フルアーマーヒステリックウーマン
驚いたことにこの国には正座があった。 しかし聞くところによると、この姿勢をする時は処刑の前ぐらいとのこと。この国ではかなり屈辱的な姿勢らしいが、私とリアは問答無用で食堂の床でやらされていた。
「ねぇ、仁義くん? アタシはさぁ、あなたに何をするように頼んだっけ?」
ねっとりと、後を引いて絡むような声が頭上に降りかかる。
「日暮れまで薪を割れ。ジェフからはそう聞いていた」
「ええ、その通りよ。アタシは薪割りを頼んだわ……」
異様に笑顔なリズリィは瞳を閉じたかと思うと……すぐに目を剥いた。
「じゃあ何でぜんぶ木炭にしてんのよッ!!」
「あの、リズリィさん……今回ばかりは私のせい、です……」
顔を伏せているリアだが、その告白には申し訳なさが詰まっている。
「ええ、確かに、火をつけたのはリアちゃんらしいわね……」
「それでも」と続け、目を鋭くして私を睨む。
「どんな経緯があったってバイトが犯した失態はぜんぶバイトリーダーの責任よっ!!」
「私はバイトリーダーだったのかね?」
「リアちゃんはまだ子どもなんだからあなたが監督するのは当然でしょ?! それにそもそもリアちゃん
には受付を頼んでたのに何で一緒に薪割りやってんのよ!」
「っそれは――」
咄嗟に顔を上げて何かを言おうとしたリアだが、リズリィのマシンガントークにかき消されてしまう。
「というか何で薪割るだけなのに魔法使ってんの? しかも炎! 意味分かんない! 焼き切ろうとでもしたの!? それに分かってるの? もっと火が大きくなってたらアタシの家が燃えてたのよ!?」
「ついでに俺の店もな」
厨房からひょっこりとジェフが顔を出す。
「早く消せたからいいものの、薪置き場はもう丸焦げよ。まったく、まあジェフさんの仕事が増えるだけだからいいけど」
「なんでだよ!?」
「とにかく、次からは気をつけなさいよね。あともうリアちゃんはここの敷地内で魔法使うの禁止!」
「はい……すみませんでした」
ビシッと人差し指を突きつけるリズリィに、リアは申し訳なさそうに視線を落とす。
「仁義くんも、次こんなことが起きたらただじゃおかないから」
「うむ、申し訳なかった」
頭を下げると、リズリィが深く息を吐く音が聞こえた。私は数時間に及ぶ説教を覚悟していたのだが、どうやらそれが説教終了の合図だったようだ。
「……まあ、けが人もいなかったし、もういいわ」
「え、もう許してくれるのですか?」
驚いたように顔を上げるリアだが、既にリズリィは私たちに背を向けていた。その背中からは怒りは感じられず、ただ少しの呆れがあるだけ。
「明日は今日の倍働きなさい。アタシは色々と疲れたからもう寝るわ。ジェフさん明日も同じ時間に起こして」
「りょーかい」
「ぬ、そういえばまだ転職の話しを――」
「それはまた今度にしましょう。今は準備で忙しいの」
やはりまだ怒っているのだろうか。振り返ることなくいつもより冷めた口調で言い、リズリィは建物の奥へと去っていった。
第一声はどうしようかと迷っているのか、食堂には微量の緊張感を残した沈黙が生まれた。
しかし、ボヤ騒ぎを起こしたバイトを解雇しないとは、リズリィもなかなかに寛大な雇い主のようだ。
「あ、やっぱり明日から二人の時給半分ね」
リズリィはひょこっと頭を出して言い放ち、すぐ亀のように首を引っ込めた。
「………………」
「………………」
寛大…………?
