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食堂にて

 宿一階に併設されている食堂は閑古鳥(かんこどり)が鳴いていた。

 リズリィとの話しが終わり言われるがまますぐに来てみたものの、そこは喧騒とは対極に位置する静寂が場を満たしていた。窓際には二人がけの席が窓の数だけ。内側には四人がけ・六人がけの席が一定の間隔をあけて設置されている。目見当ではざっと三十人は座れるほどであろう。


 その場は外の夜色とは似ても似つかず、電気の光のような、少なくともランプの炎の光ではない強い光が闇の存在を許していない。例によって椅子や机は全て木造。温かみがありつつ、その統一されたイメージによって洒落た雰囲気を密かに漂わしていた。


 そして至極残念なことか。客人がいないだけにここには食事処特有の香りが一切しない。

どうでもいいことだが、「閑古鳥が鳴く」とは、鳴いているのに何故閑寂の意なのだろうな。鳴いていればうるさそうなものだが。


「同席してもいいかね?」


「あそこにしましょう」


 窓際の二人がけの席を指さすとリアは一方的に歩みを進めた。

 どうやら愚問だったようだ。


「おぅ?」


 奥のキッチンでうつらうつらと船を漕いでいた西洋顔の中年男が、私たちの声に起こされたのか間の抜けた声とともに目を開けた。


「おおっ、ようやく来たか」


 茶黒い短髪の頭に白いバンダナを巻き、口元の濃く短い無精ひげを伸ばしたガタイのいい男がその見かけに似合った野太い声を私たちが席につく前に向けてきた。しかしその声にはあまりにも覇気は感じられず、目も半開きだ。

 寝起きだからなのか気だるさからくる脱力感がこの男からは発せられている。正直、この男の風体からはあまり清潔感を感じられないが、キッチンのなかにいるのといい、端が黒く焦げた青白いエプロンをピッタリと身につけているということは、そうゆうことだろう。

 とは言え、その太くたくましい腕をフライパンのみで鍛えたとはいささか考えづらい。


「うむ、待たせたな」


「え、お知り合いでしたか?」


「いや知らんな」


「俺も」


「……そうですか。てゆうかですよね」


 何事もノリは大事だろう?

 言う通り初対面だが彼がキッチンのなかにいるということで、彼が不正にそこにいる物取りなどの類でなければ、彼が誰なのかはすぐに定まる。


「貴殿がジェフだな」


「きでん? ……ああ、俺のことか。そうだぜ、俺が噂に聞く凄腕料理人ジェフだ」


 ニヤリと口角を上げながら、やはりその男であったジェフは自分を親指でさした。


「ほお、噂されているのか?」


「知らね」


「では凄腕なのか?」


「さあな。食うヤツで感想は変わるんじゃねぇか」


「それはそうだな」


「…………あの、もっとちゃんと会話してもらえません?」


 とりとめのない会話が気に食わなかったのか、リアは禁めるようにジト目を余すことなく向けてくる。

 早いことか、既に私はこの目に慣れ始めていた。


「承知した」


「ん〜〜〜〜?」


 私に対しジェフは聞いていないフリなのか、明後日の方を見ながら見た目的清潔さに欠ける無精ひげを撫でた。

 人の指摘は受け入れない性なのか、無神経なのか。


「あ〜〜、まあでも初対面じゃねぇな」


「ほう?」


「おまえ、昼間運ばれて来ただろ。そんとき一瞬だけ。嬢ちゃんとは何回か会ったよな。そんときと、そのあとと、少し前」


「ちゃんと話すのは初めてですけどね」


 指摘を無視されたせいかいつもより刺すような冷たい声を差し込む。


「少し前の時はちょっとだけ話しただろ。まあ、けっこう悲しかったけどな」


「えっ、何でですか?」


 不意に見せたジェフの悲しげな表情に、まったく理由が思い当たらないと言うようにリアの言葉が少し跳ねた。

 その様子を見たジェフは微かに太い眉と口元を歪め――。


「あんとき、嬢ちゃん俺を見てまずなんて言ったと思う?」


「ふむ、何と言ったのだ?」


「え……あの、憶えてません……」


 バツが悪そうにリアは視線を落とした。その顔には何かマズイことでも言ってしまったのでは、という不安がにじみ出ている。とはいえ、そのような些細な会話はそう記憶にとどまっているものではないゆえ、仕方ないことだろう。


