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光の呼び声  作者: とど
二人で生きる
41/55

41 「生まれてきてくれて、ありがとう」

 一気に気温の下がった早朝、けれど寒さをまるで感じることのないひかりは、いつも通りの時間にいつも通り起床した。



「……あれ?」



 そして同じようにいつも通り拓斗を起こそうと部屋の外に出たひかりだったが、誰も居ないはずの一階から物音が聞こえたのを不思議に思って階段を上がるのを止めてリビングの方へと向かった。

 聞こえるのは洗面所で洗濯機の動く音、そしてキッチンで水が流れる音だった。もしかして、と彼女がリビングを横切ってキッチンへとたどり着くと、そこには既に起床して手を洗う拓斗の姿があった。



「拓ちゃん、今日はいつもより早いね」

「あ、ひかりおはよう」

「どうしたの? 朝ごはんなら私がやるのに」

「今日は自分で作るよ。だって今日は、ひかりの誕生日だろ?」



 ひかりの声に振り返った拓斗が「誕生日おめでとう」と笑う。そうだ。今日の日付は十二月十日、ひかりの誕生日だった。

 そんな拓斗に、彼女は嬉しさを堪え切れずに口をむずむずと動かし、やがて「なら、お願い聞いてくれる?」と拓斗に問いかけた。



「なんだ?」

「私も拓ちゃんと一緒に作りたいな」

「まあ……ひかりがそうしたいなら」

「うん!」



 心底嬉しそうな声で返事をしたひかりは、拓斗を手伝うべく手を実体化させて手を洗う。二人でキッチンに並ぶだけで、ひかりは終始ご機嫌だった。


 誕生日と言っても今日は平日なので普通に授業がある。勿論その間は特別なことなどなく、ごく普通に授業を受けてごく普通に不幸が舞い込み、そしてひかりは当然のようにそのフォローに回っていた。

 その普通が変わったのは放課後だ。部活もなかった今日、拓斗はまっすぐに家に帰ることはせず、少し寄り道をしてケーキ屋を訪れていた。個人で経営するその店は多少チェーン店よりは高いものの美味しいと評判の店だ。



「ひかり、どれがいい?」

「え?」



 小声で話し掛けられたひかりは少々困惑した。勿論ひかりは食べられないのだから買う必要性は全くない。しかし「誕生日だから」という拓斗に押されて、ひかりは苺が上に乗ったピンク色のクリームの可愛らしいショートケーキの名前をおずおずと伝えた。



「すみません、これひとつ下さい」

「はい、こちらのケーキですね」



 一ピース、ひかりが頼んだケーキが白い箱に入れられるのを見ていた彼女は、たとえ食べられなくても誕生日にケーキを買ってもらうという特別にじわじわと喜びが込み上げて来ていた。

 そしてケーキに気を遣いながら何とか無事に自宅へ帰ると、拓斗は次に夕飯の支度を始めた。その間のんびり寛いでいてくれと言われたひかりは少々手持無沙汰になりながらテレビを見たり拓斗の買った漫画を読んだりしながら時計をちらちらと窺っていた。が、いつもよりも針の進みがずっと遅いように感じる。


 ひかりが暇を持て余し始めた頃、ようやくキッチンから顔を出した拓斗が夕飯の乗った皿をリビングへと運んできた。



「相変わらず美味しそう……」



 拓斗の好物であるハンバーグと、その隣に半熟の目玉焼きと付け合わせのサラダ、そしてほかほかの白いご飯に茄子の味噌汁と、食欲を大いにそそるメニューにひかりは目を輝かせた。美味しそうなご飯は見ているだけでも楽しい気分になると、幽霊になってから知ったことだ。



「さて……」

「拓ちゃん?」



 夕食を全て机に並べた拓斗は、そのまま食べ始めるかと思いきや何故かおもむろに立ち上がり、そしてリビングを出て行こうとした。



「どうかしたの?」

「ひかり、今から階段の上から落ちて来るから」

「……は?」

「上手い事気絶したら憑依してくれ、ケーキは冷蔵庫の中だから」

「ちょ、た、拓ちゃんちょっとストップ!」



 言うだけ言ってさっさと階段の方へと向かおうとした拓斗に、ひかりは混乱しながらも必死に彼の服をひっつかんで動きを止めさせる。



「何考えてるの!?」

「いやだって普段から色々食べたいって言ってるし、せっかく誕生日なんだからこのくらい」

「このくらいって何!? 打ちどころ悪かったら死んじゃうから! それに拓ちゃん前にやらないって言ったよね!?」

「それは言ったけどさ……あ、そうか。戻る時のことうっかりしてた」

「だからそういう話じゃないってば……拓ちゃんの馬鹿」



 疲れたように脱力したひかりが大きなため息を吐く。拓斗は基本的に優しいが、それでもひかりには特別甘すぎる。



「……でも、ありがとう。気持ちだけ貰っておくね」




 そんなひかりにとってのハプニングもありつつ夕食を終える。いつもならばここで宿題を始める時間なのだが、その前に、と拓斗は皿洗いを終えると「ひかり」と彼女を呼んだ。



「ちょっと部屋戻るけどこのままここに居てくれ」

「? うん」



 わざわざそう言って拓斗は階段を上がる。言わなくても多分大丈夫だとは思ったものの、万が一部屋まで着いて来られたらせっかく今まで隠していたものが台無しになってしまうのだから。