「ま、自業自得だなぁ」
ニヤつき顔でジェフが口を開く。
「……あの、本当にすみませんでした」
「まぁ、おおごどにならなかったしなぁ、気にすんな」
「おお、ジェフは寛大なのだな」
「まぁな」
得意げにジェフは無精ひげを撫でる。
ジェフは良い男。それを確信した。
「……貴方、本当に悪いと思ってます? さっきも淡々としてましたし」
「何を言う。謝罪に最も必要なのは誠意だ。相手の目を見て、真剣に行う謝罪こそ一番。たとえ罪悪感があったとしても、目を見ず俯いて謝るなど言語道断だろう」
「……それ、私のこと言ってます?」
「なに、ただの例えだ」
一瞬リアはにらむような目を向けてきたが、すぐに視線を戻した。どうやら悲劇のヒロイン的被害妄想者になるつもりはないらしい。
「おし、じゃあ適当になんか作ってやるから、ちょっと待ってな」
「うむ、有難う」
「……ありがとうございます」
リアの表情はまだどこか晴れないが、私たちは同じ席に腰を下ろす。
そして何を言うでもなく、静かに時間が過ぎていく。というのは中々に勿体無い。
「なるほど。ジェフがシェフなのだな」
「なにを今更」
「……ふむ。「ジェフ」が、「シェフ」なのだな」
「なんで二回言ったんですか?」
「……いやなに、ただジェフ! が、シェフ! なのだな」
「呼んだか?」
「……いや、呼んでない……」
「「……?」」
ままならないものだな。
――ギイッ。
と、訪れた沈黙もそうそうに、突如後方から木の擦れる音が聞こえた。それはこの建物の入口の扉が開く音であった。
「ポルターガイストか!?」
「いや、普通にお客さんでしょう。なんでまず霊障を疑うんですか」
「分かんねぇぞ。言ったとだろうが、人間の客は滅多に来ねぇんだ」
「え、人間の客はってどうゆう意味ですか?」
ジェフはその質問には答えず、ただニヤリと不敵に笑い、食堂入口へと目をやる。その答えは非常に気になるところだが、それよりも私は来訪者の方が気になった。
ちなみに食堂へは建物へ入ってまず受付のあるロビーを右に曲がった地点にあるため、現状まだ来訪者の姿を見ることは出来ない。何故かまた食堂に沈黙が訪れ、私たちは固唾を飲んで来訪者を待つ。
「…………あの、もし宿泊が目的の人だったらどうするんですか? 今受付誰もいませんよ?」
「そんときゃおまえらが接客しろよ。バイトだろ」
「でも私接客なんてやったことありませんし、マニュアルだってもらってません」
「知らねぇよ。文句は研修しなかったリズリィに言え」
何故かいつもより小声で二人はこそこそと二人は話す。
その間にも来訪者が近づいて来るのが分かる。何故なら先ほどからガチャンカシャンと、何か鉄製の物がぶつかり擦れるようなくぐもった音が徐々に大きくなっているからだ。
「ジェフ! ジェフはいるか!?」
しかし姿より先に凛として強い、しかしこもった声が食堂に飛び込んでくる。そして間もなく、その声の主である来訪者が姿を現した。
「あ……やべぇ……」
その姿を捉えた途端ジェフの顔は何故か青ざめ目をそらす。
しかし私はこの来訪者にとても心惹かれ、瞳は釘付けられた。なぜならば、この者の格好がいかにも興味深い。
彼女の身体はゴツイ白銀色のプレートアーマーに包まれていた。
パッと見、それは私の世界での十五世紀末期のオランダ製甲冑に似ているが、重厚感といい光沢といい、コスプレやレプリカの類でないことは一目で分かる。
加えてそれはまさにフル装備で、ガントレットといい脚当てといい、キュイラスはもっとも、完全防備なそれはいつでも戦いを赴けることを揚々に語っていた。
しかしフル装備なだけに一寸の隙もなく、残念なことに彼女の肌が露出している部分を見つけるのは百戦錬磨の覗き魔であろうと困難だろう。そして何より残念なのが、彼女の顔がフルフェイス兜によって拝見出来ないということだ。兜には目の位置に薄らと線のような隙間があいているだけで、こちらからは表情の一片さえ確認することが出来ない。
