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光の呼び声  作者: とど
二人で生きる
43/55

――「いや、不幸体質は治ったよ」

 三年に上がり、今年も校内に桜が咲いている。



「お、真城。やってるね」

「山田先生」



 じっと目の前の絵に集中していた拓斗は、不意に背後から声を掛けられてようやく我に返った。ちらりと壁時計を見るともう部活の終了時刻間近だ。もうこんなに時間が経っていたのかと少し驚いた。

 珍しくイーゼルを立てて真剣に筆を持っていた拓斗に美術室に現れた顧問は「どれどれ」と彼の描いていた絵を覗き込む。



「へえ、いい絵じゃない」

「ありがとうございます」



 拓斗の目の前にあるキャンバスには一人の少女が描かれていた。肩よりも少し下まで伸びた黒髪の、飾り気の無い白いワンピースを着たその少女は桜の木を背景にとびきりの笑顔を見せている。



「この子、真城の好きな子とか?」

「……そうですね」



 にやにやしながら問いかけて来た山田に拓斗が小さく頷いてみせると、彼女は「お」と少し驚いたような顔をした。照れるか否定するかと予想していたというのに、そのままはっきり肯定されると思っていなかったのだ。

 拓斗は一旦筆をおいて絵と向き合った。ちょうど一年前、拓斗には見えていなかったが確かに裏庭でこんな光景があったのだ。


 ひかりの言葉を心の支えにして今日も拓斗は生きている。しかしふとした時に彼女の存在が恋しくなる時だって勿論あって、せめてと拓斗は紅葉狩りに行った時のひかりの手が映った写真を何度も見返していた。

 しかし今、手元の携帯に残っている写真は少し違っていた。



「ひかり……」



 日を追うごとに、その写真は少しずつ変化していったのだ。徐々に、見えなかったはずの彼女の姿がはっきりと見えるようになっていく。時期に合わないノースリーブの白いワンピースや、ストレートの黒髪、そして心底幸せそうに拓斗に寄りかかるひかりの笑顔。

 まるで覚えていてほしいと彼女が訴えているようだった。


 それを見て、拓斗は改めて彼女の絵を描こうと決意した。いつまたこの写真が変化して彼女の姿が見えなくなっても奇怪しくはないし、何より彼自身の手で幸せそうなひかりの姿を描きたいと思ったのだ。ひかりが自分の傍にいたという証をどうしても自ら残しておきたかった。



「これ、今度のコンクールに出すの?」

「……いえ、止めておきます」

「そう? 結構いいとこ行きそうな気がするけど」

「この絵だけは何があっても出しません」

「どうして?」

「絶対に文句を付けられたくないんで」



 あまりにきっぱりとそう言った拓斗に、山田は暫し目を瞬かせて沈黙する。そしてその後、いつもの彼女らしく爆発するように笑い転げた。



「真城、あんた男らしい! その子のこと大好き過ぎでしょ!」

「……」

「あー最高。ま、元々絵なんて人に評価される為に描くものじゃないしね。あんたいい男になるよ、先生が保証する」

「……どうも」



 言うだけ言って「あっはっは」と笑いながら美術室を出て行った山田に、拓斗は少し疲れた気分になりながら再び筆を持って続きを描き始めた。

 イーゼル越しに見える窓の外は綺麗な澄み渡った夕暮れが広がっていて、ほんの少しだけ夜の暗い青が混じり始めている。ひかりと出会ったあの時も似たような夕方だったなと思い出した拓斗は、そっと絵の中の彼女に向けて小さく呟いた。



「お前が安心するように、ちゃんと生きてるよ」



 そう言って拓斗は、彼女に向けていたように微笑んだ。













「拓ちゃんただいま!」

「お土産いっぱいあるぞー」



 三年の七月初旬、騒がしい声と共に拓斗の両親が予告なく家に帰って来た。少なくとも今年度いっぱいは日本での勤務になったようで、言葉の通り大量の土産を机の上にどさりと置いた両親は、拓斗がおかえりと言う暇もなく彼を強く抱きしめた。



