門出
日が昇り、落ちる。
これで一日。
月が欠け、満ちる。
これでひと月。
日時計・水時計・振子時計・機械式時計・衛星時計。
ガリレオの振り子の理論。
ニュートンの絶対時間・絶対空間。
アインシュタインの相対性理論。
古代エジプトから始まり、提唱と否定の歴史の末、今日の時間観というものは確立した。
時の流れというものは永久の未来へと続く、絶対的な普遍のもの。加えてそれは過去を現在にたぐり寄せることはできない絶対的に不可逆なもの。
タイムマシンや何かがあれば別だが、現実的に理論どうこうはともかくとして、現時点では未来へ行くのも過去へ戻るのも出来ない。
あの恥ずかしい過去も、あのトンでもない失敗を正すことも出来ないのだ。
しかし、もし、それが出来るとしたらどうだろうか?
私なら、多少の危険や罪悪を被ろうと過去を望むだろう。
たとえ正せる場所が――――違う世界だったとしても。
・・・・・・・・
『「対象消失! D2ブロックでの交戦を最後に完全に見失いました!!」』
『「チッ、D2ブロック全体の障壁を起動させろ!」』
『「対象はSSKを奪取しています! 障壁では止められません!!」』
『「なんだと!! クソッ……やむをえない、Dブロック全体にEМPを起動させろッ!!」』
『「――――ダメです起動しません!!」』
『「何故だ!!!?」』
『「ハッハッハッ! それはこの私、時兼仁義が答えよう」』
『「仁義!!? お前今どこにいるっ!? どうやって無線を――」』
『「なに、ただ借りただけだ。隊員ひとりひとりの安否確認と把握は指揮官の基本だぞ。まあ、このような混乱下では仕方ないとも言えるが」』
『「誰のせいだと思ってんだ!! それより今ど――」』
無線越しにも伝わる慌てぶりに思わず口角があがる。
『「と、さきほどの質問の答えに移ろう」』
『「だからおま――」』
『「端的に言うなれば、セキュリティ系のシステムは壊させてもらった。外部からの電子的なセキュリティは流石だが、物理的な耐久度には正直がっかりしてしまったぞ。が、幾億の資金を投じた機器たちを犠牲にしてまで私を止めようとした心意気は称賛に値する」』
『「うるせえ! 分かってると思うが絶対に外には出さねぇからなっ!! おいっ、地上までの全ルートに三小隊ずつ配置しろ!!」』
『「――フッ。やはり司令官は司令官に向いていないようだな」』
慌てようだけでも実に愉快だったが、こればかりは笑いがこみ上げる。
『「あんだとっ!!?」
『「まず、今現在私と繋がっているというのに指示を出すなど正気の沙汰とは思えない。手加減のつもりならその必要はないと言っておこう。それと、よく考えもせず脱出口がひとつだと断定するなど、本当にこの施設の司令官かと疑いたくなる」』
『「……なにが言いてぇんだよ」』
『「私が旅立つところは地上ではない――――新世界だ」』
『「…………ッ!!! G5だ!! あいつはG5ブロックの『門』に向かってッ――」』
無線機のスイッチから指を下ろす。
その完全な断絶は、気品の欠片もなかった男の怒号も余韻すら残さず消え失させた。意識を無線機から離すと先刻から騒がしく施設中に鳴り響く警報が改めて耳の奥に届く。
非常電源に切り替わったせいで通路は薄闇に包まれ、そのなかをいくつもの警察車両を連想させるランプが壁に張り付き、赤色の光を放ちながら回り踊っている。
――――ふむ。私なりの義を通したつもりだったが、流石に安易だっただろうか。
「――――すまない。ありがとう感謝する」
短く無断拝借の謝罪の後、昏倒している男の胸元に無線機を戻す。そして無線機と入れ替えるように愛刀SSKを拾い上げる。
それにしても、ハンディタイプの無線機の形状が私の時代と別段差異がないことには驚いた。使い方も周波数を合わせ、スイッチを押しつつ声を発する。内部的な電波や軽量化といった機能面は時間経過に伴う技術進歩で流石に比べ物にならないが、特に小型化もされず外見と使い方はほぼ同じ。
