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光の呼び声  作者: とど
二人で生きる
29/55

29 「誰が、疫病神よ!」


「拓斗君、本当に大丈夫?」

「平気です。あの、手当てありがとうございました」



 額にガーゼを付けられた拓斗――ひかりは曖昧に笑いながら改めて席に着いた。ずきずきと額が痛むがしょうがない。憑依された拓斗が「痛いだろ、ごめん」と謝っている。

 とにかくばれないように、叔母夫婦に拓斗が不信感を持たれないようにしなければと思いながら少し冷めてしまった昼食に「いただきます」と手を合わせた。



“昼食で許してもらえるか分からないけど……ってひかり聞いてないな”

「美味しい!」



 食べ物の前では割と色々なものが吹っ飛ぶひかりは焼うどんを啜ると思わずそう声を上げてしまっていた。人参とベーコン、ピーマンが入った焼うどんは醤油ベースの味でしっとりとしていて、しかし時折焼目が付いた部分が美味しい。



「美味しいです、本当に!」

「ただの焼うどんなんだけど、そこまで喜んでくれると嬉しいわ」

「……」



 満面の笑みで美味しい美味しいと食べるひかりに叔母が嬉しそうに頬を緩める。が、一方で叔父は何か言いたげな顔をしながら彼女――拓斗の顔を窺っていた。

 拓斗がこんなにも満面の笑みを浮かべることなどほぼないのだから、不審に思われるのも無理はない。



“ひかり、何か叔父さんに怪しまれてる気がするんだが……”



 拓斗の言葉に焼うどんを啜っていたひかりはぴたりと動きを止め、そしてぎこちない態度で恐る恐る叔父を窺った。拓斗の指摘で余計に妙な動きを取ってしまう彼女に、「あ、言わない方が良かったかも」と内心後悔する。



「ねえ拓斗君、姉さん達は最近帰って来たの?」

「あ、はい。……俺の、誕生日に帰って来てくれました」



 慎重に言葉を選びながらひかりが答えると、叔母はほっとしたように息を吐いた。



「そうなの、よかった。姉さん達ったらまた拓斗君放っておいてるかと思って……」

「医者なんですから仕方ないですよ」

「う、ん……でもね、やっぱり」

「拓斗君は、どうしてもうちに来たくないのか」

「え」

「何か不満があるなら言ってくれていいのよ?」



 以前と同じように一緒に暮らすことを提案される。しかもまるで今この家に来ていないのは自分達に問題があるとでも言うような言葉に、拓斗は勿論ひかりも返す言葉に困った。



「あの、不満とかそういうことじゃなくて……その、大地君も生まれたばかりで俺まで居たら」

「ああ。だから美代が大変な時に手を貸してくれると嬉しいんだが」

「あー……、と」

“ひかり! どうにかして上手いこと断ってくれ!”



 そんな無茶な、と拓斗の心の叫びにひかりが頭を抱えたくなる。拓斗が一人で大変だからと真正面から提案する叔母よりも、拓斗が居た方が助かると逃げ道を塞ぐように言う叔父の方が数倍厄介だ。

 拓斗が居候を拒む理由は最早言うまでもない。そして叔父はきっとそれを分かっていてあえてこんな言い方をしているに違いない。ひかりにとっては初対面だが拓斗が慕っている叔父だ、恐らく間違っていないだろう。


 ひかりは何とか言葉を絞り出そうと必死で思考を回転させるが……しかしその途中で、頷いた方が拓斗の為になるのではないかという思いが僅かに過ぎった。

 確かに拓斗の不幸体質の問題はある。だがそれに理解を示し、かつ彼を遠ざけるどころか一緒に暮らそうと提案する叔母夫婦なら彼の体質とも上手く付き合っていけるのではないか。例え不幸の巻き添えになっても大丈夫だと言ってくれるのではないだろうか。

 生まれたばかりの大地はいるが、それだって叔父の言うように拓斗が叔母を手伝えるのなら彼女の負担は減る。彼は家事もこなせるので育児に集中できるのはいいことだろう。

 何より拓斗が一人で暮らさなくて済む。朝出かける時には「いってらっしゃい」と言われ、帰ると「おかえりなさい」と言ってもらえる。いくらひかりがいると言っても他の人間と一緒に暮らすのとはまた違うだろう。

 ――ひかりはどうあっても、生きている人間とは同列になれない。



“……ひかり?”