「拓ちゃん大きくなったわね! 身長伸びたでしょ!」

「ちょ、苦しいって! 二人で抱き着くの止めてくれ!」

「子供の成長は早いなー。ところで拓斗、ひかりさんはどこにいるんだ?」

「ひかりちゃんにも可愛いお土産いっぱい買って来たのよ」

「あ……と、その……」



 当然のようにひかりのことを尋ねて来た両親に、拓斗はしばらく何も言えなかった。

 「拓ちゃん?」と不思議そうに母親が首を傾げるのに拓斗は俯いた。その呼び方にひかりを思い出して少しだけ涙腺が緩む。



「ひかりは、もう居ない。……成仏して、消えたんだ」

「……拓斗」



 両親は、それ以上何も言わなかった。ただそのまま静かに拓斗を抱きしめ続けるだけだ。拓斗も必要以上に慰めの言葉を掛けられなかったことに安堵する。

 彼はそっと両親から離れると「大丈夫だから」と小さく笑った。



「あのさ、帰って来て早々なんだけどもうすぐ三者面談があって。母さんか父さんに出て欲しいんだけど」

「……そうだな、もう拓斗も受験か」

「拓ちゃん、進路は決めてるの?」



 両親の言葉に、拓斗は大きく頷いた。彼らが帰って来る前に既に進路希望は提出してあるのだ。



「うん、実は――」



















 今年も、春が来た。


 中学校の校舎前、そこに並ぶ桜の木に沿うように男は歩いていた。空は快晴で、足元に散らばる花びらがアスファルトに彩りを加えている。新学期を迎える日としてはとても良い景色である。

 入学式及び始業式にはまだ十分時間がある。男は一度腕時計に視線を落とすと、校舎をぐるりと回り込むようにして目的の場所を目指した。


 二十代後半の、少し気弱そうな顔をした男。彼はこの学校に勤務する美術教師で、名前は――真城拓斗と言った。


 中学の、この母校に通う頃から拓斗は教師になりたいと心に決めていた。生徒一人一人をちゃんと見て、決してあの子のような生徒が増えることがないようにと、そう決意したのだ。助けられたはずだと誰かを責める前に、自ら出来ることをしようと誓った。――あの少女を救った校長のように。

 不幸体質の拓斗が大勢の人間を相手にする教師になることに躊躇いが無かった訳ではない。しかし昔に比べて周囲をよく見るようになった彼の怪我は確実に減っていて、不幸だと諦める前に何とかそれを乗り切ろうと思うことも増えた。

 ……それでも細々とした不幸は当然のように起こるし、それをネタに一部の生徒に舐められていることも否定できないが。



「……やっぱり、ここだけはちょっと遅いよな」



 拓斗が向かった先は裏庭だ。昇降口から遠いので生徒も滅多に訪れることのないその場所は、彼にとって特別な場所だった。遠目に見えたまだ満開とは言えない一本の桜の木を見た拓斗はぽつりと呟いて裏庭へと足を踏み入れた。


 彼女が好きだった桜。中学二年生の時の、決して忘れることなど出来ない優しくて切ない記憶が過ぎった。拓斗は目を細めて桜の下へ向かい、そしてその木の幹にそっと手を添える。









「危ないっ!」



 その声は、不意に拓斗の頭上から降って来た。



「――え?」



 咄嗟に顔を上げようとする前に、それは拓斗に覆いかぶさるように彼の上に落ちて来る。訳の分からないままそれに潰された拓斗は、体を木の根に強かに打ち付けながら背中にのしかかる何かを確認しようと振り返った。

 そしてその姿を映した瞬間、拓斗は絶句した。


 彼の上に降って来たのは黒髪の少女。真新しいこの学校の制服を身に纏い、大きな目で拓斗を見つめる女の子だった。彼女を目に留めた拓斗は、他の景色が一切視界に入らなくなった。


 まるで、生き写しだ。



「ひかり」



 無意識にその名を口にしていた。

 拓斗は唖然としながら少女を凝視する。そっくりなのだ。十数年前、拓斗が共に暮らした見えない少女と目の前の少女は本当に良く似ていた。

 しいて言えば目の前の彼女の方が少し幼いくらいだろうか。幽霊の彼女の顔は殆ど見られることはなかったが、それでもはっきりと記憶している。本当に、似すぎている。



「すみません……ちょっと上に登ってて」



 酷く慌てた様子で拓斗の上から退いた少女に彼も体を起こしながら上を見上げた。あまり高いとは言えない位置に太い枝を見つけた拓斗は、恐らくその場所によじ登っていて落ちたのだろうと理解した。大人しそうな顔をしているというのに結構行動派なようで……そんな所ですら、あの子と似ている気がした。