「そうか。では申し訳ないジェフよ、リアが何と言ったのか教えてもらえないだろうか?」


「な、何故貴方が謝るのですか」


「ん、特に理由はなどない」


「……そうですか」


 何かまだ腑に落ちていない様子だが、リアはつぶやくと視線をジェフへと戻した。


「すみません。私は何て言ったのでしょうか?」


 かたずを飲んで……というほどではないが、私たちの意識がジェフへと注目する。

 否、リアの表情はなかなかに真剣で、本心から過去の自分の言葉を心配している様子が見て取れた。


「――――――いや、俺もんなこと憶えてねぇよ」


「……は?」


 真剣なリアをよそに、ジェフは何ともあっけらかんと答えた。

 それはまさかのリアと同じ答えであった。誰も予想しなかっただけに、リアの間の抜けた顔と声も理解できる。


「冗談だよ、冗談。意外な反応でおもしろくてついな」


「ハッハッハッ。ジェフよ、貴殿はなかなか面白い男だな」


「だろ? 俺二年前からこの村にいるだけどよ。二年連続でこの村で一番ふざけた野郎として表彰されてんだよ」


「おおっ、それは名誉なことではないか」


「そりゃおまえ、そんときもらった勲章ぜんぶ(たきぎ)の代わりにしてやるほど嬉しかったぜ」


「ほお、それはよく燃えたことだろう」


「ところがよぉ、無駄に鉄でできててな。結局燃え尽きはしなかったんだよ」


「なるほど。ではさぞ良く薫る燻章になったのだろうな」


「お、言うなぁ。燻製肉でもおごっやろうか?」


「「ハッハッハッハッハッ!」」


 口を開けていささか下品に私たちは笑いあう。

 そして直感的に、この男とは気が合うように思えた。


「…………この……」


 会話に興じている私たちの視線の端に、何とも呆れて不機嫌なリアの顔が映りこんだ。

 リアの瞳にはジト目を超えたブリザードが吹き荒れていた。


「おーおー、そんな怖ぇ顔すんなよ。リズみてぇになんぞ」


「リズ? リズリィのことか?」


「ぁあたりめぇだよ。あの赤娘っ」


 あからさまにジェフは吐き捨てるように言う。


「ほお。ではリズリィもこのような悪魔的な目をするのか?」


「は? 悪魔?」


「おうおう、あいつはマジのデビルだぞ。客がいねぇのは相変わらずなのによ、ちょっと居眠りしたらフライパンでドギャンだぜ?」


「それは厳しいな」


「厳しいってもんじゃねぇ。確かに同じ屋根の下の職場だが、利益やらなんやらはぜんぜん別モンだ」


 察するにテナント的なことを言っているのだろう。

 嫌悪感というほどではないが、やはり気だるげかつ吐き捨てるようにジェフは続ける。


「なのによぉ、「同じ建物にいるんだからアタシんとこの薪も割って!」とか、「同業者みたいなものなんだからまかない作って〜〜」とか。コキばっか使いやがるんだぜ?」


「ふん。リズリィの言い分も理解出来ないわけではないな。隣人付き合いとしては許容範囲のような気もするが」


 持ちつ持たれつ、というのはいささか理不尽であっても円満な隣人関係を保ち続けるには必要なことだろう。


「いやよぉ。確かにそれくれぇは面倒事ってわけでもないんだがな。あいつゼッテー俺の食堂の掃除はやらねぇんだよ。「そっちからはジェフさんの店でしょ〜〜? その小汚いエプロンといいヒゲといい、自分で掃除してよね」とか言いやがるんだぜ?」


「確かにそれはフェアではないな」


 酷く言えばゲス野郎だな。


「だろ? あの赤娘…………で、今の嬢ちゃんの目はフライパンで俺の頭をドギャンとやるときのあいつの目だ」


 皮肉げにニヤリと笑い、無精ひげを撫でながらリアを流し見た。


「ぬ、眠っている時にドギャられるのではないのか?」


「ああ、それがよぉ。一度ぶっ叩いたあとに渋ってるともっかいやりやがるんだよ。そんでさらに渋ったら――っと、これ以上は流石に。そもそも客いねぇのに何やれってんだよな」


