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光の呼び声  作者: とど
番外編
53/55

卒業

 県内の高校が軒並み卒業式を行ったその日の夜、拓斗は同僚四人と共に居酒屋へ飲みに来ていた。

 中学の卒業式は来週だが、以前受け持っていた生徒が高校を卒業したことが感慨深く、各々ゆったりとしたペースで飲みながら生徒達の思い出話を交わしていた。



「あー……まじか」

「やっちゃったなあ」



 しかし時間は過ぎ不意に会話が途切れたその時、先ほどから拓斗がずっと黙っていることに気付いた同僚達がようやく彼の異変に気付く。



「ちょっと誰よ真城先生にお酒飲ませたの!」

「多分店員が普通のやつとノンアル間違えたんだろうな……」



 騒がしい店内で一人机に突っ伏して何も言わない拓斗に他の教師が「あーあ」と息を吐く。拓斗が下戸であるのは一緒に来ていた同僚の中では周知の事実だ。



「真城先生、大丈夫ですか?」

「……」



 右隣の女性教師が背中を叩きながら声を掛けると、拓斗は緩慢な動きで頭を上げて真っ赤な顔でへらっと笑った。拓斗がこんな表情をすることなどほぼ無い。確実に大丈夫ではなかった。



「……真城先生って、結構可愛い顔してるよね」

「え、三井先生って須田先生とこっそり付き合ってるんだろ? 実は真城先生の方が好みだったりするのか?」

「違うわよ。そういうのじゃなくて……こう、母性本能をくすぐられるというか」

「あー、それちょっと分かります」

「いや、ちっとも分からんぞ」



 二人の女性教師が頷き合うのを見て、残りの二人の男性教師は理解不能とばかりに肩を竦めた。そして話題にされている本人はへらへら笑いながらぼうっとしており、時々うつらうつらと頭を前に傾けている。



「でも意外に他の女の先生にもモテてますよ。ほら、養護教諭のあの人とか……」

「真城先生よく怪我するから保健室の常連だもんな」

「……けど真城先生って恋人がいるとかそういう噂ちっとも聞きませんよね。実際彼女とかいるんですかね。正直気になってたんですけど聞きにくくて」

「普通に聞けばよくないか?」

「何言ってるんですか。もし『実は昔事故で婚約者を……』とか言われたら滅茶苦茶気まずいじゃないですか!」

「真城先生ならありそうなのが怖い」



 拓斗の耳に入らないように――と言ってもまるで聞いていないだろうが――こそこそと同僚たちが小声で囁き合う。そして今なら聞いても後から覚えていないのでは、という結論に至り、四人の視線が一気ににこにこ笑ってつまみを食べる拓斗へと向いた。



「ねえねえ真城先生、先生って彼女いるんですか?」

「はい、居ますよー」

「あ、普通にいるって言われた。微妙にショックだわ」

「俺もショックだよ、真城先生に先越されてたのか……」



 妙に間延びした、しかしはっきりとした答えに二人ほどがっくりと肩を落とす。そして残りの二人は逆に興味津々になって拓斗に詰め寄った。



「ちなみにどんな女の人なんですか?」

「ひかりはー、可愛くて、優しくて、健気で、しっかり者で、無邪気で、可愛くて、料理上手で、俺のこと大好きって言ってくれます」

「真城先生許さん」



 へらへら笑いながら自慢げにそう言った拓斗に思わず左隣の男性教師が殴りかかろうとする。すぐに他の教師達に止められたが、勢いが収まらないままどかりと椅子に戻って一気にビールを煽った。



「はっ? そんな完璧な女この世に居るか!? しかも可愛いって二回言ったぞこの野郎!」

「すごい惚気ましたね」

「しかも滅茶苦茶幸せそうだ」

「幽霊の時からずっと好きだひかりー……」

「真城先生相当やばそうですね」



 傍から聞いたら全く意味の分からない言葉に、ひとまず無理やり水を飲ませることにした。



「……ったく、羨ましいったら無い。そんないい女捕まえてどこが不幸体質だよ」

「先生、その人と結婚しないんですか?」

「明日プロポーズする」

「え?」

「今日やっと卒業したから、やっとプロポーズ……」



 たどたどしくそう言った拓斗がそのまま潰れた。くうくうと気持ちよさそうに寝息を立てる彼に対して、四人の空気は見事に凍り付いている。

 そして数秒後、隣のテーブルでどっと笑いが巻き起こった瞬間に全員が一斉に我に返った。



「ちょ、ちょっと待て今聞き捨てならない言葉が」

「卒業!? 先生卒業って言った今!?」

「花嫁修業から卒業したとかそういう話じゃないよね!? っていうか今日ってことは……」

「……そういうこと、だよな」



 大混乱に陥った四人が頭を抱える。今日卒業した生徒……つまり三年前まで中学に在籍していた生徒でひかりという名前……何か心当たりがあるぞ、と当時中学三年の担任だった教師が呻く。



