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youはチキン

 シンプルイズベスト。

 少女が私に与えた答えはまさにそれだった。勉強。つまりは学習である。


「――――さて、始めますよ?」


「うむ。よろしく頼む」


 私たちの目の前には木造の机が。その上には薄茶色に蝕まれた数十枚にもなるA4サイズの羊皮紙と、羽ペンが入ったインクボトルが二つ。

 そして少女がそれらと一緒に持ってきた、温かいアップルティーの入った白い陶器製のマグカップが二つ。それから漂う甘ったるい香りがほかの香りを押しつぶし、部屋の香りを占拠している。

 そして私たちはその机を挟んで向かい合うように椅子に腰掛けていた。


「そういえば、そちらでは国によってたくさん言語がありましたけど、貴方は英語と日本語以外に何かしゃべれますか?」


「うむ。ロシア語、中国語、イタリア語、フランス語、ギリシア語、アラビア語、沖縄語、その他の地方言語も合わせれば十カ国語以上は問題なく話せる」


「……………………」


 ふむ。どうやら彼女は言葉を忘れてしまったようだ。


「…………あの、沖縄語ってべつに日本語の方言ですよね?」


「うむ、琉球語とも呼ばれている。聞いたコトがあれば一聴瞭然なのだが、本土の言葉とではほぼ口頭での意思疎通は不可能だ。

 昔から同一言語かどうかという論争がなされているほど。私とて差別するわけではないが、他の方言と比べても同じ言語と認識するのは難しいので分けさせてもらう」


「…………あ、そうですか……。とにかく、それだけ出来るのならこちらの言葉もすぐ理解できるかもしれませんね」


「うむ。全身全霊を持って頭に叩き込ませて見せよう」


 微かに顔を引きつらせながら少女は羊皮紙を一枚手に取った。


「ではまず――」


「時に少女よ?」


「なんですか?」


「この世界に羊はいるのか?」


「いますよ」


「林檎は?」


「ありますよ」


「モンゴリアンデスワームは?」


「いませんよ。てゆうかそれはそっちにもいませんよね」


「なるほど……」


「……どうかしましたか? あくまでモンゴリアンデスワームは未確認生物ですからいるとは言い切れませんよ。まあ異論は聞きますけど」


 突然の矢継ぎ早な質問を不審に思ったのか、眉をひそめて怪訝な表情を向けてくる。


「いや申し訳ない。ただこの羊皮紙やアップルティーが本当にそれから出来ているのか気になったのだ」


「……。この世界は地球と類似している点はいくつもあります。動植物に至っては多少の個体差はあろうと、ほぼ同じモノが生育していたりします。ですがやはりモンゴリアンデスワームは確認されていません」


「ほう」


「ですがまあ、それは実際に見て感じて理解していくのが一番です。とにかく、今は言葉を憶えることに集中してください。そうしていれば、いつかモンゴリアンデスワームに逢えるかもしれませんよ」


