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光の呼び声  作者: とど
ひかりの記憶
24/55

24 「……ごめんなさい」

 柳ひかりは私生児だった。

 幼い頃からひかりが認識していたのは母親だけだ。父親の顔も見たことがなければ、祖母や祖父に会ったこともない。彼女が成長してから知ったことだがひかりの母親と父親は彼女を身籠ったことで駆け落ちしたが、しかしひかりが生まれる前に別れてしまったという。


 父親もいない、そして周囲の反対を押し切って駆け落ちした為頼れる親類もいない。元々裕福な家庭で育った母親は自分で働こうという気もなく、また別の男性を頼りその家に転がり込むことになった。



「別れてくれ」



 しかしそんな生活は長くは続かない。たった数か月で別れを切り出された母親は、鬱陶しそうに自分を見る男にどうしてと問う。

 答えは簡単だった。子供――ひかりが邪魔だというのだ。生まれて間もない赤ん坊のひかりは当然自分で何もできない。すぐに泣き騒ぐ、それも自分の子ではない赤ん坊だ。男はひかりが邪魔で仕方が無かった。



「っあんたがいるから!」



 母親はヒステリックにひかりに声を荒げるようになった。まだ言葉も分からない赤ん坊の彼女に、何度も何度も酷い言葉を投げかけていった。

 それから次々と住む場所と取り入る男性を変えていった母親は、ひかりが五歳になると借りたアパートにひかりを置いて一人男の所へ入り浸るようになった。一日に一度は家に帰って来たものの、最低限のひかりの世話をするとすぐにいなくなる。幼稚園にも行っていないひかりは一日中殆ど一人で過ごし、毎日母親恋しさに泣いていた。



「お母さん……お母さん」



 しかしいくら泣いてもひかりの元にいる時間は増えてはくれない。丸一日母親が帰って来なかった時空腹で死にそうになったひかりは、その時から自分の力で何とか生きなければいけないと悟り――母親に対して諦めの感情を抱いた。当時、ひかりは小学校へ上がったばかりだったというのに。


 お湯を沸かしてカップ麺を作る所から覚え、掃除機の使い方も覚えた。一人で風呂にも入り、着替えも学校の準備も自分で出来るようになると、気が付けば母親は帰って来なくなっていた。ひかりが自分で生活できると判断してこれ幸いと家に寄りつかなくなったのだ。



「……ただいま」



 小学校から帰宅したひかりは、誰も居ない狭いワンルームで小さく溜息を吐いた。部屋の中央にある小さなテーブルには封筒に入ったお金が置いてある。母は決まって、ひかりが小学校に行っている間にこうして生活費を置いていくようになった。顔も見たくないと言われているも同然だ。

 ひかりは重たい体を引き摺ってランドセルを下ろす。どうやら風邪を引いたらしく体が熱くて苦しい。風邪薬はおろか体温計すらない家で、ひかりは水だけ飲んで布団に横たわる。

 熱い、それなのに寒い。苦しい。――寂しい。



「お母さん……帰って来てよ」



 擦れた声で母を呼ぶ。しかし勿論ひかりの声は相手に届く訳もなく、冷え切った寒々しい部屋でひかりは一人泣くことしか出来なかった。








 中学に入ると、時折母親は家に帰って来るようになった。しかしそれはひかりに会いに来たのではない。帰って来る度に酷く荒れていた彼女に、ひかりは男と別れたから戻って来たのだと聞かずとも悟っていた。



「あんたがいるからまた上手く行かなかったのよ!」

「……ごめんなさい」



 母がひかりに手を上げるようになったのはこの頃だった。狂ったように叫びひかりを殴る母に、彼女は抵抗しなかった。幼い頃から心に刻まれた諦観が、ひかりに反抗する気さえ起こさせなかった。

 顔や体、至る所を殴られて怪我をするひかりに、しかし周囲の人間は何も問い詰めることはなかった。



「おはよー、宿題やった?」

「やってないやってない。それよりさ、昨日のテレビで」



 中学校へ登校したひかりは、クラスメイト達の会話を聞きながら一人静かに席に着く。

 幼稚園にも通わず、更に幼少期に殆ど会話をすることがなかった為上手く話せなかったひかりは、小学校へ入学しても他の子とまともに友人関係を作ることが出来ずにいた。その所為で周囲からは無視され、そして学区が同じ中学に上がっても代り映えのしない同級生達にいないものとされたのだ。



「……」



 自分の席で俯いて、じっと時間が経つのを待つ。授業以外のそんな時間がひかりにとって苦痛で堪らなかった。そして担任が教室へ入って来ても、明らかに顔に怪我をしているひかりを見ても何も言わない。面倒事に関わりたくないのだ。


 ――助けて、と誰かにそう言えたらよかった。しかし彼女の傍にそんな人間はいないし、ひかりも声を上げることはしなかった。全て諦めて、静かに絶望していた。



 ひかりが奨学金で女子高へ入学すると、その頃には母は殆ど家にいることが多くなっていた。ひかりが生まれて十五年、母はもう以前のように若くなく、頼れる男も捕まえられなくなっていたからだ。

 高校生になると、ひかりはすぐにバイトを始めた。何とか雇ってもらったスーパーでひたすら働き、そして自分と母の生活費を稼ぐ日々が始まったのだ。

 朝起きて家事をしてから学校へ通い、終わると夜までバイトをして家に帰ると酔った母に罵倒と暴力を振るわれる。そんな狂いそうな毎日で、しかし全てを諦めていたひかりは狂うことすらできなかった。






 ――その時が訪れたのは、ひかりが高校二年に上がる入学式の朝だった。



「あんた、何学校行こうとしてるの」



 制服に着替えたひかりに、母親はそう言って彼女に手を上げた。



「学校なんて行ってる暇があったら働きなさいよ、働け」

「お母さん……」

「っあんたにお母さんなんて呼ばれたくないわ!」



 床に引き倒されたひかりは、押しつぶすように上に乗った母に何度も、何度も殴られた。痛みで滲んだ視界で見上げた母は昔のように化粧をすることもなくなり、ぼさぼさの髪を振り乱して酷く顔を歪ませている。

 そこに、ひかりの“母”としての人はどこにも見えなかった。



「あんたさえ、あんたさえいなければ私は幸せになれたのに!」

「っごめ、ん、なさ――」



 ごめんなさい。ごめんなさい。生まれて、ごめんなさい。



 そこから、ひかりの記憶は途切れている。




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