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光の呼び声  作者: とど
番外編
45/55

もう一度、一緒に

 引っ越しの荷物も殆ど片付け終わり、ようやくのんびりと過ごせる休日を迎えることが出来たひかりは、周辺の探索も兼ねて駅前の大型書店へと向かっていた。



「懐かしいなあ……」



 探索とは一口に言っても、要は昔と変わった場所を確認したり、変わらない場所を懐かしんだりしたいのだ。ひかりはのんびりと歩きながら、以前拓斗と一緒に出掛けていた頃を思い出してつい微笑んでしまった。この場所をこうして地に足を着けて歩くことになるとはあの時は思いもしなかったのだから。


 ちらほらとあちこちで視界に入る桜を見ながら書店の自動ドアをくぐる。四月とは言っても日中は少々汗を掻くくらいには暑く、店の中に入るとエアコンが効いていて涼しい。

 小説の新刊コーナーをちらりと確認した後ひかりが向かったのは料理本コーナーだ。可愛らしいお菓子や美味しそうな料理たちの写真を眺めながらひかりは、作ったらまた以前のように拓斗に食べてもらいたいなと考える。神田ひかりとして生きて来た中でも結構料理やお菓子作りはしてきたのだ。今は味見も出来るので、幽霊の頃よりも味の調整もしやすくなった。きっと以前よりも美味しく作れるだろう。



「拓ちゃん、喜んでくれるかなあ」



 購入した本を腕に抱えてご機嫌なひかりは、そのまま書店に併設させているカフェにでも寄ってから帰ろうと思い、意気揚々とそちらへ足を向けた。テイクアウトのパンの匂いに釣られるようにしてカフェの入り口に行きかけた所で、「あ」とひかりは小さく声を上げる。



「拓ちゃんだ」



 本屋との仕切りであるガラスの向こうに拓斗を見つけたひかりは一瞬にして喜び掛け……そして彼の目の前に女性が座っているのを見つけて思わず足を止めた。



「あ……」



 ひかりは咄嗟にカフェから距離を置いて傍の本棚に隠れる。適当に雑誌を取って顔を隠すようにしながらそっとカフェを窺うと、拓斗と女性は微笑みながら話をしているようだった。



「誰だろう……」



 拓斗と話しているのは、彼と同じくらいの年に見える眼鏡を掛けた黒髪の女性だ。ぱっと見て知的そうな彼女は美人で、如何にも大人の女性という感じである。



「……」



 先ほどまでの上機嫌があっという間にしぼんでしまったひかりは、そっと雑誌を置くと――改めて表紙を見ると囲碁講座だった。全然分からない――カフェに行くのを止めて書店を飛び出した。女性と話す拓斗の顔を思い出しながら、ひかりは小さく俯いて溜息を吐く。

 とぼとぼと帰りながら、考えるのは勿論あの女性のことだ。



「お似合い、だったな」



 少なくとも中学生のひかりよりはずっと。

 拓斗と再会して、そのことにただ喜びしか抱いていなかった。またあの時のように沢山話して、笑い合ったり料理を食べてもらったり、そんなことばかり考えていた。

 しかし現実はそうもいかない。今の拓斗は二十七歳で教師、そしてひかりは十三歳でその生徒だ。たった三つしか違わなかった年齢が、今や十三も離れてしまった。


 そしてひかりが“神田ひかり”として生きてきたように、拓斗も彼女が居ない間彼の人生を歩んで来たのだ。その間に色んな人間と出会っただろうし、その中で恋人だっていたかもしれない。指輪がないので結婚はしていないようだが、今恋人がいるかどうかは分からない。ひかりは今の拓斗のことを殆ど知らないのだ。

 空白の十三年の重みが、ひかりに重たくのしかかる。


 消える前に思ったことは本当だ。拓斗が幸せならばひかりも幸せだと。だから彼が誰かと結ばれて幸せになるのなら、ひかりはきっと祝福するだろう。



「……でも」



 ひかりは俯いていた顔を上げる。その表情は暗いものではなく、決意に満ちた強いものだった。

 彼女は手に抱えた雑誌の入った袋を強く抱きしめた。拓斗に作って上げたいと思ったその料理雑誌をしっかりと手にして、そして自身に言い聞かせるように小さく呟く。



「それが、何だって言うの」



 年が離れてしまって、教師と生徒で、仮に拓斗があの女性を好ましく思っていたとして……だから何だというのだ。

 たったそんなことで諦めてたまるものか。ひかりは今でもずっと拓斗が好きなのだ。優しい所も、ちょっと情けない所も、時々とてもかっこよくなる所も、全部変わらない。好きで好きで仕方がないのだ。

