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光の呼び声  作者: とど
二人で生きる
42/55

42 「ちゃんと、生きていくから」


 ジリリリリ、ジリリリリ。


 いつもの時間、拓斗は泣き腫らして重たい瞼を強引に押し上げて目覚まし時計を止めた。そして、騒がしい音が鳴り止むと途端に部屋の中は静寂で満たされていく。



「……」



 『拓ちゃん朝だよ!』と、そんな彼女の幻聴すらも聞こえてはくれない。


 拓斗はのろのろと着替えを終えると階段を降りて洗濯機を回す。そんな風にいつもの家事をこなしていても、ジュージューとベーコンが焼ける音だったり、カチャカチャと卵をかき混ぜる音だって全く聞こえて来やしない。勿論『ご飯出来たよー』と拓斗を呼ぶ声もない。

 以前は全て一人で行っていたというのに時間が足りない。拓斗はそう思いながらも急ぐ気力も沸いて来なくて、食パンを焼くこともせずにそのまま食べて朝食を終えた。



「……っ」



 すぐに準備して家を出なければならないのに、どうしても拓斗の視線はあちらこちらに動き、そしてそれを見た体は動きを止めてしまう。


 リビングのテーブルに置かれたひかり専用のメモ帳、置いて行かれた桜のスノードーム、叔母さんに聞いたという手書きのレシピ、拓斗が使う時とは微妙に立てかける位置の違う掃除機。そして、玄関近くにある和室。

 家中の至る所にひかりがいた痕跡が残っているのを見た拓斗は、膝から床へ崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。


 あの子は、もう何処にもいない。



「……っ神様は、どれだけ俺のこと、嫌いなんだよ」



 今まで生きて来てさんざんな目に遭って来た拓斗が感じた、最大の不幸。初めて本気で好きになった女の子とは決して結ばれない。それどころか、拓斗が愛すれば愛するほど彼女はどんどん消えて行った。

 けれどそれでも、ひかりに出会ったことに後悔はない。拓斗にとってそれは、最大の幸福だったから。



「ひかり……」



 白く冷たい手、楽しそうに笑う声、少し縦長の綺麗な文字、少しずつ上達していった料理、時折拓斗にまで飛んで来たポルターガイスト。

 ひかりを構成する様々が頭の中に何度も蘇って、目頭が熱くなる。


 ふらふらと覚束ない足取りで靴を履く。こんな日でも当たり前に学校はあって、拓斗は鍵を閉めて家を出る。休もうとは考えなかった。家の中で一人、彼女がいないという事実をまざまざと思い知らされるだけだと思ったから。



「……行ってきます」



 誰にも聞かれることのない言葉を呟いて、拓斗は通学路を歩き始めた。泣き過ぎて頭が痛い。熱でもあるかのようにぼんやりして、視界が悪くて仕方がない。








『危ないっ!』



 よろよろと力なく歩いていた拓斗は、不意にそんな声が聞こえたような気がした。



「……え?」



 反射的に顔を上げて足を止める。するとその瞬間目の前にガシャンと音を立てて植木鉢が降って来る。あともう一歩踏み出していたら確実に直撃していたであろうそれに、拓斗は血の気が引いた。

 恐る恐る上を見上げると傍のマンションのベランダが目に入り、そこから黒猫がひょっこりと顔を出す。犯人はすぐに見つかった。



「……ひかり」



 今のは幻聴だ。何度もひかりが拓斗に告げた言葉が頭の中で繰り返されただけ、分かっていた。

 それでもまるでひかりが助けてくれたような気がして、拓斗はくしゃりと顔を歪めて零れた涙を腕で拭った。



「これで、よかったんだ」



 自分に言い聞かせるように、拓斗は呟いた。

 ひかりは成仏した。未練が無くなったと、満たされたと彼に告げた。だからこれでよかったのだと、悲しんではいけないのだと、拓斗は何度も何度も小さく口にする。


 ……それでも、涙は一向に止まってはくれなかった。













「それでは皆さん、良いお年を」



 担任のそんな声を合図に二学期最後、終業式の日は解散となった。

 わっ、と途端に騒ぎ出す生徒達は冬休みの予定を話していたり、帰りにどこかへ寄ろうと計画を立てていたり、はたまた今夜のケーキは何だろうかとわくわくしている生徒もいた。

 終業式――昨日一日祝日を挟んだ今日は十二月二十四日、クリスマスイブだった。



「……なあ、拓斗」

「何だ、西野」



 拓斗が鞄を持ち上げて帰ろうとした所で、恐る恐ると言った様子で充が声を掛けて来た。ひかりが消えてからの拓斗は正直言って見ていられない有様で、充もさすがに普段のようには話せず極力そっとしておいた。二週間経った今、ようやく表面上は落ち着いて見えるようになったが、それでもまだどこか危うい所があるように感じていた。

 放っておいたら彼女の後を追ってしまうのではないかと、そんな懸念すら過ぎった。



「……」

「用が無いなら帰るけど」

「いや、あるから! あるけど……その、なあ」



 呼び止めたにも関わらず黙り込んだ充に拓斗は首を傾げる。しかし大人しく次の言葉を待っていると充は少し口ごもった後、ようやく覚悟を決めたように拓斗の目を見て、そして言った。



