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光の呼び声  作者: とど
二人で生きる
32/55

32 「お前は本当にそれでいいのか?」


「ひかり、この問題訳分かんないんだけど」

「どれどれ? えっとね、これは――」



 休み時間の二年の教室――拓斗のクラスでは、今日も拓斗とひかりが話しながら教科書とノートを広げていた。彼らの間には非常に穏やかな空気が流れており、ひかりを見ることが出来ない充にも、拓斗の表情からその様子がありありと感じられた。



「……」

「西野、どうした?」

「なんでもない」



 机に肘を着いて拓斗の様子を見ていた充に、ふとノートから顔を上げた拓斗が首を傾げる。明らかに眉間に皺を寄せていた充を不思議に思った拓斗が尋ねるものの、彼は静かに首を振ってそれ以上何も言うことはなかった。



「西野君、何かあったのかな」

「さあ……? あ、ひかり。これでいいのか?」

「えーっと、うん、正解!」



 ひかりと共に不思議そうにしていた拓斗が勉強に戻ると、充は気付かれないように小さく溜息を吐いて彼らから視線を外した。そうして彼の頭の中に過ぎったのは、数日前の放課後、偶然見つけた少女の泣き顔だった。






「痛って……」



 部活が終わる直前に転んで膝を擦りむいた充は、保健室に寄ってから帰ろうと痛む片足を軽く引き摺って廊下を歩いていた。



「っ……」

「何だ……?」



 派手に転んだ為思ったよりも出血した膝に顔を顰めながら昇降口へ向かっていると、不意に充の耳に女の子の小さな泣き声が聞こえたような気がした。部活の時間も過ぎ、もう校舎に生徒など殆どいない時間に聞こえたその声に、充は一瞬びくりと肩を揺らして驚いた。


 しかししばらくしても収まらないその泣き声に、彼はどうにも気になってその声の元へと足を向けた。女の子が泣いているのにそのまま無視するなど、充には到底考えられないことだったのだから。



「あれ」



 その声の元は廊下の隅、階段の一段目に腰を下ろして顔を腕で覆っていた少女のものだった。



「和香子ちゃん?」

「……にし、の君」

「どうしたんだ、何でこんなところで泣いて」



 顔を赤くしてぽろぽろと泣いていたのは和香子だった。一体何があったのかと慌てて駆け寄ると、充は鞄の中からまだ使っていなかった予備のタオルを取り出して彼女に差し出す。



「とりあえずこれ使ってくれ」

「あ、ありがとう」



 弱弱しく手を伸ばしてタオルを受け取った和香子がそれを顔に押し付ける。そうして少しずつ呼吸を整えていくのを待ち、充は一人分距離を開けて彼女の隣に腰掛けた。

 暫し時間を置いて彼女がようやくタオルから顔を上げる。そして隣に座る充を見ると、恥じるように顔を俯かせて「ごめんなさい」と小さく口にした。



「タオル借りちゃって」

「いいよ別に。たまたま部活で使わなかったやつなだけだから。……それより、何で泣いてたのか聞いてもいいか」

「……」

「いや、言いたくないなら別に」

「好きだった人に、振られちゃったの」

「……え?」



 充の動きがぴたりと止まる。和香子が好きな人に振られた。それはつまり。



「拓斗が……?」

「え、なんで真城君だって西野君が知ってるの!? 絵里香が何か言ったの!?」

「いや、見てたら分かったし」

「嘘、そんなに分かりやすかった……?」



 恥ずかしい、と泣いてはいないが和香子が再びタオルに顔を埋めてしまう。そんな彼女の様子を見ながら、充は未だに驚きから抜け出せずにいた。

 拓斗が和香子のことをまるで意識していないのは薄々気付いていたが、それでも告白されたとしてきっぱりと断るのは正直予想外だったのだ。



「あいつ、何て?」

「好きな人がいるからって……しょうがないよね」

「は? あいつが好きなやつって、もしかして」



 拓斗に意中の女の子がいるとすれば、充が考え得る人物はあと一人しかいない。だが、それは――。



「ひかりちゃん……?」

「西野君も知ってたの? あの子のこと……」

「あいつ和香子ちゃんにも話したのか? っていうか拓斗のやつ本当にひかりちゃんのことを……?」

「夏祭りの時に偶然手を繋いでるの見ちゃって……でも、そっか。西野君も知ってたんだ」



 ひかりが好きだから、と振られたのだと和香子が俯きながら告げる。その言葉に、はっきり言って充は酷く困惑する。拓斗にとってひかりは身内のようなもので、そこに恋愛感情を抱いているとは思っていなかったのだ。


 ましてや言うまでもなく彼女は幽霊で、そういう対象に入れることを端から考えていなかったのだから。



「真城君の、特別になりたかったなあ……なーんて」



 和香子が明るい声を出して軽く笑った。それが空元気で、そして本音だということはすぐに分かる。充だってひかりのことを知っていたのだ。やはり教えてもらったのは自分が特別だった訳でないと改めて分かって、そして何より彼にとっての特別はとっくに別の女の子のものだったと思い知らされた。