 何度当たって砕けたって、絶対に諦めない。どんな障害があったって、乗り越えてみせる。



「だって私……もう生きてるんだから」













 折り入って相談がある。そう拓斗に呼び出された充は、久しぶりに会う悪友の頼みに何があったのかと首を傾げながら待ち合わせ場所の居酒屋へ顔を出した。



「よう、拓斗」

「悪い、急に呼び出して」



 既に店の中に居た拓斗は充の姿を見ると小さく片手を上げる。社会人になってから忙しくなり、あまり充と拓斗が会うことはなくなった。ちなみに今の充の職業は食品メーカーの営業マンだ。中々業績は良いらしい……が、本人の申告なので真実は分からない。

 ひとまずいくつかつまみと酒を頼む。二人ともビールだが拓斗はノンアルコールだ。下戸である拓斗があえて居酒屋を選んだのは充に気を遣ったからか、それとも雰囲気だけでも酔わないとやっていられなかったのか。

 そんなことを考えながら早々と届いたビールをぐいっと呷った充は「久しぶりだな」と会う度に言うお決まりの一言を口にした。



「ああ、半年ぶりくらいか。……あ、でもこの前本屋で部長には偶然会ったぞ」

「お前いつまで絵里香のこと部長って呼んでるんだよ」

「仕方ないだろ。高校違ったし、俺の中では部長のまま止まってるんだよ。でもすごいな、個展決まったんだって?」

「……ああ、そうだな」

「何で落ち込んでるんだよ。いいことだろ?」

「ちょっと前にプロポーズしたら、個展の準備で忙しいからって先延ばしにされた」

「はあ!? おまえいつの間に!?」



 大きく溜息を吐いて項垂れた充の予想外の発言に、拓斗はちびちび飲んでいたビールを思わず噴き出しそうになった。


 中学の頃、充と絵里香は結局何事もなく卒業して別々の高校へと進学し、その後疎遠になった。しかし大学の時に共通の友人を介して再会し、そして付き合い始めたのだ。

 だが相変わらず女と見れば誰彼構わず優しくする充に女性関係のトラブルが頻発したことで二人の関係が拗れ、一度は別れることになった……のだが、未練たらたらの充のしつこいアプローチによって何とかよりを戻すことになったという。

 当時拓斗はひたすら充の愚痴を聞き続けていただけなので詳しくは知らないのだが、それでも絵里香が苦労していたことは何となく窺えたので、ちょっとぐらい待たせてやった方がいいと拓斗は口に出さずに思った。