ちなみに、何故顔が見えないにも関わらず「彼女」と女性判定しているかというと、単に声から、そしてあのオーラからである。
とはいえ何より目に付くのが腰に携えている刀剣である。長さや形状からして、片手で振るうロングソードというものに分類される代物だ。
「ジェフ!! 今まで何処にいたんだ!?」
表情は見えないが、明らかにこの訪問者は激昂していた。そして怒りの矛先は彼女が指を突きつけている通りジェフに向けられている。しかし残念なことに声は兜により抑えられ、鮮明に彼女の声を聴くことはできない。
「ど、どこって……ここにだよ」
「ならこんなところで何をしているんだ!?」
「………………りょうり」
ニヒルで飄々、男気溢れるジェフがまるで叱られている子どものように縮こまる。
「料理だと? 貴公は自身の使命を忘れたのか!!?」
バンッと彼女は机を殴る。
「うっ…………」
「っ…………」
それにリアとジェフは身体をビクつかせる。
関係ないであろうリアまでも怯えさせるのはいささか感心しないが、ジェフも昨夜の如く滝のように汗噴き出し、ポタポタと床に滴らしている顔は見るに耐えない。
しかし、私はそのようなことに気を向けるほど余裕はない。
「貴殿。失礼を承知で、一ついいかね?」
「んっ? わたしのことか?」
彼女の兜の正面が私に向けられる。
「無論。既に私の眼中には貴殿しか映っていない」
「…………なんだ? 手短に済ませてくれ」
「感謝する。では――」
彼女の目があるであろう位置を見据えて――。
「バストサイズは、Dか?」
「………………は?」
兜の隙間から威圧感のこもった疑問符が漏れる。
「ちょっと貴方なに訊いてるんですかっ?」
「何、とは、言葉通りバストサイズだが?」
「だから何故!? それになんでDかって訊くんです? あの人、鎧でぜんぜん分からないじゃないですか」
確かに彼女は鎧に包まれて胸囲を目視することは出来ない。そのうえ彼女の胸囲部分の鎧は微かに湾曲がかっているだけで、見た目から言ってしまえば女性の豊満さは微塵も見て取れない。しかし、だ。
「巨乳というのは、いくら隠そうと身体から発するオーラから違うものだ。そして私の勘が囁くのだよ、彼女はDだと」
ちなみに的中率は百パーセントである。
「……もしあの鎧通りの大きさなら、あの人も私ぐらいの大きさですけどね」
「おい嬢ちゃん、それ自分が平坦だって認めてるぞ」
「うるさいですよ」
「なに安心したまえ。それは確実に有り得ない」
「…………どうしてですか?」
「君より平坦な胸の持ち主がいるはずがないだろう?」
「………………………………」
――――――ボッ!
般若フェイス少女の手に黒炎が灯る。
「お、おいおい嬢ちゃん、ここで魔法使うの禁止って言われただろ?」
「大丈夫です。二秒で灰にしますから」
「燃やすのは、コイツだけにしろよな……?」
「さて、実のところどうなのだね? D……それともそれ以上か?」
主に私だけが答えを望む。期待につられて微笑み問う私だが、どうしてか彼女の威圧感は薄れない。
むしろ秒をおうごとに強まり――。
「そこへ直れ! この不埒者!!」
怒声とともに彼女の鋼鉄の指先が眼前に突き刺さる。
「ふらちもの……とな?」
「まあ普通にセクハラですよね」
全く予期していなかった返答だけに咄嗟の理解が出来ず首をかしげてしまう。
「初対面の異性にそのような事を訊くとは――貴様は何を考えているんだ!!?」
「私は先ほどから貴殿のバストサイズのことしか考えていないのだが?」
「貴方、女性にセクハラしなければいけない呪いにでもかかってるんですか?」