 ぎこちない笑みを浮かべる和香子に充はしばらく言葉を選ぶように黙り込み、そして気遣うような眼差しで口を開いた。



「あのさ……俺でよければ愚痴ぐらいいくらでも聞くよ。ひかりちゃんのこととかさ、絵里香ちゃんには言えないんだろ? 俺ならひかりちゃんのことも、和香子ちゃんの気持ちも共有できるから」

「……ありがとう、西野君って本当に優しいね。……私も西野君を好きになってればよかったのに」

「今からでも大歓迎だけど?」

「あはは……絵里香に怒られちゃうから止めとくよ」

「絵里香ちゃん?」

「えっ?」



 どうして絵里香が怒ることになるんだろうかと充が首を傾げると、和香子は酷く驚いたように短く声を上げて彼を凝視した。

 「え、嘘、分かって無かったの……?」と小さく呟いた彼女は何とも言えない表情を浮かべて彼を見る、



「……西野君、女の子皆に優しくしてるときっといつか大変なことになるよ」

「ん? でも女の子には優しくするもんだろ?」

「分かってないなあ。女の子っていうのはね、自分にだけ特別な人が好きなものだよ」

「ふうん、そういうもんかー」



 女心って難しいなあ、と充が頭を掻くと、和香子は少し呆れたように笑った。作ったものではないその笑みに、少しだけ元気を取り戻したように見えた。






「……」



 そんな、和香子とも会話を思い出しながら充は目の前で応用問題に苦戦する拓斗を見る。

 拓斗が和香子を振ったことに対して充が何かを言うつもりはない。それはそれぞれの気持ちの問題で、彼が首を突っ込む問題ではないからだ。

 だが肝心の振った理由に関しては、充はどうしても拓斗に尋ねておきたいことがあった。



「お前、本当にそれでいいのか……?」



 小さく呟いた言葉は、授業開始のチャイムに全てかき消された。













「何で俺が……」

「それはこっちの台詞だ」



 今日最後の授業である体育の後、拓斗と充はぶつぶつと文句を言いながら授業に使った道具の片付けを行っていた。先生が目を離した隙にふざけていた数人の男子生徒が怪我をして保健室へ連れていかれたのだが、何故か傍に居ただけで一緒に遊んでいたと勘違いされた拓斗と充が罰として片付けを言いつけられてしまったのだ。

 あちこちに転がっていたボールを全て籠に投げ入れる。今日はバレーボールだったので片付けるものが多くて苦労する。最後の授業だったので急がなくていいのがまだ救いだ。



「……なあ、拓斗」

「なんだ?」



 拓斗がボールの入った籠を倉庫まで運んでいると、傍でネットをぐるぐる巻いていた充が声を掛けて来た。いつになく真面目そうな声色に一体何を言われるのだろうかと思いながら拓斗は振り返る。



「お前、ひかりちゃんのこと好きなんだろ」



 ドンガラガッシャーン、と派手な音を立てて拓斗が運んでいた籠が思い切り倒れ、ボールが一気に転がり出す。更に倉庫内の棚から卓球のピンポン玉やラケットまで降って来て、それらが拓斗の頭に直撃した。



「ったあ……」

「おい、大丈夫か?」

「お前がいきなりそんなこと言うからだろ……」



 頭の痛みに顔を顰めた拓斗が、大きく動揺しながらよろよろと立ち上がる。



「で、そうなんだろ」

「……なんでお前に言う必要がある」

「言う必要はないな。それ自体はもう確信してることだから」

「……」

「だけど拓斗、お前は本当にそれでいいのか?」



 拓斗が答えずとも、和香子から話を聞いた充はその答えを知っている。その上で、彼はどうしても拓斗に聞かなければならないことがある。ひかりがいないこのタイミングで、どうしても聞きたいことが。



「どういう意味だ」

「ひかりちゃんは、幽霊だぞ」

「……っそれが、なんだよ」

「本気で言ってるのか? あの子はただの女の子じゃない。ひかりちゃんは生きてないんだ」

「だから、それがどうしたって言ってるんだよ!」



 充の言葉に、拓斗は堪えきれなくなったように叫び彼を睨み付けた。



「ひかりが幽霊だなんてこと、俺が一番良く分かってる! ……それでも、好きなんだよ。悪いかよ」

「ひかりちゃんは見えない、お前以外に声も届かない。それに、一緒に成長もできない」

「西野、お前!」

「もし今後お前が他の女の子を好きになったら、あの子はどうなると思う」



 怒る拓斗に対して充は冷静だった。冷静に、この先のことを考えて拓斗に告げる。今拓斗がひかりを好きなことはいい。だがこれから先、ずっとそう思えるのかと。



「ひかりちゃんは普通の人間とは違う。お前が他のやつを好きになって別れたとして……あの子に次はない。ひかりちゃんの声を聞いて頼れるのはお前しかいないんだぞ。あの子の気持ちを心変わりすることなくずっと背負っていけるのか」

