横をお父さんの足がすり抜けるのを、俯いたまま見送る。
私が顔を上げると、みいちゃんはまだそこにいて、こちらを見て、にっこりと微笑んだ。
「私のことは、みいちゃんって呼んでね」
一寸の狂いもない、完璧な笑顔だった。
◇
毎晩毎晩、お母さんとお父さんは壮絶なバトルを繰り広げていて、それはそれは安眠妨害もはなはだしかった。
「どこへ行っていたのよ!」
「お前が俺のことを言えるのか!」
怒鳴り声。何かが壁に当たる音。
そんなものを毎日聞かされれば私でなくとも、普通、キレる。
それは私が今まで生きてきた中で、一番、怒りという感情を表に出した瞬間だったと思う。それでも、ずいぶんもたついてしまったけれど。
部屋の襖をガラッと開くと、二人は私のほうを見て、動きを止めた。
お母さんは雑誌を振りかぶったままで、お父さんは腕で頭をガードしたままで。
「あっ、あのっ、あのねっ」
襖を開けたはいいけれど、とっさに言葉が出なくて、何度か口をぱくぱくさせてしまった。その間に、二人は姿勢を正した。
「あのねっ、そんなんだったら、さっさと離婚して!」
どうにかこうにか、そう叫んだ私の顔を見た両親は、心なしか安堵したような表情を浮かべていた。
私は、そうは言ったものの、まさか本当に翌日から離婚話が着々と進むとは思っていなかった。
そう、安堵したのだろう。離婚の足かせであったのであろう私から、公然と許可が下りたのだ。
できることなら、その日の翌日には離婚したかったに違いない。けれども慰謝料だの養育費だの、そういうことでモメたらしくて、すぐには離婚できなかったようだ。
伯母さんがちょくちょく家にやってきてはぐずぐずと文句を言っていたから、すぐにわかった。
「まったく、がめつい女だよ。あっちだってさんざん遊んでたんじゃないか。なにが慰謝料だよ。こっちが慰謝料を貰いたいくらいなのに」
「姉さん、もういいじゃないか」
おそらく隣の部屋にいるであろう私に気を遣ってお父さんはそう言ったのだろう。けれども伯母さんはまったく意に介さない様子で言い募った。
「この家だけは渡すんじゃないよ。これは父さんから貰ったもんなんだから。このへんも再開発があって、多少は地価が上がってるし。あんな女にくれてやるんじゃないよ。ああもう、あんたは気が弱いから心配だよ」
家が家が、と伯母さんは言うけれど、そんな大した家ではない。平屋で古臭くて、畳の部屋しかなくて、襖だってきちんと閉まらなかったりする。
だからこそ、お父さんとお母さんのバトルや、伯母さんの話が筒抜けだったりするわけだ。
そんな家のどこを有難がっているのかは私にはわからないけれど、伯母さんの心配はこの家がどうなるのか、その一点だけだったんじゃないかと思えた。二言目には、家、家。そればかりだ。
それでも二ヶ月でどうにか話し合いは片付いたらしい。
私はお父さんのところに残ることになった。学校のこととか、これからの生活のこととかもあったとは思うけど。
お母さんは、私の親権も面会交流権も、欲しがらなかったそうだ。