すでにこの形が無線機として最良だったのか、無線機という一般に軍事的にしか扱われない代物だから変化が望まれなかったのか。
いや、逆だ。科学技術とは常に軍事的思考から進展してきたもの。よく知られた話しだとインターネットがその代表と言えるだろう。
そもそも無線機自体、第二次世界大戦時に陸軍用途で開発されたウォーキートーキーが始まりだ。常に先端技術とは軍事のおこぼれとして世に出回ってきわけだ。つまり軍事が最先端を有している。それなのに軍事の通信手段である無線機に優良的変化が外部にない、というよりもそもそもハンディタイプなど私のでももう使用してはいないぞ。ということは――――。
と、今は無線機の考察に心を致す場面ではなかった。
自分を納得させるため適当に結論づけるのならば、司令官の骨董好きに付き合わされているのだろう。
全く、個人の趣味趣向は自由だが、公私混同は褒められたものではないな。
それにしても、変化の色を見せないモノを見ると心を奪われるのは時兼仁義(私)という存在の性なのだろうか。
「……新世界。彼の地で待つモノは花園か、それとも屍の山か」
心臓が破裂するほどの胸の高鳴りを感じる。期待が身体を震わせる。その世を想うだけで甘美な妄想に誘われ脚を止めてしまう。
ああ、この身体の熱が冷め止む前に――この序曲を終わらせるとしよう。私の本当の舞台は彼の地にあるのだから。
「さあ、舞台への歩みを進めよう」
芸術性の欠片も感じさせない無機質に白亜な道を堂々に、悠々に、颯爽と。
――ふむ。G3ブロックまで襲撃はなしとは。
無線機を拝借させてもらった御仁以外倒した記憶がない。
これはG5では相当数が私の門出に祝砲をあげてくれるだろう。
「――――フッ」
自然と笑みが溢れる。
飼い犬に手を噛まれるとはよくいったものだ。そのいわれは不明だが、この言葉を初めに言ったのは噛まれた側の人間だろう。
そもそもまず、捕まえたモノが犬かどうか見分ける眼力を鍛えるべきだな。
「――――――ウッ!」
「ほう?」
突然、目の前三メートル先の十字路から少女が飛び出してきた。
すぐに少女は私に気がつき、身体を震わせるとともに脚を止めた。
瞬間驚きの色を見せたが、ままだきの合間にその色は消え失せ、今は凛々しさを感じさせる眼差しで私を見据えている。
逃げず、臆さず、何を言うでもなく少女の瞳は私をとらえてはなさない。
「………………」
「――――――おお」
その姿勢に思わず声がもれた。幼さはなくとも少女である彼女の、少女さの欠如は間近で見ずとも感じ取れた。
ああ、まるで神が私の門出に天使をつかわせたようだ。
私はたまらず歩みを進めながら。
「なにをしているのだね?」
少女はまるでボロ切れ、あえて言葉を選ばずに言うなれば雑巾のように薄汚れたみすぼらしい薄灰色のワンピース一枚しか身にまとっていなかった。否、色合いから見てワンピースはもともと白色だったに違いない。
まるでその姿はグリム童話の星の金貨の主人公を彷彿とさせる。
「………………」
少女は答えなかった。
だが私は目の前の少女に目を――心を奪われ、返答に意識を傾けることは不可能だった。
物理的な距離が縮まったことで少女の存在をより認識することが出来た。私は声を発することもできず、呼吸を忘れてしまうほど少女に見入る。
漆黒に染まる長髪はクロアゲハの優雅さを思わせる。しかし髪質的に見れば、手入れされているとは到底思えず、ボサボサと所々跳ね返り、キューティクルによる輝きは見て取れない。何日も放置されていることは一目瞭然。
慎ましい身体を覆う肌は白樺の如く白く、伸びる四肢は例えるなら線。痩せこけた少女の身体は、まるで一本の鉛筆で描かれた五本の線の集合だ。華奢というよりも、ガラスをも凌駕する脆さであると、触らずとも理解し得る。
そんな容姿をしているにも関わらず、自然に背筋を伸ばし、依然として私を見据え、一切臆せず怯えずいるその所作。そして内からにじみ出る本物の気品。
