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光の呼び声  作者: とど
ひかりの記憶
18/55

18 「何で泣いてるの!?」

 一学期が終わり、中学生の拓斗は今日から夏休みに入った。拓斗は宿題がどっさりと出されて顔を引きつらせていたものの、それでもやはり待ちに待っていた休みだ。昨夜は解放感に満ち溢れて気分よく眠りに着いた。

 ……と、いうのに。



「三十八度もある……」

「何でこうなるんだよホントに……」



 夏休み初日、拓斗は早速体調を崩して寝込んでいた。体温計を見たひかりがその数値の高さに思わずため息を吐く。休みの日にしたっていつまでも起きて来ない拓斗を不思議に思った彼女が様子を見に行くと、未だにベッドに横になっていた拓斗が苦しそうに唸っていたのだ。

 頭がガンガンと打ち付けられるように痛み、加えて熱の所為で思考が酷くぼんやりとしている。ぐったりと寝る拓斗を心配そうに見つめたひかりは、枕元にある携帯に視線を移した。



「ねえ、拓ちゃんのお父さんとお母さん、連絡したら帰って来られないの?」

「海外だぞ? 無理だ」

「じゃあ叔母さんは?」

「出産したばかりで負担掛けたくないし、第一移したらやばい」

「……西野君」

「サッカー部はどうせ多分毎日部活だ。この時間ならもう学校行ってるだろうし」



 全滅だ。美術部の子達はどうかとひかりは思ったものの拓斗が首を横に振った。彼からすれば同じ部員ではあるが、休みの日に看病しろなんて言えるようなそこまで遠慮のない関係ではないのだ。



「じゃあ拓ちゃん、自分で病院行ける?」

「……ちょっと無理だ。大人しく寝てればそのうち治るからいい」

「ホントに?」

「去年もそうだったし……とにかく平気だ」



 全く平気そうな顔色ではないのに、とひかりが無言で目を細める。こうなったら拓斗はどうあっても他の人間に頼ろうとしないだろう。

 ならば、人間ではなく幽霊のひかりが何とかするしかない。



「拓ちゃんは私が看病するから安心して!」













「……とは言ったものの」



 十分後、ひかりは早速一人で途方に暮れていた。拓斗が他の誰かを頼らないのなら自分が頑張るしかない、と意気込んでいた彼女だったが、既に問題にぶつかっていたのだ。

 風邪薬がない。薬箱を開けてもそこには酔い止めや胃薬しかなく風邪薬が見つからなかったのだ。きっと切らしていたのだろう。必要な時しか探さないので買うのを忘れていたのかもしれない。

 辛うじて冷却シートは見つかったので拓斗の額に貼り付けておいたが、続いてひかりを困らせたのは冷蔵庫の中身だった。



「なーんにも、ない」



 冷蔵庫を開けると見事にすっからかんである。拓斗に栄養満点の病人食でも作って上げられたら、と考えていたひかりの気持ちを打ち砕くかのような広々とした空間に、彼女は溜息を吐いて扉を閉めた。

 本当なら買い物は今日拓斗と行く予定だったのだ。辛うじて残っているのは炊飯器の中の一杯分のご飯のみ。

 せめて卵があればよかったとひかりは昨晩の夕飯を後悔する。賞味期限も迫っていたので拓斗が一学期を終えた自分へのご褒美にと、普段は一つしか使わない卵を三つも使って半熟とろとろの美味しそうなオムライスを作っていたのだ。まさかここで不運のリターンが来るとは思わなかった。



「とにかく、ご飯だけで何とかしなきゃ」



 風邪を引いた拓斗をあまり一人にしておきたくはないので手早く作らなければ、とひかりは意気込んだ。病気の時に一人でいるのはいつも以上に寂しくて堪らないと、彼女も痛いほど分かっているのだから。

 ……どうして記憶のないひかりがそんなことを理解していたのか。しかし拓斗を心配するあまり、彼女はそこまで気が付いていなかった。




「……あーあ」



 リビングに置いてあるパソコンでレシピを見ながら何となく雑炊を作り終えたひかりだったが、リビングとキッチンを往復しているうちに少し焦がしてしまった。味は大丈夫かと不安になるものの、味見も出来ない為それを確認することも不可能だ。

