6 「どちらも、保護者だな」
「そういえば、さっき言いかけてたのって何だったんだ?」
「あ! そうそう忘れてた!」
学校から自宅へ帰った後のこと。夕食を食べていた拓斗はふと今更になって教室でひかりが何か言い掛けていたことを思い出して尋ねた。妙にテンションが高かったが一体何の話だったのだろうか。
「あのね、学校で探検してた時に幽霊のお爺さんと会ったの!」
「幽霊の、お爺さん?」
「うん! すごく優しそうな人でね、怨霊から助けてもらって……それに、力の使い方を教えてくれるって約束してくれたの!」
「力の使い方? ……ってひかり、怨霊って大丈夫なのか!?」
「何ともないから大丈夫だよ」
「ならいいけど……で、力っていうのはあのポルタ―ガイストのことか?」
「それだけじゃなくて、上手くやれば幽霊でも実体を持てるんだって! そうしたら拓ちゃんにも見えるようになるよね!」
「実体……を?」
「うん!」
確かにひかりの姿が見えるようになった方が拓斗にはありがたい。家の中でもどこにいるのか分からない時はひたすら名前を呼ぶしかないし、彼女が眠っていると声すら届かない。
何よりひかりの顔が分かれば生前の彼女を探す手掛かりになるに違いないのだ。
「それにね、私実体が持てたら絶対にやりたいことがあるの」
「何だ?」
「ご飯が食べたい!」
ハンバーグを口に入れた拓斗が動きを止める。見えないはずなのに熱烈な視線を向けられている気がした。……したというか十中八九ひかりが見ている。
「だって拓ちゃんの作るご飯いっつも美味しそうなんだもん!」
「……分かったよ、実体化出来たら作ってやるから」
「やった! あ、勿論私も拓ちゃんに何か作ってあげる」
「作れるのか?」
「いつも作る所見てるから大丈夫!」
「ご飯の為に頑張るぞー!」と無邪気な声を上げるひかりに、拓斗は本当に自分よりも年上なんだろうかと首を傾げる。不幸体質や一人暮らしの境遇で拓斗の精神年齢が比較的高いということもあるが。
しかしもしひかりが実体化出来れば……拓斗だって絶対に見てみたい。この声の主が一体どんな子なのか、この目で確かめてみたかった。
「先生、出来ました!」
数日後、裏庭ではひかりが人知れずそう歓声を上げていた。唯一それを聞いていたのは人ではなく……彼女が先生と呼んだ幽霊だけだ。
「ふむ……ひかりさんは集中力があってよろしい」
にこにこと微笑む老人の幽霊――先生はひかりの目の前に浮かび上がる複数の石を見つめて拍手した。ひかりが生徒となってまだ数日だが、真剣に取り組んでいる所為か一度無意識でも使ったことがあったからか物を浮かせるような、所謂ポルターガイストについてはかなり上達している。
「では次は実体を持つ練習だね」
「待ってました!」
ひかりはわくわくしながら先生を見上げた。これが一番彼女が待ち望んでいたものだ。
「力の使い方はさっきと同じです。後は自分の姿を強く頭の中で思い描いてください」
「……えーと、先生」
「うん?」
「私、自分の顔分かりません」
困ったように告げられた言葉に、先生は「あ」と思い出したように呟いた。ひかりが記憶喪失で、しかも鏡にも映らない為自分の姿を知らないということを。
「済まない、配慮が足りなかったな」
「いえ、そのうち思い出すでしょうし! それより、どうしましょう? あ、そういえば先生には見えますよね。実体化できるんなら、絵とか」
「いや……悪いが、私はまるで絵心がなくてね」
拓斗がよく絵を描いているのを思い出してひかりが尋ねてみるものの、返事は芳しくない。
「そうだな……写真なら映るかもしれないが」
「心霊写真ってことですか?」
「ああ。あれなら実体化しなくても薄っすら映ることもある。私も昔、幽霊になった頃に調子に乗って生徒達の集合写真に何度かこっそり紛れ込んでみたり、ね」
