おかえり(後編)
「ここにあったはず」
「大地君この部屋は……」
大地に連れていかれた先は、ひかりにとって酷く懐かしい場所だった。
和室の戸を開けた大地はそのまま部屋の中へと入り、きょろきょろと辺りを見回した後襖を開けて中を漁り始める。
そしてひかりはというと、中央に置かれた座卓の上にあるものを凝視して思わず泣き出しそうになっていた。
「これ……」
膝を着いてそっと手を伸ばす。そして恐る恐る手に取ったひかりはそれを静かに傾けた。
瞬間、彼女の手の中で桜が舞う。
「あ、それ綺麗だよな」
襖の中を捜索していた大地がひかりの手の中にあるスノードームに気付いてそう言った。
「これ、昔私が幽霊だった時に拓ちゃんが誕生日プレゼントにくれたの」
「え、そうだったのか」
「うん。あの後すぐに成仏しちゃったから殆ど見られなかったんだけどね」
相変わらず綺麗な桜をガラス越しに撫でたひかりは、そういえば、とふと思い出して立ち上がると箪笥の前に向かった。
そして、一度息を呑んだ彼女は下から二番目の引き出しを開けてみる。
「あ……」
引き出しの中にあったのは、記憶よりもずっとぼろぼろにほつれた赤茶色のマフラーだった。いや、それだけではない。マフラーを取り出すと、その下には色褪せたメモ帳とメッセージカードが入っていた。
「あったあった!」
ちゃんと使ってくれていたんだ、とひかりが抱きしめるようにマフラーに触れていると目的の物を見つけたらしい大地が声を上げた。その声にひかりが振り返ると、彼は襖の中から布に包まれている長方形の板状の何かを引っ張り出している所だった。
マフラーを引き出しに戻し、ひかりもそちらへと向かう。
「それ、何?」
「お前の顔どっかで見たと思ったんだけどこれだった」
「え?」
ばさっ、と大地によって布が取り払われその中身が現れる。それは一枚の絵だった。
「昔この家を探検してた時に偶然見つけたんだけど……これ、お前だったんだな」
「わた、し」
桜に彩られた背景、そして中央に佇む白いワンピースの少女。満面の笑みを浮かべる黒髪の女は、確かにひかりにそっくりだった。
「拓ちゃんが描いたんだ……!」
よく考えなくてもこの絵の描き方は拓斗に違いない。本当に幸せそうな絵の中の自分と見つめ合ったひかりは小さく微笑んだ。
「二人とも、ここに居たのか……って、それは」
そこへ電話を終えたのか拓斗が廊下から顔を出した。そしてひかり達を見るや否や、驚いた顔をして二人の元へと駆け寄りひかりの持つ絵に触れる。
「拓ちゃん、私のこと描いてくれてたんだ」
「ああ。……懐かしいな」
「大地君が私のこと見たことあるって言ってて、前にこの絵を見たからだったんだって」
「え、大地に見せたことなんてあったか?」
「昔探検してた時に見つけた」
「……大地、俺この部屋は入るなって言わなかったか?」
「あれ、そうだったっけ? この部屋何かあるのか」
「ここはひかりの部屋だ」
「え?」
「元、ね。幽霊だった時、拓ちゃんがここを私の部屋にしてくれてたの」
話を聞いた大地が目を瞠ってひかりの方を振り向く。そして絵を探す為に散らかしてしまった周囲を見た彼は申し訳なさそうに眉を下げる。
「悪い、勝手に荒らして」
「そ、そんなのいいよ! というかもう私の部屋じゃないし!」
「……」
ぶんぶんと首を振ったひかりに拓斗が何か言いたげに視線を送っていたが、しかしふと思い出したように彼の目が座卓の上に向けられた。
「そうだひかり、これを渡したかったんだ」
「あ、スノードーム? いいの?」
「元々お前の物だろ」
「……拓ちゃん、ありがとう」
再びスノードームを両手に抱えたひかりが嬉しそうに微笑むと、拓斗は「ようやく渡せた」と、十三年越しに持ち主の手に戻ったプレゼントを見て目を細めた。
「さて、そろそろ昼飯にするか」
「あ、私が作る! 前より上達したんだから!」
拓斗に食べてもらう機会を逃すものか、とひかりは意気込んで片手を上げた。
「なあ」
「あれ、大地君どうしたの?」
懐かしいキッチンでひかりが昼ご飯を作っていると、リビングで拓斗と共にいたはずの大地がこちらへやって来た。
「……その大地君って言い方止めねえか? なんか同い年なのに子供扱いされてる気分なんだが」
