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食堂にて2

『天は自ら助くる者を助く』

 これはイギリスのことわざで、他人の力を借りるのではなく、自力で道を開こうとする者を神は助けて成功させる、という意味である。

 この言葉を座右の銘にしている者が今、そしてこの世界に来てからの私を見ればさぞ厳しい軽蔑の眼差しを向けてくることだろう。そして、文字通りきっと神も私を助けることはなくなるだろう。


「はぁ? こいつらを雇っただと?」


 閑古鳥の鳴く食堂に、気だるげなジェフの呆れ声が響く。


「おまえ……客もこねぇのにどうゆうつもりだよ?」


「別にジェフさんには関係ないでしょ。お給料出すのはアタシなんだから」


「まぁ……それもそうだな。じゃ、勝手に頑張――」


「だからこの子達も同業者みたいなものよ、まかない作ってあげてね」


「俺メッチャ関係してるじゃねぇか!」


 会話通り、私たちはこの宿で働くこととなった。

 もちろん期間限定。この世界で一応の生活が出来る程度の額が貯まるまでの契約である。

 寝床に三食の食事付き、加えて有給休暇に育休ありと、その他福祉も充実していると、なかなかに素晴らしい契約内容だった。

 そして何より私自身この世界に慣れるため、彼女の申し出に甘えさせてもらうことにしたのだ。

 リアも契約に了承したが、単純に金銭を稼ぐためだろう。


「ったくよぉ、今回は珍しく薪割り頼んでこねぇと思ったら……」


「だからよ。今回のぶんの薪はアタシが割ってあげたんだから、その代わりにジェフさんは朝昼晩、まかない作ってあげてよね」


「勝手だなぁおい…………ん、つーか割ってあげたって……まさか俺のぶんも――」


「そんなわけないじゃない。アタシのぶんだけよ」


「っこの…………」


 恨めしげにジェフはリズリィをにらむ。

 しかしこの会話に敵対心は感じられず、どこか慣れた和やかさがあった。

 ちなみに、爽やかなジェフは再びリズリィに建物の奥へと連れて行かれ、二分もせずに戻ってきたと思ったら、跡形もなく私の知るジェフへと戻っていた。


「いいじゃない別に。一人ぶん作るのも三人ぶん作るのも同じようなものでしょ?」


「それ普通作るほうが言うセリフだよなぁ……」


 確かに、作ってもらう側の言葉としてはいささか図々しい。

 それはそうと、まさか今目の前でこのような交渉が行われるとは夢にも思わなかった。これで食事が提供されなければ、契約違反として違約金をせしめとることも出来るだろう。

 もちろんそのようなことはしないが、私はジェフが折れることを願うばかりである。


「……はぁ、わーったよ。だけどよ、ずっといるわけじゃねぇんだろ?」


 ため息混じりにジェフは首を縦にふった。

 その口調は別段煙たがっているわけではなく、ただただ素朴な疑問に聞こえる。


「そりゃね。まあ最低でも一週間はいてもらうつもりよ」


「…………まさかおまえ、こいつらもあれに参加させるつもりか?」


「もちろん。この二人にもお祭りに出てもらうわ!」


「祭り?」「お祭り?」


 ビシッと人差し指を突き立てるリズリィに対する私たちの疑問の声が重なる。


「ええ。五日後、この村の存続をかけた村起しとしてのお祭りが開催されるの」


「存続をかけた? それほどこの村は人口が少ないのか?」


「ええ、アタシの計算では五時間後にこの村の人口はゼロよ!」


「早えぇよ! 祭り始まる前に全滅してんだろそれ!」


 初めてジェフが声を荒げてツッコんだ。


「そんなことな――」