――――――――美しい。
無論、容姿だけのことではない。
少女は見るからに不健康であり、一般に言われる人間的な生活をしているとは微塵も思えない。その顔や身体からは止めどない死相を見出すことはできたが、彼女を生ける屍という表現は決して出来なかった。
なぜなら、彼女の瞳には『意思』が宿っていた。
菫色の瞳に宿る意思は、生への執着のような醜いモノではない。もっと気高く、穢れないモノに違いない。
でなければこんな瞳を開けるはずがない。
思慮ぶかさを思わせる瞳は朝の風に揺れる水面のような静けさと、燃えるような烈火の如く情熱を宿していることが見て取れる。
その二つが同席するという矛盾は奇跡とも言えるが、少女にはその奇跡さえ包み込んで、当たり前のように内包してしまうような独特の雰囲気が存在していた。
つまり結論づけると、彼女は美しい。
「……貴方は……ここの研究者ではありませんね?」
間近まで行くと、少女は怪訝ながらもやはり臆せず声をかけた。
「ふむ、その洞察力。素晴らしい慧眼だ――――っ」
「…………?」
瞬間。少女を見下ろしていることに気づき、張り裂けるような痛みが胸を襲う。
たまらず片膝を付く。
少女は変わらず動揺することも、驚くこともなく、ただ疑い混じりの怪訝な顔で私を見下ろす。
「時兼仁義だ。以後お見知りおきを、お嬢さん(マドモアゼル)」
忠誠を誓う騎士のように頭を垂れる。
親愛と。敬意を込めて。
「……あの、なにをしているのですか?」
「天使への敬礼だ。不愉快だったなら謝罪しよう」
「……いえ、別に……。そもそも私天使じゃありませんよ?」
「ほう。私の母国でも謙遜は美徳とされているが、君にそんなモノは似合わない」
「……とりあえず、頭を上げて立ってもらえますか?」
「承知した」
少女は立ち上がる私を依然としてジッと疑いと警戒の瞳で見据えている。しかしそれでいて変わらず凛と全てを見透かすような鋭いそれは、まるで油断を知らない鷹のようだ。
素晴らしい。やはりこの少女は心得るべきものを完璧に身につけている。
「……率直に訊きます。貴方は何者で、何をしている人ですか?」
「その前に、私の質問への返答がまだなのだが?」
「……え?」
「なにをしているのだね?」
同じく問うと、少女は私の瞳から微かに視線を外した。
初対面の人間を見た目だけでその価値を判断することは最も愚かな者のすることだ。
しかし、私はこの少女がここにいるべき存在でないと理解するまで、コンマ一秒もかからなかった。
もっとも、その容姿も判断材料となり得たが。
「私は……ただの散歩中です」
「なるほど。しかしこのように薄暗く騒がしいなかでは散歩も十分に楽しめないだろう」
「え……信じますか……」
「それにいくら屋内とはいえ、素足での散歩は危ないものがある。どうだろう、今日ばかりは自室へ脚を戻して貰えないだろうか。無論、騒ぎの元凶である私が責任をもってエスコートさせて貰う」
「拒否します」
素晴らしい即答だ。間髪入れずに、とはまさにこれを言う。
「――――って、これは貴方が原因なのですか?」
「いかにも。もっとも、当初の計画ではもう少しスマートに事が運ぶ予定だっただけに、今のこの状況はいささか不本意であるがな」
「………………つまり、貴方は私と同じですね」
少女に表情の変化はなかった。しかし瞳からは警戒の色が薄れた。
ふむ。どうやら少女は今私の立場を理解したようだ。
「……貴方は何が目的なのですか?」
「無論、彼の地新世界だ」
「新世界? ――――――――ああ、『ウィータ』のことですね?」
あたかも少女は新世界を当然のもののように口にした。
「ふむ。流石の慧眼だ。その頭の回転の速さにも感服させられる」
「……やはり、貴方も普通の人間ではないのですね」
初めて少女は安堵という良い顔を見せた。
しかしこの言い方はただの間違いか、何か思うところで言ったのかは分からないが、どちらにせよ指摘するのは無粋だろうか?