「そうだな、承知した」


 ふむ。ここまでモンゴリアンデスワームを言ってくるとは、案外この少女はモンゴリアンデスワームを信じているのかもしれないな。

 かくして、少女女史による異世界語講座が開講された。



「――で、次に「チキン」が「あなたは」という意味になります。英語でいうyouですね」


「なるほど」


 ということは相手と話す場合は常に「チキン」を使うわけか。

 …………ふむ。どうしてかチキンがyouだと、「お前はチキンだ」と言っている感覚になってしまうな。

 そしてどうやらこの世界の国の言葉は英語と似ていてスペルを綴って文を成していくらしい。文字としては……まるで古代文字だな。


「そして「彼は」というのは――」


「少し質問いいだろうか?」


「どうぞ」


「先ほど森のなかで出会った男たちの一人が言っていたのだが、「タコヤキ!」とはいかなる意味だろうか?」


「ああ……基本的には「来るな」「私に近づくな」とかの意味になります。ですが結構酷い言い方なので日常ではあまり使いません」


「なるほど……」


 律儀に答える少女だったが、先ほどまでと異なりあまりいい顔をしていなかった。

 そもそもの言葉の意味があまり良くなければそうゆう顔をするのも分かる。だとしても、どうやら思った通り酷い拒絶だったようだ。


「では、「タコヤキバニラ カニパセリ」とはどういった意味だろうか?」


「そうですね……「近づいたら彼女を殺す」という意味になります」


「ああ……そうか。また変な言葉を訳させて申し訳ない」


「ちなみに「カニ」が「彼女」。パセリが「殺す」。「バニラ」が「〜したら」の意味で、ここではタコヤキとくっ付いて「来たら」となります」


「なるほど。有難う」


「いえ、どうせ教えることでしたし」


 素っ気なく言うと少女はアップルティーを口に含んだ。

 ……ふむ。少しばかり暗くなってしまったな。ここは少し雰囲気を変えてみるとしよう。


「先ほど君が放った「キムチプリン」というまほ―――」


「ぶフォっ!!!」


「っ…………大丈夫か?」


 突然少女が口のなかのアップルティーを噴いた。

 人間の口というのは基本正面についているため、その口から噴き出したアップルティーが正面にいる私の顔を含め身体にかかることは実に超自然的な必然。

 純物とは異なり微かな粘着性をもつそれが顔をゆっくりと滴り、衣服に染み込むように私自身を甘ったるくしているのが分かる。


「ゴホッゲホッ……あ、すみません」


「問題ない。少女のアップルティー、とても甘美だったぞ」


「あの……タオル……どうぞ――」


「うむ。いただこう」


 少女は申し訳なさそうに小さな身体をさらに縮こませながら、衣装箪笥から白いタオルを取り出し手渡す。

「あの、ホント、ごめんなさい……ん、甘美?」


 手に持った時に感じたが、それで顔を拭いてみるとやはり硬いうえに荒く、質が悪い。まるで使い古されたほうきで拭いている気分になってくる。まだ無臭なのが救いだ。

 幸いケビンから拝借した戦闘服にはあまりかからなかった。その分私の顔にかかったともいえるが。


「なに、そう謝ることではない。突然噴き出すとは、器官にでも入ってしまったのか?」


「い、いえそういうわけでは…………」


 なにやらバツが悪そうに視線をそらす少女。

 しかし間もなく、観念したかのように短く息を吐き、口を開いた。


「すみません。やはり謝罪の誠意としてお話します」


「そうか。その必要はない、と言いたいところだが、何やら面白そうなので敬聴するとしよう」


「……貴方は、「キムチプリン」と聞いてどういうモノを想像し、それについてどう思いますか?」


「ふむ。洋菓子と朝鮮漬物の融合か……。まろやかな甘味と刺激的な辛さを合わせるなど、よほど狂人的な芸術性を持つ者しか創造しえないだろうな。

 それゆえ、どこぞのアーティストや女優などが「これとっっっても美容と健康にいいのよっ!」などと言い出しそうな代物だとも思える」


「ええ……まあ、はい、そうですね…………」


「物としては、単純に想像すると既存のプリンのうえにキムチをのせる。又は作る過程でプリンのなかにキムチを混ぜる、それともその逆か…………正直想像に苦しい。

 そもそもその二つを混ぜ合わせようなど正気の沙汰ではないだろう。創作料理というのは得てしてあるものだが、これを思いついた人間は料理をする前に、しかるべき機関でカウンセリングを受けるべきだと私は思う」


「はい……私もまったく同感です……」


 いささか訊かれたことと解答がずれてしまった気もするが、少女はこの答えに納得したようだ。

 だというのに少女は何故か微かに頬を赤らめながら視線を下げている。どこか悶えるように肩を細かく震わせているのは目の錯覚だろうか?


「どうかしたのかね?」


「…………「キムチ」が「闇」で、「プリン」が「炎」の意味なんですよ」


「ほお?」


 あの常に臆することなかった少女からしては、まさに耳を疑いたくなるほどか細い声で言葉を紡ぐ。


「ですから「キムチプリン」は、こちらの言葉としては「闇の(ダークフレア)」となります」


「おおっ、なるほど。ダークフレアとは、まさに魔法的で格好がいいではないか」


「そこです! 問題は…………」


「ふむ。どういうことだね? 説明してくれると有難い」


 少女は一度深く息を吐き出し、恥辱に架せられた処女のように頬を赤らめる。そして薄らと瞳を濡らしながら静かに再び口を開いた。


「私は今までキムチプリンをダークフレアとして使ってきました。正直自分でも内心ちょっとカッコイイと思って使ってきました。私はキムチプリンにという魔法に自負の心を持っていました……」