「それもそうだな」


 なんなのだろう。

 この世界の住民は、話し出すと初対面であろうと愚痴をこぼす民族性でもあるのだろうか。

 私が聞き上手でなければ厳しい世界だったのかもしれない。


「とにかく気をつけろ嬢ちゃん。その目は第二のリズ路線まっしぐらだ」


「なに、リアはまだ子どもゆえ大丈夫だろう」


「お、なんだぁ? その口ぶりじゃぁ、リズの歳知ってんのか?」


「ハッハッハッ。もち――」


 ジェフは一瞬含みが見え隠れしたニヤつき顔を見せた。

 その笑みで流石に私は察した。

 ここで、「ハッハッハッ。もちろんだともミスター!」など口走ってしまえばこの愉快な一幕が逃げるように終焉を迎えてしまうだろうと。

 フッ、私の頭脳もまだまだ腐ってはないようだな。


「もち……なんだ?」


「――もとい、先ほど、「女ってのはいつまでも可愛くいたいものだから」と言っていたのでな。その言葉が子どもではない何よりの証拠だ」


「ハッ、違いねぇ。あいつ顔はちとカワイイが、ゼッテー三十超えてるぜ」


「かもな」


「「ハッハッハッハッハッ」」


 再び私たちは口を開けていささか下品に笑い合うのだった。


「リズリィさんこっちです」


「ジェフさ〜〜ん? ジンギく〜〜ん? いったいなんのお話しをしてるのかしら〜〜?」


 突如三人しかいなかった食堂に、露骨に甘ったるく舐めまわすような女性の声が入ってきた。


「なッ!!?」


 その声が空気を伝わって耳に入った直後、ジェフは頓狂な声とともに脊髄反射とも思える速度で表情を強ばらせた。異常とも思える汗が毛穴という毛穴から一瞬にして噴き出し始めたあたり、よほど突発的に熱が発生したようだ。


「この人たち、今までリズリィさんがマジのデビルだとか言ってました」


 告発者はすぐそこに。

 いつの間にか私の隣を離れ食堂入口に立つリズリィの隣へと移行していたリアは、まるでゲス野郎でも見るような目で私たちを見据えていた。

 そして隣のリズリィは目を細め、何とも良い笑顔を浮かべている。しかしそれは爽やかさの対極に位置するものだった。


「おお、リズリィよ、腰はもう大丈夫なのか?」


「ええ、そりゃもう。別にもうほぼ痛くなかったけど、あなたたちがアタシの悪口を言ってるって聞いたらもう絶好調」


「ん、悪口……とな? まあ身体が良くなってなによりだ」


「よ、よよよ……YО! リズ……今日も、あ、赤い……な…………」


 飄々とした印象だったジェフの顔は歪み、汗で水没していた。

 肘と声帯でも錆びているのか、挨拶と上げる片腕は酷くガッタガタ。そのうえ焦りを超えた恐怖のようなものが表情に見て取れる。


「ど〜〜も、ジェフさん。今ちょっとお時間あるかしら?」


「う……あぃやぁ、ほら。今は珍しーく村のヤツらじゃねぇ客がいるんだから、よぉ。今回はなしってことに――」


「ジンギくん、ちょ〜〜とジェフさん借りてもいい?」


 ティッシュペーパー一枚で隠されたような威圧感が瞳の奥に見え隠れしている。

 顔は笑っているのに目が笑っていない、その砂漠と凍土が同居しているような違和感が、今の彼女にはいやにしっくりしていた。


「ぬ、しかしそれでは先ほど君が言った――」


「借りてもいいかしら?」


「しかしそうなると――」


「いいかしら?」


「しかし――」


「もう一度だけ言うわ。か・り・て・も・い・い・か・し・ら!?」


 ズイグイっと、距離はあるものの明らか威圧的に前かがみとなり顔を突き出してくる。


「空気読んでください」


「……ふむ、そこまで言われては仕方ない」


「そう? なら特別にジンギくんのお仕置きはなしにしてあげる。じゃ、有り難く借りてくわね」


 自分から貸せと言っておきながら「特別に」、とはよくわからんが。

 リズリィは相も変わらず露骨な笑みを浮かべながら私たちへと歩んでくる。

 その表情は確かに笑みだ。今の彼女の表情から怒りを連想するはずもないのだが、どうしてか私は彼女の背後に般若の姿が克明に浮かび上がって仕方ない。そういえば、今更ながら私の所有物でもないジェフを、勝手に差し出すような発言はいささか失礼であったかもしれない。


