8 「私のこと知ってるんですか?」
何とか休憩所まで足を引き摺った拓斗達は切株で作られた椅子に腰を下ろしながら膝に弁当箱を広げていた。
いつも中学校では給食が出るが、遠足ということで今日は弁当だ。拓斗もいつもより早く起きて弁当を作った……のだが、先ほど転がり落ちそうになった所為なのか、蓋を開けると弁当箱の中のおかずが見事にシャッフルされていて思わず溜息を吐いた。
「へー、ひかりちゃん以外にも学校に幽霊っているのか」
充がミニトマトを口に入れながら拓斗を介してひかりと話す。内容はひかりの使う力についてだった。
「うん、そのお爺さんに教えてもらってるの!」
「お爺さんに教えてもらってるんだってさ。そういやあ、その人なんで生徒でもないのに学校にいるんだ? 先生とかか?」
「そうそう、初代校長って言ってたよ! すごいよね」
「初代校長?」
「はあ!? 初代校長って、あの!?」
拓斗が首を傾げてひかりの言葉を繰り返すと、それを聞いた充が弁当箱を取り落としそうな勢いで驚いた。
「西野、あのって何だ? そんなに有名なのか?」
「有名だよ! お前は噂に疎いから知らないかもしれねえが、うちの学校の七不思議のひとつだ」
「それってどんな」
「うちの学校の校内で集合写真と撮ると、必ず心霊写真になって初代校長が写る……ピースしてるやつが」
「ピース……」
「最近はそんな話聞かないけど、昔はホントにあったらしいぞ」
拓斗の頭の中でひかりの先生である初代校長がやたらと愉快な人に認定される。一方ひかりはというと、心霊写真の話は聞いていたものの、あの朗らかで落ち着いた先生が想像以上にお茶目な一面があったのだと知って笑っていいのか分からず曖昧な表情を浮かべた。
「私も写真に写ればいいんだけどなあ……」
「ひかりは撮ってみたけど映らなかったもんな」
先生から心霊写真の話を聞いたひかりは家に帰ると早速拓斗に携帯で写真を撮ってもらうことにした。しかし何度とっても映るのは彼女の後ろの壁だけで、薄っすらとさえひかりの姿を捉えることは出来なかった。
「携帯だったから撮れなかったとか? 今日もゴール地点で集合写真撮るだろうし、ひかりちゃんも入ってみたら案外撮れるかもな」
「あー確かに、現像したら映ってるとかありそうだ」
「そっか! じゃあ試しにやってみる!」
自分の姿が分かれば実体化もスムーズにいくかもしれない。何度か練習しているものの、未だに実体化するには程遠いのだ。悩むひかりに先生は「焦らなくてもいい」というが、ひかりとしては一刻も早く実体化してみたい。
勿論一番の理由は自分の姿を見てみたい、そして拓斗に知ってもらいたいということだが――。
「……」
「なんか……すごい視線を感じる気がするんだが」
おにぎりを口に入れようとした拓斗は、何だかすぐ隣から無言の訴えが聞こえて来る気がした。
「やあーっと終わった! もう歩けねえ!」
昼食を終えてからまた勾配が続く山道を必死に登り切ると、ようやく朝からの数時間が報われるように山頂に辿り着いた。
「二人ともお疲れ様」
「西野、ひかりがお疲れ様って」
「拓斗の声っていうのがあれだが女の子に労わられるっていうのはいいなあ!」
ぐったりと疲れていた充が急に元気になって声を上げる。
そんな彼に拓斗が呆れていると、直後ぬっと充の背後から亡霊のような顔をした男が現れ、彼の肩をがしりと掴んだ。
「随分元気そうだなあ西野」
「え?」
「それだけ元気ならまだ走れるよな、な? 部の中でゴールするのが遅かった三人、罰として山頂の周囲を五周って先輩に言われてるんだよな……」
「はあ!? んなこと聞いてねえぞ!」
「言わなくても全力で取り組むのがサッカー部として当然、だとさ。さっきメール来た。お前、ドベ。俺、ドベ前」
「嫌だあああ!」