「ほう」


「ですがどうですか!? 私のキムチプリンは、貴方の世界からしてみればただただ気持ち悪く意味のわからない食べ物!!」


 突然の激昂に意識が跳ねる。


「……しかし、それは私の世界での意味だ。こちらの世界では「闇の(ダークフレア)」という歴とした意味があるではないか」


「ええはい。確かにおっしゃる通りです。しかし私は知ってしまったんですよ。キムチと、プリンを……」


 どこか自虐的な悲哀に満ちた表情を見せると、少女は世界に絶望し吐き捨てるように続けた。


「知ってしまってから、唱える度に脳裏をよぎるんです。貴方が思ったような、プリンのうえにキムチがのったものが……。そのせいで私はもう自分のキムチプリンに誇りを持てなくなりました。むしろ羞恥心さえ覚えてしまうようになりました……」


「………………なるほど」


 はて、私たちはもともと何の話をしていたのだろうか?

 興味本意で聴いていたものの、まさかこうも重たい愚痴じみた話になると誰が予想できただろうか。

 それにしても人間とはわからないものだ。今の少女は先ほど私を悟らせた聡明な姿ではなく、まるで壁に衝突して挫折してしまった、まさに子供のような姿だ。


「これはもうキムチプリンへの裏切りと見られても仕方ありません。幾度となく私を救ってくれたキムチプリンに対して、私は顔を背けてしまいました。正直、今までカッコイイと思っていたぶん最初聞いたとき私も笑って――――」


「私は好きだぞ。キムチプリン」


「…………え?」


「君の魔法を見た時、私は呼吸を忘れてしまうほど衝撃を受けた。私は一瞬にして君のキムチプリンに魅せられ虜になってしまったぞ」


「そ、そんな……ウソです。あんな意味の分からなくて恥ずかい名前なんですよ……?」


「名など関係ない。君のキムチプリンは美しかった。そのうえ男たちを追い払い、婦女子を助けるだけの強さを持っている、素晴らしい魔法だと私は思う」


「………………」


「名など気にするな。君のキムチプリンへの愛は、名前一つで薄れてしまうような上辺だけのものだったのか? 君のキムチプリンは一切の恥じらいを有するものではない。それは君自身が一番理解していることだろう? もう一度、正面からそのモノの本質を見るべきだ」


「っ………………」


 少女は私の言葉を聴き終えると、ゆっくりと下を向いた。

 いささか説教じみてしまったが、致し方ないだろう。

 あの魔法はそのように恥じ否定するものではないことは一度見ただけで理解できる。いくら魔法が素晴らしくとも、使う者がそのような心では美しさを損なうというもの。


 何より――このまま少女が失意に呑まれて見られなくなっては困る。


「……あの……タオル、貸してもらえません?」


「うむ」


 少女は依然として顔を伏せながら呟いた。

 持っていたごわごわアップルティータオルを手渡すと、少女はためらうことなくそれで顔を拭った。

 ふむ。今更ながら少女の柔肌をこのごわごわアップルティータオルで傷つけてしまっているかと思うといささか心が痛むな。


「…………すみません、私が間違っていました。貴方の言う通りです。名前などという形のないモノに惑わされず、もう一度キムチプリンと向き合ってみます」


「それがいい。そしてもし、もう一度君が恥じることなく自信をもって唱えることが出来たなら、どうかその時は私にも見せてもらいたい」


「はい、分かりました」


 少女は顔を上げ、私の目を見ながら答えた。

 その顔には先ほどまでの羞恥や絶望もなく、ただ少し、意を決したような強い表情をしていた。


「…………貴方、向こうの人なのに案外良い人ですね」


「そう思ってもらえたのなら、嬉しい限りだ」


 私たちはアップルティーの香りを漂わせながら講義を再開した。

 