「……皆」



 この中でもっとも教師歴が長い男性教師が静かに声を上げる。彼は幸せそうに眠る拓斗を一瞥した後、何とも言えない表情で口を開いた。



「今のは、聞かなかったことにしよう」

「……了解」



 全員が視線を合わせて何度も頷き合う。とりあえず、この不幸に好かれている男がここまで幸せそうなのだ。相手が誰かはともかく……ともかく、下手に突っ込まずにそっとしておこうと思った。













 がんがんと、異様な頭の痛みを目覚ましに、拓斗は重たい瞼を押し上げた。

 そこは見慣れた自分の部屋で、彼は体を起こしながら頭痛に呻いて米神に手をやった。



「なんでこんなに頭痛いんだ……」



 昨日の記憶があやふやだ。拓斗は手探りで携帯を手に取り、そしてまず日付と時効を確認して思わず携帯を取り落としそうになった。

 ひかりの卒業式の翌日、午後二時。今日は休みだから仕事はないが……ひかりと会う約束をしていた。ようやく卒業したのだから、卒業祝いにどこか二人で一緒に外に出掛けようと。



「やばい……!」



 約束の時間はとっくに過ぎている。慌ててベッドから降りた拓斗は、しかし酷い頭痛で思わずふらついた。そういえば昨日は同僚と飲みに行っていたはずだ。案の定届いていたメールを確認すると、酔いつぶれたので家までタクシーに乗せたと書いてあった。恐らく誰かが注文したビールを間違えて飲んでしまったのだろう、居酒屋での記憶が全くなかった。

 そして届いていたメールはそれだけではない。着信とメールの受信欄にいくつも同じ名前が並んでいるのを見た拓斗は焦りながら急いで着替えて足を踏み外しそうになりながら階段を降りる。そしてリビングの戸を開けるとテレビの音が聞こえた。

 直後、ソファから不機嫌さを滲ませた声が拓斗に掛けられる。



「……拓ちゃんおはよう、じゃなくておそよう」



 それが誰かなど言うまでもなかった。



「ひかり……本当にごめん!」



 ソファに腰掛けてむくれていたひかりがつん、と拓斗から視線を外してそっぽを向く。九時に約束していたのだから、五時間も待たせたことになるのだ。怒って当然だった。

 ちらりと拓斗がテーブルに目を向けると、ラップの掛けられたサンドイッチが置かれていた。恐らく中々起きない拓斗の為に朝ごはんとして作ってくれたのだろう。それを見て余計に罪悪感が増した。



「……昨日から電話してもメールしてもちっとも反応ないし、朝もインターホン押しても出ないし、何か大変なことがあったんじゃないかってすごく不安になって様子を見に行ったら気持ちよさそうに寝てるし……あとお酒臭いし」

「返す言葉もありません……ひかり、本当に悪かった」

「……今日、すっごく楽しみにしてたのに」

「ごめん」



 目の前で頭を下げる拓斗を見て、ひかりはそれでもまだ「もういいよ」という言葉が出なかった。楽しみだったのは自分だけなのかと、拓斗にとっては飲み会の方が大事なのかと問い詰めたくなってしまう。



「謝ることしか出来ないけど、ひかり、本当にごめん」

「……」



 拓斗もそんなひかりに頭を下げ続けるしかない。全面的に自分が悪いのだ。元々お酒を飲むつもりなんてなかった、酔いつぶれたのは自分の意思じゃない。そう言ったところでひかりとの約束をすっぽかした事実は変わらない。