「ま、計算の苦手なおまえのそれはアテになんねぇわな。つーか現実的に五時後ってありえねぇだろ」


 無精ひげを撫でながらジェフが的確な指摘を差し込む。

 確かに五時間後は牛頭馬頭襲来レベル。

 その指摘にリズリィは私たちに顔を向けながら眉間に軽くシワを寄せた。


「うっさいわね。とにかく何かしないとこの村は滅びるってアタシの勘がいってるのよ」


「計算どこいったんだよ」


「と・に・か・く! 二人にも参加してもらうから」


「そのような話しは聞いていないのだが?」


「そりゃ今初めて話したからね」


「それ、絶対に参加しなければいけませんか?」


「今夜ベッドで寝たかったら、ね?」


 そう言い強制力を宿したウインクを飛ばしてくる。

 ……うむ。どうやら本格的に違約金交渉の準備を始めたほうがよさそうだ。


「ちなみにそのお祭りはどういうものなんですか?」


「そうね……うん、それは当日のお楽しみってことで」


「「えーー」」


 不満にまみれた私たちの声が重なる。


「文句言わない。ジェフさんも、教えないでよね」


「わーってるよ。正直、俺も当日の嬢ちゃんの反応は楽しみだ」


「…………ちっ」


 リアは隣にいる私にもやっと聞き取れる程度の舌打ちをしたのだった。

 気持ちは分かるが、それは外に出さず心のなかで盛大にするものだぞ。


「じゃ、そうゆうことで。アタシはもう寝るから」


「あぁ? おいまだ七時だぞ。もう客がこねぇとは限らねぇだろ?」


「んなもん来ないわよ」


 即答である。

 日々の経験からか、それとも個人的な怠惰欲からか。


「それに明日からはアタシもお祭りの準備を手伝うの。だからジェフさん明日は七時に起こしてよね」


「……はぁ、わぁったよ」


「ありがとうジェフさん。じゃ、おやすみなさい〜〜」


「む、待ちたまえ――」


「あ、さっきも言ったけどどこでも部屋使っていいから。じゃあまた明日ね〜〜」


 口頭の制止も虚しく、リズリィは手をひらひらと振りながら建物の奥へと去っていった。


「…………」


「…………」


「……アイツ、理不尽だろ?」


「だな」「ですね」


即答である。


「――おし、今夜は特別だ。まかないじゃねぇ。普通のメニューにあるヤツなんでも頼んでいいぜ」


 そう言って厨房の中から、私たちの座る二人がけの席へと二冊の紙の束を乱雑に放った。

 五枚ほどの羊皮紙が麻紐で綴じられており、手に取って見ると、それには丁寧な文字で料理名が几帳面に記されていた。


「え、いいんですか?」


「まあなぁ。リズの横暴の詫びだ。つっても、一品だけだぜ」


 ニッと、ジェフは含みのない笑みを浮かべた。

 どうやら思い違いだったらしい。気だるげ感は否めないが、この男は今の状態でも十分に爽やかだ。


「感謝する」


「ありがとうございます」


 ひとこと礼を言い、私たちはメニューへと視線を落とした。

 子羊のシチュー、サーモンのムニエル、ミートローフ、パンプキンブレッド、タンドリーチキン、チリコンカン、プレーンベーグル、タルトタタン、ビュッシュ・ド・ノエル等々。

 肉、魚、野菜、菓子と、記されている料理は多岐にわたった。


 基本は西洋食をベースとしているが、所々でチリコンカンなどのアメリカなどの料理もあり、驚いたことにビュッシュ・ド・ノエルなどの私の世界では祝い事のときに食べられるものも多々記されていた。

 ちなみに、チリコンカンとはアメリカ合衆国の国民食だ。ひき肉と水煮したインゲン豆、そしてチリパウダーなどなどを加えて煮込んだ食べ物あり、ファーストフード店や一般食堂でもこの料理は提供されている。


