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「先ほど働いた無礼を、心から謝罪する」


 シンプルイズベスト。

 誠心誠意、かつありふれた謝罪。少女が私に与えた答えはまさにそれだった。


「君の合意も得ずあのようなことをするなどどうかしていた。

 もちろんこの程度の謝罪で怒りを鎮めてくれるなど思ってはいない。君の怒りを鎮めるためならば、いかなる罪悪を伴う奉仕でも私は喜んで引き受けよう」


「ほら、もっと腰を折ってください。それぐらいでいいと思ってるんですか?」


「うむ。本当に申し訳なかった!」


「それはもはや前屈です。準備運動はさっきしたでしょう」


「う、うむ。ではこれならっ」


「なんですその会釈は。貴方がするべきは礼でしょう? さっきの練習のほうがまだ綺麗でしたよ。貴方の実力はそんなものですか?」


「ぬっ……申し訳ない、教官(しょうじょ)よ。今度こそは必ず――」


「あ、あの……?」


 声に目をやると、眼前の婦女子が何とも頓狂でポカンとした顔を向けていた。それはまるで覚えのない冤罪で地上に堕とされた天使の如く。


「おおっ、見てみろ少女よ。やはり私の隙のない完全無欠な謝罪に婦女子は人並の反応すら出来ていないぞ。つまりこれは酷く感銘を受けたことの証明であり今まさに――」


「いえ、多分あれは意味が分からず困惑しているだけかと」


「困惑……とな? どういうことだ少女? 先ほどのブリーフィングでは、私が謝罪した直後婦女子は感激のあまり私に熱い抱擁を――という話だったろう?」


「いや、百%ウソですよ」


「なんとっ!?」


「………………」


「あいや失礼」


 全く、先程から不覚ながらこの少女には驚かされてばかりだ。いささかこの驚きは残念ではあるが……。

 茜色の斜光がさらにその領地を延ばし広がっている今日この頃。しかし虚しくも既に空の果ては薄紫の闇色が現れ、西日の侵蝕に終焉を告げている。

 黄昏時――というにはまだいささか早い。しかしそろそろこの世界も夕闇に包まれ、夜の(とばり)が下りることであろう。


 目的である婦女子は私の隣の部屋で休養をとっており、連れて行かれてから今までベッドに寝ていたようで、今も伏しながらの会話となっている。

 顔色は優れているように見えるが、まだ寝ているということは今も腰が痛むのだろう。さながら、眠れる森の美女。全く(もっ)て目覚めてしまっていることが悔やまれる。


「あの……お二人とも、どうしたんですか?」


 軽い落胆に興じていると、婦女子が苦笑を浮かべながら訊ねてきた


「この人が赤毛さんに謝罪したいということでしたので」


「ふん? 君が謝罪の必要があるというから――」


「ちょっと静かにしてください」


「ん〜〜? 謝罪ってアタシ、なんか謝られるようなことされましたっけ?」


 口元に人差し指を当てて婦女子は首をかしげる。まだ見た目的に若いとはいえ成人した女性に使う形容としては適当ではないかもしれないが、その仕草は実に可愛らしい。

 この婦女子は美しいが、美形で妖艶な大人というより愛らしい猫のような印象を受け、その仕草には他意など微塵も見受けられない。


「この人が白昼堂々森のなかで赤毛さんにした痴漢ですよ」


「実に良き乳であったぞ」


「ちょっと永遠に口閉じていてください」


「あ〜〜? ああっ、はいはいあれですね。いえいえそんな。確かに驚きはしましたけど、助けてもらったことに比べたら全然。気にしなくていいですよ」


 今までの女性たちと異なり、婦女子は特に慰謝料も請求することもなく軽く微笑んだ。

 一応敬語は使っているもののその口調は気安く、婦女子の言葉に敬語の本質的な心は伴っていないように聞こえる。しかしそのどちらでもないゆえにというべきか、無礼さもなければむしろ親しみを感じられる言葉づかいとなっていた。


「え、いいのですかそんな簡単に許してしまって? 何なら今すぐ私が衛兵を――」


「いいんですよ。あのまま助けてもらえなかったら、今ごろあのゲス野郎どもの性欲のはけ口にでもなってたでしょうからね」


「性欲のはけ口とか…………」


 む、どうしてこの少女は私にそんな軽蔑にまみれた目を向けるのだ?