どうしたものかと思案していると、いつのまにか少女もロダンの考える人のように何かを思案顔に片手を顎にあてながら視線を落としていた。
「どうかしたのかね?」
「………………その手に持っているのは俗に言う、カタナソードですか?」
「ああ――これは熟練の匠によって造られた名刀だ」
愛刀SSKに数秒視線を注ぐと、何かを納得したのか少女は微かに頷いた。
「仁義!!」
瞬間、私の背後から警報を切り裂くほどの怒声が私に覆いかぶさった。
「……なんだね?」
怒声の耳障り加減を改めて認識しながら声だけを向ける。
「ゆっくりとそれを床に置け! そしてゆっくりと両手を頭の後ろで組め!! それからゆっくりとこっちに向くんだ。いいな、ゆっくりだぞ!!」
「御仁。申し訳ないが、私はそうナメクジのようにゆっくりと動ける自信はない」
「な、なんでだよ?」
「よくベッドの上で「あなた早いのね」といわれるのでな」
「それは関係ないだろっ!!」
「………………おや?」
全く予期していなかった返しに頓狂な声が漏れる。
「な、なんだよ?」
「……ふむ。何時ぞや、一番ユーモアのある国はドイツだとイギリスの研究機関が発表したが、メキシコ人とてジョークの理解ぐらいあるだろう?」
「俺はドイツ人だっ!! い、いいから早く!! ゆっくりと置いて組んで振り向け!!」
私としては爆笑モノだったと思うのだが……。
私もユーモアを会得しようとした身。今のジョークを流されるのはいささか疑問だ。………………私のセンスが高度過ぎたのだろうか?
「早くしろ。これ以上ふざけるというなら容赦はしないぞ」
怒気を無理やり押さえ込んだ声が背に当たる。
早く。ゆっくりと。置け。組め。振り向け。ふざけるな。
はて、私はいつから山猫軒へ入店したのだろうか?
「……あの、大丈夫ですか?」
小さく言う少女の表情には欠片ほどだが不安の色がうかがえる。
欠片ほど、というところがまた少女の常人さを削り取った。しかしこの気丈さ、というよりも危機感のなさはよくある根拠の無い自信などではなく、本当にこの状況を危機だと感じていないようにも思える。
もっとも、私は危機と思っていない。
何故なら彼は第一声から致命的なミスを犯している。
「問題ない」
「…………そうですか」
「五秒数え――――」
「承知した。注文の多いドイツ人よ」
注文通りゆっくりと。
膝を少しだけ折り、愛刀SSKを置いた後、頭の後ろで組み、振り返った。
「――――おおっ、なんだケビンではないか」
振り返ると友人のケビンを含め、四人の警備隊員が機械的な自動小銃の銃口を私に向けていた。
「ああ俺だ。……仁義くん、何故こんなことをしているかは知らないが、このままおとなしく投降してくれ」
「ほう? 随分と単刀直入だな」
「君にはあれこれ言っても無駄だろ? 今ならまだ司令官も殴るだろうが許してくれるはずだ。なんなら俺も一緒に頭を下げるし殴られてやる。だからおとなしくしていてくれ」
諭すよう優しく、なおかつ同情するよう――険しい表情ながらそのような言葉を投げかけてくる。
「ケビン、よく見たまえ。君の銃口の先にいる男は丸腰だ。加えて降伏のポーズまでとっている。拒否権などあるはずがない」
「……ならそこを動か――」
「しかしあえて言おう! 申し出を受け入れることはできない」
「……どうしてだ? 門の先にいったい何があるっていうんだ?」
「なんだ、知っているのではないか。ふむ。いいだろう、彼の地新世界。そこには――――」
「主任。司令官に報告したところ、現状維持。すぐに包囲にかかると――」
「なっ! バカなんでそんなことっ――――」
「なるほど」
確かにケビンほど私と交流のある者なら時間稼ぎを、上手くいけば説得すらなし得ると考えたのだろう。説得までいかなくとも交渉中に四方を包囲し投降させる。定石中の定石だが、これは改めて司令官の応用力のなさを認識させられた。
「ち、違うんだ仁義くん! 俺はただ本当に……」
「大丈夫だケビン。君は命令通りにしっかりと行動したのだろう? 失敗の原因はこのような作戦をたてた司令官にある。この失敗を機に彼を退任させるといい」
「失敗ってまだ……それにこれは俺が勝手に自分で――」
