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光の呼び声  作者: とど
二人で生きる
28/55

28 「……ごめん、また入っちゃったみたい」


「拓ちゃん朝だよ。起きてー」

「……おはよ、ひかり」



 朝、いつも通りひかりに起こされた拓斗は、しかしいつものようにすぐにベッドから出ずに自分の肩を揺さぶっていた手をじっと見つめていた。



「どうしたの?」

「なんでもない……」

「そう? 今日叔母さんの所行くんでしょ? 早く準備しないと」



 拓斗の態度にひかりは首を傾げていたがそれ以上追及せず、「朝ごはん作ってくるねー」と実体化を解いて部屋から出て行った。



「……はあ」



 小さく溜息を吐いた拓斗はのろのろと動き出して着替えを始める。今日は休日なので制服ではなく私服だ。Tシャツとジーンズ、取り立ててセンスがいい訳でもない無難な服に着替えた彼はそのまま部屋を出て階段を降り、そしていつも通り洗濯を始めた。



「……」



 洗濯機を回してキッチンへと向かうと、そこでは動き回る手首がフライパンを持ってオムレツを焼いていた。ひかりの小さな鼻歌をBGMに拓斗がその光景を見ていると、入口で立ち尽くす彼を見つけたらしいひかりが「何してるの?」と不思議そうな声色で言った。



「いや、ちょっと見てただけ」

「変なの、いつもと同じことしてるのに。もうすぐできるからちょっと待っててね」

「ああ、ありがとう」



 ひかりの声に促されるように動き出した彼はキッチンを通り抜けてリビングへと向かう。テレビを付けてテーブルの前に腰を下ろすと、拓斗は起きてから今までに起こったことを思い返し、そして思わず頭を抱えてしまった。

 何ということもないごく普通の日常。朝ひかりの声で起こされて、朝ごはんを作ってもらう。ジュウジュウといい音が匂いと共にリビングまで届いて来て、拓斗は何だかいたたまれない気持ちになって来た。

 女の子と二人で暮らして、毎朝彼女に起こしてもらい、こうして彼女がキッチンに立って手料理を振る舞ってくれる。ひかりが幽霊であることを差し引いてしまえば今の状況は新婚夫婦かと言わんばかりのものである。



「うわあ……」



 毎日当然のようにそうして暮らして来たというのに、今更になって拓斗は冷静に自分の生活を見つめ直して急激に気恥しさやらむず痒さが込み上げて来た。

 突然そんな風に思った理由は単純だ。数日前に言われた和香子の言葉で、妙にひかりを女の子として意識してしまったのだから。今まで全く考えていなかったのはひかりが見えないということも大きいが、彼自身がその体質故に今まで恋愛事にまともに直面したことがなかったからだとも言える。



「はい拓ちゃん、お待たせ」



 そうこうしているうちにひかりが朝食を持ってやって来る。宙に浮いた手が持つ皿が拓斗の前に置かれると、彼はひとつ礼を言って手を合わせた。



「いただきます」

「召し上がれ」



 そんなひかりの声を聞きながらオムレツに手を伸ばす。フォークは苦手なので箸で一口に切って食べようとすると、拓斗は「お」と小さく感嘆の声を上げた。



「チーズ入ってる」

「今日はチーズオムレツにしてみました」



 断面から伸びたチーズに少し驚きながら拓斗はそれを口に運ぶ。ケチャップと塩胡椒のいつもの味に加えてとろりとしたチーズの味が口の中に残り、思わず口を綻ばせた。



「美味しい?」

「うまい」

「よかったー!」



 ひかりの嬉しそうな声に拓斗の表情も余計に緩む。

 拓斗はひかりの顔をテレビに映された写真でしか見たことがない。しかもその写真はどれも楽しそうな表情を浮かべているものは一切なかった。けれどきっと今はその顔が満面の笑みを浮かべているのだろうと、拓斗は頭の中で彼女の笑顔を想像してみた。



