6話
空母翔鶴作戦指揮所
「パラワン、レイテの両島の米豪部隊の撤収は成功したが・・・・・・」
翔鶴空母機動艦隊司令の三木原少将が憂鬱そうな表情を浮かべる。
彼は手元にあった被害報告書を読んで驚愕したのである。
日米豪合同在比国民撤収作戦支援のために展開していた米軍佐世保基地に配備されていた輸送艦アッシュランドが中国軍のASMで撃沈され、同艦の護衛を担当していた国防艦隊・佐世保鎮守府所属のフリゲート川内と米第7艦隊所属の駆逐艦ポーターが被弾大破、航行不能に陥った。
特に予備浮力などに余裕が無い事で被害が甚大になった川内は第4国防艦隊所属の駆逐艦漣の砲撃により海没処分となった。
奇跡的に巡洋艦シャイロー、駆逐艦フィッツジェラルド、五月雨、漣の4隻はラゴノイ湾内に居なかった事もあり被害を免れたのである。
漣と五月雨、フィッツジェラルドが米輸送艦及びと川内の乗員を救助し、更に五月雨は大破航行不能ポーターを豪州のシドニーまで曳航していった。
それは兎も角、アッシュランドが撃沈された際の戦死者の中には今回の撤収作戦の総指揮を執っていたS・ジョンソン海兵隊中将が含まれていた。
(つまり、今後はこの作戦の最高指揮権は私にあるのか・・・・・・)
出撃前日にジョンソン中将に誘われて彼の自宅へ行き、朝まで話を続け、非常時における副官として任命された事を思い出した三木原は彼の目の前に置いてあった海図の置いてあった机に拳を叩き付けた。
だが、フィリピン各地から避難してきた日米豪国民は米強襲揚陸艦ボノム・リシャール、日空母翔鶴、豪輸送艦キャンベラ及びフリゲートシドニーにそれぞれV―22を用いて分乗し、日米豪合同在比国民救助艦隊は一路フィリピンからポート・ダーウィンへ南下した。
この作戦は成功したとはいえ、フィリピン軍は既に組織的抵抗力を喪失、日米豪陸軍の奮闘虚しく、フィリピン南部まで中国軍の魔の手が迫っていた。
これに対し、日米豪3か国は7月15日、米最新鋭空母ジェラルド・フォードを中心とした空母打撃群を編成、更には日軽空母出雲、米強襲揚陸艦サラトガ、豪強襲揚陸艦キャンベラに護衛を加えた大規模艦隊で中国海軍が跳梁跋扈する南シナ海の制海・制空権を奪還する計画であった。
中国海軍は首都マニラに最新鋭空母定遠を展開させ、ホーチミン市方面やバンコクへ睨みを利かせていたが、日米豪合同艦隊が豪州方面から北上してくると聞くや否や、レイテ湾へ向かったのである。
ジェラルド・フォード作戦室
「敵艦隊はレイテ湾へ向け進撃中です!!見事、罠に嵌りました!」
レーダー員の一人、D・ハンプトン准尉が嬉しそうに言うと、司令で、戦死したS・ジョンソン中将の双子の兄、M・ジョンソン中将が呟いた。
「潜水艦隊に対し打電、”時、来たれり”!」
司令がそう言うと日米豪3か国の潜水艦それぞれに対して米海軍のE-6マーキュリー通信中継機を経由してその電文が伝えられたのである。
その1隻、日本国防海軍潜水艦雲龍指揮所
「司令部より入電、”It a show time”との事です!」
「来たか・・・・・・全発射管に17式音響機雷装填!」
そう艦長が言うと1門の発射管あたり2発の機雷が装填され、、合計12発もの機雷が発射され、その機雷はある一定の深度で浮上をやめる。
米潜水艦によってスールー海に敷設された多数の機雷に中国艦隊は気が付いたが既に時遅し、中国艦隊は退路を日本の潜水艦の設置した機雷によって塞がれ、完全に八方塞となっていたのである。
定遠空母機動艦隊の李大将は余裕の表情を浮かべていたが、次の瞬間、彼の余裕を撃ち砕くかのように駆逐艦寧波が触雷したことで航行不能に陥り、次の瞬間にはフリゲート益陽が機雷によって真二つとなり轟沈した。
「くそ!!何が起きた!!」
李司令員がそう叫び、ソナーで探索するように命じ、更にはJ―17戦闘攻撃機を哨戒飛行に上げる様に命じたのである。
「司令員!!機雷です!!」
見張り員の二等水兵がそう叫ぶと彼は掃海艇を呼び寄せたのであるが、その掃海艦艇達もスールー海やマニラ周囲の掃海に明け暮れていた。
「機関停止!!掃海艇が来るまで待機しろ!」
李司令員の命令のおかげで中国艦隊は余計な人的被害を増幅させる事は無かったが、結果的に時間は喪失し、中国軍のフィリピン防衛線は着々と日米豪3か国軍の軍門へ下ったのである。
だが、これに激怒した中国軍は再度那覇市空爆を敢行し、日本側と空戦を行い、迎撃に上がってきた9機のF―15Jの内2機をを撃墜したが、この作戦に投入したTu―16爆撃機15機と護衛のJ―11戦闘機14機中3機を喪失したものの空爆自体は成功、那覇市繁華街で多数の死者が発生した。