「それ生徒達びっくりじゃないですか……。というか先生って、もしかして本当に先生だったりするんですか? 幽霊になっても学校にいるって」
「実はこの学校の初代校長だと言ったら?」
「初代!?」
ひかりは目を見開いて思わず校舎を振り返る。創立してからどれくらい経っているのかは不明だが、それでもそこそこ年季が入っているのは分かる。何せ先日、拓斗が廊下を歩いていた突然床板が割れて片足が挟まってしまったのだから。……仮に新しくても拓斗ならなりかねないと言ったらそれまでだが。
「本当ですか!?」
「ああ、校長室に肖像画も飾ってあるから見てみるといい」
「そんなすごい人に教えてもらってたんだ……。あ、それで結局心霊写真撮れるまで待った方がいいですか?」
「いや、とりあえずひかりさんが見える所から少しずつ実体化の練習をしていこう。手が使えるようになるだけで全然違うからね」
先生に言われてひかりは自分の手に視線を落とす。半透明に見えるそれを見ながら透けない普通の手を想像してみるものの、全く変化は見られない。先ほどの物を動かす練習はすぐに上達したというのに、何度やってもまるで上手く行かなかった。
「何かコツとか無いんですか?」
「そうだな。簡単に言えば、自分の存在感を強くする……誰かに見てもらいたいと願うことが大切なんじゃないか」
「存在感……」
「まあ今日はここまでにしようか。……迎えも来たようだ」
「え?」
先生が自分の背後を見ていること気付いたひかりが振り返ると、運動場の方向から拓斗が裏庭へ向かってくるのが遠目に見えた。
「ひかりー、いないのか? 帰るぞー」
「拓ちゃん!」
他に生徒がいないのを確認してからきょろきょろと辺りを見回して声を掛けて来る拓斗に、ひかりは飛び掛からんばかりの勢いで近付いた。
「わっ! ひかり、いきなり近くで叫ぶなって、驚くだろ?」
「だって拓ちゃんが迎えに来てくれたのが嬉しくて」
「そりゃあ置いていく訳ないだろう」
拓斗が現れた途端に満面の笑みになったひかりに、目撃した先生は思わずくすくすと笑い出す。その笑い声にはっと振り返ったひかりは少々恥ずかしくなりながら先生に向き直り、拓斗に声を掛けた。
「拓ちゃん。あのね、今ここに先生がいるんだけど……」
「そうなのか? ……やっぱ、全然見えないな。声も聞こえないし」
拓斗は再度目を凝らすようにして辺りを見回すが、当然ひかりもその先生と呼ばれた人も見当たらない。
が、彼は全く疑うことなく口を開いた。
「えっと、見当違いなとこ向いてたらすみません。俺は真城といいます。ひかりがいつもお世話になってるようで……あと、悪い霊から助けてもらったとも聞きました」
「いや、こちらこそ久しぶりに生徒が出来て嬉しいよ。……と、聞こえていないだろうが」
先生は目を細めて拓斗を見やる。見えない、聞こえない相手に対してもはっきりと話しかけて来る、そんな彼の様子に正直な所驚いていた。
しかしひかりは拓斗の発言に、少々不満げに口を尖らせる。
「もう、拓ちゃん私の保護者みたいじゃん。私の方が年上なのに」
「実際保護者みたいなものだろ? それにお前全然年上に思えな――ぐおっ」
ひかりに反論していた拓斗の額に、彼女の体を通り抜けて飛んで来たカラスが激突したのはその瞬間だった。
「拓ちゃん!?」
があがあと騒がしい声上げて飛んでいくカラスに目もくれず、ひかりは額を押さえて蹲った拓斗の周囲を心配しながらうろうろと回る。
「嘴直撃した……」
「早く保険室に! 先生、また明日よろしくお願いします!」
よろよろと立ち上がった拓斗に着いてひかりが裏庭から校舎の方へと歩き出す。二人の後ろ姿を微笑ましげに眺めていた先生は、彼女に聞こえないくらいの声でぽつりと呟いた。
「どちらも、保護者だな」