「可愛いな」



 ぽつり、と無意識に拓斗は呟いてしまった。



「……拓ちゃん」



 ひかりの声に拓斗ははっと我に返った。思わず口に出してしまったと思いながら、しかし妙に不機嫌そうな彼女の声に首を傾げる。



「ひかり?」

「そうだよね、お天気お姉さんは可愛いよね! 私洗い物してくるから!」

「え? ちょっとおい、ひかり!」



 つい今しがたとはまるで真逆の機嫌の悪い声でそう言い残したひかりは、キッチンへ戻ったらしく水の流れる音が聞こえて来た。一人リビングに取り残された拓斗は天気予報を映すテレビに視線を向け、にこにこと微笑みながら今日の天気を告げる女性を見て嘆息した。

 勘違いだと弁解したいが、ひかりの笑顔を想像して言ったなどととても今の拓斗には説明しにくかった。




「ひかり、行くぞ」

「うん」



 それから洗濯物を干したり軽く掃除機を掛けたりしてから準備を終えた拓斗は外に出て駅へと向かった。今日は数か月前に生まれた叔母の子供――つまり拓斗の従兄弟に会いに行く予定である。出産後に体調を崩した叔母はしばらく拓斗の家へ来ていなかったのだが「ぜひ拓斗君にもこの子と会ってほしい」と言われ、少し悩んだものの叔母の気持ちを優先してこちらから出向くことにしたのだ。


 ちなみに拓斗の持つ紙袋には叔母へのお土産にゼリーの詰め合わせが入っている。少し重たいがあえてゼリーにした理由の大半は彼の体質を考慮して、である。ケーキやドーナッツなどと比べて硬い密閉容器に入ったゼリーは、拓斗がちょっとやそっと転んだりうっかり落としたとしても崩れずに安心だ。

 その理由を聞いたひかりは「そういう基準で選ばないといけないんだ……」と納得すると同時に、まだトラブルが起こる前から対策する拓斗の慣れた様子に同情した。


 駅に着いた拓斗は切符を買うと乗る電車のホームを探す。普段徒歩通学な上遠出もしないので駅の構造には慣れておらず、きょろきょろと辺りを見回しているとすれ違う人にぶつかってしまう。



「すみません」



 思わず謝るが、怒られも睨まれもせずにスルーされた。



「拓ちゃん、三番ホームだって。こっちだよ」

「ああ、ありがとう」



 拓斗から離れて電光掲示板を見に行ってきたひかりが戻って来たらしくそんな声が聞こえる。彼女の声に促されて歩き出した拓斗だったが、「でも電車遅れてるみたいだったよ」というひかりの声に少し歩みを鈍らせた。



「何かあったのか?」

「なんか踏切事故の影響とか書いてあったけど」

「……」

「拓ちゃん?」



 ひかりの言葉に拓斗は無意識のうちに唇を噛みしめて俯いた。危なっかしい歩みで階段を降りてホームに降り立つと、電車が遅れているということもあって多くの人がホームに詰め掛けている。休日でなかったら恐らくもっと酷かったであろう。



「――現在、踏切での人身事故の影響で遅れが発生しています。到着までもうしばらくお待ちください――」

「人身、事故か……」

「……俺の」



 駅員のアナウンスにひかりが小さく呟く。そしてその傍らで拓斗も消え入りそうな声で微かに口を開いていた。事故が起きたのは自分の所為ではないか、と。

 拓斗の不幸体質は周囲にも影響を及ぼすことがある。バスに乗れば渋滞に嵌るし、そして電車に乗ろうとすれば遅れる。飛行機には乗ったことはないが、下手をすれば落下するのではないかとすら思っている。

 だからこそ今回も、事故が起こったのは拓斗が電車に乗ろうとした所為ではないか。勿論彼が電車に乗らない時だって事故が起こるし、普通に考えれば自意識過剰だと思われるだろう。しかしそれでも彼がそう懸念してしまうのは……これから行くことになる場所の所為かもしれない。



「拓ちゃんどうしたの?」

「なんでもない」



 拓斗が生まれた町――祖母も住むあの町に。













 電車を乗り継ぎ一時間半、拓斗とひかりは目的の駅へと降り立っていた。拓斗達が住んでいる場所よりもいくらか都会のこの町は駅も大きく、構内にも色んな店が軒を連ねている。