 そしてビュッシュ・ド・ノエルとはフランスの伝統的なクリスマスケーキである。

 フランス語でビュッシュが「木、丸太」、ノエルが「クリスマス」であり、「クリスマスの薪」という意味。文字通り薪の形をしたケーキである。

 目移りしてしまうほど種類は豊富だが、私が食べられるものとなると自然に限られてくる。


「――ふむ。ではこの「旬の野菜を使ったシェフの気まぐれサラダ」を一つ、頂こうか」


「あ? おまえそれサイドメニューだぞ」


 それは後に「本当にそれでいいのか」と続くような口調でジェフが指摘する。


「承知している。私はこれで構わない」


「あんだよ、遠慮してんのか? それとも……ダイエット中か?」


 冗談めかしくニヤリとした笑みが私へと向けられる。


「ハッハッハ。なに、ただ私は野菜しか食べないだけだ」


「菜食主義というものですか?」


「いや、そのように大層なモノではない」


 言うなればこれは戒め。

 とはいえそもそも肉類を食べる気は私の血液ほどサラサラない。


「君も好きなものを頼むといい。私に合わせる必要はないぞ」


「別に、もとからそのつもりです。――ジェフさん、この「ビーフソテー・ヨーグルトディップ添え」をお願いできますか?」


 メニューを指差しながらリアは訪ねる。


「おお。嬢ちゃんは普通に食うんだな」


「大盛りで」


「おう……別にいいが残すなよ」


「大丈夫です。肉食系女子なので」


「ほお? では私は草食系男子だな」


「いきなり女性の胸を触る人を草食系とは言いません」


「となると、雑食系か?」


「……知りません」


 この会話の終了を望むように、リアは小さく肩をすくませて瞳を閉じた。

 それをよそ目に、ジェフは既に料理の準備を始めていた。

 別段食材に差異はないのだから、見た目的にも私の世界と類似したモノが出てくるとは思うが、やはり期待してしまう。私の世界であろうと初めて入店した食堂というだけで十分に好奇心的な期待は得られるが、新世界というイレギュラーな環境がそれに拍車をかけていた。


「ジェフよ、「気まぐれサラダ」というのはやはり毎度食材が違うものなのか?」


「そりゃぁ気まぐれだからな」


「具体的にどのように違うんですか?」


「あ? まぁやる気があっときは種類多くしたりするな」


「無いときは?」


「皿だけ」



「――はぁ」


「おいっと、まぁ当然だがサラダが先に出来たぜ」


 とりとめのない雑談でリアに四度目のため息をつかせたところで、私の頼んだモノが運ばれてきた。

 高級レストランのウェイターほどではないが、ジェフは音を立てないようそっと私の前へと置く。サーブされた平たく白色で陶器の皿の上にはみずみずしいレタスが敷かれ、その上に春菊やセロリ、クレソンやかぶなど、食べやすい大きさに切られた野菜たちが視覚的にも良く彩り飾られている。

 まさに百パーセントベジタブルン。


「おおっ。素晴らしいではないか」


「美味しそうですね」


「まぁな」


 口調は素っ気ないがその表情はまんざらでもない。

 まるでBGMの如くリズミカルな包丁音を奏でていただけはある。


「嬢ちゃんのももうすぐ出来るぜ、もうちと待ってろ」


 ジェフはそう言って銀色のフォークを皿の前に置くと、再び厨房へと戻っていった。


「おお、そういえばドレッシングは何がいい? いくつかあるが――」


「あいや、このままで結構だ」


「それ生だから味ついてねぇんだぞ」


「大丈夫だ」


「ん……わぁったよ」


 腑に落ちていない様子だが、ジェフは料理を再開した。

 そういえば、「旬の野菜を使った」と謳っているだけにこのサラダの野菜はほぼ春が旬だ。

 つまりこの世界の季節は春なのだろう…………と、安直に結論を出すのはまさに軽率だ。そもそもこの世界に四季があるのか。もしかしたら雨季や乾季などかもしれない。

 私の世界がそうなのだからこの世界もそうだ、という考えは早々に抹消しなければな。


「リアよ、この世界は――もとい、この国の今の季節はいつなのだ?」


「え……あ、たぶん春じゃないですか?」


 歯切れが悪くサラダを一瞥してから答えたあたり、そもそも疑問形の時点で信ぴょう性は低い。この少女にしては珍しいこともあるものだ。


「む、では一応四季の概念はあるのだな」


「それは流石にありますよ。この国はけっこう日本のような季節を持っていたと思います」


「なるほど。では……ジェフよ、少しいいかね?」


「あんだぁ?」


 ジェフは香ばしい香りと肉の焼ける音の発生源であるフライパンに目を落としながら応えた。


「今は春かね?」


「あたりまえだろ。ようやっとクソみてぇな冬を越したんだ」


 ようやっと、ということは三月あたりの春先なのだろう。

 どうやら野菜の旬は同じようだ。しかし私の世界では現在は十一月。その辺りは同じではないらしい。


「ふむ。では、申し訳ないが先に頂いてもいいだろうか? 恥ずかしながら今朝から何も胃に入れてなくてな」


「勝手にどうぞ……私は三週間なにも食べてませんけどね」


「ぬっ? どうゆうことだね?」


 悲しげなリアの呟きに私は耳を疑った。

 彼女もあの施設にいたのだから一応の食事は提供されていたはずなのだが?