「ジェフよ――」


「いでっ!!」


 私の声をジェフの悲痛を含んだ太い声がかき消した。

 何かと思えばリズリィがジェフの腕を鷲の如く、まさに鷲掴みにしていた。その細い指は豪腕の筋肉を押しつぶしてみるみるめり込んでいく。

 しかしその瞬間から何故か床まで滴っていた汗の滝が枯れた。


「フッ……ここまできたらもう抵抗はしねぇ。だけどよ、マジで久しぶりの外からの客なんだ。だから三角木馬だけは――」


「そうですね。じゃあBコースにしましょうか」


「一番早ぇが一番ヤベェコース……はッ、受けて立つぜ」


「じゃあ二人とも、ちょっと待っててね」


「おまえら、また生きて会おう。その時は……一杯おごるぜ」


 戦場へと向かう戦士のような言葉を残し、ジェフはリズリィとともに建物の奥へと去っていった。

どうしてだろう。

 私はこれが彼を見る最期の瞬間のような気がして仕方がなかった。


「………………」


「………………」


 彼らが去り、食堂は客人である私たち二人だけとなってしまった。


「ふむ、私が物取りだったらどうしていただろうか」


「それは確かに」


「まったく、いささか危機感に欠けているのではないか」


「それには同感で――」


「――よしっ、では早速冷蔵庫を漁ろうではないか」


「ちょっと?」


  厨房内部へと侵入しようとした私を、おもむろにリアが服の端を掴んで制止した。


「ん、なんだね?」


「なんだねって何ですか? 五秒前の自分の言葉はなんだったんですか?」


「なに、お店の人がきたらお金を払えばいいだろう」


「たぶんそうゆうセリフ言ってから食べると豚になりますよ」


「そうなったら君は頑張って湯屋で働いてくれたまえ」


「ソッコーで帰りますから」


「なぬ? 龍の背中に乗ったり謎の黒い生物にストーキングされたくないのかね?」


「ぜんぜん。……そもそもお店の人がきたらって、貴方一銭も持ってませんよね?」


「ぬ……」


 流石だ。的確にロジックの隙を突いてくる。

 しかし私とてその指摘を予期していなかった訳ではない!


「ハッハッハッ! そもそもの話、ここにいる間はリズリィが――」


「あ、どうでもいいかもしれませんけど――この国に冷蔵庫はありませんよ」


「なんと!?」


「………………」


 ふむ。

 私がリアのジト目に慣れてきたように、彼女にもこれには慣れてもらいたいものだ。流石にそのマイナス273度の瞳は何度も直視できるものではないゆえ。

 とはいえ今はそのようなことよりも、だ!


「で、ではどのようにして野菜を保存するというのだ!? 穀物類はまだいいとして、ネギは!? レタスは!? この世界に彼らの安息の地はないというのか!!?」


「え……あの、ちょっと落ち着いてください。てゆうかそこは肉とか魚の心配では?」


「なにを!? もやしは野菜室だろうと三日で傷むと言われているのだぞ!?」


「サバなら二日です」


「知らん!」


 野菜室であってもキュウリやナス、水菜などなど、二・三日で傷み始める野菜は多々存在する。無論、傷み始めるだけでその侵蝕速度は様々であるし、食せなくなるレベルにすぐになるわけではない。

 とはいえ、物にはよるが魚や肉と同様野菜もデリケートな食物なのだ。


 なのに……冷蔵庫がない?

 それはもはや大地から芽生えた尊い生命である彼らを冒涜しているに等しい! まさかこの世界がこれほどまでに(自主規制)だとは思いもしなかった――!


「君たちは生まれたての赤子を地べたに寝かせるような輩なのか!?」


「そんなわけないじゃないですか。ちょっと落ち着い――」


「君たちは新緑茂る山々に無慈悲な豪炎を放つようなゲスなの――」


「だから――落ち着いてください」


 ジト目を超えて、睨みながら私を凄む。

 そのゴルゴン的眼光は、激昂した犬を鎮めるには十分であった。


「ぬ……ならばこの世界ではどのようにして食糧を保存しているのだ? まさか腐るまえに消費しているのか? もしや腐っても食べ――」


「んなわけないです。あれですよ、地下室を貯蔵庫として使っているんです」


「おおっ、なるほど!」


 地下室というものは恒温恒湿であるため非常に保管性に優れ、食糧の貯蔵は貴重品の保管に使われている。

 私の世界でも紙幣やぶどう酒の熟成に用いられるのは一般的。

 加えて地下空間は遮音性にも優れ、オーディオルームやヘビメタロックを演奏や、騒音の発生源となる作業場等にも適す。他にも遮蔽性を生かした防災空間、避難空間としても利用できる。