 迷いそうになりながら何とか外に出た拓斗は、これから乗る予定のバス乗り場に行くための案内板を探していた。



「拓斗君」



 しかしそんな彼の背後から声が掛かる。静かな低い声に急に名前を呼ばれた拓斗が驚きながら振り返ると、駅のロータリーに停められている車の傍に見覚えのある人物が立っていた。



「叔父さん!」

「久しぶりだな」



 拓斗に声を掛けたのは叔父だった。叔母とは違い滅多に家に来ないこの叔父と会うのは拓斗も久しぶりだ。彼が叔父の元へと向かうと、拓斗を見下ろした叔父は一瞬だけ訝しげな表情を浮かべた。が、拓斗は気付くことはなかった。

 叔父は独特の雰囲気を持つ人間だ。比較的寡黙であまり表情を変えることはないが、傍から見て怒っているようには見えない。どこか浮世離れしたような空気の人で何を考えているのか分からないことが多いが、拓斗はこの叔父のそんな雰囲気が割と好きだった。



「電車が遅れていると聞いたから迎えに来たんだ。どうせバスだと余計に遠回りになるだろう」

「……すみません、ありがとうございます」



 そう言って後部座席の扉を開ける叔父に、拓斗は謝りながら車に乗り込んだ。勿論ひかりも一緒だ。電車もそうだが、どうやら車内に居ればひかりもすり抜けることなく一緒に乗り込めるらしい。乗り物の中で幽霊を見たという話は結構あるようなので当たり前といえば当たり前なのかもしれない。



「拓斗君」

「はい」

「君、最近……女の子振ったりしてないよな」

「はい!?」

「……いや、変なことを聞いた。忘れてくれ」



 運転席に乗り込んだ叔父がミラー越しに拓斗を見て何故かそんなことを言った。拓斗と一緒にひかりも首を傾げるが、叔父がすぐに車を発進させてしまった為聞くのも憚られ、疑問を抱きながらも拓斗はもごもごと口を閉じた。叔父はやっぱり何を考えているかよく分からない。

 珍しく運よく何事もなく叔母の家に辿りつくと、叔父が先に家に入り叔母を呼んで来た。



「あ、拓斗君いらっしゃい! わざわざ遠い所来てもらってごめんなさいね」



 拓斗が促されて靴を脱いでいると家の中から赤ん坊を抱いた叔母さんが顔を出した。体長を崩していた所為かそれとも出産後に初めて見るからか、少し痩せたように見える。



「出産おめでとうございます。あ、これお土産です」

「そんな気を遣わなくてよかったのに……でも、ありがとう」



 持っていたゼリーの詰め合わせを見せると叔母は少し眉を下げた後に優しく微笑んだ。叔父にそれを渡した拓斗が叔母の腕の中にいる赤ん坊に目を向けると、きょとんとした顔で拓斗を見返して来る。



「男の子って言ってましたよね。名前は?」

「大地っていうの。仲良くしてあげてね」

「可愛い……」



 まん丸の目で拓斗を見る赤ん坊――大地にひかりも思わずため息を漏らして呟く。



「あ、う」

「え?」



 その円らな瞳と、ひかりは一瞬目が合ったような気がした。




 リビングに通されると叔母は時計を見上げて「もうお昼ね」と口にした。本来ならば拓斗は午前中に出向き、そして叔母達の邪魔にならないようにお昼に帰るつもりだった。



「拓斗君、今からお昼作るけど焼うどんでもいいかな?」

「いえそんな、お構いなく」

「遠慮しなくていいのよ? 私達も今から食べるし、これから作るから待っててね」

「あの……」

「帰りはまた送っていくから時間は気にしなくてもいい。……なんなら泊まっていくか?」

「学校があるので……」

「そうか、残念だ」



 叔母夫婦に押されるように拓斗がたじろぐ。叔母は大地を叔父に預けてキッチンへ向かおうとするので、せめて手伝うおうと立ち上がりかけたが、その前に「大地のこと見ててね」と先手を打たれて僅かに浮き上がった腰を再び下ろすことになった。