「「――おいおいマスター。このホットドック、ケチャップがかかってないじゃないか」

「すまねぇなジョニー。最近副業辞めたらトマトが不作でよ。今日からケチャップは別料金で有料だ」

「なんだって? ケチャップが有料?」

「ああ、ほしけりゃ2ドルよこしな」

「2ドル?! チッ、なんなんだよこの店。ふざけやがって、ブログでボロクソに言って――」

「その時、店主が拳銃でジョニーの頭をぶち抜いた(ナレーション声)」

「ふぅ、ありがとよジョニー。これでまた当分ケチャップには困らなそうだ――――どうだっただろうか?」」


「完璧です。話の内容はとつまらなさはともかくとして、ここまで出来れば日常会話は大丈夫でしょう」


「そうか。ここまでの教授、真に感謝する」


「お気になさらず」


 少女は椅子の背もたれへもたれかかり瞳を閉じた。

 ちなみに、今の小話は少女に最終試験として「何かオチのある話をしろ」というお題に応え、この世界の言葉で私が一人芝居したのである。

 結果は合格。私はこの世界の言葉をマスターすることができたようだ。現に今私たちはこの世界の言葉で会話している。


「そういうわけにはいかない。この礼はいずれ必ずさせてもらう」


「いえ、その必要はありません」


「いやそういうわけには――」


「いいんです。そもそも私は貴方に借りを返すために教えたのですから」


「借り? 私は君に何かしただろうか?」


「え?」


 少女は少し驚いたような目を見せたが、すぐに戻り口を開いた。


「あの施設から脱出したことですよ。多分私一人では帰って来られませんでした。それに関しては感謝していますから。で、これが借りを返すには丁度いいと思ったんです」


「ふん、なるほど。なに、目的地が同じなら当たり前のこと。私の祖国の、旅は道連れ、世は情けという言葉の通りだ。感謝も借りもない」


「(これでこっちの人ならなお良かったのですが……)」


 今回の呟きは私の耳まで届いた。

 意味は言葉通りだと思うが、今はそれを訊ねるときではないだろう。


 ……それは何故、と?

 ふっ、序盤から面倒な展開や話は御免被りたいのだよ。この世界においても四苦八苦は覚悟しているが、いくら疑問だろうと初日から挑むほど私はものずきではない。


「ところで少女よ、私は先ほどから疑問に思っていることがあるのだが、質問いいかね?」


「どうぞ」


 彼女の素っ気なくとも快い了承に甘え、窓の外に目をやる。すると少女も私の目を追うように視線を窓の外へと滑らせた。

 私たちの視線が注がれる窓の外からは、茜色の斜陽が室内に入り込んでいる。

 現在は夕刻である。やっと、夕刻である。


「少女よ、私が学習を始めてからどれほどの時間が経った?」


「……三時間ぐらい、ですかね」


「うむ。確かに時間的にみればそうだろう。しかしそれゆえおかしい。現実的に考えて有り得ない」


「………………」


 こればかりは今とて無視は出来ない。むしろ今訊ねるべきことであろう。


「少女よ、私は今現在この世界の言葉を話しているのだな?」


「ええ……まあ正確に言えばこの国と近隣諸国のですけど」


「ふむ。では、この国の言語は私の世界の言語で使われているものだった。

 逆にそれゆえ分かりにくくややこしくもあり他の言語よりも理解に苦しんだ。何より――私は一つの言語を三時間で習得したというのか?」


 いくつも習得してきたからこそ分かる。いかなる天才であろうとそれが物理的に不可能であると。

言語とはその国の歴史であり文化の集合体。その国々によって無数にある言葉や用法をこのような短時間で理解するなど、それ以前に目を通すなどそれこそ学の神の加護がなければ成し得ないだろう。


「…………貴方の語学学習能力には私も驚きました」


 私と目は合わさず、依然として窓の外を見ながら言う。


「そうではない。ただおかしいと思わないか? どう考えても学習量と経過時間が違い過ぎる。私の体感時間では数十時間はゆうに超え――」


「気にしてはいけません」


「……それはどうゆう意味だね?」


「そのままです」


 少女は文字の羅列で真っ黒になった羊皮紙たちのなかから一枚取り私に見せた。


「もし貴方の言う通りだったとして、貴方が学んだという事実と、この国の言語を習得したという結果は変わりません。それに、下手に時間をかけるより早く憶えてしまうことにこしたことはないと思いますよ」


