23話
あと1話書きます
沖縄本島から南西に数百㎞離れた日本領海上空、1万m以上
蒼空の静寂を裂くように飛翔するのはF-23A雷電Ⅱ戦闘機だ。
この機体はかつて米空軍が将来戦闘機計画でF-22と競作させた機体であり、本来なら歴史の闇に葬られる予定であったが、日本がどう言う訳か購入して日米共同開発の主力戦闘機として生まれ変わらせたものである。
そしてこの機体を操るのは日本防空軍の第305航空隊の荒鷲達で、東シナ海上空最後の戦いと言える最終決戦に臨もうとしていた。
「むっ、レーダーに反応あり・・・・・・こちらオリオン1、目標を発見した、交戦許可を願う!」
『レインクラウドよりオリオン隊、交戦を許可する、武運を祈る!』
「了解オリオン1、これより交戦を開始する!・・・・・・行くぞ!」
今回の作戦で邀撃部隊の指揮を託された鷲野京子中佐が冷静沈着で落ち着いた口調でそう命じると彼女の僚機である小野瀬義三少佐と宮本真一大尉が続き、第2~6小隊の小隊長も『了解』と言い彼女に続く。
「目標完全捕捉!フォックス1!」
鷲野がそう言うと彼女のF-23のウェポンベイから1発のAAM-6が落下し、少し降りた所でエンジンに点火し、目標へ飛翔する。
いや、彼女のF-23以外にも5個小隊に所属するF-15、F-2などからもAAM-4DやAAM-6が目標へ向けて飛翔する。
中国軍首都防空部隊所属のエース部隊はというと・・・・・・
「敵発見か!!こちらから行くぞ!・・・・・・発射!」
瀋勇鷹大佐がそう言うと、愛機J-20のウェポンベイから射程100㎞のPL-15空対空誘導弾を放たれた。
無論、彼も鷲野同様に回避行動に移っていた。
(さて・・・・・・敵さんはどう来るかな?)
瀋大佐がそう胸中で呟きながら操縦桿を右に傾け、機体を旋回させる。
そしてAAM-4とAAM-6が中国軍の編隊に襲い掛かるが、被害を受けたのはJF-17梟龍で構成された第6小隊の1機のみで何とか、大きな被害を受けずに済んだのであったが、日本側に与えた被害は皆無であった。
(敵さんもエース揃いと言う事か・・・・・・相手に不足はないな!!)
距離40㎞、もう既にARHミサイルの有効射程ぎりぎりであり、更にはAAM-7やPL-8と言った短射程で赤外線で目標へ向かう所謂IRH誘導弾の有効射程にも入ったのである。
「敵数18、OK、こっちも17、殆ど同数か・・・・・・」
彼がそう思い、すぐに行動に移した。
次の瞬間、再び彼の愛機からPL-12が放たれた。
同じ頃、鷲野以下日本の迎撃隊は・・・・・・
「オリオン1・・・・・・フォックス1!!」
鷲野がそう言うと彼女の愛機からAAM-6が飛翔する。
因みに今回の作戦でF-23はステルス性を有する単装アタッチメント4基とこれまたステルス性を有するAAM-7であるAAM-7Bを主翼下に装備していた事もあり、合計で搭載しているミサイルは10発であった。
鷲野は2発のAAM-6をストックする事にして、レーダーを長距離戦闘モードから格闘戦支援モードへ切り替えた。
するとF-23のレーダー画面の右側には周囲の映像が映し出され、左には周囲がどうなっているのかと言うレーダー解析結果が映し出された。
「さてと、格闘戦となるなら腕が鳴るわね!!」
鷲野がそう言うと敵機の群れへ突入し、一撃離脱方によってJ-20を早速AAM-7で撃墜し、再び敵機へ向けて上昇しようとした時、あるJ-20が彼女のF-23の後ろに付けたのである。
(ほぅ・・・・・・私の後ろに付くとは中々やるじゃない!)
鷲野がそういうと瀋大佐のJ-20はPL-8を放ち一気に離脱した。
そして鷲野は機体を急旋回させて、フレアを放ちPL-8の回避を試みる。
無論、この時彼女や機体にかかる負荷は大きいが、彼女はその負荷に耐えて中国製高性能空対空誘導弾であるPL-8を振り切って見せた。
そして彼女は敵機より旋回半径が小さい事を生かして即座に敵機の後ろに回り込み、AAM-7を放った。
「オリオン1・・・・・・フォックス2!!」
彼女が赤外線追尾誘導弾発射コードを叫ぶと主翼下に装備されたAAM-7が目標へ向けて飛翔する。
そして20秒もしない内に目標に命中して瀋大佐諸共彼のJ-20が砕け散る。
彼女はその砕け散って碧海へ落ちる敵機に敬礼をしていた。
8月27日、沖縄県海上上空で発生した空中戦は終わった。
日本の犠牲は1機のF-2と3機のF-15に、F-35が4機であった。
中国空軍は東南アジアでは多大な戦果を挙げたが、強力な戦闘機群を有する日米との戦闘では戦果を挙げるも、多大な損失を被った。
そして台湾方面では・・・・・・
台湾軍の携帯式地対空誘導弾やパトリオット等の邀撃に、後半はF-35AT/BT閃電Ⅱ戦闘機(但し日本製)によって、前半はF-16戦鷹戦闘機、幻影2000型戦闘機等に対して優位を保った中国空軍のJ-11も多くが撃墜され、終戦時には約25機しか残存していなかった。
海でも日米の援護を受けた台湾海軍は日本の加賀を若干縮小した様な丹陽級巡洋艦丹陽、台北、米国製の基隆級駆逐艦基隆、左営を中心とした艦隊で反撃を開始、中国艦隊を大陸まで押し返す事に成功したのであった。