ずるずると充が同じサッカー部らしい男に引きずられていく。「拓斗助けろ!」と彼に懸命に手を伸ばして来るが、部の問題に拓斗が口を挟める訳もない。
拓斗が出来たことと言えば「ひかりが頑張れってさ」と、別に彼女が言った訳ではない台詞を申し訳程度に告げるだけだった。
「……というか、ひかり居ないのか?」
「拓ちゃん、こっちこっち! 景色綺麗だよ!」
連れ去られる充に何もコメントをしなかったがどこかへ行ったのかと思っていると、少し離れた場所から楽しそうな声が聞こえて来る。すでに離れていたようだ。
若干充が哀れになりながら拓斗が景色に夢中らしいひかりの声のした方へと向かうと、成程確かに彼女が声を上げたくなるほど広大な自然と、そして山の裾に小さな町が広がっていた。ここから見ると町が作り物に見えて来る。
傍で携帯を使って景色を撮っている生徒達から離れた拓斗は、あまり人がいない所まで移動して近くにあった木の下に座り込んだ。そして鞄からペンケースとスケッチブックを取り出す。
「絵、描くの?」
「ざっと描くだけだけどな」
本格的に描くには時間も持って来た用具も足りない。鉛筆を持ち目の前に広がる風景を見つめた拓斗は、何度かスケッチブックと景色に視線を行き来させながらひたすら無心で手を動かした。
白紙のスケッチブックにどんどん描かれていく線をじっと見つめるひかりは「うわあ」と心から楽しそうな声を上げて拓斗の絵が完成するまでずっと鉛筆の動きを眺めていた。
しばらくして、こんなところか、と粗方完成した絵を眺めた拓斗は先ほどからずっと歓声を上げ続けている隣を見上げる。
「やっぱり拓ちゃんはすごいね! 私、拓ちゃんの描く絵すごく好きだよ」
「あ、ありがとう」
「鉛筆だけなのにすごく綺麗だし早いし……私、絶対にこんなに上手く描けないもん。記憶ないけど」
「じゃあ実体化したらひかりも描いてみるか? 案外俺よりもずっと上手いかもしれないぞ?」
「またやりたいことが増えちゃったなあ。早く実体化できるといいけど」
「……なあ、ひかりってどんな格好なんだ?」
「恰好? ただの白いノースリーブのワンピースみたいだけど」
「じゃあ髪の毛は? 色も」
「黒で肩よりちょっと下ぐらい……って、拓ちゃん何描いてるの?」
「うーん、顔は分からないけどこんな感じか?」
再びスケッチブックに向かった拓斗にひかりが手元を覗き込むと、そこにはワンピースを着て、肩下までの黒髪の少女――ただし顔だけは空白――が描かれている。
「……拓ちゃん、上手いけど私もっと大人だから。これじゃあ小学生にしか見えないよ」
「俺のイメージだとこのくらいなんだけど」
「もー違うって言ってるのに」
ま、見えたら改めて書き直すよ、とスケッチブックを閉じた拓斗は、取り出していた荷物を片付け始める。
それを見ていたひかりはふと、あ、と思い出したようにぽつりと声を出した。
「ねえねえ拓ちゃん、そういえばさっきの話だけど」
「さっき?」
「ほら言ったでしょ、何か変な感じがするって」
ひかりに言われて拓斗が思い返すと、そういえば先ほどの事故の直前に彼女がそんなことを言っていたのが頭の中に過ぎる。
「変な感じって、どんな風なんだ?」
「上手く言えないんだけど……ざわざわするっていうか、妙に落ち着かない感じがして。この山登り始めてからずっとそんな感じなの」
「今も?」
「今も」
言葉では上手く言い表せない、とひかりがもどかしそうに言うと、拓斗は不思議そうにしながらも暫し考えるように空を仰いだ。
「そうだなあ……あ」
「何?」
「あれだ、もしかしてひかりも俺達みたいに遠足とかでここに来たことがあったんじゃないか? それを思い出しそうになってる、とか」
「あ、そうかも!」
拓斗の意見にひかりは悩んでいた表情を明るくして両手を合わせた。実際に思い出した訳ではないが、その可能性は高いのではないだろうか。