「それにだ。初対面の異性にというが、年の差が恋愛感情に無関係なのと同じで、出会いの時間など無関係に、私は出会って二秒後にピロートークをしたとしてもイイと思っている」
もっとも、そうなると行為を一秒で終わらせなければならないが。
「二秒ってどんだけ早いんですか……」
「まあ私はじっくりねっとりと時間をかけた方が――」
「口を閉じろ不埒者!!」
再び彼女の怒号がフライング。
表情は見えないのだが、今の彼女が私を睨んでいることは直感的に察せた。どうやらあまり彼女はこういった趣向の会話が好みではないらしい。
「なんたる猥談……。ふんっ、胸に興味しかないとは、貴様もジェフと同じで随分と小さな男だな」
「小さい? 私は人より大きいと言われているぞ。特にベッドの上では――」
「黙ってくださいこの変態」
「ちなみに俺も結構デカ――」
「黙れ変態!!」
軽蔑の瞳と怒号がそれぞれに向けられる。 どうやらリアもこの類は好きでないらしい。
「それはさておき、結局のところDなのかね?」
「言うわけないだろ!!」
言葉とともに壁を殴り叩く。
理由は分からないが、彼女は随分と気が立っているらしい。もし冷静なら、決してこのように激昂などせず喜んでサイズを教えてくれるはずだ。
「……ジェフよ、あのヒステリックウーマンは君の友人かね?」
「ヒステリックって……」
「いや、まぁ知り合いっつーかー、なんつーかー……」
歯切れの悪いままジェフは目をそらす。
「ではクレーマーか?」
「あ、クレーマーなら私撃退してみたいです」
「ぁいやまぁ、ある意味クレーマーとも違わねぇが…………」
「貴様らもっと大きな声で話せ! 聞こえないだろう」
「あ……いやぁ別に、お前に聞かせるほどの話しじゃねぇよ……」
「ほう? こんな時に雑談か。いい度胸だな。……わたしも混ぜろ」
ガシャガシャと音を立てながらヒステリックウーマンが近づいて来る。女性としては平均的な身長だが、やはりフル装備の鎧というのは迫力があるものだ。
「貴殿。もう一つ質問いいかね?」
「許さん!!」
取り付く島もないとはこのことだ。
「ではジェフ。彼女は誰なのだ?」
「それはアタシが答えるわ」
「っ、リズリィさん、いつの間にいたんですか?」
「ついさっきよ」
いつの間にかリアの隣に呆れ顔のリズリィが立っていた。
「寝たのではなかったのか?」
「こんなにうるさくされたら嫌でも起きるわよ……」
あくびを噛み殺しながらリズリィは後頭部を掻く。
いつもの西洋ドレスでない寝巻き姿といい半開きの目といい、一度寝たものの起こされてしまったのだろう。申し訳ない限りだ。
「あーー、てゆーかついに来ちゃったか〜〜〜〜」
軽く伸びをしながらヒステリックウーマンを面倒そうに眺める。
「リズリィの友人でもあるのかね?」
「んー、まあよく知ってる娘だけど、アタシが会うのは初めてね」
「ふん……つまり彼女は有名人というわけか?」
「ええもう。かなーりね」
リズリィは眠気眼をこすり、ため息のように息を吐いた。
「あの娘は…………あーー、もうそうね。ポニョリーヌとでも呼んであげて」
何故かリズリィは名前を耳打ちするように言った。
「え? それホントにあの人の名前ですか?」
「もっちーー」
適当に言ってリズリィはまたあくびを噛み殺す。
あのようなゴツイ鎧をつけている割に随分と柔らかい名前なのだな。
「――ジェフ、自身の使命を本当に分かっているのか?」
「あぁもー勘弁してくれよ……」
「まあ少し落ち着きたまえ――ポニョリーヌよ」
「なんだとっ?!」
グイっとポニョリーヌの兜がこちらへ向く。
「貴様……今何と言った?」
怒気を無理やり抑え見ながら発しているのは瞭然の声音である。
「まあ少し落ち着きたまえポニョリーヌよ」
「………………」
所望通り繰り返したが、ポニョリーヌは何の反応も示さない。