 自分が情けなくて思わず大きく溜息が出た。しかしその直後、はっとしたようにひかりは拓斗を見つめ、途端に不安げな表情を浮かべた。



「ひかり?」

「……愛想尽かした?」

「え?」

「ちっとも許さないしずっと怒ってるし、面倒な女だと思ったかなって」



 謝っても不機嫌なままのひかりを煩わしいと、いつまでいじけているんだと苛立ちを覚えたのではないか。拓斗の溜息の意味をそう捉えたひかりが小さな声でたどたどしく告げると、彼は拍子抜けしたような顔になった。



「いや、なんでそうなるんだよ。俺が悪いんだからひかりが怒るのは当然だろ」

「それは、そうだけど……いい加減にしろって嫌われたかもって」

「あのなあ……ひかり、お前さ」



 怒りは鳴りを潜め、その目は不安に揺れている。拓斗はそんなひかりを見ながら、ため息交じりに口を開いた。



「もしかして、まだ捨てられたらどうしようとか思ってるのか?」

「……っ」



 ひかりが息を呑むと「やっぱりか」と少し呆れたような顔で拓斗が呟いた。

 図星だった。いくら怒っていても、それで面倒だと嫌われたらどうしよう、別れようといわれたらどうしようかとひかりは不安で仕方がなかった。

 ひかりは拓斗が好きだ。どんなに怒っていてもそれは変わりないし、絶対に捨てられたくない。



「俺は信用無いな」

「っそうじゃなくて!」

「けど当然か。卒業するまでは仕方がなかったとはいえ、碌に構ってやれなかったもんな。……ひかり、目を閉じてくれるか」

「え?」

「俺が良いって言うまで開けないでくれ」



 困惑しながらも、ひかりは言われるがまま目を閉じる。そして目の前で拓斗が立ち上がる気配を感じた。ごそごそと何かを漁るような音がしたかと思うと、再び彼女の目の前に戻って来たらしい拓斗が「両手を出してくれ」と言った。



「こう?」

「ああ、それで――」



 差し出した両手が掴まれた直後、拓斗の言葉が不意に途切れた。

 そしてその瞬間、ひかりは暗闇の中で唇に熱を感じた。



「っ!?」



 叫びそうになったが塞がれている口からはくぐもった声しか出ない。唇も、包まれた両手も熱くてひかりは大混乱に陥った。

 数秒後、ゆっくりと唇が離れる。無意識に目を開けてしまったひかりは少し照れた拓斗の顔を間近で直視して小さく悲鳴を上げた。



「ごめん、卒業したんだと思ったらつい」

「ついって……あれ?」



 恥ずかしさで顔を隠そうと両手を持ち上げた所で、ひかりはようやく自分の手の中に小さな箱が置かれていることに気付いた。正直言ってそれどころではなかったのだ。

 一見しただけで誰もがその中に入っている物を容易に想像することが出来る小箱に、ひかりは狼狽えるようにして拓斗を見上げる。



「た、拓ちゃんこれ」

「開けてくれ」



 促され、震える手でひかりは箱を開ける。そこには彼女の期待通り、細めのシンプルな指輪がきらりと光っていた。

 驚きで言葉を失っているひかりを見て、拓斗は小さく笑った。



「大学を卒業したら結婚しよう」

「拓ちゃん……」

「ひかりが大学で頑張るのを邪魔したくないから卒業するまでは待つ。だけどその間に誰かに掠め取られたら嫌だから予約させてほしい」



 結婚が大学卒業後なら、プロポーズはもっと後でもよかった。だが拓斗はもう待てなかった。



「俺は、ひかりが思ってるよりもずっとお前のことが好きだよ。誰にも取られたくないし、勿論捨てるなんて冗談じゃない。むしろ今日だって約束破って、俺の方が愛想尽かされないか心配だ」

「そんなこと絶対にないから!」

「ありがとう。じゃあひかりも俺の気持ちを信じて欲しい。俺はずっとひかりと一緒に居たい。今までも家族だったけど……俺と、夫婦になって欲しい」



 拓斗がひかりに手を伸ばす。ひかりはその手を両手で――指輪を嵌めた手で握りしめた。



「拓ちゃん私、結構しつこいよ」

「うん」

「嫉妬もしちゃうし拗ねることだってあるよ」

「知ってる」

「若い女の子だったら他にもいっぱいいるよ」

「……怒るぞ」

「ごめん、冗談」

「その、返事は……」



 ひかりは小さく笑ってぱっと手を離すと、そのまま拓斗に抱き着いた。



「私を、真城ひかりにしてください」



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