ラルビカイト
題名には深い意味はない。
ちょっとやらしいかもしれないので、苦手な人は逃げてね。
ただの暇つぶしに書きましたので、あしからず。
「おい」
呼び掛けられて目を覚ますと、深い鈍色が目に入った。ほとんど黒に近いそれは、よく見つめると濃灰色で、ずっと奥のほうに洞窟に僅かな光が射し込んでいるように、静かに煌めいていた。
宝石の原石のような穏やかな美しさに、弥生は寝惚けたまま、しばらく見入っていた。
「おい、雪村」
すると、再び呼び掛けられた。ゆっくりと瞬きをして見ると、白羅が顔を覗き込んできていた。辺りに視線をやると、夕日色に染まった教室には誰もおらず、静まり返っていた。ただ白羅だけが、いつものように眉間に皺を寄せて、無愛想な表情でそこにいた。
その顔を見て弥生は、ああ、と頭の隅で納得した。さっきの優しい輝きの宝石は、白羅の瞳だったのだ。ほぼ黒にしか見えないが、光に照らされると、幻想的な灰色であることが分かる。
弥生は、僅かに眉根をよせた。寝惚けていたとは言え、あの白羅の瞳を綺麗だと思ってしまったことが、少しだけ悔しかった。
「寝てんじゃねぇ。帰んぞ」
いつまでも起き上がらないでいると、白羅に頭を小突かれた。
帰んぞ、じゃねぇ。誰を待ってたと思ってんだ、こんにゃろう。声に出すのが気だるくて、心の中で目の前の男を罵倒する。
待たされたことも、小突かれたことも、灰色の瞳を綺麗だと思ったことも、全てが何となく気に入らなくて、机に突っ伏していた弥生は、白羅と反対方向に顔を向けた。つまり、そっぽを向いた。拗ねた子供のように。
「あ、おい」
白羅の批難めいた声が聞こえる。それも無視してやる。
「んだよ、まだ眠いのか」
見当違いもいいとこだ。本当に、察しろと思ったときに限って、この男は鈍感になる。わざとかもしれない。
弥生は何も言わずに、つんと顔をそむけ続けた。
「なに拗ねてんだよ」
溜め息を吐きながら白羅が問うてきた。わがままを言う弟を諭すような口振りだった。
「別に」
弥生は吐き捨てるように言った。自分ながらガキくさいと思ったが、素直に「気にくわない」と言って呆れられるのが癪だった。そうなるくらいなら、訳のわからん奴と思われるほうがましだ。
「雪村、帰んねぇのか」
白羅はいかにも面倒だというような声で言った。弥生はやはり、身じろぎもせず無視する。
「聞いてんのか」
「……」
「置いてくぞ」
「……」
「……ったく……」
しばらく無視し続けると、白羅はまた溜め息をついて、ついに黙った。放課後の教室に静寂が戻る。
弥生は一瞬、白羅が説得を諦めて、本当に一人で帰ったかと思った。しかし、教室を出ていく足音を聞いていないし、背後の白羅が去った気配もない。
背後で黙って突っ立っている白羅の姿が頭に浮かんで、弥生は寒気がした。いつもすぐキレる白羅が大人しくしているなんて、何かを企んでいるとしか思えない。嫌な予感がして、弥生は顔をあげようとした。
その時、うなじに何かが当たるのを感じた。
弥生はビクッと肩を跳ね上げて体を強ばらせた。
急所だったせいか、心臓が激しく鼓動を打った。うなじに、熱を持った柔らかいような固いようなものが当たっている。それは明らかに手のひらで、そしてその手は白羅のもの以外あり得なかった。
えっ、なにこれ。なんで、うなじなんかに手を。新しい攻撃か?