「ひかりちゃんの部屋の、箪笥の下から二段目」

「西野……?」

「クリスマスイブ……今日になったら、そこを開けるようにお前に伝えてくれって、ひかりちゃんからの伝言だ」

「ひかり、が?」

「ああ。……あの時からひかりちゃん、分かってたんだろうな」

「……」



 大きく目を見開いた拓斗を見た充は、あの日のひかりを思い出していた。空き教室に彼を呼び出したひかりは、お願いがあるとそう言って――書いて充に拓斗への伝言を託した。“拓ちゃんには絶対に秘密だからね!”と念を押していた気持ちの裏側には、既に消えることへの覚悟があったのだろうか。



「箪笥の、下から二段目……だな。西野、ありがとう」



 小さく唇を震わせた拓斗が堪えるようにしながら言葉を返す。そして彼はそのまま脇目も振らずに一目散に教室を飛び出して行った。








「ひかり……ひかりっ」



 ぜえぜえ、と酷く息を切らしながら拓斗は家の玄関に立っていた。途中で猫に引っ掻かれたり工事があって大きく回り道をしたりしながら、それでも一度も足を止めることなく家まで走り切った。足元をふらつかせながら靴を脱いだ拓斗は、まっすぐに和室――ひかりの部屋へと体を引き摺る。

 あの日から開けることの無かった戸をそっと横に引くと、畳の匂いと共にいつもの和室が現れた。ひかりは私物が無かったから、見てもこれが彼女の部屋なのだとは分からないだろう。――だからこそ、あのスノードームを渡したというのに。



「箪笥の下から、二段目……」



 充に言われた言葉を何度も確認するように呟いた拓斗は部屋の端にある大きな箪笥の前にしゃがみ込み、そして息を呑んでその引き出しを開けた。



「え……」



 開けるとすぐに目に入っていたのは、光沢のある赤色の袋と緑色のリボンだった。バクバクと煩い心臓の音を聞きながらそっと持ち上げてみると、思ったよりも軽く、そして柔らかい感触がした。

 今日――クリスマスイブに開けるようにひかりが言ったもの。ならばこの中身は、拓斗へのクリスマスプレゼントに他ならない。



「ひかり……」



 リボンを解くのを躊躇う。開けてしまえばそれでおしまいだ。けれどそれ以上に中身が気になった拓斗はややあってからようやく緑のリボンに手を掛けてするりと解いた。

 そして中から出てきたものに、拓斗はしばらくそれを凝視して言葉を失った。



「マフラー……ひかり、あいついつの間にこれ」



 赤い袋の中に入っていたのは赤茶色のマフラーだった。ふわりとした肌触りのそれは少々うねっておりそして思った以上に長かった。

 まさか自分で作ったのか、とタグも見つからないマフラーに拓斗が驚愕していると、広げていたマフラーからひらりと何かが落ちた。


 それがメッセージカードだと気付いた拓斗は慌ててそれを拾い上げ、そして緊張しながら読み進めた。






 ――拓ちゃん、メリークリスマス! きっと直接渡せないだろうなと思ったので西野君に頼みました。ちゃんと聞いてくれたかな。


 プレゼントのマフラーどうかな? 私が全部編んだんだよ! 毛糸も編み針も、ちゃんと叔母さんの家で働いて買ってもらったんだ。拓ちゃんに合う色を叔母さんと一緒に選んだから、きっと似合うと思うよ。

 編み物初めてだったからあんまり上手じゃないけど……その代わりに、拓ちゃんが風邪とか引かないようにっていっぱい念を込めて編みました! あ、大丈夫、呪いとか掛かってないからね? でも、私の代わりにきっと拓ちゃんを守ってくれるよ。


 だから、怪我とか病気とかできるだけしないようにね。夜更かししたら駄目だよ。私がいなくても勉強さぼらないでね。私の分まで、ちゃんと生きてね。

 もし後悔なんて残して幽霊になんてなったら承知しないから!


 毎年、マフラー巻いた時だけでいいから、私のこと思い出してくれると嬉しいな。騒がしい幽霊がいたなって、ちょっとだけでも懐かしんでくれたらいいな。


 拓ちゃん、大好きだよ。だから元気でね。絶対に幸せになってね。拓ちゃんが幸せなら、私も幸せだから――。






「っひかり……!」



 書きたいことがあり過ぎるのだと、そう思うほどにぎゅうぎゅうにカードの中に詰め込まれた文字たちを読んで、拓斗は枯れるほど泣いた涙を再び流していた。


 ひかりらしい文章、それがまるで彼女の声で再生されたような気がして、拓斗は涙を拭いながらマフラーに手を伸ばした。

 長いマフラーをぐるぐると首に巻き付ける。何重にもなったそれはとても温かくて、本当に彼女に守られているような気になる。

 体温のないひかりが唯一残したぬくもりに顔を埋めて、拓斗は静かに泣き続けた。



「忘れない……忘れる、ものかよ」



 ひかりと一緒にいた日々を、彼女が残した言葉を、絶対に忘れやしない。





「ひかりに怒られないように――ちゃんと、生きていくから」




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