「うーん、まあ前に会った時可愛い赤ちゃんだったからねえ。ほっぺも柔らかくてホントに可愛かったなー」
「……」
「ごめんごめん。じゃあなんて呼べばいいの?」
「大地でいい」
「じゃあ私もひかりでいいよ。それで、どうかしたの?」
「いや、美味そうな匂いがしたもんだからつい」
匂いに釣られるようにひかりに近付いて来た大地がひかりの手元を覗き込む。フライパンの上にはいい焦げ目が付いた焼きそばがソースの香りを漂わせていた。
「目玉焼き乗せるのとオムソバにするの、どっちがいい?」
「んん……目玉焼き。半熟がいい」
「はーい」
大地の言葉を受けて隣のフライパンで目玉焼きを焼き始める。ひかりはふと隣に立つ大地を見上げ、あの大地が本当に大きくなったな、と今日何度目かの感動を抱いた。
「そういえば、大地のお父さんやお母さんは元気?」
「親父やお袋とも知り合いなのか?」
「幽霊の時だけど、前に泊まりに行ったこともあるよ。叔母さんには料理とか編み物教えてもらったんだ。それで拓ちゃんにマフラー編んだりして」
「そういやあさっきマフラー持ってたな。……っていうか、霊なのに編み物とかできたのか」
「手だけは実体化できたから。でも今思うと大分下手だったなー。また今度新しい物作って上げようかな」
「……お前さあ」
偶然か無意識にか、この人生では小学生の頃から編み物をしているので以前よりもずっと上手くなっているはずだ。
今度は何を編もうかとひかりが考えていると、呆れたような、もしくは感心したような何とも判断の付けにくい顔をした大地が口を開く。
「本当に拓兄のこと好きなんだな」
「勿論大好きだよ!」
ひかりは力強く即答する。幽霊だった時は言うまでもなく、そして今は教師と生徒という関係上他人に拓斗への想いを打ち明けることなど出来なかったのだから余計に力が籠った。
「大地も拓ちゃんのこと好き?」
「ああ」
「じゃあ私達仲間だね!」
拓斗が従弟に慕われていることにひかりは嬉しくなる。昔から拓斗はあまり他人を寄せ付けないようにしていたので、彼を好きになってくれる人が増えるのは――たまに妬くこともあるが――本当に嬉しいことだ。
「……そうだな」
そんなひかりの様子に、大地はやや沈黙した後頷いた。正直、毒気を抜かれた気分だった。
突然現れた少女は大地よりもずっと拓斗と親しいように見えた。二人が話をしているとなんだか取り残されたような風に感じていたというのに、こんなに無邪気に「仲間」だと言われたら頷くしかなかった。
……少なくともあの祖母よりも、ずっと好感が持てる。
「拓兄は、いい人だ」
優しいし、大地がせがむといつも遊んでくれた。ちょっと、いや大分不運な所はあるがそれでも大地は拓斗が従兄でよかったと思っている。
「なのに……あのババアは拓兄のことさんざん酷く言って、孫は俺だけなんてふざけたこと抜かして……あいつの孫なんてこっちから願い下げだ」
「……もしかして家出の原因って、お祖母さん?」
「あまりに腹立ったから滅茶苦茶言って飛び出して来た。拓兄の家ならぜってえあのババアは来ねえから」
苛立ちを思い出したように大地の口調が刺々しくなる。そんな彼の様子を見て、拓斗と祖母はあの頃からちっとも変わっていないのだな、とひかりも溜息を吐きたくなった。こちらも生まれるよりも前の苛立ちを思い出してしまいそうだ。
「……拓兄には言うなよ」
「うん、分かった」
自分の所為で大地が喧嘩したと知れば拓斗が罪悪感に駆られるだろう。ひかりが頷くと、大地はほっとしたような顔になった。
作り終えた昼食を二人で持って拓斗の待つリビングへと持って行く。「拓ちゃん出来たよー」と彼の前に皿を置くと、何故か拓斗は何か言いたげな顔になりひかりをちらりと見た。
「どうしたの?」
「何で俺だけ違うんだ?」
「え、だって拓ちゃんオムソバ好きだったでしょ」
「いやそりゃあ好きだけど……」
拓斗がオムソバでひかりは上に目玉焼きだ。大地が目玉焼きの方がいいと言ったのでこうなったのだが、拓斗はひかりに気付かれない程度に少々寂しそうな表情を浮かべてしまう。作ってくれたものに文句を言うつもりはないが、お揃いの中学生組に、何かこの二人すぐに仲良くなったな、と小さく呟いた。
「ご馳走さん」
「ご馳走様、美味かったよ。ありがとな、ひかり」