何か思い出すことはないだろうかと辺りをきょろきょろと見回す。遠い街並み、生い茂る木々、ぐったりと休む生徒。――逆さになった顔で笑う老婆。
「ひゃあっ!」
「おやおや、久しぶりだねえ」
突然彼女の眼前に現れたのはまるで宙吊りになったかのように逆さで微笑む半透明のお婆さん……の、幽霊。あまりに唐突に現れたその人にひかりは思わず大きく悲鳴を上げて拓斗の背後に逃げる。
「ひかり? 何に驚いたんだ?」
「た、拓ちゃん、幽霊……」
「え、ここにもいるのか」
「元気だったかい? 最近見なかったから心配だったんだよ」
ふわり、と逆さまだった体を元に戻した老婆は怯えるひかりを意に介すことなく、にこにこ話しかけて来る。拓斗には聞こえないが、まるで自分を知っているかのような発言に、ひかりは拓斗の背後から恐る恐る見を乗り出した。
「あの……私のこと知ってるんですか?」
「ああそりゃあ勿論」
「え、本当に!?」
「近所に住んでたサチコちゃんだろう? 疎開してから見てなかったから心配だったんだよ。あ、そっちはトシ君かい? 大きくなったねえ。戦争から無事に帰って来たんだねえ」
「……」
「なんだ? ひかりを知ってる人がいるのか?」
「そういえばミチコさんは大丈夫かい? お母さんは体が弱いだろう、病気に掛かったりなんて」
「あー、はは……はい、元気です。大丈夫です」
一人老婆の話が聞こえない拓斗は手掛かりが見つかったのかと期待しながらひかりに話しかける。が、勿論老婆が誰と勘違いしているのか分からないひかりは、曖昧に愛想笑いを浮かべて相槌を打つしかなかった。
「ひかり、何か分かったか?」
「そういえばサチコちゃん、トシ君とはいつ一緒になる――」
「そろそろ集合の時間じゃない? ね! 早く集まらないと先生に怒られるよ!」
「ひかり?」
「それじゃあお婆さん、私達はこれで!」
「そうかい、またいつ来てもいいんだよ?」
「拓ちゃん、ほら早く!」
「何なんだ……?」
ひかりの強い声に促されるように歩き出した拓斗は、首を傾げながら生徒達が集まる方へと向かった。
「知り合いじゃなかったのか?」
「ぜんっぜん!」
「そ、そうか」
きっぱりとそう言ったひかりに、拓斗は思わず押されるように頷く。と、その時遠くから拡声器を使って先生の声が響いて来た。
「集合写真撮るからクラスで集まれー」
「もう、こうなったら絶対に心霊写真にして写ってやるんだから!」
「ひかり、妙に荒れてるな……」
せっかく知り合いかと思った所で思い切り期待を裏切られた。しかも友好的なお婆さんに八つ当たりすることもできなかったひかりは、腹いせのようにそう言って集合場所へとずんずん進んでいった。
後日、拓斗とひかりがいつも通り中学校へ登校すると、何故か昇降口の辺りで妙に人だかりが出来ていた。
「何だ?」
「何かあったのかな」
人の間を縫って歩こうとした拓斗は、何度か足を踏まれながらも上履きに履き替えて中に入る。そこでちょうど充の後ろ姿が目に入って来た。
「西野」
「お、拓斗!」
「何なんだこの人の数?」
「まあまあ見てみろって。この前の集合写真、張り出されてんだよ」
「写真?」
「心霊写真だって、大騒ぎ」
「え、じゃあ!」
ひかりがぱっと表情を明るくする。それが見えていない拓斗も彼女の声で喜びを悟って、少しでも早くひかりの姿を見ようと人混みの中に飛び込んだ。
「ひかり……は?」
肘やら足やら、他の人よりも必要以上に人混みの攻撃を受けながら何とか写真の前に出た拓斗は、自分のクラスの集合写真を目に入れてぽかんと口を開いた。
幽霊は確かに映っている。写真の中の拓斗の目の前に思い切り覆いかぶさるように、にこりと微笑んだ老婆の顔が。
「……へー、ひかりちゃんって確かに年上で」
「アホか!」
棒読みで言った充に突っ込みを入れながら目を凝らすが、結局他の幽霊は映っていなかった。