「断食させてみようとかいって……最近は水しかくれませんでした……」


「……なんと…………」


「ですけど案外一週間過ぎた辺りから……なんか慣れてきますよ」


 よほど辛かったのか、リアは恨めしさが漏れ出す濁った瞳を虚空へと注いだ。

 確かにそのようなことをしていたならこの細さにも納得がいく。

 しかしまさか……成長期であろうこの少女に断食などというものをさせるとは……。こちらに来る前に一度司令官のハゲタコ頭を潰しておけばよかった。


「それは申し訳なかった。私から謝罪をさせてもらう」


 机に手をついて頭を下げる。


「なんで貴方が謝るんですか?」


「司令官とは知らない仲ではないのでな。知り合いとして、謝らしてもらおう」


「……そうですか。まあもういいですよ」


「よければ私のサラダを食べてくれていい」


「結構です。私、肉食系なので」


 そう言ってリアにそっぽを向く。


「ふむ。ではそのヨダレを拭いたらどうだね?」


「っ……これは……ヨダレではありません」


 そっぽを向きながら否定するものの、その口から漏れている透明な液体は既に下顎から机まで滴っている。


「ほお? ではなんなのだね?」


「これは……その…………汗です」


「汗――?」


「おいっと、嬢ちゃんのぶんもできたぜ」


 私の言葉をかき消すように、ジェフが料理を運んできた。

 同じく白く平らな皿をリアの前へとサーブし、そしてその手前に銀色のナイフとフォークを置いた。

 私のサラダとビーフソテーの調理時間が違わないのは、ジェフのシェフだからこその特殊技術か、それとも気を利かせたのか。


「……ふぅ、ありがとうございます」


 何故か安堵するように息を吐いてからリアは礼を言い、目の前の料理へと視線を移す。


「っう……」


「おお……」


 しかし皿の上に乗る料理を見た瞬間、リアは珍しく露骨に顔を引きつらせた。

 そして私は思わず感嘆の声が漏れた。

 何故かといえば、その皿の上には一口サイズに切られた肉が山の如く大量に盛られていたからだ。一口サイズとはいえ量が凄まじく、目見当でも五十枚あり、まさに肉山の様。

 その肉の量からすれば心なしかレベルのブロッコリーやトマトたちがどうにか彩りを良くしようと奮闘し、料理名にたがわず白いヨーグルトソースが少し肉にかかるように添えられている。

 皿からしても私のよりも一回り大きく、女性――ましてや普通なら少女が食べる品物ではないだろう。


「注文通り大盛りにしてやったぞ。言ったと思うが――残すなよ」


 ニヤリと笑みを浮かべながら改めてジェフが釘をさす。


「……もちろん、です」


「良かったではないか。断食明けには十二分の量だろう?」


「……ええ、そうですね…………(わざとか、普通か、サービスか……なんにせよ……)」


「あ? なんか言ったか?」


「いえ別に」


 スっといつも通りの表情に戻し、リアはナイフとフォークを手にとった。

 いつの間にかリアの口から漏れていたねっとりとした液体は引いていた。


「では、頂くとしよう」


「………………はい」


それにしても、この世界の住民は口からヨダレのような汗を流すのか……。


「――まったく貴方は――――うくっ…………」


 食事中のとりとめのない雑談のさなか、リアが五度目の呆れ顔を見せた瞬間彼女は咄嗟に塞ぐよう口を

手で覆った。


「大丈夫かね?」


「ええ、まあ、はい……」


 とは言いつつ眉間にはシワが寄り、手に持っていたナイフとフォークをそっと置いた。

 最初こそ勢いがよかったが、やはりいくら断食明けとはいえ流石に少女の胃袋ではこの肉山を制覇することは困難らしい。


 現にまだ富士山でいうと五合目付近。ちなみに富士の五合目というのは登山道によって約千メートルもの差が出るが、ここで言う五合目は二四百メートルに位置する富士宮口ルートを指している。