昼食を食べ終えると男二人のそんな声が聞こえ、ひかりはにこにこ微笑みながら皿を流し台へと運んで行った。
「前より上達してたでしょう?」
「ああ」
「花嫁修業中だからね!」
「……ひかり」
以前にも増して積極的になった気がするひかりに、拓斗は少し狼狽えるように視線を泳がせた。そしてそんな二人を少し離れた場所で観察していた大地は、「あ、大好きってそっちの……」と先ほどのひかりの言動を思い返して改めて理解していた。
「拓兄、中学生相手は教師的にばれたらやばいんじゃねえの」
「……教師じゃなくてもやばいな」
「内緒にしておいてね」
「まあ、合意の上なら俺は何も言わねえけど……」
幸の薄い従兄が幸せそうなら相手は誰でも大地としては構わない。が、拓斗の運の悪さを考えるとそのうち誰かに発覚してしまうのではないか。
大地が口には出さずにそんな懸念を抱いていると、その時インターホンの音が家の中に鳴り響いた。拓斗が洗い物をしているので「俺が出る」と大地が立ち上がる。ひかりが出る訳にもいかないだろうと一応配慮した結果だ。
「……じゃあ、頼む」
「へーい」
拓斗に返事をして大地が玄関へと向かう。そして当然のように扉を開けた彼は、外に立っていた人物を見て一瞬にして硬直した。
「お、親父……」
目の前に現れたのは無表情で大地を見下ろす父親だった。彼は無言で大地を見ながらほんの少し眉を顰めて嘆息する。
拓斗が家に連絡を取ったのは大地も分かっているが、それにしたって早すぎる。電話の後にいくら車を飛ばしたってこんなに早く着くことはないだろう。
「ここに居るだろうってことぐらい最初から分かってた」
大地の困惑を見抜いたように、静かに父は口を開いた。この父親はいつもこうだ。何を考えているか分からない顔をしながら、さらりとこちらの考えていることを読み取ってしまう。
「叔父さん」
「ああ、拓斗君。大地が済まなかったな。……ん?」
洗い物の手を止めて拓斗が玄関へとやって来たのを見て片手を上げた彼は、ふと拓斗の後ろでこっそりと自分を窺っている少女を見つけて目を瞬かせた。
「あ……」
そして目があった少女――ひかりは少々動揺したように声を上げて狼狽える。神田ひかりになってから初めて会う彼に話しかけていいものかと悩んでいた彼女に、振り返った大地が「ひかり? どうしたんだ」と首を傾げた。
「ひかり」
そして息子の言葉を反芻するように彼が呟く。そしてひかりをじっと見つめた叔父は、一度拓斗を見てから無表情のまま軽く目を瞬かせた。
「……そうか、君か。久しぶりだな」
「お、叔父さん分かるんですか!?」
何の説明もしていないというのに納得したように頷いた叔父に、拓斗は驚きながら問いかける。明らかにこのひかりがあの時の幽霊だと確信しているような口ぶりだ。
「何となく覚えのある気配だと思っただけだ」
「気配って……」
「流石叔父さん……お久しぶりです。今は神田ひかりと申します」
元々幽霊の時も気配で分かると言っていたが本当に不思議な人だとひかりと拓斗は顔を見合わせた。
「叔父さん、どうぞ上がっていって下さい」
「いや、今日は大地を連れ戻しに来ただけだから遠慮しておく。大地、帰るぞ」
「……嫌だ」
「一緒に帰るんだ。お義母さんにちゃんと謝りなさい」
「誰があんなババアに謝るかよ!」
「……大地」
酷く不満げな顔で大地は父親から顔を背ける。そんな従弟の様子を黙って見ていた拓斗は不意に彼の名前を呼び、正面から目を合わせた。
「俺のことでお祖母さんと喧嘩して飛び出して来たらしいな」
「っな、なんで拓兄が知ってるんだよ!」
「うちに来た時点で何となく想像が付いたが、電話で叔母さんに鎌かけたらすごい焦ってたからすぐに分かった」
「お袋……」
「美代……」
親子が揃って顔に手をやった。その仕草が妙に似ていて、ひかりは「親子だなあ」と変に感心してしまった。
「大地、お祖母さんに何を言ったんだ?」
「……」
「叔父さんが謝れって言ったってことは、何か酷いこと言ったんだろ」
「……あいつが、あいつが全部悪いんだ。あいつさえいなければ……!」
「……大地」
「いっつも拓兄のこと疫病神だの酷く言って、不幸をまき散らす化け物だとか言いやがって!」
「……」
「だから俺は言い返してやっただけだ! 拓兄が一番不幸なのはてめえの孫に生まれたことだって! てめえみたいな老害の方がさっさと死ねばいいって……!」