「一応、誤解のないよう言っておくが――私はそのような劣情まみれの鬼畜行為をするために美巨乳に触れたわけではない」


「……劣情なしに胸触るとか、それはそれでどうゆう神経しているんですか貴方……」


「美巨乳とか……てれますね」


「てれないでください」


「あ、さっきは言いそびれちゃいましたけど……改めて、助けてくれて本当にありがとうございました」


 婦女子は言葉とともに静かに頭を下げた。しかしどうやら彼女は色々と誤った認識をしているようだ。


「まずその慈悲深き心に感謝する。しかし婦女子よ、私は君を助けてはいない。助けたのはこの少女だ。私に礼は必要ない」


「え? 婦女子ってアタシのこと?」


「無論。とはいえ、気を悪くしたのならまた謹んで謝罪しよう」


「いえそんな! ただ婦女子だなんて呼ばれたのなんて初めてでちょっとビックリしちゃって……」


 婦女子は頬を赤らめながら後頭部を掻く。


「そ・こ・で・だ! 早速だが私たちがここに来た本来の目的をはたすとしよう」


「本来の……理由?」


 婦女子は怪訝に首をかしげる。肩ほどまでに伸ばされた赤髪が、頭の動きにつられサラサラと流れる。やはり婦女子のそのような仕草は可愛らしい。

 少女も同じく首を傾げたことがあったが、これほど愛らしいとは感じられなかったものだ。どちらかと言えば少女のほうは美麗で神聖なるものだろう。


「自己紹介をしようではないか」


「え……ああ、そうですね。まだお互いに名前も知りませんでしたよね」


「貴方は本来謝ることが目的ですけどね」


 一度咳払いをし、しっかりと婦女子の瞳を見据え――。


「時兼仁義だ。つい先刻、訳あってこの世界に参った。

 しかしまだこの世界については知識が乏しく右も左もわからない状態ゆえ、失礼を働くこともあるかもしれない。加えて迷惑をかけるかもしれないが、どうかよろしく頼む」


 謝罪と同じよう丁寧に、しかし謝罪よりは浅く頭をさげる。


「あら、これはご丁寧に。では――アタシの名前はリズリィ。

 このアス村で唯一の国営宿の宿主をしています。こちらこそよろしくおねがいしますね。――それにしても、トキカネジンギさんとは……珍しい名前ですね。というかこの世界とは……?」


 リズリィと名乗る婦女子は再び首を傾げた。

 確かに思えば、私の世界を知らない相手にこのような言い方をしても理解し難いだろう。しかしだとすると、この世界でも門の存在は認知されていないということだろうか。


「世界ではなく国です。この人は遠く離れた国から来たので名前とか頭も変なんですよ」


 すかさず少女がフォローにまわった。

 実に有り難い。しかし……頭が変とはどのような意味なのだろうか?


「(説明が面倒なので他の国からきたということにしてください)」


 理由はともかく、少女は何とも賢いナイスアイデアを私にさりげなく耳打ちした。

 私としても門の存在が認知されていないのならばどう説明したものかと考えていたゆえ、有り難くそうさせてもらおう。


「へぇ〜〜。他の国からですか〜。だとしたらなおさらよくこんな辺鄙(へんぴ)なところまで来ましたね。トキカネジンギ、さん……うーん、ちょっと長いのでトキさんとかに略してもいいですか?」