「しゅ、主任っ。彼の後ろにいるの……魔女じゃないですか……?」
「なッ!!?」
戸惑いに目を泳がしていたケビンだったが、隊員のその言葉で一転し、まるで悪魔を目の当たりにしたかのように目を見開いた。
他の隊員たちの表情も慄然とし身体全体の震えが伝わりカタカタと小銃の照準が定まっていない。
「仁義! いますぐその娘から離れろッ!!」
ケビンはまたうってかわって鬼気迫る表情で叫んだ。
「何故だろうか?」
「その娘は魔女だ!!」
「…………ふむ。ケビン、それをジョークとして言っているなら、ジョークとは別のところで笑われてしまうぞ?」
「ち、違う! 本当だ、信じてくれ!!」
その切迫した表情には冗談ウソ偽りなど微塵も存在していない。もとよりケビンはウソとは対極にいる男だ。
しかしそれは今としてはどうでもいいこと。
「頼む。ゆっくりとこっちへ来てくれ」
「……あの?」
少女が私を見上げる。
「少し待っていてくれたまえ」
今の言葉を誰に、どのような意味で言ったのかは個人によって様々だろうな。
「ケビン、いくら君にそう言われようと、後ろの彼らがどうにもそこまで友好的ではないように見えるのだが?」
「え…………ああ、みんな、銃をさげ――――」
ケビンは一度後ろの隊員たちに目を向けた。
「――――――なッッ!!?」
至るまで一秒とかからかった。
戦闘においても筆記試験においても、一つのミスがその後の全てを左右する。
受け身をとりそこねる、最後の一桁を間違える。そのせいで前者は生命を落とし、後者は落第してしまう。
だから大人たちは口を酸っぱくして言うのだ。
――油断大敵と。
床を蹴り、瞬きが終わる前にケビンへと肉薄して小銃を持つ手を上へと払いあげる。
ケビンも誰もあまりにも突然のことに何も反応出来ていない。
反射的本能的に引き金を引くでもなく、ただ銃を抱えたままホールドアップでもしているような体勢は、まさに形勢逆転を示している。
その刹那に見せたケビンの頓狂さは見ていられない。
――――変化への適応。
その欠如が招くものは簡単な死。
「――グゥッッ!!!」
ケビンのみぞおちに拳がめり込む。
いくらボディーアーマーを身につけていようと、爆発的加速のエネルギーがのった拳は鉄球と変わりなく、それは限りなく意味を成さない。
相も変わらず後ろの隊員たちも同じく反応という反応を見せられていない。
「――――――ッ」
一発。一発。一発。
ケビンの身体が土砂袋のように崩れる前に、彼らは川の字になった。
三人横一列に仲良く並んで銃を構えるとは、一昔前に流行った手を繋いでゴールするリレーのようだ。
あのような隊列を組めと命令されたのか、個々の技量に不安があったのか、それとも仲良しホモグループだったのか。広いとは言えない通路だから仕方ないとも言えなくはないが、せめて一人は後方援護にするべきだったな。
冷たい床とディープキッス中の四人にもう動く気配はない。
「……ケビン、君はここにおいての私の数少ない友人だ。しかし、理解者ではない」
彼の犯した過ちは、私から視線を外したこと。
そして何より、私を視界に捉えた瞬間に手足を撃ち抜かなかったこと。
時兼仁義というモノを理解していたのなら、悠々と会話などできるはずがない。
「丁度いい。ケビン、上着を借りるぞ」
あくまで借りるだけ。それゆえ上着以外には手をつけない。
ケビン等警備隊員たちは一般に言う迷彩柄の戦闘服を着用している。
迷彩柄と言っても多種多様だが、彼らのものは例えるなら陸上自衛隊の迷彩服三型、つまり一般に言う迷彩柄の認識に近いだろう。
ふむ。やはり羽織るだけでTシャツ一枚とは比べ物にならないほど見栄えが良くなった。本来なら下の方も拝借したいのだが、流石に乙女の前で無粋な真似はできない。
「――さて、お待たせして申し訳ない、お嬢さん(マドモアゼル)」
「………………」
笑顔で振り返る私とはうってかわって少女は何とも神妙で難しい顔をしていた。
「どうかしたのかね?」
「……今の、なんの魔法ですか?」
「魔法?」
至って真面目にそのようなことを訊ねてくる少女に、思わず首をかしげる。