「大地」
怒りに震えて拳を握りしめる大地に、拓斗は静かな声で彼の名前を呼び落ち着かせるように両肩に手を置いた。
「……拓兄は何も悪くないのに、嫌われる理由なんてないのに」
「あのな大地、確かに俺はお祖母さんに嫌われている。だけどさ……嫌いだっていうのは、そんなに悪いことじゃないと俺は思うよ」
「え……」
顔を上げた大地に、拓斗は安心させるように笑ってみせる。
「好きな人がいれば、そりゃあ逆の人間だっているよ。どうしても合わない人も、距離を取った方がお互いに幸せになれる人達だっている。意見が食い違うのだって、同じ人間じゃないんだから当たり前だ。だからお祖母さんが俺を嫌っていても、それをお前が無理やり直させようとしなくていいんだ」
「でも、あいつ拓兄に酷いことばっかり言って」
「うん。嫌いだからといって、その人を傷付けて言い訳じゃない。それは間違ったらいけないことだ」
「だったら!」
「だから大地、お前がお祖母さんに向かって暴言を吐くのがいけないことだったと、お前は分かるな」
「……っ」
諭すように告げられた言葉に、大地は何も言えなくなって黙り込んだ。そんな従弟の頭を、拓斗はぽんぽんと軽く叩くようにした。
「俺のこと庇ってくれるのは本当に嬉しいけど、その気持ちだけで十分だ。大地、ありがとな」
「……うん」
「俺のこと嫌いな人がいても、その分好きになってくれる優しい人も沢山いるから俺は大丈夫だよ」
大地や叔父、叔母、両親、友人、同僚、そしてひかり。自分は本当に周囲に恵まれていると拓斗は実感していた。
「だから、大地はちゃんとお祖母さんに謝らないと駄目だ。分かったな?」
「……親父、帰る」
「ああ。拓斗君、色々世話を掛けた」
「いえ、またいつでも来てください」
叔父と大地が同時に頭を下げ拓斗達に背を向ける。しかし玄関を出る直前で大地が一度足を止めて振り返った。
「ひかり、拓兄のこと頼むな」
「……うん、任せて!」
ひかりが大きく頷くと、大地はふっと表情を緩めてそのまま叔父と共に真城家を後にしていった。
二人が去った後、暫し玄関に立ち尽くしていた二人はふと我に返る。
「さて、洗い物の続きしないと」
「……ねえ拓ちゃん」
「何だ?」
「拓ちゃん変わったね……すごく先生らしかったし、大人になったんだね」
授業を受けている時も思っていたが、今の大地への接し方を見て改めて強くひかりはそう感じた。ひかりの知るあの頃よりも、拓斗はずっと大人になった。
「すごいなって思うけど、ちょっと置いていかれたみたいで寂しいかも……」
「……ひかり」
「ご、ごめんね変なこと言って! 洗い物はあと私がやるから拓ちゃんは休んで――」
「ちょっとこっち来てくれ」
「え?」
逃げるようにキッチンへ行こうとしたひかりの腕を拓斗が掴んだ。突然のことにひかりは何だと拓斗を見上げるものの、その横顔からは何も読み取れない。
もしかして何か怒らせるようなことでも言ってしまったのかとひかりが不安になっていると、彼女の手を引く拓斗はそのまま階段を上がり、そのまま自室へと入った。
「拓ちゃん……?」
「ひかり、これ」
引き出しの中から何かを取り出した拓斗はそれを彼女の手の中に落とす。軽くひかりの手に落ちたそれを彼女が見ると、ひかりは弾かれるように顔を上げて拓斗を凝視した。
「拓ちゃんこれ、鍵!」
「うちの合鍵だ。ひかりが持っていてくれ」
「何で……」
「……正直渡すか迷ってた。ひかりは俺の生徒だし、あまりこういうことは良くないんじゃないかって。けどやっぱり、その前にお前は家族だからさ」
「……拓ちゃん」
「何も変わってない。俺のことだって、ひかりが俺の家族だってことだって。あの部屋だってそうだ。これからもずっとあの部屋はお前のものだから。だから、いつでも帰って来てくれ」
手の中の鍵を握りしめたひかりを見て拓斗が笑う。拓斗を見上げたひかりは喜びを隠しきれずに彼に勢いよく抱き着いた。
「おかえり、ひかり」
「うん。ただいま、拓ちゃん。……ありがとう」
後日、真城家の合鍵にはデフォルメされた可愛らしいお化けのキーホルダーが着けられた。それを見た拓斗は「おいおい」と苦笑していたが、ひかりは大層満足気に何度も何度もそれを眺めていた。