 できないことばかりだ、と焦げた雑炊を見てひかりは肩を落とす。普通の人間だったら、と考えても無意味なことばかり彼女の頭に過ぎった。

 拓斗を病院に連れて行くことも、代わりに買い物に行くこともひかりには出来ない。料理をしても味を確かめることも、それどころか満足に作ることだってできていない。



「……早く拓ちゃんに持って行ってあげよ」



 だがそんな泣き言ばかり言ってはいられない。苦しんでいる拓斗に今自分でできることをしなくては、とひかりは落胆していた気持ちを奮い立たせて拓斗の部屋へと向かった。

 他の人に出来なくても、彼女にだけ出来ることもあるのだから。













「この、疫病神!」


 酷く顔を歪めた祖母が、そう言って拓斗を指さす。


「拓斗君……二度と顔を見せないで」


 冷たい表情の叔母が感情の籠らない声で言う。


「拓斗、お前は一人でいるべきなんだ」

「お別れね」


 両親が拓斗に背を向ける。


「俺に近付くな、不幸が移る」


 充が睨みながらそう吐き捨てる。


「拓ちゃん、私は――」


 ひかりは、拓斗に――





「拓ちゃん!」

「っあ……」

「すごい魘されてたよ、大丈夫!?」



 拓斗が重たい瞼を上げると見慣れた自室の天井が映った。が、声の聞こえる位置から考えて天井との間にひかりが拓斗を見下ろしているらしいことは容易に想像できた。

 心底心配したと言わんばかりの声を聞いて、拓斗は今自分が見ていた悪夢を薄っすら思い出した。

 周囲の全ての人間に拒絶される夢。実際の所夢は夢であって現実ではない。祖母に関しては幼過ぎた拓斗が記憶していないだけで事実ではあったが、他は全て虚構。両親や叔母、充に夢で見たような言葉を言われたことはなかった。

 ……しかし、言われていないだけで彼らの内心はどうであろう。病気で弱った心が不意を突くようにそう囁いた。



「ひかり、俺……」

「タオル持って来たから汗拭かないとね。あと雑炊作って来たの。……ちょっと焦げたけど」



 拓斗が動揺している間にもひかりは甲斐甲斐しく世話を焼く。そして差し出された器によそわれた雑炊は確かに少々……香ばしい匂いがしていた。

 食欲はあるかと尋ねられ、あまりなかったがひかりの厚意を無碍に出来ずに頷いた。



「はい拓ちゃん口開けて」

「……」



 そしてひかりは当然のようにスプーンを拓斗の口元へと持って行く。身体的にも精神的にも参っていた拓斗は抵抗する気力もなく、大人しく口を開けるしかなかった。



「ごめんね、味見できないから分からないけど食べられないものじゃないはずだから」

「……ああ」



 一口拓斗の喉を通ったそれは、お世辞にも絶賛できるような味ではなかった。不味くはないのだが、焦げるほど煮詰めた所為か異様に味が濃く、そして僅かに炭の味がする。



「しょっぱい」

「え」

「けど……温かい」



 だがそれ以上に、ひどく心が温まる。今見た悪夢を忘れてしまいそうになるほど。

 いつの間にか不安に揺れていた心が静まり、雑炊を嚥下した拓斗はそこにいるであろう彼女に笑い掛けた。



「次、もらっていいか」

「え、いいの? しょっぱいって言ったけど……」

「いいから」

「……ありがとう」



 お礼を言うのは拓斗の方だというのに、ひかりは嬉しそうにそう言った。




「ご馳走様」

「うん。……本当はこの後薬飲まなくちゃいけないんだけどね……」



 雑炊を食べ終えると、器を机に置いたひかりの手が拓斗の額に触れた。もう温くなった冷却シートを取り換えた彼女は小さくため息交じりに呟く。



「去年使い切って買ってなかったんだな。すっかり忘れてた」

「ごめんね拓ちゃん。私幽霊だから、買い物も一人じゃいけないし」

「なんでひかりが謝るんだよ」

「さっきからあんまり役に立ててないなーって思って。もし他の人だったら買い物に行って薬や食べ物だって買えたし、車運転出来たら病院にも連れてってあげられた」

「ひかり」

「でもね」



 元はといえば拓斗が風邪を引いたのが悪いというのに。自分を責めるひかりに彼が否定するように声を出すと、それを遮るようにひかりが拓斗の手を握った。

 体温の無い、冷たくて優しい手だった。



「仕事もない、子供もいない、学校もない幽霊の私はずっと拓ちゃんの傍に居て上げられるよ!」

「……」

「あれ、何で黙るの……って拓ちゃん!?」



 熱の所為だと、そうに決まっていると拓斗は自分に言い聞かせる。だからいつもよりもちょっとばかり涙腺が緩くなっているのだ。全て風邪の所為、なのである。



「何で泣いてるの!?」

「気のせいだ」

「そんな訳ないでしょ!? どこか苦しいの? 大丈夫?」



 きっとひかりの顔が見えていたらさぞかしおろおろと取り乱しているだろうと想像ができる。そんな彼女の様子に、拓斗は胸が苦しくなると同時にじわりと心地の良い熱が籠った。

 拓斗が手を握り返すと、もう片方の手も彼の手を包み込んだ。



「嬉しい」

「え?」

「俺の傍に居てくれるのがひかりで、本当によかった」

「……ホントに?」

「勿論。他の人や他の幽霊じゃなくてひかりだからこそ、本当に嬉しい」

「拓ちゃん……そういう言葉は取っておいた方がいいと思うよ」

「何でだ?」



 優しく微笑んでそう言った拓斗には、赤くなったひかりの顔は見えていない。

 「拓ちゃんってちょっと天然なとこある……」とひかりは首を傾げている拓斗を見て少しだけ呆れた表情を浮かべた。









 次に拓斗が目を覚ますと、カーテン越しに夕焼けのオレンジ色が見えた。いつの間にか眠っていたらしい、先ほどよりも頭痛が収まっているように感じる。


 そして、目が覚めた拓斗の片手は――女の子の冷たい手と変わらずに繋がっていた。



「拓ちゃん、おはよう」


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