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光の呼び声  作者: とど
番外編
46/55

家庭訪問

 ゴールデンウィーク明け、中学校では家庭訪問の時期を迎えていた。


 授業は半日で終了し、担任の岡田が家庭訪問に行っている間、拓斗は職員室で事務作業をしていたのだが、少し手を止めた所でタイミングよく電話がかかって来た。

 電話の相手は岡田だ。家庭訪問中に何かあったのかと首を傾げながら電話に出ると「おう、真城か」と威勢の良い老人の声が聞こえて来た。 岡田は定年直前のベテラン教師だ。歳の割には溌剌としておりいつも元気な人である。

 副担任の拓斗の不幸に巻き込まれることもたまにあるがそれに対しても文句を言うこともなく、むしろ「お前の所為だとか抜かしたらぶっ飛ばすからな」と背中を強く叩いて笑っていた。……それが滅茶苦茶痛かったのは余談である。



「どうかしましたか?」

「いや実は、家庭訪問の途中でちょっと階段から落ちて腰打っちまってよ」

「え!? 大丈夫なんですか!」

「ああそんなに酷い訳じゃねえんだ。ただ歳が歳だし、無理して後から来ても困るもんで一応病院に行くことになった。だからちょっと、俺の代わりに残りの家を回って欲しいんだが」

「分かりました」

「助かる。三浦の所まで行ったからあとの四人だ。悪いが頼むぞ」



 そう言って電話が切れると、拓斗は慌ただしく机を片付けて家庭訪問のリストを取り出した。そしてこれから彼が向かう残る四人の名前を確認する。



「笹山と木村、南に……神田、か」













「それでは失礼します」



 そう言って帰って行く担任を廊下の影からこっそり見ていた小雪はほっと溜息を吐いた。ようやく自分の家庭訪問が終わったのだ。



「小雪、心配しすぎだよ」

「だって何言われるかと思って」

「真面目でいい子って言われてたじゃない」



 疲れた様子でソファに座り込む妹にひかりは苦笑する。母親と担任が話しているのに聞き耳を立ててはらはらしていた小雪だったが、成績もよく友達も出来て頑張っていると普通に褒められていたのだ。ひかりは特に心配していなかったので、昔から少し神経質な所のある妹の頭を撫でて「だから大丈夫って言ったでしょ」と笑った。



「お姉の家庭訪問ももうすぐだったよね」

「うん、そのうち来ると思うよ」

「いいなー、お姉はどうせ褒められるだけでしょ。頭も良いししっかりしてるし。お兄とは大違い」

「何か今聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がするぞ」

「あ、お兄ちゃん」



 大学が早く終わって帰って来ていた聡一がリビングへやって来た。小雪が「先生に変なこと吹き込みそうだから部屋に籠ってて!」と言った所為で家庭訪問中は部屋に閉じ込められていたのだが、終わったのに気付いて出て来たらしい。



「次はひかりの番か?」

「うん」

「なら俺も挨拶しておこうかな、学校でお前がどんな猫被ってるか気になるし」

「別にいつも通りだってば」

「そうそう、お兄と違ってお姉はいつも完璧なんですー」

「……小雪、お前もうちょっと兄を尊敬する心を持て」

「尊敬できるお兄ちゃんが欲しいなあー、どこかに落ちてないかなあー」

「二人とも……まったく」



 これが大学生と小学生の会話かとひかりが溜息を吐いていると、新しくなってまだ少し聞き慣れないインターホンの音が鳴り響いた。担任の岡田だろうとひかりが立ち上がって玄関へ向かおうとすると、何故か後ろから聡一が着いて来る。



「どんな先生だ?」

「元気なおじいちゃん」



 短く返事をしながらサンダルを履いてひかりは玄関の扉を開けた。



「お待たせしました、おか……」



 言い掛けたひかりがぎょっとする。そこに立っていたのは快活な老人ではなく、ひかりの最もよく知る男――拓斗だったのだから。



「た」



 拓ちゃん!? と言い掛けたひかりがぎりぎりで自分の口を塞ぐ。それに苦笑した拓斗は小さく片手を上げて「こんにちは、神田」と彼女の名前を呼んだ。



「な、何で真城先生が……」

「岡田先生がちょっと家庭訪問中に怪我してな、途中から俺が代わったんだ。……こっちはお兄さんか?」

「どうも、ひかりの兄です」

「副担任の真城です。今日はよろしくお願いします」



 穏やかそうな教師をちらりと見て挨拶した聡一は、続いて隣の妹に視線を向けた。先ほどまでとは違い酷く動揺しているように見える。来るのが担任から副担任に代わったとはいえ、普通そこまで驚くことだろうか。

