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光の呼び声  作者: とど
二人で生きる
34/55

34 「ひかり、行ってらっしゃい」


「ひかり、大丈夫か? 忘れ物はないか?」

「忘れ物って、そもそも私荷物持てないんだけど……」



 平日の朝早く、いつも学校へ向かう時間よりも早くに拓斗とひかりは家の玄関に立っていた。ただし今回はいつもとは違い、外に出掛けるのはひかり一人である。



「乗り変えの電車とバスは覚えてるか? あと、向こうに行ったら叔父さんと叔母さんによろしくな」

「拓ちゃんそれもう何回も聞いたよ。私子供じゃないんだから」

「でもひかりが一人で遠出するなんて初めてだろ、心配になるって」



 今日ひかりは電車に乗って叔母夫婦の住む家へと向かうことになっている。ひかりが叔父とどんなやり取りをしたのか拓斗は知らない――送信、受信履歴は綺麗に消されていた――が、二日間あちらの家に泊まることになったらしいのだ。

 本当ならば拓斗も着いていきたいのだが学校があるのでそれも難しい。だからこそ不安に想いながらもひかりを一人で行かせることしか出来なかった。



「私のことよりも! 拓ちゃん、自分のこと心配してよ。ちゃんと前向いて歩いて……あ、でもマンホールとか空いてたら怖いから道にも気を付けて、とにかく怪我しないでね」

「ああ、分かってる」

「今日と明日泊まって、土曜日の朝か昼に帰って来るから」



 彼に出会ってからずっと一緒だったというのに数日拓斗に会えないと思うと名残惜しいが、ひかりはそれを振り払うように笑って「行って来ます!」と声を上げた。



「ひかり、行ってらっしゃい」



 見えずとも同じように笑った拓斗が言う。――行ってらっしゃいと、そう言われたのは彼女の記憶の中で初めてのことだった。




 まだまだ通勤時間には早く人も殆どいない電車に乗り込んだひかりは、流れる景色を見ながら一度行っただけの道のりを頭の中で考えていた。電車の乗り換えも必要で、駅に着いた後にはバスに乗らなくてはいけない。


『少しだけの間、俺に雇われてみないか?』


 叔父からそんなメールが来た時、ひかりは驚きと困惑でいっぱいだった。それは勿論、自分でお金を稼ぐことが出来るのならばそれに越したことはないし、むしろ大歓迎だった。

 ただ普通に働くことが出来ないから彼女は困っていた訳で。だからこそ叔父が一体ひかりに何を頼むつもりなのかと内心はらはらしていた。……が、その内容は単純明快だったのだ。


 以前は乗らなかったバスを難なく乗り換えたひかりは、拓斗に教えてもらった通りの道を進み、そして目的の家に着いた。長い間乗り物に乗っていた所為で、身体的には何もないはずなのに疲れたような気分だ。

 実体化させた手でインターホンを押す。きっと今家の中からカメラを覗き込んだらピンポンダッシュに思われるのではないだろうかとひかりが考えていると、程なくして玄関の扉が開き、そこからスーツ姿の叔父が顔を出した。



「……ひかりさん、だな?」

「はい、おはようございます」



 手を使ってそれとなく肯定すると、叔父は体を横にずらしてひかりに家の中に入るように促した。勿論彼女は退かれなくても通れるが、その気遣いが嬉しくて聞こえないと分かっていても「ありがとうございます」と言って頭を下げた。叔父は気配を感じられるとは拓斗に聞いていたが、頭を下げるのも分かるのだろうか。

 家に入ったひかりにまず叔父が差し出したのは、靴箱の上に置かれていたスケッチブックとボールペンだった。筆談用にあらかじめ用意してくれていたらしい。



「これを使ってくれ」

“ありがとうございます”

「いや、朝早くから済まなかったな」

“それは勿論いいんですけど、あの本当に私で大丈夫なんですか? そんなに力になれないと思うんですけど”

「問題ない。大地は君が見えているらしいし、美代にもちゃんと了承を得ているからな」



 ひかりが叔父に頼まれたのは、叔父がいない間の叔母の手伝いだった。今日から二日間出張に行くという叔父はその間家に妻と生まれたばかりの子供だけになるのが不安だったらしく、ひかりをその間家事手伝いとして雇いたいと言ったのだ。報酬は勿論、編み針と毛糸だ。

 しかし叔母はひかりが、というよりも幽霊が苦手ははずなのに本当に大丈夫なのだろうか。そもそも、ほぼ初対面の幽霊に妻子を任せようとする叔父に不安はないのかとも思う。

 ひかりがもの言いたげにボールペンを動かしていると、リビングに入る前にそれをちらりと見た叔父が無表情を崩して小さく笑った。



「俺は良い幽霊も悪い幽霊も何人も見て来たが、ひかりさんがどちらかなんて分かるよ。何しろ拓斗君とずっと一緒に暮らしてるくらいだからな」

“拓ちゃんのこと信頼してるんですね”