「……あったあった」



 そして部屋へ戻った拓斗はそっとクローゼットを開けると、服で隠していた奥の紙袋を手に取り、少しにやけた。一体彼女はどんな反応をしてくれるだろうかと思いながら。

 そおっと慎重に階段を降りる。ここでもし転んで落としたりしたら全てが台無しだ。そうして抜き足差し足で階段を降りてひかりの元へと戻ると、拓斗は彼女を呼びながら後ろ手に隠していた紙袋を前に持って来て差し出した。



「はい、誕生日プレゼント。実は前に一人で出かけた時に買ってたんだ」

「拓ちゃん……ありがとう!」



 少し照れた様子で差し出された紙袋を、ひかりは歓喜に震える手で受け取った。プレゼントを買いに行ってくれたことは知っていたものの、それでも何を買ってくれたのかまでは知らない。



「開けていい?」

「どうぞ」



 拓斗が自分に何を選んでくれたのか、ひかりはドキドキしながら紙袋の中から中身が見えない白い箱を取り出す。少し重みの感じる正方形の箱を丁寧にテープを剥がして開けると、ひかりは「わあ」と思わず感嘆の声を上げていた。



「桜!」

「見つけた瞬間、これだ! って思ってさ」



 箱の中から出てきたのは、桜の木の入ったスノードームだった。両手に納まるサイズのそれは一度ひっくり返すと花びらが舞い、ミニチュアの桜の木から花びらが落ちているように見える。桜の木も細部まで作り込まれており安っぽく見えず、高かったのではないかとひかりは思わず拓斗を窺った。



「拓ちゃん、これ結構高かったんじゃないの?」

「んー……まあ、そんなことない」

「本当に?」

「……いや本当に」



 疑うようなひかりの声に僅かに拓斗が視線を泳がせる。

 最終的に拓斗が払った金額はそこまで多くはなかった。が、実際の所、最初に見た値札には結構な桁が書かれていたのである。しかし手に取る直前で傍に積み上がっていた本が崩れ落ちて拓斗が怪我をした為、店主がお詫びにとかなり安くまけてくれたのであった。これぞ不幸中の幸い、拓斗の不幸に付加価値が付くことなど滅多にないのだが、今回ばかりは運がよかった。

 しかし拓斗はひかりにそのことを説明したくはなかった。彼女の誕生日プレゼントを怪我のおかげで値引きしてもらったなど、ちょっと情けないしかっこ悪い。



「でも、本当に綺麗……」



 少々拓斗を怪しんでいたひかりだったが、それよりも手元のプレゼントの方に気を取られたようで手のひらの上でスノードームを傾けたり色んな角度から眺めているらしい様子を見て、夢中になっているのが手に取るように分かり拓斗は大いに表情を緩めた。



「これだったらいつでも桜が見られるだろ?」

「……拓ちゃん、ありがとう。本当に嬉しい」



 両手で包み込むように、大事そうにスノードームを抱えたひかりは再びじっと花びらが舞うのを見つめた。そして、不意にぼんやりとした記憶が頭の中に過ぎる。



「昔……多分三歳くらいかな。私一度だけお花見したことがあったの」

「花見?」

「うん、お母さんと、多分その時のお父さん代わりの人と一緒に三人で、たった一度だけ近くの公園に桜を見に行った。……殆ど覚えてないんだけどね、それでもすごく綺麗だったことだけは覚えてる」



 幼いひかりが桜の木の下へ行くと、まるで雪のようにひらひらと花びらが降って来た。幻想的で、幼心には花びらが魔法のように見えて、だからきっとひかりは桜が好きになったのだ。



