7 「どさくさに紛れて口説くな」
「これ、絶対遠足じゃねえよ……」
「……そうだな」
ぐったりと肩を落としながら充と拓斗は小さな声で呟いた。
今日は授業ではなく学校行事――遠足の日である。遠足と言えば生徒は皆楽しみにしている……かと思いきや、この学校ではそうもいかない。
遠くまで足を運ぶ、その名の通りスタート地点の学校から目的地の山の頂上までの数十キロの道のりを歩く、過酷な行事なのだ。帰りはバスなのが不幸中の幸いだが、朝早くから延々と歩かなければならない為、前日から憂鬱になる生徒も多い。
スタートしてから既に数時間経過している。途中で道を間違えて余計に歩く羽目になりながら、拓斗達はようやく目的地の山を登る所までやって来た。
「拓ちゃんも西野君も大丈夫?」
「大丈夫じゃない……」
勿論のこと一緒に着いて来たひかりが心配そうに二人に声を掛ける。彼女は浮いているので特に疲れていないのだが、拓斗達を含めて疲労困憊の生徒達に取り囲まれている為何となく元気な気分にはなれない。
「ああもう死ぬ。拓斗、あと俺の分まで歩いてくれ」
「お前サッカー部だろ、俺の方が辛いんだけど」
「何言ってんだ、俺なんてこんな痛い足で明日丸一日部活だぞ! 休んだらぜってえ村八分にされるし!」
「生徒同士の一体感を高め、親睦を深める為の行事とは何だったんだろうな……」
しおりの目的にはそんなことが書かれていたが逆に仲が悪くなりそうだ。美術部はそもそも土日に部活はない上、絵も座って書くのでそんなに被害はない。
ぶつぶつと文句を言い合いながらも一歩一歩山を登っていく。もう少し登れば休憩所で昼食を食べる予定だ。段々と標高が上がって遠目に町を眺められる高さになると、景色を眺められる余裕も少し出てきた。
「……ねえ、拓ちゃん」
随分歩いたな、と拓斗が遠くを見て考えていると、すぐ隣からひかりが声を掛けて来た。しかしその声はいつものような明るいものではなく、どことなく困惑しているように聞こえる。
「ひかり、どうした?」
「何か変な感じがする……」
「ん、なになに? ひかりちゃん何か言ってるのか?」
拓斗が首を傾げていると充が身を乗り出して尋ねて来る。ひかりが絡んだ途端にやけに元気になっている悪友に拓斗が呆れながら詰め寄られた分距離を取ろうと道の右端に寄る。
その瞬間、拓斗の右足がずるりと滑った。
「は」
昨日雨が降った所為かよく滑る草に足を取られた拓斗は、そのまま体をぐらりと右に傾け――その先の地面が程遠い下にあるのに気付いて一瞬にして青ざめた。
「拓斗!」
「拓ちゃん!」
同じく彼が落下しそうになっていることに気付いた充とひかりが声を上げる。しかし充が伸ばした手は拓斗の腕をあと少しの所で掴み損ね、そのまま彼の体は宙に投げ出された。
しかしそこで、拓斗の体はぴたりと動きを止めたのだった。
「え」
それだけではない。止まっていた体がふわりと浮かび上がったかと思えば、まるで逆再生のように拓斗は元の道まで戻されていたのだ。どさりと体が地面に落ち着くと、「え、何、何だ今の!?」と酷く混乱する充の声が耳に入って来た。
「ひかり……だよな? 助かった」
「うん、落ちなくてよかった」
ひかりの声のする辺りを見上げた拓斗は、安心したような声を聞いてやっぱりと助かった安堵で肩を下ろした。お爺さんの幽霊に力の使い方を学んでいると言っていたが、こんな風にも使えるのかと感心する。
「え!? 今のひかりちゃんがやったのか!?」
「うん!」
「ポルターガイスト、みたいなもんだ」
「ああ、幽霊ってそういうこと出来るって言うよな……」
少しばかり呆然としながら拓斗と、そして宙に視線をやった充はしばらく黙り込んだ後本当に小さな声で呟いた。
「やっぱり、ひかりちゃんって本当にいるんだな」
拓斗から話を聞いただけの充が、今まで自分がひかりのことを完全に信じていなかったことを自覚すると同時に、ようやく彼女の存在を確信した瞬間だった。
「真城、あんた大丈夫!?」
「部長?」