弥生は頭の中でパニックを起こす。胸がバクバクとうるさい。危険だと思うなら、うなじにかかる手を振り払えばいいものを、なぜか体が動かなかった。動けなかった。
弥生のうなじの上で、白羅の手がゆっくりと動く。うなじを撫でられていると分かった。長い指がするりと滑り、耳の裏を這うようになぞられる。
「――っ……!」
弥生は肩をすくめて息をのんだ。目的の分からない白羅の手の動きに、顔から耳から首までもが熱くなっていくのを感じた。知らないうちに爪先に力が入る。
白羅の指先の、まるで大切なものを愛でるような動きに、弥生は体を小さく震わせた。少しだけ呼吸が浅くなった。
呼吸を整えようと、短く息を吐いたその時。弥生は左頬あたりに熱を感じた。瞬間的に、理解した。白羅の顔が近くにあるのだと。頬だけでなく、背中にも白羅の体温を感じた。
あっと思った時には、もう遅かった。
白羅が低く溜め息を吐いた。音を立てずに、とても静かに。その熱い吐息が、弥生の耳をくすぐった。
「ぁ――っ……」
思わず、ほんの小さく、声を漏らしてしまった。自分でも聞こえるか聞こえないかくらいの、高い声が無意識に零れた。
その妙に女々しい声に、弥生は目の前が真っ白になった。
「っぎゃあぁあ!」
「うおっ!?」
感情の爆発に任せて、弥生は叫びながら飛び起きた。頭がぶつかりそうになったのか、白羅も声を上げて飛び退く。
「危ねぇな。急に起き上がんなよ」
頭をかきながら批難してくる白羅を、弥生はギッと音がしそうなほど思い切り睨めつけた。
「危ねぇのはお前の思考だろうがァ! 何してくれてんだ、この変態!」
真っ赤になった耳を押さえて弥生はわめき散らす。男のプライドへのダメージや情けなさで、若干視界が滲む。
しかし弥生に怒鳴られた白羅は、まるでどうということはないように頭を掻いた。
「テメーがいつまでもぶーたれてんのが悪ぃんだよ。ちょっとした嫌がらせだろうが。んな怒んなよ」
「い、やがらせ、だと……!?」
弥生は耳を疑った。
あれが、嫌がらせ? 確かに、色んな意味で大ダメージではあった。しかし、さっきのあれは、嫌がらせというにはあまりにも、熱っぽくて、優しかった。あんなことを、嫌がらせのつもりでやったなんて、目の前のこいつはもしかしたら天然うんたらとか言うやつなのかもしれない。
弥生が左耳を庇ったまま白羅を凝視していると、そのある意味熱い視線に気がついた白羅が、ニヤリと笑った。
「まあ、少しやりすぎたかもな。悪かったよ、ビビリくん」
そう言って、白羅は弥生の金色の髪を撫でた。髪を梳くような優しい手つきに、弥生はまた顔が熱くなるのを感じた。
「誰がビビリだっ。急にあんな真似されたら誰でもビビるっつーの」
半分やけくそになって言いながら、頭にのった手をはらった。はらうと言っても、少し押しのけて下ろさせただけだ。力強く振り払うことは、できなかった。
白羅の手が、優しかったからだけではない。その手の暖かさを手放すのが、どこか名残惜しかったから。暗闇でひっそりと輝く鉱石のような瞳が、意地悪く光っていても、やっぱり綺麗だと思ったから。
弄ばれたことは本当に腹立たしいのに、その反面、白羅の言葉や仕草に心を動かす自分がいることに、もやもやと胸がつっかえた。
わずらわしい自分の感情に、弥生は舌打ちをしながら立ち上がった。
「お、やっと帰んのか」
人の気も知らず、白羅はへらりと笑う。
「機嫌、少しは直ったかよ」
「っ直るか! 余計悪くなったわ!」
ガアッと吠えると、弥生は鞄を乱暴にひったくって白羅の横をすり抜けた。
「おい、俺のこと待ってたんだろ。一人で帰んのか」
「うっさい! ついて来んな、ばか!」
いちいち余計なことを言ってくる白羅を振り払うように教室を出る。
熱が収まらない頬を手で隠しながら、次からは心を奪い取られそうなあの瞳に騙されないように気をつけようと、弥生は思った。
END
ご精読ありがとうございました!