「生きてた時の、きっと唯一の綺麗な思い出だった」

「……」

「なんて、ね。拓ちゃん本当にありがとう! 絶対に大事に――」

「ひかり」



 しんみりとしてしまった空気を茶化すようにひかりが声を上げる。しかしその声を遮って、拓斗は桜を包む彼女の両手をそっと覆うように触れた。



「改めて、誕生日おめでとう」

「……うん、ありがとう」

「俺、お前と一緒に居られて本当に良かった。こうして一緒に暮らして、沢山話せるのが嬉しいんだ」

「拓ちゃん」


「ひかり――生まれてきてくれて、ありがとう」

「――っ」



 拓斗が微笑んだ、その瞬間だった。







 ごとりと音を立てて、スノードームがカーペットの上に落下した。

 落ちた衝撃で、桜の花びらがドーム中に散る。



「え」

「拓ちゃん……ありがとう。本当に、ありがと……ごめん、ね」



 ひかりの手が掻き消える。そしてそれと引き換えに拓斗の耳に聞こえて来たのは泣き笑いのような小さな声だった。



「ひかり……?」

「ごめんなさい」

「いや、割れてないし大丈夫で」

「私……もう消えちゃうの」



 嫌な予感がして、それを聞かぬようにとわざとらしく言葉を紡いだ拓斗にひかりの声が覆い被さる。

 消えると、その言葉に拓斗の目が限界まで見開かれた。



「どういう、ことだよ。そんな冗談……」

「冗談じゃないよ。……少し前から、体がどんどん薄れていってて、足元から少しずつ消えてたの。もう、手も無くなっちゃった」



 震えるひかりの声に拓斗は言葉を失った。手が消えた。実体化を解いたのではなく、消滅した。

 それだけではない。今まで普通に暮らしていて当たり前に傍に居たというのに、すぐ隣で彼女の体が消えて行っていることに拓斗は全く気付いていなかったのだ。



「な、んで……どうして、どうしてそんな大事なこと言わなかったんだよ! 何で、消えるなんて、言うんだよ……っ!」

「ごめんね、拓ちゃん」



 机に拓斗の拳が強く叩きつけられた。どうして消えるのだと、どうして今まで気付いてやれなかったのかと、何度も何度も叩きつけられる手を、ひかりにはもう包み込んであげる手も存在しない。

 ぼろぼろと落ちる拓斗の涙を拭うことだって、ひかりにはもうできやしない。



「なんで、どうして急にそんなことに」

「……未練が、無くなっちゃったの」

「未練、って」

「私ね、生きてる時あんな風で、それで殺されて……きっと、誰かに愛されたくて堪らなかった。それが未練になって、幽霊にまでなっちゃった。だけどね……私、いつの間にか満たされてたの」



 拓斗が好きだと言ってくれた。言葉だけではない、彼がどれだけ自分を大切にしてくれているか、いっぱい、いっぱい伝わって来た。


 最初にそれに気付いたのは叔母の家での電話の後だった。拓斗に好きだと言われ嬉しくて嬉しくて堪らなかったその時から、少しずつ体の崩壊は始まってしまった。

 拓斗に大事にされる度に、好きだと言われる度に、ひかりの体はどんどん薄くなって消えていく。その時に自分が何を望んでいたか、そしてどれだけ満たされているのか分かってしまった。



「拓ちゃんの心をもらえたから、だからもう、十分になっちゃったんだよ」

「……どうして、今まで何も言わなかった。体が消えていくなんて、そんなの一人でずっと抱え込んで!」

「うん、本当は怖かった。消えていくのが怖かったけど……同じくらい、嬉しかったんだよ」

「ひかり……」

「だってそうでしょ、消えていく度に、拓ちゃんに愛されてるんだって分かったから。その証だったから……寂しいけど、もう怖くないよ」



 消えていく理由を悟ったその時、ひかりは決めた。あと少し、拓斗と過ごす時間を精一杯大切にしようと、思い残すことがないように生きようと決めたのだ。大事な時間を壊したくなくて、拓斗には決してそれを告げずに。そしてその時間は、楽しくて愛おしくて、幸せでいっぱいだった。


 生まれてきてくれてありがとうと、拓斗にそう言われて瞬間胸がいっぱいになった。生まれてごめんなさいと自分の生を呪っていた柳ひかりが、初めて生きたことを肯定された。他ならぬ、拓斗に。その言葉だけで生前の自分が全て報われた気がした。

 だからもう、十分なんだとひかりは微笑んだ。拓斗と一緒に涙を流しながら、それでも笑った。



「拓ちゃん、私のこと好き?」

「……っああ、好きだ。ひかり、好きなんだよ……!」

「私も、好きだよ。……だからもう、お別れしなくちゃ。一緒に居てあげるって言ったのに、約束破ってごめんね」

「ひかりっ、」



 行くなと、そう言い掛けた拓斗が必死に言葉を呑み込んだ。ひかりは未練が無くなった、だから成仏するのだ。居なくなるなと言ってはいけない。引き止めてはいけない。

 代わりに何か言おうと思うのに、それなのに拓斗は何も言えずに震える唇を噛みしめた。



「私が居なくなっても、怪我しないように気を付けてね」

「分かってる……!」

「寂しい時や困った時は他の人にちゃんと頼ってね」

「分かってる!」



 分かってなどいない、分かりたくもない!

 危ない目に遭いそうになったらひかりが言ってくれと、寂しい時はひかりが傍に居てくれればいいんだと、叫びたくて堪らない。



「拓ちゃん、顔上げて」



 酷く優しい声に、拓斗は反射的に俯いていた顔を上げた。

 目の前には何もない。あの白い手はどこにもない。


 ――けれど、その瞬間唇に感じたのは、柔らかくて冷たい感触だった。



「さよなら、拓ちゃん。――大好きだよ」





 擦れた声が徐々に小さくなって、そして消えた。


 それ以上、何も聞こえない。誰もいないリビングで、拓斗の呼吸以外、何も。



「ひかり……、ひかり!」



 拓斗は何度も何度も彼女の名前を呼んだ。だが、もうそれに返事をしてくれるあの声が聞こえることはなかった。



「ひかり……!」



 彼は目の前の空間を抱きしめる。彼女が居たはずのその場所を抱きしめて、そしてしゃくり上げながら慟哭した。



「俺も、大好きだ……ひかりっ!」




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