 富士の標高が三七七六メートルゆえ、つまりまだ三分の一ほどしか消化出来ていない。


「無理はするものではないぞ」


「…………それは、私もそう思います……」


 今回のため息は私にではなく、食堂の壁に貼られた羊皮紙に向けられた。


『料理を残した者には罰金!!』


 メニューの文字とは対極的な荒々しく躍動感溢れる字体で書かれていた。

 素晴らしい、と私は内心うなったが、どうやらリアはこの文面が憎くてしょうがないらしい。

 先ほどから一口サイズのビーフソテーをカワハギのように一口かじるごとに、その張り紙を睨んでいたのが何よりの証拠だ。


「それ、ここで飯食ってるヤツは誰でも適用すっから」


 私たちの視線を追ったのか、もう三度目となる同じ言葉がまたもや容赦なく降りかかる。

 リアが最初にあの張り紙を見た時の驚愕の表情、その直後に言われた先の言葉でむせたのは記憶にまだ新しい。

 しかし既に三度目だけに、その言葉をかぶったリアの表情は軽い憎悪である。


「ジェフよ、リアはそろそろ下山したように見えるのだが」


「下山? よくわかんねぇがルールはルールだ。悪ぃがおいそれと曲げることはできねぇよ」


「ふむ……」


 郷に入れば郷に従えとある通り、私たちがここの規則に従うことが望ましい。

 否、むしろこの場合の規則は従うべき義務として私たちの前に佇んでいる。

 どうでもいいが、考えてみれば肉山を上から食べているのだから表現的には今まさに下山していることになるな。


「んならおまえが手伝ってやりゃいい。流石にあんだけで腹いっぱいってわけはねぇだろ」


「む…………」


「だ、大丈夫、です。これくらいラクショー……ですから……」


 そう言ってビーフソテーを一センチかじる。

 ソースで汚れた口は気高いものだが、その表情はメーデーメーデーと国際救難信号を叫んでいた。


「ん……ぐうっ……」


 新たな肉片を喉が簡単に受け入れないのか、リアは目に見えるほど力を入れて一センチを無理やり押し込んだ。

 その姿は見るに悲しい。

 確かにジェフの言う通り私が手伝えば、この山は崩れ、隠れた白色の荒野が顔をあらわになることだろう。

 ――――しかしそれは、私が肉を喰らえばの話だ。


「嬢ちゃん、無理ならもういいぜ?」


「…………そうしたら、どうなります?」


「ま、金がねぇなら身体で、ってのがありがちだよな」


 ジェフは何度目か無精ひげを撫でながらニヤリと笑う。

 ちなみにこの会話は二度目である。

 私の世界よろしく、この世界でも誰もがゲスな部分を持っているようだ。否、というよりも調理人であり商売人としては正しい姿なのかもしれない。


「つーか、このままじゃぁ今夜は徹夜だろうなぁ」


 わざとらしくジェフが嘆く。


「………………」


「食ってやれよ。おまえも食い終わるの待ってるだけじゃアレだろ」


 確かに私の皿は既にかなり前に下げられ、たしょう手持ち無沙汰ではあるのは確かだ。

 それでも。


「別に、これくらい私ひとりでラクショー――ぐふっ」


 私の拒みをさらに上から否定しようとしたリアだが、再び口を覆うその姿は痛々しく苦行に耐える修行僧のようだった。しかし今の彼女は僧が望む極楽ではなく餓鬼道を望むことだろう。