否、正確には兜を少し向けて肩を小刻みに震えさせていた。それによって小さくカタカチャカチャカチと肩部の金属が音を出している。
「どうかしたのかね? ポニョリー――」
「貴様!! どれほどワタシを愚弄すれば気が済むのだ!!!」
突如爆弾が爆発したようにポニョリーヌは激昂して腰の剣へと手をかけた。
「ぐろう……?」
全く心当たりのないいわれに思わず首が傾く。
「リズリィ、ジェフ、ポニョリーヌは何を言っているのだ?」
「まだ言うかっ!!!」
「おっ、おうおう、ちょっと落ち着け」
今にも斬りかかってきそうなポニョリーヌをジェフが抑えてなだめる。
「おいリズッ、おまえコイツになに教えてんだよ?」
「別に? いいじゃない。私の睡眠を邪魔したんだから、それぐらいに呼ばれて当然よ」
「えと……あの、どういうことですか?」
暴れるポ二ョリーヌを尻目に、リズリィがため息混じりに口を開く。
「あーー、あの娘のホントーの名前はレゼルヴェルジュちゃんよ」
「ほう……いささか言いづらいな」
それにポニョリーヌの方がかわいらしい。
「まあ略してレゼちゃんとでも呼んであげて」
「…………ふむ。承知した」
流石に違う名前呼んではさすがに失礼に当たるだろう。
「ちなみに、あのイカつい身なり通り、帝国騎士団の団長さんよ」
「ていこくきしだん……とな?」
「え、騎士団の団長さん? 団長は男だった気がするのですが?」
「ええ、前まではね。前までは。それが――」
途中で言葉を切り、何度目かのあくびを噛み殺してから続ける。
「二年ぐらい前に前の団長が逃げちゃってねぇ。『辞める』っていう三文字だけ残して姿を消したのよ。で、何やかんやであの娘が新しい団長になったの」
「そうだったんですか……」
その答えにリアは悲しげに視線を落とした。
とにかく何やら分からないところもあるが、彼女はポニョリーヌではなかったようだ。
「では、つまり彼女は名前を間違えられたゆえ、あそこまで激怒しているのかね?」
「あーいえ、あの娘もジンギくんみたいに珍しい名前でしょ?」
しょ? と言われても知らんな。
「あの娘生まれは別の国なのよ。で、ポニョリーヌってのはレゼちゃんの国の言葉なの」
「どういう意味の言葉なんですか?」
「メス豚」
「え…………」
即答にリアが顔を引きつらせる。
「ハッハッハッ。では随分と私は失礼に呼んでしまっていたようだな」
「いや、なに笑ってんですか。流石にメス豚は失礼すぎるでしょう?」
「いやなに、それはそうだが少し想像したまえ。先ほどの私たちの会話で、ポニョリーヌを全てメス豚と訳すと彼女の怒りも納得できるうえ、何よりとても面白いぞ」
「………………ぷっ」
想像したのかリアは少しふいた。
やはり言語はこのようなことがあってこそ面白いな。今度機会があれば彼女の国の言葉も学んでみたいものだ。
「――このっ。離せジェフ! 今すぐこの無礼者を切り伏せてやる!」
「仮にも騎士団長が一般人に言うセリフかよ……」
「このような者はもはや一般人とは――」
「いやはや、申し訳なかった」
小さく攻防を続ける二人に割って入る。
「おいほら、こいつも謝ってるんだからもう――」
「知らなかったとは言え失礼を働いてしまったようだな、レゼちゃん」
「貴様にリゼちゃんと呼ばれる筋合いはない!!!」
ふん、レゼちゃんはこうも叫び続けて喉が痛くならないのだろうか。
私のフレンドリーな謝罪が気に食わなかったようで、なおも敵意むき出しで吠えている。いったい先ほどから彼女がどのような顔で怒っているのかとても気になるところだ。
「ふむ……リズリィよ、どのようにすれば彼女の怒りを鎮められるだろうか?」
「……はぁ、ほらほらレゼちゃん。ちょっとメス豚呼ばわりされただけで怒ってるなんて聞いたら、王様が悲しむわよ」