「ぬ? 時兼は姓で仁義が名であるから、つなげて読む必要はないぞ。どちらかで呼んでくれて構わない」


「エッ! 名字があるんですかっ!? もしかしてトキカネジンギさんってどこかの貴族さん?」


「む……?」


「……この辺りの国で名字を持っているのは領地を持っている貴族か王族だけなんですよ」


 静かに、まるでガイドのように少女が補足説明を付け足した。これまた実に有難い。

 今まで無表情で少し無愛想な印象を受けたが、どうやら私のはやまった愚かな認識だったようだ。

 先ほどの言葉を教授したのも、婦女子を助けたのも然り。常にこの少女は慈愛に満ち気を利かせた配慮を心がけているではないか。

 今更そのようなことに気づいた。加えて理由のない幻影に惑わされ、誤った少女を形成していた自分が腹立たしい。


「……なるほど。少女よ、改めて君という存在に感謝する。君がいなければ私はどこでのたれていたかわからない。本当に有難う」


 たまらず頭を下げる。


「…………はい?」


 少女と婦女子はそんな私を見て、ただただ訝しげに眉をしかめた。


「えーーと……あの、トキカネジンギさん?」


「あ、すみません赤毛さん、気にしないでください。……あの、よくわかりませんがそれは後にしてくれません? どう考えても今言うべきことではないでしょう」


「うむ、承知した。だがこの恩はいつか必ず、私の全身全霊をもって返させてもらう」


「…………勝手にどうぞ」


 興味なさ気に吐き捨てると、再び視線を婦女子に戻した。興味がない、というよりも期待されていないのだろう。

 出会ってから今まで少女には何もしていないゆえ、当然な反応だ。だからこそ鶴よりも素晴らしいと思わせる恩返しをしなくては。もっとも鶴は――――。


「えと……話を戻すと、トキカネジンギさんは貴族様なんですか?」


「いや、ただの時兼仁義だ。私のせか――もとい、国では皆、名と姓を与えられるのだよ」


「はあ〜〜っ、やっぱり他の国だと全然違うんですね! 何て名前の国なんですか!?」


「ふむ…………私の祖国は日本だ」


「ニホン……聞いたコトありませんねぇ。そこからは妹ちゃんと二人で来たんですか?」


 婦女子はまさに知らない国の話を訊く子どものような興味と期待に満ちた瞳とともに私たちに訊ねる。その無邪気な笑顔はこの婦女子が大人であることを忘れさせてしまいそうだ。


「はぁ?」


 しかしその何気ない質問に、少女はまるで侮辱されたチンピラの如くドスのきいた声と鋭い眼付けで返した。もっとも、私もそこまでではないものの自然と首を傾げはした。


「妹……とな?」


「あれ、違うんですか? 髪の色が同じですし、雰囲気もなんとなく似てるから兄妹だと思ってたんですけど?」


「断じて違います。流石にこの得体の知れない痴漢魔と兄妹呼ばわりは頭にきます」


「痴漢魔?」


「ご、ごめんなさい……。じゃ、じゃあお二人はどんな関係で?」


 どんな関係か、か。私と少女の関係はフライドポテトを作るより遥かに簡単な一言で表すことができる。

 そう、少女と私はまさに――――。


「他人だ」「他人です」


「ええ!!?」


 まるで示し合わしたかのように発言が一致した。


「それ以前に誰だね、君は?」


「ええぇ!!? 知らないんですか!?」


「そういえば自己紹介してませんでしたね」


「ハッハッハ。まさかすぐ近くにいた君との自己紹介を失念していたとは、私も困ったものだな」


「ええまったく。本当に脳みそ入ってるんですかね」


「それは定かではないな。とにかくそうとわかれば、早速私と自己しょ――」


「貴方に名乗る名などありません」


「ええぇぇ!!? そこ普通名乗るとこですよね!?」


 婦女子のうるさいほどのツッコミが耳のなかで暴れる。


「フッ、なるほど……。愚者である私には当然だな」


「身の程をわきまえてください」


「ちょ、ちょっとそんなに言わなくても――」


「確かにな。だが――後の好敵手(ライバル)である私に名乗らなかったことを、必ず後悔させてみせよう」


「え、大会?」


「……ふっ」


 少女は軽く鼻で笑い捨てる。


「今はせいぜい、頂からの景色を楽しいんでいるといい。そして、転落したときの絶望に怯えているといい!」


「――――決勝で、待ってます」


「…………お二人とも……けっこう仲いいですよね……。あとちょっとマジで意味わかんないです……」




「リアです。以後お見知りおきを」


「普通に名乗ってんじゃないですかっ!!」


「まあ別に隠す理由もありませんし」


「じゃあさっきの茶番はなんだったんですか!?」


「私、女優志望なので」


「そうなの!?」


「いえ、微塵もそんなこと思ってません」


「えぇ……」


 否。先の茶番劇で確信した。

 彼女には演劇の才能がある――!