「……ふむ」


「それに何より、この世界には貴方の世界にはなかった魔法というものが存在します。貴方の世界を知った私としては非常に非科学的なモノです。そのようなモノが存在している世界でいちいち「何故?」と問いていたらキリがありませんよ」


 依然として少女は目を合わせず、その口調は愛からず素っ気ない。

 しかし納得するには十分な説得力を持ち合わせていた。


「……うむ。それもそうだな」


「(あ……案外あっさり……)」


 まさに少女の言う通りだ。

 疑問は疑問で興味は尽きないが、それに毎度時間をかけるわけにもいくまい。

 気にはなるが今のところは胸の奥にしまっておくとして、そろそろ本来の目的を成すときだろう。


「さて、では早速この覚えたてピチピチの言葉で念願の自己紹介といこうではないか」


「ちょっと待ってください」


 立ち上がろうとする私を少女は口頭で静止した。


「なにかね? ああ、そういえば先ほど一緒に行くと――」


「貴方、赤毛さんに何をしたか忘れたわけではありませんよね?」


「何を? ……おおっ、私が婦女子に対して最大限の敬意を払ったことだろうか?」


「つまり?」


 少女の声音は酷く冷たく、瞳はまるでモスクワの夜の様。訊ねるそれは慈悲無き真理の探求者の如く。


「美巨乳を揉みしだいた。私が出来る最大限情熱的に」


「それ犯罪ですよ」


「なんとっ!?」


「いや何ですか「なんとっ!?」って。驚いていることに驚きなのですが……貴方の国でも犯罪でしたよね?」


「無論」


「え……なんで今度は真顔? というかそちらでも犯罪なのになんで揉んでんですか」


「この世界では合法だと思ったのだ」


「なぜに?」


 まったく、ここでも同じ法律があるとは……世知辛いものだな。

 法を武器に少女はさらに私を責め立てる。


「……とにかく、貴方のした行為は歴としたセクシャルハラスメント。つまり痴漢です。自己紹介をする前にするべきことがありますよね?」


「おお、失念していた。シャワーだな」


「なんでそうなるんですか。自己紹介する前にナニする気ですか?」


「ふむ。こう甘い匂いを漂わせてはいささか失礼だと思ったのだが……またもや私の見当違いだったか」


「あ、いえそれはそうなんですけど…………」


 アップルティーの件を思い出したのか、申し訳なさ混じりに、どうしたものかと思案するように少女は顎に手を当てた。

 その姿はやはりロダンの考える人を彷彿とさせ、斜光に照らされるその姿は実に様になっている。私が芸術家ならばすぐさま筆をとり、この空間を永遠に切り取ったことだろう。


「とにかく、貴方は相手の許可なく胸に触り、赤毛さんを傷つけました」


「なんとっ!? それは真か!?」


(マジ)です。というかその「なんとっ!?」ってやめてください。うるさいし何かイラつきます」


「それは申し訳ない」


「言ってしまえば、いきなり見知らぬ異性に胸を触られて怒らない女性などこの国にいません。多分」


「…………ままならないものだな」


 少女の表情は至って真面目(マジ)。嘘の住まうところなど存在しなく、これが真実なのだと無意識に理解させられる。

 やはり人間の倫理観というものはどこでも同じなのだな。


「当たり前です。極端ですが、貴方だっていきなり知らない女性に股間をまさぐられたらイヤでしょう」


「ふっ、私の心は死海ほど広く寛大ゆえな。来る者は拒まず、去る者は追わない主義だ」


「………………ああ、そうですか。てゆうか死海って、他の海から比べると結構小さいですよね?」


「もちろん承知している。次に目指すは地中海レベルだ」


「…………とにかく、今貴方が赤毛さんにしなくてはならないことは分かりますね。分からないわけないですよね?」


 ジッと睨むように強めた瞳を少女は向けてくる。

 冷たいながらどこか必死さを感じられる。それとも、「いいかげんに分かれよ」という苛立ちの目だろうか。

 とはいえ流石の私でももう気づき理解した。相手を傷つけ、ましてや法を犯してしまったときにまずすることといえば一つである。


「うむ。どうやら早速この世界でも、私の磨き極めた土下座を披露するときが来たようだな」


「ええ、そうです。その通りです。ただの謝罪に留まらず、土下座にまで至ったところはポイント高いですよ」


「ふっ、私が今まで何度土下座を強要されてきたと思っている。プロフェッショナルの技というものを見せてしんぜよ――」