「十分に怒っていい理由だろう!!?」
「ああそう。じゃあチクっちゃってもいいわよね」
「ぬっ……うぅ……、し、仕方ない。今回は特別に剣を収めてやる」
リゼちゃんの肩から力が抜け、言葉通り柄から手を離した。勇ましい女性とはいえ、やはり立場の上の人間は怖いらしい。
言葉通り矛を収めるレゼちゃんに、ジェフは安堵したように深く息を吐き、何ともいえない顔で無精ひげを撫でる。
「リズリィ、感謝する」
「んーー……ねむいわ……」
「ふんっ。別に貴様を許したわけでないことを忘れるな」
まるで捨て台詞のようだな。
「うむ。しかと心にとどめておこう。レゼちゃん」
「だから貴様はレゼちゃんと呼ぶなっ!!」
またもやレゼちゃんのくぐもったシャウトが響くのであった。
「どうしてここにいるの?」
「遠征の途中で近くまで来ていてな」
「なんでジェフさんがここにいるって分かったの?」
「先ほど物資の補給に来てな。その時雑貨屋の息子が、ジェフらしき人物がここにいると教えてくれたのだ」
「だそーよ」
「チッ、コビィの野郎だな……。あとで絞めてやる……」
ジェフが憎しみを込めて拳を握り締めると、筋肉が盛り上がると同時に腕の血管が浮き出る。
察するにレゼちゃんはジェフを目当てに参ったようだが、残念ながらここには俗物的な色恋愛憎劇の生まれそうな気配はない。しかし、愛憎と体液の飛び交う修羅場を望んでしまう私も、やはりもの好きだ。
「次はワタシがジェフについて質問させてもらう」
「どうぞ?」
「おい勝手に――」
「何故ジェフはこんなところにいる?」
レゼちゃんは兜をジェフに向けながら尋ねる。
「そりゃ逃げた先がたまたまこの村だったんでしょ」
「捜索司令が出ていたといのに、ここの衛兵は一言もそのような報告をしなかった。何故だ?」
「まあ何にせよジェフさんは今でも兵士たちの尊敬の的だから。一言頼めば誰だって命令違反ぐらいするわよ」
「リズ、貴公の報告にはジェフはどの町にもいないとあった。何故ウソの報告をした?」
「それは……ジェフさんがいるとアタシが楽だったっていうか……」
「リズ……いや、リズリィか。私情での報告無視は厳罰対象だ」
「勝手にどうぞ」
「…………ジェフは何故逃げた?」
「さあね」
淡々飄々と受け応えていたリズリィだが、これにはあからさまにはぐらかすように目をそらした。
レゼちゃんは同じテーブルにつき、話し合いが出来るまでに落ち着いたものの、兜もガントレットも脱がず、その威圧感は一向に取れてはいない。
もっとも、完全に部外者であろう私たちが話し合いに参加する必要は皆無なのだが……。
「その理由は本人に訊いて」
「…………何故だ、ジェフ?」
「え、ぁいやぁ……その、なんだ? 一身上の都合ってヤツ? あー、とにかくだなぁ……」
「ハッキリ言わないか!!」
「うッ……」
いやはや、はたから見てる限りでこれほど面白い娯楽はないな。
できることなら実はリズリィとジェフが駆け落ちて、元彼女であるレゼちゃんがジェフを追ってきて二人で取り合う、というシチュエーションならもっと良かったのだが。
「えと……つまりジェフさんが……というわけですか?」
「そ、前騎士団長さん」
微笑みながらジェフを指さす。
言う通りジェフが逃げた前騎士団長だったらしい。
…………とはいえ、そもそも騎士団を知らない私からすれば「…………へぇ」としか言い様がない。
「答えろジェフ! 何故使命を無視して逃げた!!?」
レゼちゃんが力任せに机を殴り叩く。
「使命、とは?」
「あれでしょ? 騎士は一生民のために戦わなくちゃいけないってヤツ」
「そうだ! なのにジェフはあたかも民を背にしているなかで姿を消したのだ!」
何やらジェフの印象が変わりそうな言葉が飛び出す。
「………………」