「………………」


「…………うぅ」


「………………」


「……ごくっ…………んっ」


「………………」


 ………………。

 何故――泣き言ひとつ言わず一人で努力する彼女を天は助けないのだろうか。

 やはりことわざはことわざでしかないのか。それとも神が非情にも背を向けているのか――。もしそうなれば、そのような神の顔色を伺うことも助けを乞うことも馬鹿らしい。


「ジェフよ、フォークを用意してくれ。ナイフは必要ない」


「お、ようやく食う気になったか?」


「愚問だな」


「はっ、さっきまで渋ってたくせによ」


 ジェフからフォークを受け取り、私は皿を自分の目の前へと引き寄せる。


「だっ……別に私ひとりで大丈夫だと……」


「無理はそこまでだ」


 私がフォークを揺らすと、リアは少し不満げではあるがフォークを置いた。


「ですが貴方、菜食主義なのでは?」


「なに、先ほども言ったがそのように大層なものではない。その証拠に、私はこのソテーされた牛を哀れんでなどいないし、美容や健康に気を使っていない」


「……それ、本当ですか?」


「ハッハッハッ。安心したまえ。私が必ず処理しよう」


 質問の答えにはなっていないが、笑ったあとなお微笑むとリアは頷いた。


「……貴方に助けられるのは少しシャクですが……よろしく、お願いします……」


「うむ。ジェフよ、この料理は現時点から私の物となった。もしこの料理が残された場合、責任は全て私にあるということでよいだろうか?」


「あ? まぁ、別にいいけどよ」


「とはいえ、もとより残すつもりはない」


 私は菜食主義ではない。そしてつい先ほど、神を疑った。

 ならば残る障害は私が定めた戒めだけ。

 今までこの戒めを念頭に生きてきたと言っても過言ではない。それはこの戒めが私の罪に対する当然の罰であり、絶対厳守の義務だからだ。


 しかし――――目の前のひとりの少女を救うためなら私は戒めを破ろう。

助けることを罪とする罪など馬鹿げている。私はまた罪を犯そう。喜んで新たな罰を刻もう。肉山の頂上を突き刺すと、私の脳裏にとあることがよぎった。

 一度視線をフォークの先からリアへと移すと、リアは私の顔を見ていたようで目が合った。


「……どうかしましたか?」


「いや、申し訳ないが、席を外してもらえないだろうか?」


「……どうしてですか?」


 どう考えても理由が分からないと言うようにリアは首を傾げた。


「なに、そろそろ君ぐらいの年頃なら寝る時間ではないか?」


「ぜんぜんです。あと食べてもらえるのは有難いですが、それはできません」


「しかしだね、私の国にも寝る子は育つという言葉もある。より多く睡眠時間をとった方が君の胸も大きくなると思うのだが?」


「っよけいなお世話です。もう何を言われようと絶対動きませんから」


 説得も逆効果だったようで、リアはムッとした様子で決意を固めてしまった。


「ハッハッハ。そのような意味のない我が儘を言うものではないぞ」


「そろそろ食べたらどうですか」


「ならば食堂入口で待っていてくれてもいい。とにかく少しの間、私を視界に入れないでもらいたい」


「お断りします」


 拒み、というよりも拒絶だ。ワケがない訳ではないかもしれないが。

 私は肉山からフォークを引き抜き、肉の刺さったフォークをリアへと向ける。


「フッ、気が強くて結構なことだ。さて、では私がこの肉で君の口を塞ぐまえに目を閉じろ」


「ッ……」


 笑顔で、しかし少し口調と声音を強めるとリアは身体を硬直させた。


「ああ、それではいささか手持ち無沙汰か。よし、では両手で耳も塞いでもらおうか」


「…………」


「早くしたまえ」


「………………っ」


 催促するとリアは一瞬私をにらむように瞳を強めたが、待つより早く閉じた。

 そして間もなく耳も塞がれた。


「おいおい、どうしたんだよ突然?」


 何かを不審に思ったのか、ジェフが怪訝な面持ちで厨房から顔をだす。


「なに、人には見聞きされたくないものが一つや二つはあるものだろう?」


「そりゃぁあるだろうがよ。別に肉食うだけだろうが。もうちと良い言い方があったんじゃねぇの」


「ああ……もちろんだ、分かっている」


 丁度今、自己嫌悪で身投げの決意が固まるところだった。

 あくまでもこれは私の個人的な理由を無理やり押し付けたにすぎず、彼女は何も悪いことはしていない。事が事だけに強く言ってしまったが、私が言い出して強要する権利などないのに……理不尽過ぎる。


「……俺も、瞑ったほうがいいか?」


 気を使っているのか、既に片目を閉じながらジェフが申し出てくる。


「いや、開けていてもらえると助かる」


「おお?」


「ジェフは男だ。そしてなおかつ大人ゆえな」


「ハッ。ならしっかり見ててやるよ。大人の男しか見れねぇおまえの知られたくねぇことをな」


「時にジェフよ。ここに掃除道具はあるかね?」


「あるぜ」


「ならいい」


 使わないことを願うばかりだが。

 肉付きフォークを口元へ持ってくると、私は深く息を吐いた。

 さて、早く終わらせてリアへ謝罪しようではないか。

 意を決し――――私は肉を食んだ。


「――――――ッ!!!」


 瞬間、私は落雷に打たれたような衝撃に襲われた。

 その衝撃は発火したように私の身体にこれまでない熱を持たせ、間もなく波が引くように血の気が引いていく感覚が伝わってきた。

 咄嗟にフォークを握りしめて机に拳を叩きつけるが、不思議と傷みは感じない。意識の遠のきを気力で留め、吐き出さないようにもう一度肉を食む。しかし肉の柔らかい食感を脳が認識するごとに、脊髄反射の速さで激しい頭痛が襲った。