古武術の一つから派生して創られたこの技、決してそのような類のモノではないが、確かに極めた姿は言う通り魔法と見紛うかもしれない。
「魔法、か……」
「………………わかりました」
返答という返答をしていないのだが、少女は何かを納得したように頷いた。
「仰らなくても結構です。無駄に時間を使いたくありません」
「ふむ、そうだな。承知した」
「……仁義さんと、言いましたね?」
「覚えてもらえて光栄だ」
「先ほどの言葉が本当なら、私をエスコートしてくれるのですね?」
「勿論、私に二言はない」
「では、お願いできますか?」
懇願などという俗物的なものは見受けられず、ただただジッと、少女は私の目を捉えてはなさない。
「喜んで。しかしながら私は君の自室を知らない。よければ歩きながらでも教えて貰えないだろうか?」
「その必要はありません」
「ふん?」
「新世界へ、お願いします」
さて、これ以上序曲で観客を退屈させるのは私の本意ではない。
そろそろ締めくくるとしよう。
「少々ここで待っていてもらえないだろうか?」
「どうしてですか?」
「この先では私の門出を祝うため盛大なパレードが行われる。しかしそれは少女禁制ゆえ、それが終わるまで申し訳ないがここでくつろいでいてもらいたい」
「ああ――――その必要はありません」
言って少女は手の甲を私の眼前まであげて見せた。
その手から伸びる白骨と見紛うほど細く白い指たちの一つに目がひかれる。
少女が身につけているものは薄汚れたボロ切れ一枚。最低限であり、それ以外の一切の人工物で着飾られていないその姿としては、ある意味異質なモノが少女の薬指にはめられていた。
それは指輪だ。
銀色のリングに、ブラッドストーンのような黒緑色の石が大きく真ん中に位置しているそれは、ピッタリと少女の細指にはまっている。
「それがどうかしたのかね?」
正直先ほどの言葉とこの行動のなにが関連しているのか理解できなかった。
「外してもらえます?」
「うむ、承知した」
案の定、冷たく肉質を感じられない手に触れ、指輪を外す。
しかし見たところ特に少女に変わりはない。
「返してもらえます?」
「勿論だ」
「………………」
「………………」
「では行きましょうか」
「待ちたまえ」
何事もなかったかのように歩む少女を口頭で制止する。
「どうかしましたか?」
「先ほども言ったがその先は――――」
「大丈夫です」
首だけふりかえり、淡々と言うと少女は再び歩みを進めた。
その言葉に覇気はない。むしろ気だるげで、あまりにも信用に値しない。
しかし、ふりかえった時に見せたやはり全てを見据えているような瞳には得体の知れない自信が存在し、歩む後ろ姿は圧倒的な雰囲気を醸し出している。
不安がない、というわけではないが、この少女の自信は根拠のない虚勢というわけではないだろう。
無論、信じる私も根拠がないわけではない。
「……? 付いてきてください」
「うむ、承知した」
・・・・・・・・・
案の定、門へと続く通路の奥には厚く武装した兵士たちが埋め尽くしていた。
兵士たちの背後には門へと続く扉が、前方には昔のジュラルミン製を思い出させる腰ほど高さのある黒色のシールドがネズミ一匹通れないほどギッチリと通路を塞いでいる。
そしてそのシールドの後ろで、兵士たちはまるで捕食者の如く鋭い視線を漏らすことなく私たちに向けている。それは手に持つ機械的な銃器の銃口も同じく。
「投降しろッ!!」
警報が未だ鳴り響いているなかでも、その一際大きく野太い怒声は耳を貫いた。
流石は司令官。喉の強さだけは一級品である。
だがやはり、司令官は司令官に向いていないようだ。
「――――ッし、司令官…………あの女、ま、魔女ではありませんか?」
「チッ…………なんでヤツが…………」
「ど、どうします司令官……?」
「仁義に回しすぎたか……。だ、大丈夫だ。あの指輪はヤツ自身では――――」
「みなさん、よく見てください。私は外してますよ」
少女は言葉淡々と、しかしまるで剣を掲げる戦士の如く堂々と先ほどの指輪を掲げた。
……剣ならともかく、この薄暗いなかそのサイズのモノを八メートル先にいる相手に掲げたところで認識できるかどうかは疑問なところだが、それを指摘するのはKYだろう。
「ッ!!?」