ジェフはそれに反論も否定もすることなく、ただ少し沈鬱に視線を下げている。
……これは察するに、複雑怪奇で長く面倒な理由があると見た。…………興味はあるが、私としてはもう少し痴話喧嘩を楽しみたいところだ。
「それよりも、だ。ジェフと貴殿はどういった関係なのだね?」
「ふん。ジェフはワタシが王以外に唯一尊敬する男だ」
「元、だろ」
目ざとく、かつ卑下するようにジェフが言葉を差し込む。
「何を言う! 貴公はワタシが尊敬するジェフに変わりない! いくら大罪を犯そうと、ワタシが貴公を下に見るなど有り得ない!!」
ガタンッと椅子から立ち上がり、身振り手振りで力説するレゼちゃん。
「ほうほう、なるほど」
いやはや、これは興味深い発言。
「たとえ貴公が誰からも見捨てられようとワタシは見捨てない! ワタシを導いてくれた貴公を蔑むはずがない!」
ふむふむ。詰まるところこの怒りは愛情の裏返し。これは面白い展開だ。
「俗物な質問で申し訳ないが、その気持ちに色恋の余地はないのかね?」
「あ、それ私も気になります」
「あーアタシも。レゼちゃん昔からジェフさんにべったりだったものね」
「お、おいおまえら……」
やんわり咎めるジェフをよそに、私たち三人の視線がレゼちゃんに注目する。
そして期待集まるレゼちゃんの答えは――――。
「あるわけないだろ」
「「「あ、そう……」」」
つまらなかった。
「あたりめぇだろ」
「そんなことよりもだ」
落ち着いて改めて席に着き、そっと兜の正面をジェフに向ける。
「このようなド田舎へ逃げたぐらいで職務を放棄――もっとも、ワタシから逃げられるとでも思ったのか?」
「見つけんのに二年もかかったくせに何言ってんだよ」
「ぐぬっ……し、仕方ないだろう? 次期団長を決める際にもいざこざがあったり、決まってもワタシが慣れなかったりと大変だったのだ!」
「知らねぇよ。つーかいちいちうるせぇ。他の客に迷惑だろ」
「「「「「他の客?」」」」
レゼちゃん含め私たちの疑問が重なる。
「………………が、いたらな」
悲しいあと付けを施すジェフであった。
む、なにやらジェフの目から涙が……。
「とにかくだジェフ。騎士団に戻って来い!」
「ヤだ」
腕を組み、まるで子どもがわがままを言うように言う。それに対しては、レゼちゃんは憤慨することもなく――。
「やはりな」
答えが分かっていたかのように頷いた。
「話しは終わりだ。俺はゼッテーもう騎士にはならねぇ。とっとと帰れ」
「ちょっとジェフさん、そんな言い方しなくてもいいじゃない。ねえレゼちゃん、今夜はここに泊まってかない? ジェフさんとは久しぶりなんだから積もる話しもあるだろうし」
「リズ、心遣い感謝する。しかし皆はすぐ戻ると言ってあるんだ。すまないが遠慮させてもらう」
「そう……残念ね」
丁寧な断りにリズリィは言葉通り残念そうに肩を落とした。
……この残念というのを、客をゲットできなくて残念というふうに解釈してしまう私は下衆だろうか。
「ところで、聞くところによると近々この村では祭りが催されるようだな?」
「え、ええ。そうだけど……?」
「おいまさか……」
「ワタシもそれに出場する。ジェフも出場しろ。そこで雌雄を決し、ワタシが勝ったらジェフには騎士団に戻ってきてもらう」
落ち着いた口調でレゼちゃんは言葉の挑戦状を叩きつけた。
「なに勝手なこと言ってんだよ……」
もちろんジェフはそのようなものを受け入れず、呆れたようにため息を吐いた。
「ちなみにレゼちゃんよ。その祭りでは何をするのだ?」
「なんだ、この村の者なのに知らないのか? あと次レゼちゃんと言ったら殴る」
「ちょっ、ちょっとレゼちゃんそれはッ――」
咄嗟にリズリィが口止めに入るが一足、というより一口遅かった。
「なんなのだね?」
「もちろん――――闘技祭だ」