 聡一は不思議に思いながらもひとまず拓斗を家の中に案内するべく玄関へと踵を返した。



「上がってください」

「では、お邪魔しま――ったあ!」

「うわっ!」

「先生、お兄ちゃん!」



 そのまま促されるまま着いて行こうとした拓斗が見えにくい段差に足を取られて勢いよく倒れ、そして彼の目の前に居た聡一も巻き込まれるようにドミノ倒しになった。

 「すみません」と謝る拓斗に聡一も首を振って立ち上がる。そして改めて家に入ろうとして、彼は一度背後を振り返った。



「先生大丈夫ですか?」

「ああ、悪い」



 砂を払っている拓斗に倣って同じように甲斐甲斐しく彼の上着をぱたぱた叩いている妹を見た聡一は、彼女の表情をじっと観察した後に小さく呟いた。



「まさか、なあ」












「あれ、若い先生」

「岡田の代理で来ました、副担任の真城です」

「そうだったんですか。今お茶とお菓子お出ししますね」

「いえ、お構いなく」

「私が持ってくる!」



 客間に案内された拓斗はひかりの母と向き合う。そしてひかりは慌ただしくキッチンへ向かい、あらかじめ用意していた茶菓子を運ぶ準備をしながら、心を落ち着かせるように深呼吸した。


 まさか拓斗が来るとは思っておらず、必要以上に動揺してしまった。しかも今、拓斗が仕事とはいえ自分の家に来てくれているという事実が嬉しくて、ついつい素に戻りそうになってしまう。

 今頃拓斗と母はどんな会話をしているだろう。担任として、彼はひかりのことをどんな風に言うのだろうと期待と不安が過ぎって思わず笑みが零れる。これでは先ほどの小雪と何も変わらないではないか。



「何一人でにやにやしてんだ?」

「!?」



 茶菓子を乗せた盆を持って振り返ったその時、突然声を掛けられて思わず盆をひっくり返しそうになった。



「お兄ちゃん……」

「お前変だぞ」

「そ、そんなことない!」

「そうかねえ」

「と、とにかく先生に持っていくからどいて!」

「へーへー」



 むきになって声を上げるひかりに聡一は肩を竦める。そんな彼の隣を早足で通り抜けた彼女は、「お姉大きな声出してどうしたの?」と不思議そうに首を傾げる妹に愛想笑いを返して客間へと向かった。



「お茶とお菓子持って来ました」

「神田、ありがとう」



 ひかりが客間へ入ると何かを話していた二人の声が止まる。話の内容が気になりながら拓斗の元へ歩いていくと、そんなひかりを見上げて拓斗が微笑んだ。


『ひかり、ありがとう』


 中学生の頃の彼の顔と声がダブる 。普段はこんなことでは動揺しないというのに、母親の前だということで妙に緊張してしまったひかりは思わず彼の前に置こうとした茶から手を滑らせた。



「あ」



 声を上げた時にはもう遅い。ひかりの手から滑り落ちた茶はそのまま音を立てて倒れ、拓斗の手と服に思い切り零れてしまった。



「あっつ!」

「ご、ごめんなさい先生!」

「ひかり何してるの!」



 慌てて謝りながら布巾で手と服を拭う。大丈夫だから、と苦笑する拓斗に母親と一緒になって頭を下げながらひかりは自分を怒りたくて仕方が無かった。自分が彼の不幸を増やしてどうするんだと。動揺するとつい周囲に被害を及ぼしてしまう所はポルターガイストを起こしていた時からちっとも成長していないらしい。



「本当にごめんなさい」

「いいって。あ、神田も少し居てもらってもいいか」

「え?」

「転校したばかりだし学校で困ったことがあったら聞こうと思って」



 いたたまれなくなって逃げるように出て行こうとすると、そんな彼女を拓斗が引き留めた。その理由は至って普通のことで、逃げる理由を失った彼女は小さく俯いて母親の隣に腰掛けるしかなかった。