「し、司令官! ヤツ指輪をしていません!!」
「これも仁義だな……。テメェ、なにしたのかわかってんのか!?」
「ふん? 私はただ乙女の願いを聞き入れただけだが?」
そのようなことだけで怒りに身体を震わせるとは、やはり司令官はこま――。
「みなさん、黙って私たちを通してください。これは脅迫です」
ふむ。ここまで脅迫を脅迫と包かくさず言った者は見たことがない。
その姿勢には改めて感服させられる。
少女のその言葉に兵士はザワザワと囁きながら後ずさりする者が後を絶たない。
「○○○されたくなければ、道を開けてください。邪魔するというなら容赦しませんよ」
少女が乙女としてはいささか不適切なことを言い放つ。
「………………チッ。お前らとお前ら、シールドをどかせ。他は左右に別れろ」
「ですが、ヤツを逃がしてもいいのですか? それに仁義だって――――」
「司令官として、お前たちの生命を無駄に失うわけにはいかない」
司令官の苦渋の支持で兵士たちはシールドを片付け、道をおずおずと開けた。
「……行きましょう」
「うむ」
扉までの一歩一歩は、これまで歩いてきた道のりのなかで一番私を昂揚させる。
しかしその愉悦を邪魔するように、目の前まで迫った司令官が口を開く。
「仁義、本当に向こうへ行くつもりか?」
「無論だ。私には成すべきことがある」
「成すべきこと? 向こうに何があるってんだ。お前は――――」
「司令官、司令官とは常に司令室で状況の把握と指示に努めるものだ。前線に出てくるなど愚かとしか言い様がない。トップを失った部隊がどうなるか、理解していないわけではあるまい」
「……仁義、俺は絶対お前連れ戻す。魔女も同じくだ」
「安心したまえ。手をわずらわしはしない。私は必ず戻ってくる」
「そんな根拠のねぇこと……。そもそも戻ってこれるか――――」
「時兼仁義の成すべきことはこの世にある。それを邪魔するモノは、君たちの抱えているレーザー兵器であろうと、新世界の魔物であろうと、容赦するつもりはない」
「…………なら、これを持っていけ」
司令官は自身の懐から一丁の拳銃を取り出し、私に差し出した。
それはコルトシングルアクションアーミー。略称はコルトSAA。通称ピースメーカー。
西部開拓時代から使用されていた回転式拳銃だ。
開拓時代からとはいえ私の時代まで生産され、二十年ほどアメリカ陸軍に正式採用されたこともある逸品。この時代で回転式拳銃など一度も見たことはないが、その司令官のモノは灰銀色の輝きを失わず輝いている。
「戻ってきたら俺に返せ。もし戻ってこないようだったら、俺が取り返しに行く」
「保険か。うむ、承知した」
相変わらずその心意気には頭が下がる。
「やはり、司令官は司令官に向いていない」
「………………」
「しかしその英断、敬意を払うとともに、感謝する。はやくそのような役職は捨てて前戦へ戻るのだな」
「………………」
司令官は顔の皺をいっそう深くしながら歯を食いしばって、まるで切腹でもしているかのような形相である。
「ああ、そういえば。ケビンには会ったのだが、咲耶女史への挨拶を失念していた。よろしく伝えておいてほしい」
「………………お前、殺されるな」
しかし一転して憐れ悲しむような目を向けてきた。
その意図は得ないが、私はコルトSAAを懐に収めそのまま歩みを進めた。
少女は私たちのやり取りが終わるまで待っていたのか、扉の前で佇んでいる。
「よろしいですか?」
「待たせて申し訳ない」
「お気になさらず」
通常は自動ドアなのだが今ばかりは手動でしか開かない。
ずっしりと重く冷たい金属の扉の開けると、そこには門があった。
否、それはやはり門というより門と言ったほうが正しいかもしれない。
靄よりも透明なそれは吹けばかき消えてもしまいそうで、空気動くたび微かに揺れている。
それは目を凝らしてようやく存在を確認できる。靄よりも陽炎のようなそれは、逆に言えば空気の揺れがないとそれは空気と同じで存在に気付もしないだろう。
縦横直径二メートルはあるそれは、今確かに私の目の前に存在している。
彼の地新世界へと導く門。
「では、行きますよ」
「うむ」
序曲は終演し、新たな私の物語は幕が上がった。