「んで、結局呼び出したのは何があったんだ?」

「……」



 運ばれて来た軟骨の唐揚げを口に放り込みながら充が問いかけると、途端に拓斗は黙り込んで俯いた。そして一気にビールを煽った拓斗は、酷く真剣な表情で口を開いた。



「ひかりが、生まれ変わってた」

「は?」

「うちの中学に転校して来たんだよ、ひかりが。顔も名前も同じで……本当に、信じられなかった」

「……」



 噛みしめるように告げた拓斗に充は暫し目を瞬かせて言葉を失っていた。しかし不意にその表情を複雑な――どこか憐みを含むものに変えた彼は拓斗の肩に手を置く。



「あのな拓斗、お前がどれだけひかりちゃんのこと好きだったかは知ってる。けどさ、ちょっと顔が似てたり名前が一緒だった生徒をあの子の代わりにするのはどうかと」

「違えよ本当なんだって! ほら、写真!」



 全く信じていない様子の充に拓斗は怒鳴り、鞄を漁ってクラスの集合写真をテーブルに叩きつけるように置いた。当然ながら、勿論そこにピースする校長などは映っていない。



「見せられても俺ひかりちゃんの顔知らねえけど」

「この子だ」



 拓斗が示す写真を充が胡乱な目で見下ろすと、そこには清楚な雰囲気の可愛らしい少女がまっすぐこちらを見ていた。昔ニュースで一度見たはずだが流石に覚えていない。



「初対面だっていうのに俺の体質知ってたし、何より真城としか名乗って無かった俺を拓ちゃんって呼んだんだぞ」

「……マジか」

「マジだ。そんなやつひかり以外にいるかよ」



 充はちょっと頭を抱えた。そんなことってあるのか。いや幽霊だっているのだから生まれ変わりだってあるのかもしれない。……どうして記憶があるのかは不思議だが。



「まあでも……よかったじゃねえか」



 充は最終的にそう言って笑いながら拓斗の背中を叩いた。色々思うところはあるが結論は簡単だ。ひかりと再会して拓斗は嬉しいだろうし、きっと彼女もそうだろう。

 しかし祝福する充に対して、何故か当の本人はテーブルに突っ伏して唸っていた。酔っぱらってもない癖に一体どうしたのか。



「よかった……ああ、よかったんだよ。けどさ……ああ、どうすれば」

「拓斗?」

「……十三歳差って、大きいよなあ」



 突っ伏している所為でくぐもって聞こえる声。それを聞いた充はその一言で大体の所を把握した。



「ロリコンだったのかお前」

「違う!」

「いや違わねえだろ、犯罪だぞ犯罪。いくらひかりちゃんとはいえ中学生を、しかも教師が生徒を好きになるって……うん、ロリコンだ」

「……俺だって」



 騒がしい居酒屋の中で、力なく拓斗が呟く。そしてビールを放した手を強く握りしめた。



「俺だって、初めはひかりが生まれ変わってくれて……それだけで十分だったんだよ。あいつが他の人間と普通に話が出来て家族とも仲良さげで、もうそれを見てるだけで嬉しくて堪らなかった。けどさ」



 拓斗の頭の中にひかりの姿が、声が思い起こされる。今の姿とあの頃の彼女が重なって、そして一つになる。



「あの頃あいつを好きになった所、全部あいつのままなんだよ」



 それなのにどうやって好きにならないでいられるんだよ、と拓斗が開き直るように口にする。そしてそれを聞いた充は呆れたように小さく溜息を吐いた。



「で、中学生の教え子に惚れ直したと」

「……」

「拓斗、お前むしろ何を悩んでるんだよ」

「は? 何をって、決まってるだろ……」

「一回り下の中学生を好きになったことか? 教師が生徒に惚れたことか? ……そんなの何が問題だって言うんだよ」

「問題過ぎるだろ。お前だって犯罪って言っただろうが」

「じゃあ諦めるのか? 随分弱気だな、昔のお前に見せてやりたいっての。……ひかりちゃんが幽霊だろうが、それでも好きだって俺に宣言したあの時のお前にな」

「!」

「この贅沢もの! って怒ると思うぞ?」

「……確かに、そうだな」



 拓斗が顔を上げる。そうだ、あの頃に比べたら何にも障害にすらならない。ひかりは生きていて、そして幸せに暮らしている。……心が満たされても、消えることだってないのだ。



「十三年待ったんだ。あと数年くらい軽いもんだろ」

「そうだな。……まあ、どの道ひかりが俺を選んでくれたら、だが」



 それこそ一番の問題だよなあー、と拓斗は声を上げて再び机に突っ伏した。



「そうだよなあ……同世代の方が話とか合うだろうし、うちのクラスいいやつらばっかりだからなあ……上田は顔いいし、藤原はバスケ部のエースだし、林は面白いし……」

「嫉妬するのか生徒自慢したいのかどっちかにしろ」



 ノンアルコールで酔っぱらいのように管を巻く拓斗に呆れ、充はそのまま放置を決め込んだ。その辺りは自分で頑張ってひかりちゃんを振り向かせろと、かつて自分が通った道を思い出しながらビールを追加した。









 拓斗がひかりに呼び出されたのは、それから数日後のことだった。


 美術の授業が行われた日の放課後、拓斗は生徒が提出したプリントの採点を行っていた。授業で扱った技法を用いて静物画を描く課題だったのだが、クラスの中でも大層前衛的な絵を提出したひかりに思わず採点の手を止めて苦笑してしまった。