「すみません先生。この子いつもはもっと落ち着いてるんですけど、家庭訪問だから緊張してるのかも」

「神田は学校でもいつもしっかりしていますよ。家では普段どんなことを?」

「よく家事を手伝ってくれて……親の私が言うのもなんですけど、兄弟の中で一番しっかり者です」

「お、お母さん」

「あとよく編み物をしてて、結構上手なんですよ」

「編み物……そうですか」



 母親の話を聞いた拓斗が目を細める。お母さん余計なこと言わなくていいから、とひかりは叫びたかったものの、勿論そんなことは言えずに俯いたままだ。



「神田はまだ部活に入っていないから、家庭科部とかもいいんじゃないか?」

「そ、そうですね。考えておきます」

「先生、ひかりは他の子と上手くやってますか?」

「はい。クラスでも色んな生徒とよく話していますし、転校したてにしては随分馴染んでいると思います。神田は何かクラスで困っていることはあるか?」

「いえ! 皆仲良くしてくれるので!」

「それならよかった」



 勢いよく返事をするひかりに拓斗は静かに微笑んだ。

 先ほど会ったひかりの兄、そして目の前の母と家の中の雰囲気を確かめた拓斗は心底嬉しかった。少し見ただけだが、それでもひかりと家族の仲は良さそうでいい家庭に感じる。

 そんな拓斗の表情にひかりは顔を赤くして忙しなく指先を動かした。大人になった拓斗はやはり余計にかっこよくなったな、と言えないことを思いながら。











「……なんか、お姉がいつもと違う」

「だよなあ」



 客間の前の廊下で、こっそりと中の様子を窺っていた小雪と聡一は、聞こえないように小さな声でそんな感想を言い合っていた。先ほどのひかりの様子に違和感を抱いた兄妹二人はそれを探ろうとしていたのだ。

 そっとリビングに戻った二人はソファに腰掛け、今度は普通の声で話し始めた。



「お姉どうしたんだろ」

「ん? お前分かんねえの」

「お兄は何か知ってるの?」

「あんだけあの先生に動揺してたら普通に想像付くと思うが」



 聡一はひかりの様子を思い出しながら当然のようにそう言った。玄関先のことだけでは判断できなかったが、普段落ち着いているひかりがあれだけ動揺して、まして顔を赤くしているのだ。それに代理だというあの教師が来た瞬間から様子が変わったのを考えればもう断言できる。

 しかし聡一はそれを小雪に伝えるつもりはなかった。姉大好きなこの妹に伝われば色々とうるさくなること請け合いだ。



「まあ自分で考えろ」

「お兄のけち、甲斐性ないし、ハゲ」

「最後のは否定させてもらいたいなあ! この馬鹿娘!」



 本当に生意気になったなこいつは、と小雪の頭をぐりぐりと押さえつけていると部屋の外で扉が開く音がした。どうやら家庭訪問が終わったらしい。

 小雪と一緒に玄関を覗くと副担任が帰る所で、見送るのかその後ろからひかりが外に出て行った。



「お前はうるさいからばれる。着いて来るなよ」

「はあ!? お兄ずるい!」



 妹にそう言い残してこっそりと二人の後に続くと門の所でひかりが先生を見上げていたさっと柱の陰に隠れて耳を澄ませるが、流石に何を話しているかは全く聞き取れない。

 が、男を見上げる妹の横顔は兄妹である聡一ですら見たことのないような、心の底から幸せそうな表情をしていた。



「……」



 先生の姿が見えなくなるまでその背を見ていたひかりが戻って来ると、柱の陰に潜んでいた聡一がぬっと出てくる。



「ひかり」

「ひゃっ! お、お兄ちゃんいつからそんなところにいたの!?」

「気にするな。それより……いや、なんでもない」

「?」



 不思議そうな顔をする妹の頭を久しぶりに乱暴に撫でた聡一はそのまま家の中に入っていく。そして騒がしい小雪を躱して自室に戻った彼は一人、何とも言えない気持ちを吐き出すように息を吐いた。


 ひかりはあの真城という教師が好きなのだろう。精神年齢も高く普段から落ち着いている妹が好きになったのがよりにもよって教師で、あれだけ挙動不審な態度を取っているのを見た聡一は正直揶揄う気満々だったのだが……あんな表情を見せられては流石に茶々を入れる気も失せてしまった。



「ま、上手く行くといいよな」



 相手が教師なんて前途多難だがひかりなら大丈夫じゃないかと無責任に思う。何せひかりは――勿論小雪もだが――聡一の自慢の妹なのだから。












「お兄ちゃん、まさか聞いてた……?」



 一人残されたひかりは撫でられた頭に触れながらぽつり呟いた。いや、そんなはずはない。あの場でもお互いにしか聞こえないくらいの声で話していたのだから。

 自由な性格の兄ならば、きっとひかりが教師を好きになっても反対はしないだろうとは思う。だがそれでも、拓斗との会話だけは聞かれたくない。



『ひかり、今幸せか?』

『当たり前だよ! ……幸せすぎて、いいのかなって思うくらい』

『いいに決まってるだろ。ひかりが幸せじゃないと俺が困るよ』



 秘密にするような内容ではないかもしれない。だが、この瞬間だけは二人のものにしておきたかった。




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