「ありませんよ」


「なんとっ!? 心を読むとは――貴様魔女か!!?」


「魔女ですよ」


「えっ!? リアちゃん魔女なの!?」


「だから魔女ですよ」


「それは(まこと)か――」


(マジ)ですよ。貴方知ってますよね。ていうか赤毛さんも見たでしょう?」


「へぇ〜〜」


 婦女子は耳を貸さず何とも興味ありげに顔を前へ前へ。

 ベッドから落ちてしまうのではないかと心配するほど婦女子は身を乗り出して少女こと、リアを眺めた。


「……なんですか?」


「あ、ごめんなさい。ここの村ホントに小さくて魔法使える人が全然いなくて。しかも辺鄙なところですから外からくる人も全然だから魔法使えるってのが珍しくて……」


 ため息混じりに肩を落とす婦女子。

 そのすねたようなやさぐれた瞳からは得体の知れない哀しみが漏れ出している。


「私たちのような来訪者はいないのか?」


「ええもう。正直旅の人も来ないのに宿屋とかやってられませんよ。

 まあ国営ですから人が来なくてもお給料もらえるから別にいいんですけど。てゆーかお金もらえてもこの村にはオシャレなお店とか全然ないんで貯まってくばっかりなんですけどね……」


 前触れもなく何やら愚痴が始まった。

「なに、良いではないか。老後のための貯金は若いうちからやっておくものだぞ」


「ええまあそれはそうなんですけど……。

 なんていうか、変わり映のない毎日に飽きてきたというかなんというか。帝都とかで働くお姉ちゃんたちが羨ましくて……最近は本気で転職しようかなぁ、なんて考えてるんですよねぇ」


「転職か……。それもまた一つの選択肢ではあるな。何より仕事にやりがいを持てないというのなら続けるのは是ではないだろう」


「あーーいえ。別に楽しくないわけじゃないんですよ。たまーにお客さんが来たときはホントに嬉しいですし。ただ、月に一人ぐらいじゃ……ねぇ?」


 婦女子は何とも疲れた更年期のような顔をしながら続ける。

 ベッドの横のエンドテーブルに酒のグラスが置いてあっても何の違和感もないだろう。


「といっても実際、自分が本当に何したいかとかあんまりよくわかりませんし……。せっかくの国の仕事を捨ててまで、って言うのも。そもそも仕事辞めさせてくれ――」


 …………さて、どうしたものか。

 考えてみればこの世界の労働とはいったい――。


「あの、OLの人生相談みたいなのはまた今度にしてもらえません?」


 思案する私たちの横からリアの不満げな顔が割り込む。流石にこの聡明な少女といえ、勤労を知らなくてはこの話しについていけないのだろう。


「申し訳ないがリアよ、今は婦女子の今後の人生について重大な話をしているのだ。退屈だとは思うが枝毛でも探して時間を潰し――」


「あ、いえいえそんな! アタシのくだらない話なんかもういいですから……」


 手をひらひらと振りながら婦女子は申し訳なさそうにリアへ微笑んだ。その笑みには明らかな含みを感じ、私からすればもはや自虐的である。


「すみません。突然変な話ししちゃって……」


「気にすることはない。それと、私はいつでも相談にのる。必要ならいつでも話すといい。勿論、愚痴でも構わない」


「え……あ、ありがとうございます! では早速今夜にでもいいですか!?」


「勿論だ」


 まるで地獄から奇跡的な再誕を果たしたかのような笑顔。

 それでいて瞳に溢れんばかりの希望を溜めながら婦女子が顔面のみ肉迫してくる。……もとい、接近してきた。眼前の宝石の如く輝く瞳はまるで紅色ガラスのようで、このうえなく美麗であるとともに私の思案を進ませた。


 それはともかく、いささか面倒な女性たちとの生活が長かったゆえこういった場面には慣れている。

慣れている――というよりも彼女たちが教え込んだうえで、自身で慣れさせたのだが。

 何にせよ「苦に溺れる者がいれば、瞬きする前に手を差し出せ」という教えはまだしっかりと根を張っている。


「いや〜〜、ホント助かります。この村アタシと同い歳ぐらいの人とか全然いなくて。

 だからとって村のおじいちゃんたちに相談すると、出て行ってほしくないからすっごく偏ったアドバイスになるんですよねぇ」


「なるほど。そのご老人たちの考えも致し方ないとも思えるが――なに、今宵は存分に思いの丈を吐き出すといい」


「うぅっ、ありがとうございますっ!!」


「うむうむ」


 勢いよく婦女子は私の手を両手でサンドイッチにするよう手を握った。

 この程度で求めはしないが、差詰(さしず)め、この手の温もりと柔らかさが報酬といったところだろう。


「よし、リアよ。話しは終わったぞ」


「……なんか、途中で割って入ってすみませんでした……」


「気にすることはない」


「そうですよ。アタシとしてはちゃんと腰を据えて話ができるほうが嬉しいですし」


「…………」


 リアは申し訳なさと腑に落ちない不満が混じったような何ともいえない顔を伏せた。


「えーと、話しを戻すとお二人は遠く離れた国から来たんですよね?」


「私はそうだが、リアはどうなのだ? ここが君の祖国なのか?」


「……いえ、違います」


「ほおほお。ちなみにあの森へはどんなご用で? 住んでるアタシが言うのもアレですけど、ここら辺ホントになんにもないですよ? 