「拓ちゃん諦めなよ」

「でも、あんまり長居すると迷惑に……」

「危なそうだったら私も言うし、たまには叔母さん達に甘えればいいと思うけど」



 自分がいることで叔母達家族に悪いことが起こったら、と不安になっている拓斗にひかりは宥めるようにそう言った。彼女からすれば、甘えられる人がいるのだから拓斗はもう少しそれに頼るべきだと思っている。何せしっかりしているとはいえ拓斗はまだ中学生なのだから。



「……拓斗君、大地抱いてみるか?」

「え、大丈夫なんですか」

「ちゃんと持てばいい」



 叔父が大地を拓斗に渡そうとすると、彼はびくっと慄きながら躊躇いがちに手を伸ばす。叔父は自分の服を掴んでいた大地の手を外し、拓斗に赤ん坊の抱き方を教えながらそっと受け渡した。

 予想よりも重く柔らかい感触が腕に掛かり、拓斗はがちがちになりながら腕の中で大人しくしている大地を見下ろした。親から離されても泣くこともない赤ん坊は拓斗に視線をやりながら「あー」と声を上げながら手を伸ばしている。



「あんまり泣きませんね。大人しい」

「ああ、夜泣きもあんまりない。同じ頃に生まれた他の子よりも大人しいらしい」

「叔父さん似ですかね」

「目は美代に似てるけどな」

「やっぱり赤ちゃんって可愛い。触りたい……」



 とろけそうなひかりの声が聞こえて思わず拓斗が苦笑する。しかし叔父がいる以上手を実体化させる訳にもいかず、羨ましがるひかりによく見えるように彼女の声のする方へ体を傾けた。



「あれ? 何か……」



 しかし直後、拓斗に聞こえて来たのは喜ぶような声とは違い、どこか困惑したものだった。



「拓ちゃん」

「?」

「あの……何か大地君と、目が合ってるんだけど」

「は?」



 拓斗が大地を見ると、気が付けば拓斗を見ていた視線は動き、何もない……ように見える宙をじっと見つめていた。まるでそこに何かが見えるとでも言うように。



「拓斗君?」

「あ、いえ何でも……」

「……」



 叔父の前だというのにぽかんと口を開けたまま驚いてしまった拓斗は慌てて取り繕うように首を振って大地を叔父の腕に返した。いきなり「大地君って霊感あるんですか」などと聞く訳にもいかない。



「ご飯できたからこっち来てー」



 と、その時リビングの外から叔母の声が聞こえて来た。ちょうど話を切るのにいいタイミングだ。拓斗は叔父と一緒に立ち上がり、皿を並べているダイニングへと向かった。



「口に合うといいけど」

「叔母さんのご飯はいつも美味しいですよ」



 先ほど叔母が言った通り昼ご飯のメニューは焼うどんだ。いい匂いに表情を緩ませながら拓斗は空いた席に座ろうとテーブルを回り込む為に足を踏み出す。

 がつん、と足の先が叔母の座る椅子の足に引っかかったのはその時だった。



「あ」

「危ない!」



 足先の痛みと共に体が前に倒れる。その先に大地を抱いた叔父がいるのに気付いた拓斗は咄嗟にぶつからないように体を捻らせ、そしてその先にある椅子の背に強かに額を打ち付けた。

 拓斗がよろめくと同時にひかりも手を伸ばす。が、ぶつかるまでの距離が近すぎて間に合わなかった。



「いっ」

「拓斗君大丈夫!?」



 一瞬意識が飛んだ。

 目の前が真っ暗になり、しかし次の瞬間拓斗は何故か痛みから解放されていた。



「あ、あれ?」



 ――そしてそれと同時に、自分の体の感覚もまた無くなっていた。



「……拓斗君?」

「え、あの……大丈夫です、はい」



 困惑した拓斗の声が聞こえる、が拓斗自身は話していない。そして勝手に立ち上がった体に拓斗は思わず絶叫するが、勿論“体の外”には届いていなかった。



「……ごめん、また入っちゃったみたい」



 殆ど聞こえてない声で“拓斗”が呟いた。

 ……助けようとした拍子にまた、ひかりが憑依してしまったのだ。



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