「……」

「中途半端な気持ちで期待を持たせるつもりなら、最初から止めとけって言ってるんだ」



 充はひかりのことをそこまで詳しく知ってる訳ではない。生前のことはニュースで多少知っているくらい――それだってどこまで正しいかも分からない――で、幽霊の彼女については拓斗が通訳する言葉と、憑依した時に少し話したくらいだ。

 だがたったそれだけでも、彼女がどれだけ拓斗のことを好きでいるのかなんて十分伝わって来た。たった一人の拠り所だということを抜きにしても、本当に彼を慕っていると嫌でも分かる。

 だからこそ拓斗が彼女の気持ちに応えるつもりならば、それ相応の覚悟がいるだろうと思ったのだ。今後彼女の気持ちを裏切ることが、傷付けることがないようにと。



「……西野」

「なんだよ」

「ありがとな。ひかりのことを真剣に考えてくれて」



 充の言葉に考え込むように黙り続けていた拓斗が、不意に顔を上げた。その表情には、もう先ほどまでの怒りはどこにも見られない。



「悪い、正直……未来のことなんて分からないし、保証できない。でも今の俺はひかりのことが好きだしひかりより好きな女の子もいない。ちゃんとあいつと向き合いたいと思ってるし、傷付けるつもりも絶対にない」

「……そうか」

「まあ、ひかりが俺のこと好きになってくれるかは別の話なんだけどな!」



 はは、と乾いた笑みを浮かべて少々茶化すように拓斗はそう言った。こいつ相変わらず他人からの好意に鈍いな、と充は小さく息を吐く。……自分も大概だということは勿論彼は気付いていない。



「余計なお世話だったな、悪かった」

「別にそんなことない」

「だったらいいけど。……んで、そんな拓斗君に俺からお願いがあるんだけどなー」

「……お願い?」

「俺早く部活行かねえと先輩にどやされるから後片付け頼む」

「はあ!?」

「ちょっと話過ぎた。それじゃ頼むぞー!」



 ちょっと待て! と叫ぶ拓斗に構わずくるりと踵を返した充は、急ぎ足でさっさと体育館を出て行く。部活の時間が差し迫っているのは本当だが、なんだか拓斗と真剣な話をしたのが少し気恥しくなって来たのもあった。



「さっきの言葉、ひかりちゃんに聞かせてやりたかったなあ」










「……はあ」



 そして一人体育館に取り残された拓斗は、充を追うことなく大きく溜息を吐き……そして、途端にその場に勢いよくしゃがみ込んで顔を覆った。



「……ひかり、いるんだろ」



 がた、と棚が揺れ、まだ落ちていなかった残りのピンポン玉が軽い音を立てていくつも床へと転がった。



「た、拓ちゃん……なんで」

「流石に触ってもいない棚からあれだけ物が落ちれば分かる。西野は気付いてなかったみたいだが」



 ボールの籠を倒した時自分が起こした被害以上のことが起き、拓斗はひかりが来たのを何となく察していた。充はというと、いつもの不幸の連鎖だと思ったのか、はたまた授業時にひかりはいないと思い込んでいたのか、彼女がいないことを前提に話しているようだった。校長が成仏してからというもの、裏庭に行くこともなくなったひかりは以前とは違い授業中でも傍にいることが増えたのだが、充には話していなかったのだから。



「……ひかり」

「は、はい!」

「今言った、通りなんだが……」

「……」



 彼女がいると分かっていながら、拓斗はひかりへの想いを打ち明けることになった。少々躊躇ったものの、「ひかりが好きなんだろ」、とあれだけ確信を持たれて言われたら認めざるを得なかった。はっきり言ってちょっと自棄になっていた。

 そしてひかりはというと、片付けを手伝おうと声を掛け損ねた所で拓斗の言葉を聞いて完全に言葉を失ってしまった。忙しなく指先を動かして動揺していたひかりは死刑宣告を待つかのような拓斗の姿に、意を決してそっと手を実体化させた。

 その手で、拓斗の肩にそっと触れる。



「拓ちゃん……本当に、私でいいの?」

「ああ」

「生きてる普通の女の子じゃなくて、幽霊なのにいいの?」

「生きていようと幽霊だろうと、ひかりじゃないと意味がない」



 顔を見られないように俯いたまま、しかしはっきりとそう言った拓斗にひかりは泣きたくなりながら小さく笑みを溢した。



「ずるい」

「え?」

「拓ちゃん、時々すごくかっこよくなるから本当にずるい。――ねえ、顔上げて」



 拓斗の返事を聞く前にひかりは両手で彼の顔を包み込み、そして自分の方へと顔を上げさせた。



「ひかり」

「私も、時々かっこよくて時々情けなくて、いつも優しい拓ちゃんが……大好きだよ」



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