「叔母さん叔父さん、俺……」



 だが拓斗は絶対に自分からはそんなことは言い出さない。断ってくれと訴える彼からすれば余計なお節介かもしれない。だから、今ひかりが頷いてしまえば――。

 軽快なインターホンの音が鳴り響いたのはちょうどその時だった。



「あ……」

「あれ、宅配便かしら。ちょっと見て来るわ」



 叔母が立ち上がり玄関の方へぱたぱたと向かっていくと、出鼻を挫かれてしまったひかりは大人しく口を閉じ、そして箸を握り直した。



「あーっ」



 叔父に抱っこされていた大地がひかりに向かって手を伸ばす。それを見た彼女は先ほど触れなかったこともあり、食事中ではあるがそっと大地に応えるように手を差し出してみた。

 ぎゅ、と指先を握りしめられると、ひかりは思わず頬を緩め、同時に「可愛いな」と頭の中の拓斗の声を聞いた。先ほどまで深刻に考えていたのがどこかへ飛んでいきそうになる。

 険しい顔を緩めてにこにこと大地に笑いかけていると、無言で“拓斗”の顔をじっと見つめていた叔父がおもむろに口を開いた。



「……君、本当に拓斗君か?」

「――え?」


「お母さん!? なんで急に!」



 “ば、ばれてるー!”と叫びかけた拓斗が、玄関から聞こえてきた叫びに中途半端に言葉を詰まらせた。



「来るって言ってなかったでしょ」

「勝手に来たら駄目なんて誰が言ったっていうの。せっかく可愛い初孫に会いに来たのに、親を迎える態度とは思えないね……ん? 見覚えのない靴が」

“……お祖母さん、だ”



 頭の中の拓斗の声色が、ひかりが聞いたこともないようなものになる。酷く恐れているようなその声に、ひかりは玄関にいるらしい拓斗の祖母と彼の関係が決してよくないことを悟った。



“ひかり、どこかに隠れてくれ”

「……拓ちゃん」

“いいから早く! 俺を家に上げたとあの人にばれたら叔母さん達が責められる!”

「分かった」

「拓斗君?」



 拓斗の声に急かされたひかりは、椅子から立ち上がると「すみませんちょっと!」と説明にならない言葉を叔父に言い残して急ぎ足で家の奥へと向かった。



「ちょっとお母さん!」



 と、その直後ばたばたとひかり以外の荒い足音が聞こえて来る。その音はリビングを通って先ほどまで居たダイニングの方へと向かっていた。



「お義母さん、どうも」

「皿の数が多い、やっぱり誰か来てたの」

「……」

「美代、あんたまさか……あれを家に入れたんじゃないだろうね?」



 叔父の静かな挨拶を無視して、しゃがれた老婆の声が拓斗達の耳にも聞こえて来る。拓斗が息を呑んだのがひかりにも分かった。



「何とか言いなさい。あの疫病神を連れて来たの、あんた」

「……拓斗君のこと、そんな風に言うのやめて。それに姉さんの子をうちに招いて何が悪いって言うのよ。お母さんにとっても孫で――」

「あんな化け物が孫な訳ないでしょ! 私の孫はこの大地ちゃんだけよ!」

「ふ、わあああ……!」



 周囲の不穏な空気を感じ取ったのか祖母の怒鳴り声を怖がったのか、ずっと大人しくしていた大地が急に泣き出した。「ほら大人しい大地ちゃんだって泣き出したじゃない!」と理不尽でヒステリックな声が続けて聞こえて来た。



“迷惑、掛けてるよな……”

「拓ちゃん……?」

“俺なんかが居るから、母さんも叔母さんも、こんな風に実の親に色々言われてさ”