第二次世界大戦中につくられた防空壕はこの例といえ、現在ではその性能を利用した核シェルター・防災シェルターとしての普及が――――。


「そんな長々地下室の説明しなくても大丈夫ですから」


「なっ!? 心を読むとは――貴様魔女か!!?」


「魔女ですよ」


「そうであったな」


「ちなみに、例によってこの世界ではなくここら近隣諸国ですので」


「む、では冷蔵庫のある国も存在するのか?」


「貴方の世界のようなモノはありませんけど、似たようなものならあると聞いたことはあります」

「なるほど」


「それに寒帯地域の国ならそこらに置いておいても多少は大丈夫でしょうし」


 どうやらこの世界でも彼らは一応、順当な扱いを受けているようだ。

 なによりなにより。

 満足げにうんうんと頷く私を、リアが怪奇の目で見ているのに気づくまで六秒かかった。


「……貴方、よくわからない人ですね」


「ぬ、なにを言う。私は単純愚直扁平品行方正容姿端麗文武両道腕白ずるむけボーイだぞ」


「……………………ツッコミませんよ」


「……それは、残念だ」


 リアはなかなかに堅気で気難しい性格らしい。

 本当に生物を見ているのか疑いたくなる瞳を私に向けているのはいささか疑問だが、彼女への理解が少しでも進展した嬉しさで不問としよう。

 しかし――これだけは言っておこうではないか。


「リアよ、心して聞いて欲しい」


「……何ですか。そんな真面目な顔して?」


 悟られないよう軽く深呼吸をした後。


「ボケというのは、ツッコミが居てこそ――――だと思わないかね?」


「――私、ジャパニーズコメディよりアメリカンメディのほうが好みです」


「……なるほど」


 撃沈である。

 悲しきことよ、我が祖国……。


「…………やっぱり、貴方は変な人ですね」


「ぬ、何を言う。私は単純明快至極極楽――」


「そうゆうのもういいですから。あと何ですか至極極楽って?」


「なんなのだろうな」


「……もういいです」


 リアは呆れを含んだため息を堂々とついた。

 ため息をつくと幸福が逃げるというあまりに迷信めいた言い伝えが私の祖国にはあるのだが、ため息をついた後に言うのは無粋――というよりももう手遅れだろう。

 ……思ったのだが、幸福が逃げるのであって別段不幸が訪れるというわけではないのだろう?

 当人に災厄が降りかからないのならば、それは結局いつも通りで特に変わりないということでは?


「……うむ。良かったなリアよ。私のなかでは何も変わらないという結論に至ったぞ」


「…………は?」


「分かりやすく言うと――君の胸はこれからも平坦ということだ」


「………………殺しますよ?」


 その瞳の奥に見えるドロドロとした暗黒物質は、油断したら今にも飛び出て私を取り込んで抹消してしまいそうな悪夢的暴虐性を隠していない。


「二人ともお待たせ」


「はははっ、なんだ? おまえらも死んじまったのか?」


 と、つい先ほど出て行ったばかりの二人が早々に戻ってきたようだ。

 声の発生源である食堂入口に目を向けると、私は首をかしげずにはいられなかった。

 リズリィは相も変わらずフレンドリーで愛嬌のある笑みを浮かべている。


 そして驚いたことにジェフも爽やかかつ全てを悟りきった菩薩のような微笑みを顔いっぱいに浮かべていた。ニヒル笑みしか見せていなかった先ほどとは雲泥の差。しっかりと声には力が込められ、先ほどの気だるげさはやはり寝起きだったからなのだろう。

 もうもはやまるでジェフが子どもに大人気な体操のお兄さんみたいになっていた。


「おおジェフよ、少し見ないあいだに随分と変わったな」


「なにいってんだよ。俺はいつもどおりだぜ」


 言い終わると同時にまた何とも爽やかスポーツマンのような笑みを見せた。

 確かに、私がこの男と話したのはたった数分。そんな短い時間でジェフを理解できるはずもなく、これはただ単に彼のもう一つの顔――否、むしろ本当の姿なのかもしれない。


「そうだな、すまない。私の間違いだ」


「それにしてもおまえらいつ死んだんだ? 店んなかで待ってただけなのによ。まさか強盗でも入ったか?」


「ぬ、死んだとな?」


「まあなんにせよ驚きだよな。まさか死後の世界も生きてたとこと同じなんてよ」


 ジェフは自分の店をふんふんと興味深そうに眺めている。


「……あの、どうしたんですかこの人?」


「いや〜〜、ちょっと、ね?」


 バツが悪そうに視線を落とすリズリィ。


「む、君がなにかしたのか?」


「う……それが、少しお仕置きを厳しくしすぎたみたいで……ジェフさん、自分が死んだと思い込んじゃったのよね」


「いったいなにしたんですか…………」

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