ふらふらと立ち上がった拓斗の背後から聞き慣れた声がする。彼が振り返ると案の定そこに居たのは拓斗が所属する美術部の部長――絵里香だった。走って来たのか酷く息を切らしている。
「何か落ちかけてたみたいだったけど……」
「み、見てたのか?」
「遠目にちらっと。ちゃんと足元見ないと駄目でしょうが」
心底心配そうな表情に疑うような色は見えず、拓斗の体が浮き上がったのは分からなかったのは確からしい。
「でも真城、よく落ちなかったよね。急に引き戻された感じだったけど」
「え」
「それは俺が! こいつ引っ張ってやったんだよ! なあ拓斗!」
「あ、ああ。こいつ……西野が助けてくれて」
安心して油断した所で絵里香がぽつりと溢した言葉に拓斗は返答に詰まった。が、すぐに充のフォローが入り、便乗するように慌てて何度も頷いた。
やけに動揺している拓斗に絵里香が少々首を傾げていると、更に充が大きな声を出す。
「ところで拓斗が部長って言ってたけど美術部の?」
「ああ」
「園田絵里香よ」
「こんな綺麗な子と知り合いならとっとと教えてくれればいいだろー! この裏切り者め!」
「は……」
「部長ごめん、こいつのことは気にしなくても――」
いきなり何を言い出すのかと思った拓斗が謝りながら絵里香の顔を見る。そして一瞬拓斗は目を疑った。
何しろいつも落ち着いて理知的な雰囲気の彼女がぽかんと口を開けて顔を真っ赤にしていたのだから。
「……と、とにかく真城! 気を付けなさいね!」
「お、おう」
「私先に行くから!」
赤くなった顔を冷ますようにぶんぶんと振った絵里香は、酷く忙しない様子で拓斗達を置いて走り去った。文化部だというのに体力あるな、と拓斗は場違いな感想を抱く。
「……ふう、何とか怪しまれずに話逸らせたな。まあ言ったことは全部本当だけど」
「どさくさに紛れて口説くな」
「部長さん、すごい顔真っ赤だったね」
「あんな顔初めて見たぞ」
「ああいうギャップっていいよなー。……ところでさ、ひかりちゃん」
「はい?」
拓斗達も再び歩き始めながら話していると、不意に充がひかりを呼んだ。今まで拓斗にひかりの話題を振ることはあっても彼女自身には話しかけたことがなかった充に、ひかりは目を瞬かせながら応えた。
「ひかりちゃんが助けたのにお株奪った感じで悪かった。拓斗もいない風に扱いたくないって言ってたのにな」
「そ、それはしょうがないよ! だって幽霊がいるなんて言っても誰も信じないだろうし、二人が怪しまれるだけだもん。気にしてないよ」
ひかりからすれば姿の見えない自分を信じてくれる人が二人も居るだけで十分だ。「拓ちゃん伝えて!」とひかりに促されるまま拓斗が彼女の言葉をなぞると、充は苦笑を浮かべた。
「それにしても、ひかりちゃんはすごいな。あんな風に助けるなんて」
「そ、そんなこと……」
「ああ。前から何度も助けてもらってる」
拓斗が大きく頷く。ひかりには何度も助けられているし、その上拓斗がありがたいと思っているのは彼女が幽霊である為物理的なトラブルには決して巻き込まれないことだ。一緒にいても自分の不幸の巻き添えにならないという事実は、正直彼にとって本当に安心できることだった。
……だがそれは、彼女が幽霊――つまり死んでいるから可能な訳で。だからこそひかりにはそのことについて直接感謝しにくかった。
「いやでも本当に、見えないとは言え年上の優しいお姉さんと一緒に……しかもお前ん家親居ないよな? 二人で暮らして、同じ部活には綺麗な部長いるし、そもそも美術部って殆ど女の子だし……何かよく考えたらお前すげえ腹立たしくなってきた」
「んなこと言われても」
ひかりはともかく部活は充が自分で決めたのだから拓斗の所為ではない。おまけに彼の体質の問題で部活でも何人かに遠巻きにされているのだ。充が言うほど女子に囲まれている訳でも無い。
「どうせ朝なんて優しい声で起こしてもらってるんだろ! 分かってんだよ羨ましいな!」
「……起きないと祟られるけどな」
「は?」
「拓ちゃんそれいつまで根に持ってるの!?」