「拓ちゃんの所為じゃ」


「とにかく、早くあの疫病神を追い出しなさい! あんなのがここに居たらどんな酷い目に遭うか分かったもんじゃないわ!」


「……」

“ひかり、外に出よう。叔母さん達にも謝りたいけど、今は――”



 ヒステリックな金切り声が少しずつひかり達の元へと近付いて来る。感情を抑えた拓斗の声が頭の中に響く中、ひかりは気が付けば歩き出していた。しかし向かうのは、拓斗が言った玄関の方ではなく、足音がする方へと。



“おい、ひかり! そっちじゃ”

「拓ちゃん、私――もう、我慢できない」



 ふらりと進む足取りとは裏腹に両手には震えるほどの力が入り、そして頭の中は沸騰してしまいそうなほど熱く煮えたぎっている。制止する拓斗の声も、最早聞こえはしなかった。

 キッチンへと足を踏み入れた途端、先ほどまでの金切り声がひかりの真正面から叩きつけられる。彼女が見据えた先には醜いほどに表情を歪めた老婆が一人、こちらを睨み付けて叫んでいた。



「やっぱり居たの、この疫病神!」

「お母さんいい加減に――」

「……誰が」



 空気が震える。がたがたと、窓枠が軋む。



「誰が、疫病神よ!」



 ひかりが叫んだ瞬間、吊り下げられていたおたまやフライ返しが一斉に落下した。突如として起こった怪奇現象に、今まで憎らしげに叫んでいた祖母が途端に「ひいっ」と弱弱しい声を上げる。

 しかしひかりは止まらない。彼女が一歩前に足を踏み出す度に、傍にある皿や鍋ががたがたと勝手に揺れた。



「拓ちゃんのどこが疫病神だって言うのよ! 拓ちゃんはこんなにも温かくて優しい人間だ! 化け物なんかじゃない!」

「な、なんなの」

「拓ちゃんが与えるのは不幸なんかじゃない、幸せだ! 拓ちゃんは私にいっぱい幸せをくれた、一緒にいてずっと楽しかった! そんな拓ちゃんが疫病神な訳がない!」

“……ひかり”



 ひかりが腰を抜かした祖母の目の前に立つ。その瞬間、一際大きなラップ音が響いた。



「大切な拓ちゃんを侮辱するのは、絶対に許さない!」

「た、助けて!」



 必死に立ち上がった祖母が死に物狂いでひかりに背を向けて逃げ出す。ひかりは反射的にそれを追うように足を踏み出そうとした。



“ひかり! もういいっ!”



 しかし直後に聞こえて来た拓斗の声に、今まで怒りで我を忘れていたひかりの意識が一瞬現実へと引き戻された。



「拓ちゃん、わた――」



 しかし踏み出した足は止まらない。そして先ほど落下してひかりの足元に滑り込んでいたフライ返しを思い切り踏んで滑った彼女は、そのまま頭から床へ落下して視界を暗転させた。













 拓斗がゆっくりと目を開けると、そこは見たことのない和室だった。



「痛ってえ……」



 上半身を起こした途端に額と後頭部に痛みが走る。拓斗が怪我をするのは日常的なもので気絶もさほど珍しいことではないが、一体何をしていてそうなったのかしばらく思い出せなかった。



「拓斗君、目が覚めたのか」



 彼がようやく気絶する前のことを思い出したのは、数分後に部屋を訪れた叔父の顔を見てからだった。



「叔父さん……」

「……今度は、本当に拓斗君のようだな」



 ぽつりと独り言のように呟いた叔父が拓斗の寝ていた布団の傍に腰を下ろす。



「頭の怪我はどうだ」

「え? ああはい、大したことないです」

「そうか」



 叔父はそれだけ拓斗に尋ねると口を閉じ彼から視線を外した。あれだけのことをやらかしたというのに、何一つ問い詰めることもしない。

 拓斗の体に入ったひかりが暴走させたポルターガイスト、そしてまるで取り憑かれたかのように――ようにもなにもその通りなのだが――別人のように捲し立てた拓斗を、普通は祖母のように怖がっても、それこそ疫病神だと恐れてもいいはずだというのに。