「――お――――だっ――な――っ」


 ジェフが血相を変えてなにかを言っているが、聞こえない。

 幾年ぶりの肉は完全に身体と脳から拒絶され、私の意識としても今にでも衝動のまま吐き出してしまいたい。

 染み出す肉汁が毒液として私の身体を犯していくようで、リアとは別の意味で私はこれを呑み込むことが出来なかった。そしてその毒を中和しようと異常に唾液を分泌させ、いつのまにかそれは口から漏れ滴っている。

 既にこれは精神論の域であり、私が悪魔のささやきへと堕ちるか、私の意識が落ちるかという負の結末しか待っていなかった。


「――――――ッ!」


 霞む視線の先に、まだ数十枚と残る肉を見据えて私は絶望した。

 しかしそれと同時に私の心に灰色の希望が芽生えた。

 私はそれが疑うことのない解決策と信じ、芽生えたと同時に実行する。


「――――おグッ――アガッ――――ッ!!」


 肉山の乗る皿を底から持ち上げ、口内へと雪崩を起こした。

 一枚二枚ではなく一気に私の口へと滑り落ちてくる。しかしすぐに許容量を迎えてしまう。


「――――ングッ」


 それは当然ながら呑み込むことで解決した。

 私は一度も噛むことなく呑み込んでいった。それ故か、肉が喉を通る感覚が如実に伝わり、苦しいというよりやはり気持ち悪くて仕方がなかった。


「………………ああ……」


 永遠に喉を穢していくと錯覚していたが、私がおちる前にこの地獄は終焉を迎えた。

 残る激しい嫌悪感と吐き気に耐え、早鐘をうつ鼓動を鎮めるよう努めながらこぼれ落とすように、荒野となった皿を置いた。


「おぁ…………はぁ…………あぁ……ハッハッハ」


 嗚咽は止まらないし肩で息をしていて中々に格好が悪い。

 しかし不思議なことに憶えのない満足により私は乾いた笑いを漏らしていた。


「――なッ――だよ!? お――どうしたんだよおいッ!!」


 穴の空いていたジェフの言葉が徐々に聞こえだした。


「聞こえてんのか!? 大丈夫かおまえ!!?」


 耳元で叫び、いささか粗めにジェフが背中さすっているのが分かる。

 それによってかは定かではないが、徐々に私は落ち着きを取り戻している。

 触覚・聴覚を失うとは驚いたが……一時的で何よりだった。安堵によって溜まった息を深く吐き出す。


「医者呼ぶか!? なんなんだよ、料理不味かったのか!?」


「ハッハッハッ。なにを言っている、美味であったぞ…………たぶん」


 思い返せば、正確な味は全然分からなかった。


「とにかく大丈夫だ。私は相も変わらず健康優りょ――――ガッ!!?」


 瞬間、身体の中から突き飛ばすような衝撃が私を襲った。

 肉を食んだ時とは比べ物にならない衝撃で、私の身体は跳ねるように弓なりになり瞬く間に私は天井を仰ぎ見ていた。


「お――ど――んだ!?」


 突然のことにジェフは咄嗟に私から手を離し、頓狂な顔で私の顔を覗き込んだ。

 しかしその顔も霞み、先ほどの症状が再び襲うが、それより酷いかったのは衝動の方だった。

 一瞬だけ私はその衝動に抗ったが――。


「アガッ――おァァァァァ」


 ビチャビチャビチャビチャ……。

 虚しく呻きながら、私は衝動のままにぶちまけた。

 胃の中から呑み込んだモノがそのまま喉を逆流して床へと広がっていく。しかしこの感覚は――とても気持ちが良かった。


「ガッ…………あぁ…………」


胃の中のモノを全て出し切り、新たに作られた肉山を見た瞬間――私の意識は途切れた。

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