「結婚前からちょくちょく会っていたからな。拓斗君は美代が面倒を見ていたことが結構あったから」



 それに、と更に何か言おうとした叔父だったが、ふと腕時計に目を落として「後は美代に聞いてくれ」とリビングに入って行った。出かけるまでもう時間がないのだろう。



「美代、ひかりさんが来た」

「は、はいっ!?」



 叔父の後ろに着いてリビングに入ると、そこには大地を抱っこしてあやしている叔母の姿があった。彼女は叔父の背後、宙に浮かぶスケッチブックを目に留めると声をひっくり返しながら返事をする。

 怖がらせて申し訳ないな、と思いながらひかりはスケッチブックに文字を書いてそれを叔母の方に向けた。



“初めまして、ひかりといいます。頑張りますのでよろしくお願いします”

「え、ええと。拓斗君の叔母です。……数日、よろしくね」

「あ、うー」



 戸惑う叔母とは対照的に大地はひかりを見つけると腕をばたばたさせて彼女に手を伸ばしてくる。それを見た叔父が「やっぱり大地には見えるんだな」と納得したように頷いてリビングの隅に置いてあった大きな鞄を手に取った。



「それじゃあ俺は行くけど、何かあったら連絡してくれ。美代、大地を頼む。ひかりさん、二人を頼む」

“はい!”

「あなた、行ってらっしゃい」

「ああ」



 見送ろうとする叔母を片手で制して叔父がリビングを出て行く。そんな二人の様子を見ていたひかりは、「なんかいいなあ」とほっこりした気持ちになって叔父の背中を見送った。温かくていい家族だ。



「それでえっと、ひかりちゃん?」

“はい! 掃除でも洗濯でも何でも言って下さい! 私が出来ることなら頑張りますから”

「そんなに気を遣わなくてもいいのよ? ……ひかりちゃんって、思ったよりも明るい子なのね」



 独り言のようにぽつりと叔母が言葉を付け足す。そして大地を抱え直した彼女は、少し申し訳なさそうに宙に浮かぶ――正確に言うと宙に浮く手に持たれている――スケッチブックの方へと目を向けた。



「ごめんなさいね。ひかりちゃんがどうってことじゃないんだけど、私幽霊とか苦手で。入って来た時も驚いちゃって」

“いえ、私はいいんですけど……むしろ叔母さんが私と居たら迷惑ではないですか。幽霊と二日間も一緒なんて気が休まらないんじゃ”

「そんなことない!」

「え」



 叔母の大きな声に書きかけだった文字が曲がった。そして聞こえないと分かっていても「あの、叔母さん……?」と不思議そうに呟いたひかりは手を止めて首を傾げた。



「その、ね……私、ひかりちゃんに会ってお礼が言いたかったの」

“お礼って何のことですか?”

「……拓斗君の為に怒ってくれて、本当にありがとう」

「あ」



 ひかりの頭の中に、以前この家で拓斗の祖母に向かって怒鳴り散らした出来事が頭を過ぎった。



「私じゃああなたや姉さんみたいに、あんな風にお母さんに怒鳴れなかった。……何だかんだ言っても、母親だから」

「……」



 叔母の言葉は彼女が意図しない所でひかりの心に突き刺さった。彼女もまた、母親だからという理由で自分を殺したその人を恨むことが出来ないのだから。



「あっ、あう」

「大地にはひかりちゃんが見えるのよね……大地、あの人の霊感体質受け継いじゃったの……」



 自分に注目して欲しいのか声を上げて足を揺らし始めた大地を見て、叔母は小さく溜息を吐く。しかもひかりとしっかり目を合わせて来るので、叔父よりもはっきりと見えているようなのである。

 ばっちりと円らな瞳と目が合ったひかりは思わず胸がきゅんとしてしまった。



“あの、大地君ちょっと触ってもいいですか? 絶対に危害は加えないので!”

「ええ、勿論。よかったら抱いてみる?」

“いえ、体の実体化は難しいので止めときます……”



 体の支えなしに腕だけで抱くのは危険だろう。ひかりはスケッチブックを置くと、そっと大地に向かって手を伸ばし、柔らかい頬にぷにぷにと触れてみた。



「柔らかい……可愛い……!」

「んーっ」

「あ」



 頬をつつく指が気になったのか、大地がひかりの指先をきゅっと掴んだ。そしてご機嫌に笑う赤ん坊に、ひかりは「可愛い……!」とひたすら繰り返すばかりである。

 指から手を離されると彼女はすぐさまその思いの丈をスケッチブックに書き連ねた。



“大地君とっても可愛いです!”

「ありがとう。そういえば拓斗君もこの頃すごく可愛くてね。どこかに写真があったはずなんだけど」

“拓ちゃんの昔の写真! 見てみたいです!”

「じゃあ後で一緒に見ましょうね」

“やった!”



 傍から見れば独り言を話す女性と、そして勝手に文字が書かれるスケッチブックという、そんな奇妙な光景である。


 叔母もひかりもお互い会う前はどうなることかと不安になっていたものの、実際に会ってこうして少しずつ会話を重ねれば、いつの間にか当初のぎこちなさを無くしてごく当たり前に親しく接することが出来てしまっていた。



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