 拓斗から視線を外しても、相変わらず叔父の目は静かに凪いでいた。



「姉さんの生霊が乗り移ったのかと思った」

「は?」

「と、美代が言っていた」

「姉さん、ってつまり母さんが?」

「以前君達家族が引っ越す直前に同じような口論を義姉さんとお義母さんがしていたらしい」



 あのいつものほほんとして怒った所など見たことのない母親と口論という言葉が結びつかずに拓斗は思わず首を傾げる。

 そんな拓斗に、叔父は珍しく小さく笑って見せた。



「拓斗君は自分達を不幸じゃなくて幸せにしてくれるんだから疫病神じゃないって、義姉さんも言っていたらしい……そこの子と一緒でね」

「え……」



 叔父の視線が布団の近くの何もない畳の上に向く。確かに何もないはずのその場所と叔父の言葉を照らし合わせた拓斗は一瞬固まったのち、慌てて布団から這い出てその視線の元へと向かった。



「叔父さん、もしかして霊感とか……」

「薄っすら気配を感じる程度だ。そこの子も女の子だということくらいしか分からない」

「ひかり、ここにいるのか?」



 やはり、叔父はひかりの存在を分かっていたらしい。だからこそ彼女が憑依した時も気付いたのだろう。しかし拓斗がひかりに呼びかけるものの彼女からは一切返事はない。まだ気絶したままなのかもしれない。



「さっき君の体に乗り移っていたのはその子なんだろう?」

「はい、憑依しちゃったみたいで……あの、キッチンとかもですけど、叔母さんや大地君……お祖母さんも大丈夫ですか? 怪我とかしてませんか」

「何ともない。お義母さんはあのまま帰ったし、美代も色々混乱していたが今は落ち着いている。大地も昼寝中だ……美代は怪談は苦手だが理解はあるから大丈夫だ。俺が昔色々巻き込んだ所為でな」

「……そう、ですか。すみませんでした」

「何に謝ってるんだ」

「お祖母さんとの関係を、悪くしてしまっただろうな、と」



 拓斗はまだいい。滅多に会うこともなければ嫌われているのは前からで、それを修復しようとも思っていなかったから。だが祖母の近くで暮らす叔母達はそうもいかないだろう。

 俯いた拓斗の頭に、ふっと優しく叔父の掌が乗る。



「子供はそんなこと気にしなくていい」

「でも」

「いいからゆっくり休め。夕飯もうちで食べればいいし、その後車で家まで送る」



 だから今は寝ていろ、と叔父は拓斗を再び布団へと強制的に戻すと立ち上がり、そのまま部屋を出て行ってしまった。拓斗が断わるタイミングを一切与えることもなく。

 残されたのは拓斗と、そして傍にいるらしいひかりだけだ。



「……なあ、ひかり」



 叔父が出て行って途端に静まり返る部屋。返事がないのは承知で話し掛けた拓斗は、先ほど気絶する前のことを思い出して布団を頭まで被った。


 憑依したひかりが叫んだ言葉、その一つ一つが鮮明に思い出される。実際に言ったのは自分の声だというのに、しっかりとひかりの声で頭の中に再生される。

 ひかりが祖母の元へ向かった時は酷く困惑したというのに、彼女が祖母に食って掛かったあの時拓斗の心の中にあったのは間違いなく喜びだった。あんなにも全身全霊で他人に自分を肯定されたのは、拓斗の記憶の中では初めてのことだった。

 言葉にならないくらい、嬉しかった。あの時体が自由だったら、きっと拓斗は泣いていた。



「ありがとう……俺のこと、あんな風に言ってくれて」



 拓斗もまたひかりに幸せを貰っている。言葉では言い足りないほどの幸せを。

 すっぽりと布団を被りながら、拓斗は何度も何度もひかりの言葉を思い出し続けた。

 ああ、やばい。



「あんなこと言われて……好きにならない訳ないだろうが……」




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