 遺跡とかもありませんし、一番近くの町も歩いたら三日はかかりますし。見かけたことありませんから隣村の人ではありませんよね」


「ふむ……」


 どう説明したものか。

 半透明の(もや)こと、門の先があそこであった。

 幼児の夢の話しならばまだしも、私が言葉にしたらそれはただのくだらない世迷言。


 ――――否。

 ここは魔法の存在が許された幻想郷。

 手に黒い炎を宿す少女がいるならば、突然森のなかに現れる野郎がいたとて不思議ではないだろう。


「私たちは――」


「なんか歩いてたら迷って森のなかにいました」


「む?」


「へぇ〜〜。それは大変でしたね。まあそのおかげでアタシは助かったんですけど」


「まったくです」


「………………」


「………………」


「…………それでいいのかね、君は?」


「え? なにがですか?」


 その間の抜けた表情はやはり私の言葉の意味を理解しておらず、すなわちそれは先ほどの会話が既に終了したものであることを示していた。

 流石というべきか、幻想郷。

 あのようなもうある意味抽象的な説明で納得してしまうとはな。もしかしたらこの世界の住人は具体的な追求や解明を求めない、いささか短絡的な民族なのかもしれない。それか、この婦女子個人がそのような人間なのか。


「(これも説明が面倒なので適当にごまかしましょう。というかこれ以上この話題に触れないでください)」


 再びリアが耳打ちした。

 ああ、どうしてこの少女はここまで機転が利くのだろう。出会ってから今までこの少女には関心が絶えない。

 それまた理由はともかく、再び了承の意を込めて頷く。


「えと……いいってなにがですか、トキカネジンギさん?」


「あいや何でも無い。申し訳ない婦女子よ、ただの勘違いだ」


「そうですか? あ、あともう自己紹介したんですから、婦女子はヤメてくださいよ」


「む、申し訳ない――リズリィ」


「あの、初対面の人を呼び捨てにするのはどうかと」


「ふむ、では――リズリィ殿」


「殿って……」


「あ、いえいえ! 別に呼び捨てでも全然いいですよ」


 微笑みながらリズリィはひらひらと手を左右へ振った。

 その寛大さといい、今までの会話からして現段階では彼女は誰から見ても良い人のカテゴリーに入ることだろう。


「ですが一応の年上への礼節は――」


「いえいえ大丈夫です、アタシあんまりそうゆうの気にしませんから。リアちゃんも別に敬語とか使わなくていいですよ」


 彼女は成人した女性だ。

 歴とした大人らしい雰囲気を自然と漂わせ、先ほど私の眼前に入った際にも色めく大人の香りを醸し出していた。

 ………………もちろん、加齢臭とかの類ではない。


「リズリィよ、この上ない失礼を承知で訊ねるが、いいかね?」


「え、はいどうぞ」


「では――――君は何歳なのだね?」


「ちょっと貴方っ?」


 私の問いに何故かリアが大きく反応した。


「なにかね。しっかりと断りをいれたので問題ないだろう」


「そうではなく、この国で女性に年齢を訊く行為は――」


「いいのよリアちゃん。……彼はこの国に来たのは初めてなんでしょ? それに遠くから来たのなら知らなくても仕方ないわよ」


 そして何故かリズリィは先ほどまでの様子から一変し、違和感を覚えるまでに落ち着き払ったトーンで話す。そしてリアも沈鬱に目を落としている。

 まるでゲリラ豪雨のような雰囲気の変わりぐあいに一瞬首を捻ったが、ある意味ですぐに理解した。


「私はまた――失言してしまったのだろうか?」


 問いにリアは静かに頷いた。「何故」、という問いはまた失言となることは容易に察した。

 室内に初めて明確な沈黙が生まれ、私の耳をゆっくりと休ませる。本来なら歓迎し興じるのだが、今回ばかりは内心ため息をついてしまう。


(全く、この世でもとは……私は相変わらず成長とは無縁らしい)