 どう直したものかと拓斗が悩んでいると、ふとそのプリントの片隅にこっそりと伝言が書かれているのに気付く。

 放課後、時間がある時でいいからあの場所に来てほしい、と。



「放課後って……」



 まさしく今の時間である。拓斗は時計を見上げ、最後の授業終了からかなりの時間が経っていることに気付き慌てて職員室を出て裏庭へと向かった。

 もう部活の終了時間が近い。ひかりはまだ部活には入っていないようなのできっと待ちくたびれているだろう。



「ひか……神田!」

「真城先生」



 拓斗が急ぎ足で裏庭へと向かうと、ひかりは桜の木の陰に座って本を読んでいた。ちらりと見えた中身は料理本のようである。

 校舎からは木に遮られて死角になるその位置で、彼女は拓斗が来たのを見ると嬉しそうに顔を上げた。



「悪い、今気付いた」

「ううん、来なくても仕方ないかなーって思ってたから」



 けれども拓斗はここに来た。昔から、彼はいつだってひかりを迎えに来てくれた。



「……というかなんであんな方法にしたんだ。今日採点するかも分かってなかったし、直接言えばよかっただろうに」

「携帯は持って来られないし、それに先生だと靴箱とか机に手紙入れる訳にもいかなかったから」

「手紙?」

「やっぱり、こういうのは呼び出して言わないとって思って」



 ひかりが本を閉じて立ち上がる。そして拓斗を見つめると、ふわりと微笑んだ。



「真城先生、好きです」

「――え?」

「神田ひかりは、先生が好きです。あなたの特別になりたいんです」



 新しい人生を歩み出した神田ひかりとして、想いを伝える。過去に引きずられているだけでなく、今のひかりだって拓斗に恋しているのだと分かって欲しかった。


 驚いたように目を瞬かせる拓斗を見て、ひかりは小さく笑う。十三年経って、中学生だった拓斗は大人になった。人にものを教える立場になって、以前よりもしっかりして……かっこよくなっていた。

 前のように、ですらない。ひかりの気持ちはずっとずっと大きくなり続けている。どんどん拓斗を好きな気持ちが強くなっているのだ。



「俺で、いいのか」



 ひかりの告白から暫し間を置いて、拓斗は恐る恐ると言った様子でひかりの両肩の手を置いた。その表情は喜びを必死に表に出さないようにしているように見える。



「うん」

「言うまでもないが、俺の傍に居れば色々不運に巻き込まれる。それも……前と違って、今のお前は怪我をさせてしまうかもしれない」

「分かってる。でも気を付けるし、それに私が守ってあげるから!」

「……本当に変わらないな。そういうとこ」



 幽霊のひかりに拓斗は何度も守られた、身体的にも精神的にも。そして彼女が居なくなった後だって、ずっと守られていたのだ。



「他の人には隠さないといけないし、学校では他の生徒と同じように接することになる」

「大丈夫。その代わり二人の時はいっぱい構ってね」

「……俺じゃなくても、今のお前には色んな選択肢がある。それでも――」

「……拓ちゃん、前の私が消去法で好きになったみたいに言わないで! 前も今も、私は拓ちゃんじゃないと駄目なの!」

「……そうだな。悪い」



 ひかりに好きになって欲しいと思いながらも、年上で不幸体質の自分よりも他の人間を好きになった方が彼女にとって幸せなのではないかと心のどこかで感じていた。

 しかし全身で拓斗を「好きだ」と訴える彼女に、そんな考えは失礼で的外れであったことを痛感した。まっすぐに拓斗を見据えるひかりに、拓斗は「ひかり」と、今度こそ彼女の名前を呼ぶ。



「俺も、お前じゃなきゃ駄目だ。幽霊だろうが生きていようが、ひかりがいいんだ」

「……それ、昔同じこと言ってたね」

「そうだったか」

「やっぱり拓ちゃんは変わらないなあ。――ねえ、拓ちゃん」



 ひかりの両手が拓斗の顔に触れる。その手は昔と違い、温かかった。



「大好きだよ。だからもう一度、私と一緒に生きてくれる?」



 ひかりが笑う。笑顔が見える。



「ひかり」



 答えなど言うまでもなくて、拓斗は桜の木に隠れるように強く彼女を抱きしめた。

 今度こそ本当に、ひかりに触れられた。



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