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漫画と消しゴム  作者: 白葵
2/4

漫画(2)

 そんな夏が過ぎ、秋が終わり。

 間もなく3年になろうとする、2月。バレンタインデー。

 僕は、5組の女の子から、一つだけチョコレートをもらった。


 大人しくて目立たないけれど、ふんわりと優しい笑顔の、小柄な子。

 誰かに見られたりしないように、こっそりと恥ずかしそうに可愛らしいラッピングを差し出す、白くて柔らかそうな手。

「お家に着いてから開けてください。お願いします!」

 やっとそう言うと、くるっと背中を向けて走って行ってしまった。


 自分の部屋に着いてから、一生懸命作ってくれたことが溢れるように伝わってくるその包みを開ける。

 チョコレートと一緒に、小さな手紙が入っていた。

『好きです。

すごく迷ったけど、思い切って告白しちゃいます!』


 嬉しかった。

 生まれて初めて味わう、甘く幸せな気持ちだった。



 数日後の放課後、そっと彼女に応えた。

 顔を真っ赤にして微笑む彼女の可愛らしさは、忘れられない。




 時間を合わせて一緒に帰ったりしながら、やっと少しずつ二人でいる空気を楽しめるようになった3年の春。

 彼女の表情が、ある日俄かに曇り始めた。



「……どうしたの?何かあった?」

「……ううん、なんでもない」


 僕の問いかけに、彼女は俯いてただそう繰り返した。




 そして、その1ヶ月ほど後、彼女は僕に切り出した。

 ——別れたい、と。



「……どうして?」


「——ごめんなさい、本当に。

私のこと、軽蔑していいから」


 彼女は、苦しげに僕から視線を逸らすと、ポツリとそんなことを呟いた。




 それからしばらくして、知った。

 ——彼女が、少し前から彼に告白されていた、と。

 彼は、なかなか首を縦に振らない彼女に繰り返し迫り、やっと頷かせた、と。



 今、彼女は……彼のものだ。




 怒りは湧かなかった。

 美しくて、どこか守りたくなるような翳のある彼に本気で告白されたら、女の子はみんな揺らいでしまうのだろう。

 きっと、当然の結果なんだ。——きっと。



 悲しみが消えたわけではない。

 けれど……彼なら、仕方ない。


 僕は、彼に謝れないんだから。……僕が悪い。




 ——湧いてくるのは、ただそんな思いばかりだった。









 3年の夏も過ぎ。

 僕たちは、いよいよ受験に向けて机に向かう時期を迎えた。



 ——彼とは、違う高校へ行きたい。


 気づけば僕は、そんなことばかり考えるようになった。


 あの鋭く刺さるような視線から、逃れたい。

 謝ることさえできず——後悔の気持ちをどうにもできない情けない自分を、これ以上見つめたくない。

 そんな、何かに責め立てられるような息苦しさに追いかけられた。


 心の奥は、誰にも見えない。

 僕は、みっともなく腰の引けた心を押し隠しながら、一点でも偏差値の高い高校を目指して必死に勉強した。





 目標に向けて突っ走る時期は、振り返ればあっという間に過ぎ去った。


 中学3年の3月。

 僕は、予想以上にレベルの高い高校の合格を手にしていた。


 彼の行く高校はどこなのか、よく知らない。

 けれど、僕とは違う高校であることだけは確かだった。



 苦しい時間を、それなりに頑張った。希望したものに、手が届いた。


 4月からは……彼も、もういない。


 さまざまな情けなさや自信のなさ——そんなものから少しずつ解放され、僕は大きな充実感に満たされた。




 中学の卒業式を終え、桜吹雪の散る青空を仰ぎながら帰宅する。

 心に明るい火の灯ったような気持ちで、ずっとほったらかしだった机を綺麗に片付けた。



 机の奥から、一冊の漫画が出てきた。


 それは——小学生の時、彼に借りたものだった。

 借りた後、あの喧嘩をして……面白かった感想も話せないまま、机の奥に押し込んでいた、漫画の本。



 ずいぶん昔のことなんだし……

 黙って捨ててしまおうか——一瞬、そう思った。



 けれど——

 それを借りた時の、彼の笑顔がふっと浮かんだ。

『面白かったらまた貸すからさ、俺全部持ってるし。俺のお気に入りなんだ。……お前もきっと、絶対ハマるよ!』

 そんな、温かさに溢れた彼の声と、零れるような無邪気な笑顔。



 きっとこれは、彼の大事なものだったんだ。


 もしかしたら、今も——探しているかもしれない。




 本についたホコリを丁寧に拭き取り、綺麗な紙袋に入れた。



 これだけは……彼に返そう。

 そして、彼の目をしっかり見て、あの日のことを謝ろう。



 それができたら——今度こそ本当に、僕は彼から解放される。

 懐かしく、どこか怖くて……なのに、寂しげに美しい、あの瞳から。




 なぜか、鼓動がまたうるさく走り始める。

 まるで、あの夏のプールの日のように。




 なぜ、こんなにも気持ちが乱れるのか。

 理由は、もう探す必要もない。



 こんな訳の分からない動揺も——これで、最後なんだから。





 僕は窓の外に顔を出し、大きくひとつ息を吸い込んだ。






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