「まっ、いいわ。助けてもらった恩もあるし、特別に教えてあげる」


 前触れもなく、雨のなかで咲いた薔薇のようにリズリィは微笑んだ。

 その瞬間はまさに湿った空気を殺し、ほどよい乾きの風が吹き込んだように空気を一変させた。


「え、いいのですか?」


「正直、アタシはあんまり気にしないし、そもそもそれがある意味もわかんないし。それに、たまには反抗したってバチはあたらないわよね」


 リズリィは声のトーンを戻して再び明るく微笑みかけた。

 しかし、彼女は真っ直ぐ私たちを見て言っているが、何故かその瞳の先に私たちがいるようには感覚的に思えなかった。

 極端に言えば私たちへの言葉ではないように感じられる。摩訶不思議な違和感に勝手に陥っていり、自己嫌悪を忘れかけたところで再びリズリィは口を開いた。


「じゃあ改めて自己紹介といきましょう。アタシはリズリィ、最近転職を考えてるピチピチの二六歳よ」


 この言葉の先に私たちはしっかりと存在していた。

 しかしそれとはまた異なる違和感が新たに芽生えた。それがどういったものなのかは現状私にも理解できていないが――。

 ピチピチ……か。


「あ、サバとかよんでないからね」


「ん、もちろん疑っていない」


 しかし正直驚いた。

 成人しているということはわかっていたが、成りたてであり、五を超えているとは思いもしなかった。

 とはいえ、誰もが成人したら大人らしい顔立ちになるとは限らないゆえ、やはり見た目での判断は当てにならないものだ。


「あの、本当によかったのですか?」


「まあ、確かあれって答えるぶんには問題なかったはずよ」


「え、そうなのですか?」


「そうそう。だから大丈夫よ。リアちゃんも言っとく?」


 二人の会話で私の違和感の正体が明らかになった。

 彼女――リズリィはあのほぼ意味をなしていなかった敬語を使っていない。……とはいえ、ほぼ意味をなしていなかっただけに、より気安くなっただけであって気づいたところで気にすることではない些事であった。


「私は……遠慮しておきます」


 微笑みかけるリズリィに対しリアは何度目か、また目を落とした。

 リアは十三ぐらいに見える。否、あの聡明さからしてもう少し上かもしれない。しかしそれもやはり何の根拠も確証もない憶測。

 私は早々に思考を切り替えて軽く深呼吸をした。


「じゃあトキカネジンギくんは?」


 他意も何もない至って自然なその問いは、切り替えた思考にすぐさま苦渋の水を流し込んだ。

 そして私の敬称が「君」になっていることは、まさに私の存在が彼女のなかで変化したことを表していた。察するに、先ほどの質問は彼女の心境を変えるほどのものだったのだろう。


「ふむ……」


「あ、その顔は何か言いづらい理由があると見た!」


 ただならぬ自信を表情に浮かべながらリズリィは人差し指を突きつけた。


「なっ!? 心を読むとは――貴様も魔女か!!?」


「残念、アタシは普通の人間よ。それに心を読んだんじゃなくて、言った通り表情からそう思っただけよ」


「ほお、この世界は全員が魔法を使える訳ではないのか?」


「その説明はまた後でします。あとこの世界とか言わないでください」


 ふむ、口ぶりからしてどうも全員が全員魔法を使えるわけではないらしい。使えない者がいるというのはいささか残念だが、その理由にとても興味が湧く。


「ま、言いたくないならいいわ。別に歳なんて興味ないし」


「心遣い感謝する」


「そ・の・か・わ・り! あなたたちにもアタシは今後このスタンスでいかせてもらうから」


「このスタンスとは……何ですか?」


「喋り方よ。お客様には敬語を使うんだけど、あなたたちにはやめさせてもらうわ。特に、トキカネジンギくんにはね」


 言うとリズリィは私に可愛くウインクを飛ばした。


「む……? まあ、私はそのようなことは気にしない。自由にしてもらってかまわないぞ」


「別に私も気にしません。というか気づきませんでした……」


「あ、そう? なら改めて言うこともなかったかな」


 テヘッ、という具合にリズリィは舌を出した。

 …………うむ。可愛いには可愛い。実に小動物的というべきか、微笑ましく、守りたいと思えてくるような……。しかし――こればかりは二十五の大人がする仕草だろうか?