「君は……新入生、か?」

「いえ、えっと、今日から二年に転入して来ました。神田ひかりと言います」

「ひかり」



 名前まで同じ。いや、ひかりという名前はよくあるものだ。拓斗が教師になってからも同じ名前の生徒は数人見て来た。

 しかし、顔も名前も一緒など、偶然と言えるのだろうか。



「そういえばうちのクラスに転入生が来るって聞いたな……そうか、君だったのか」

「担任の先生ですか?」

「いや、俺は副担任。美術担当の真城だ。一年間よろしく」

「……よろしくお願いします。あ、携帯」



 立ち上がって頭を下げた少女ははっとしたようにスカートのポケットに入れていた携帯を取り出した。どうやら着信が来たらしい。「すみません」と言いながら彼から少し離れて携帯を耳に当てた彼女を見て、学校に携帯を持ってくるのは原則禁止なのだと言っておかなければなと思った。



「……」



 それはそれとして、拓斗は改めて携帯で話す彼女の横顔を窺った。やはり、何度見てもあのひかりにそっくりだ。そしてふと彼女が転入して来たのが二年だということを考えて、そしてその年を考えて――まさか、と思った。


 中学二年生、恐らく誕生日が来ていないことを思えば目の前の少女は十三歳。そして、ひかりが居なくなってから今日まで、大よそ十三年と、数か月。



「あいつが……生まれ変わった、とか」



 そんな作り話のようなことあるものか。そう言いたいのに、この世に科学では説明できないことだってあることを彼自身は良く知っている。自分の体質だとか、そして幽霊が存在していることだとか。



「――うん、ちゃんと学校に着いたよ。分かってるって、そんなに心配しなくても友達だって作れるし……うん、夕飯はお父さんが言ってた所だよね。……そんなに奮発しなくていいってば! ……分かった、早く帰って私も荷解き手伝うからね。それじゃあ」



 少し距離を取っても携帯での会話は聞こえて来る。相手の声は聞こえないが、それでも家族と話をしているらしいと分かった拓斗は楽しげな少女の表情を窺って、そして安堵した。

 この少女が彼女とどう関係があるのかは分からない。だがそれでもひかりにそっくりの少女が幸せそうに家族と会話をしているのを聞いて、目頭が熱くなりそうだった。


 電話を終えた少女が拓斗の元へとやって来る。それに気付いた拓斗は微かに目元に浮かび上がった涙を密かに拭って、「神田」と彼女を呼んだ。



「学校で携帯は持ち込み禁止だ」

「え、すみません……没収、とか?」

「いや次から気を付けてくれればいいが……家族からか?」

「はい! お母さんが転入初日だから学校まで一緒に来てくれるって言ってたんですけど急に仕事が入っちゃって、だから心配したみたいです」

「……そうか」

「あ、そろそろ行かないと時間が。それじゃあ真城先生、一年間よろしくお願いします!」

「ああ」



 桜の木の傍に置いてあった鞄を手に取った彼女はそう言ってその場を去ろうとする。そして自分もそろそろ戻った方がいいと同じく歩き出そうとした拓斗は、次の瞬間頭部に唐突に襲い掛かった痛みに思わずしゃがみ込んだ。



「痛っ、て……」

「先生?」

「石が降って来た……」



 拓斗の声に反応した彼女が振り返る。どうやら通りがかりのカラスが石を落としていったらしく頭上でガアガアとやかましい声が聞こえて来た。幸いあまり高い所から落ちた訳ではないようで痛みもそれほど酷くはなかったので、彼は少し疲れたように頭をさすりながらよろよろと立ち上がる。


 直後、くすくすと小さな笑い声がした。それは紛れもなく、目の前の少女からだ。






「まだ、その体質治ってないんだね。……相変わらず、拓ちゃんは危なっかしいなあ」

「……!」




 呼吸が止まった。


 小さく笑う少女はひどく優しげな目で拓斗を見て、そしてくるりと背を向ける。

 再び歩き出す少女に、拓斗は慌てて転びそうになりながらもその腕を掴んだ。



「……」



 いきなり腕を掴まれたというのに少女は何も言わない。ただ微笑んでいるだけだ。

 そして拓斗もすぐに言葉が出なかった。何を言えばいいのか、言いたいことがたくさんあり過ぎて声にならなかった。


 風が吹く。桜の木を揺らして、あのスノードームのように花びらを散らす。



「いや、不幸体質は治ったよ」



 そして、ようやく彼は口を開く。目の前の少女――ひかりに向けて、拓斗は泣きそうな顔で笑った。







「だって俺は――今、世界で一番幸せな男だから」







End



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