「あっ……」


 私の言葉を遮るように少女が珍しく間の抜けた声を漏らした。そして間もなくバツが悪そうにそっと私から視線をそらす。


「どうしたのかね? 私の土下座は世界選手権で二年連続銀賞をとったほどだ。心配する必要はない」


「え、世界選手権なんてあるんですか……しかも銀賞…………」


「うむ。一度一位の選手がドーピングで失格になって繰り上がりで一位になったことがあるが、実力でとってはいないので実質まだ一位になったことはない」


「土下座で、ドーピング…………」


 あの決勝戦で戦った日本人の土下座はこれまでになく素晴らしかっただけに、後にドーピングで失格になったと聞いたときは酷く落胆したものだ。

 それにしても、先ほどから少女がモンゴリアンデスワームを間近にしているようなとんでもなく怪奇な目を向けてくるのだが……どうかしたのだろうか?


「……あの、それを聞いたあとではとても言いづらいのですが……」


「なに、私はそう並大抵のことでは驚きはしない。ましてや憤怒することなどないと約束しよう。さあ、思うままに吐き出すといい」


「さっきすごい「なんとっ!?」とか言って驚いていた気がするのですが……まあでは失礼して」


 少女は一度咳払いをし、凛と私の目を見据えて――。


「この国は――――土下座を理解できません」


「なんとっ!!?」


「………………」


 それはなんとも冷酷なブリザードのような瞳。


「あいや失礼した」


「……あの、確か土下座って基本的に日本ぐらいですよね? よく世界選手権なんてありましたね……」


「一概に日本だけではないが……。まあ世界選手権と謳ってはいたが参加者のほとんどは日本人であったな」


「ちなみに参加人数は?」


「三人だ」


「少なっ。というかそれ外人一人しかいないじゃないですか」


「それでいて開催国はカンボジアだ」


「…………それ、絶対オフィシャルな大会じゃありませんね」


「………………その可能性は無きにしもあらず、といったところだな」


 思い返せば、開催村はプノンペンから車で三時間も離れた貧困農村。そして大会会場は装飾も一切施それていない広場の一角。もちろん見た目でその価値を定めはしないが、世界選手権と謳っているわりにローカルなチープ感は否めなかった。

 それに選手はそこの村民と、その村に派遣された日本人ボランティアスタッフのみ。審判などおらず、 選手二人が土下座し、それを残った一人が判定するという実に独特かつ公平性が疑問となるもの。

 あと気がかりなのが、選手たちが私に向けた「エッ? どうしよマジで誰か来ちゃったよ」的な焦った目。


 …………もしやあれは……いやしかし二年連続で開催……思えばドーピング検査などしただろうか…………う、うぅむ?


「……とにかく、土下座はダメです。これ以上変な目で見られますよ」


「うむ。わからないことをしたところで伝わるものは何もないだろうな。…………ん、これ以上?」


「土下座の他に何か出来ることはありますか?」


「ふむ、そうだな…………おおっ、経験は少ないが、靴底を舐めることなら可能だ」


「…………あの、土下座を強要されたり靴底舐めたりと、貴方いったいどんな人生おくってきたんですか?」


「比較的にスリリングで面白い生活をしていたのは確かだ」


 瞳を閉じればまるで昨日のことのように思い出せる。


「……ですがそれをやってしまったら多分ドン引きされると思うので、それもダメです」


「なんとっ!?」


「………………」


「あいや失礼」


「とにかく、どうします?」


「う、うむ……。私は……不甲斐ないのは承知だが、これ以上誠意を示せる謝罪法を知らない……」


「………………」


「私は……私はいったいどうすれば…………っ」


「大丈夫ですよ」


 絶望に震える私を見て、少女は口元を歪める。

 それは先ほどと同じく私にとって聖女の微笑みの如く、その言葉同様救済を意味しているように見えた。


「ああ、少女よ……私はいったいどうすれば……どうか私を導いて……」


「安心してください。私に考えがあります」


「おお! それはいかなる――」


 少女は手を伸ばして、優しく私の肩に手を置いたのだった。

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