「ん、どうしたの? 難しい顔しちゃって。言いたいことがあれば聞くわよ?」


「いや、君は(大人の割に)とても可愛らしいな」


「えっ?」


「なにいきなり口説いてんですか」


 正面の女性は不意をつかれたように間の抜けた顔を見せ。横の少女は蔑むような俗に言うジト目を何故か向けてくる。


「ぬ、いやそのようなつもりは毛頭ない。それに、成人した女性を口説くのに、可愛らしいは不適切だろう?」


「そんなことないわよ。女ってのはいつまでも可愛くいたいものだからね。というかちょっと今ドキッときちゃったわ」


「ほう? マリーのようなことを言うのだな」


「マリー?」


 思わず出てしまった言葉を目ざとくリアが拾い上げ、まさにそれは誰だと言わんばかりに怪訝に首を傾げる。


「なになに、トキカネジンギくんの彼女とか!?」


 リズリィは興味津々にずいずいと顔を近寄せき、再び肉迫するように私の瞳を覗き込んでくる。

 どうやらこの手に関しての女性の想像力がロケットエンジン並なのはこの世界も同じらしい。


「いや、ただの古い友人だ」


「そうですか」「あ、そう」


 興味の波が一瞬にして引いたことは、つまらなそうな彼女たちの表情から嫌でも分かる。

 人の色恋沙汰やゴシップ誌を神から啓示物のように扱うのは勝手だが、そう勝手に期待され、失望されるのはいささか腑に落ちないところだな。


「ん、そういえば、リズリィよ。そのフルネームで呼ぶのは止めてもらえないだろうか?」


「え?」


「あまりフルネームで呼ばれるのに慣れてなくてな」


「あ、結局貴族様じゃないのよね?」


「うむ」


 事実に頷くと、リズリィは下唇に人差し指を当てて思案するように視線を宙へと投げた。


「えーーと、トキカネが名字だっけ?」


「うむ」


 同じ角度で再び頷くと、リズリィはもう何度も見た微笑みをまた浮かべて。


「ならジンギくんね。やっぱり名前で呼び合うほうがいいもの」


「それは私も同感だな」


「こっちのほうが呼びやすい。なにより四文字より三文字のほうが短いし!」


「そっちが本心ですか……」


 理由はともかく、呼び方が定まってよかった。正直慣れていないというよりも苦手なのだ。


「さて、もうだいたい自己紹介はすんだわよね」


「うむ」


「自己紹介だけなのに随分かかった気がします」


「まあ、途中でジンギくんがやらかしちゃったりしたからねぇ」


 確実に含みのある笑みを向けてくる。

 いったいあの質問の何が問題だったのか、実に気になる。しかし時と場をわきまえる自制心ぐらいは持ち合わしているのでな。


「じゃあ、そろそろアタシの話しを聞いてくれるかしら?」


 軽くウインクし、私からリアへ、リアから私へと視線を動かした。


「ぬ、転職の話しならまた後でするのでは?」


「そっちじゃなくて――」


 こほんと咳払いをして。


「お二人とも――今夜はどちらにご宿泊を?」


 再びあの敬語とともに、リズリィは首を傾けながらにっこりと笑う。しかし同じく笑う瞳は今までとはまったく違うものとなっている。

 その視線は絡みつき、まとわりつくような粘着性を持ち、気を抜けば呑まれ捕食されてしまいそうな危機感を自然と私に植え付けた。


「リアちゃんは着の身着のまま。ジンギくんもほっそい剣と銀色のよくわからない物しか持ってなかったわよね」


「ほお? 何故知っているのだね?」


「えっ……あ、いや、ほら? 運ばれとき一応、一応ね? 危険物とか持ってないかな〜〜っと思って……ね?」


 ハギレが悪い。目が魚の如くスイミングしている。

 まったく、刀や拳銃などを持っている危険人物判定まっしぐらな男の所持品を確かめたぐらいでそのように申し訳なさそうにしなくても良いものを。

 しかし、寝ている男の懐をまさぐるとは……この婦女子、なかなかのやり手だな。


「と・に・か・く! あなたたち――お金、持ってるの?」


 彼女の瞳の色は変わっていた。

 飢えた獣のような――――商売人の瞳に。






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